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自殺と精神病について

2009-06-03 11:41:09 | 健康・病気

日本人の自殺者の数が連続10年に亘って3万人を越えており、今も増え続けています。3万人は顕在化した数値であるから、自殺未遂や自殺予備軍を加えると、その数は10倍位に上るのではないでしょうか。

自殺者やその志願者も、その他の人間と同様に、宇宙の進化、地球の歴史、生物の進化、人間社会の発展に亘る悠久の人間史を経て奇跡的に作られた貴重な産物であることに間違いはないのです。それが自殺者個人のDNAと頭脳に刻まれた履歴に基づいて決定された自死という選択によって1人の人間が消えてしまうのは、何とも残念なことです。

各個人は、人間の一例であるから、そのインスタンスとして認識されます。これに対して、一般に人間とは何かを表す人間の属性を集めたものはクラスと呼ばれます。インスタンスとしての個人がその感情や欲望に従って行動するのは容易ですが、クラスとしての人間を認識することは困難であり、長い学習時間を必要とします。

自殺者は、自分の苦しみに執着し過ぎます。自殺の原因が、倒産、失業、過労、債務、離婚、失恋、セクハラ、いじめ、病苦、不正をしたことによる良心の呵責、などのいずれであったとしても、世の中にありふれた原因であり、少なくとも原因の一部は社会が作り出したものであり、必ずしも全面的に個人の責任に帰せられるものではありません。自分の苦悩は重要ですが、それは世の中に数多くある苦悩の一例とみなして、それにとらわれず、普遍的な意味での人間とは何かを認識すること(あるいはそれに代わる宗教など)を重要視すべきではないでしょうか。逆説的に言えば、自分の苦悩にとらわれればとらわれるほど、自分を見捨てるという結果に陥り易いのです。

仏教では、以下のように説きます。自己という実体的な存在があると思うから、自分に執着し、物に執着する。執着するから、思うようにいかないと、苦しみにあえぐことになる。従って、自己を捨て去り、無我の境地に入れば、自分の苦悩が消散するという。この説法は、今の議論の参考になります。しかし、仏教の哲学は、自我や外界の物体を実体としては否定する独自の観念論的な思想体系を作り上げているようであり、その中から自我の否定による苦悩の解消だけを都合よくとってくるのは、よいとこどりという感じがしないでもない。

ここに至って、自殺者は精神的に追いつめられた人間であり、普遍的な人間のモデルとか仏教の教えなどに注意を払う余裕などないという声がどこからか聞こえてきます。確かに、自殺しかないと考える人間は、もはや自分自身を制御できるような状態にないと言えます。多くの自殺者は、うつ病や統合失調症(精神分裂病)を経由するので、周囲の人々は、これらの精神病あるいはその兆候をキャッチして自殺の危険性を察知するしかないと言えます。

統合失調症は、脳内のドーパミンが過剰となり、うつ病はセロトニンが減少するという脳内の総ドーパミン量とセロトニン量がアンバランスになった状態で発生すると言われます。いずれにしても、ストレスなどが原因となって脳内のドーパミンが多すぎる状態となり、余分なドーパミンが毒となり、脳内の感情の中枢である扁桃体という器官の一部の神経細胞を破壊するために病状が現れるようです。これらの精神病の治療薬は、総ドーパミン量を抑え、セロトニンを増やすことによって、欠損した神経細胞の代わりに新たな神経細胞の増殖を促すものです。最近では、このような薬物療法が効果を上げ、1~2年に亘る治療を覚悟する必要はあるが、精神病はなおり易い病気となってきています。精神病の治療期間が長いのは、神経細胞の再生が、筋肉など他の細胞の増殖に比べて時間がかかるためです。

ここで注意すべきことは、精神病の治療薬が直接神経細胞を増殖するのではないということです。治療薬の作用は、神経細胞のさらなる破壊を防止するとともに新たな神経細胞が増殖されるように脳内のドーパミン/セロトニンが作る環境を調整することにあります。言い換えれば、治療薬の使用は、必要最小限の量でよいのです。神経細胞は、脳内の神経幹細胞から生成されます。すなわち、神経細胞が再生するには、患者は、ストレスの少ない環境下で、必要にして充分な食事をとり、適度な運動をし、充分な休息をとる必要があります。つまり、神経細胞の再生は、生命体が脳内に備える自己組織化の機能にほとんど依存しているということになります。この事実に、何か命の尊さというものを感じ取ることができます。

以上の知識を踏まえたとき、精神病患者の周囲の人々は、患者に対してどのように接すればよいのでしょうか。基本的には、神経細胞が増殖し、神経のネットワークがより緻密に張り巡らされていく成長期の子供に接するときとあまり変わりはないでしょう。すなわち、強いて患者を励ます必要はなく、患者にとってできるだけストレスの少ない環境を作るよう心がければよいのです。もし身近に精神病あるいはその兆候がみられる人がいれば、このような配慮をして下さるよう望みます。