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「シュレーディンガーの猫」の解釈を見直す

2025-06-08 09:43:25 | ブログ
 芝浦工業大学の木村元先生の講演を聴講して以来、「シュレーディンガーの猫」をどう解釈するのかについて、見直したいと考えていた。シュレーディンガーの猫の話は有名であり、量子力学の一般書によく引用されているので、詳細な説明が必要であれば、そのような文献やネット情報を参照されたい。

 まず、シュレーディンガーの主張は、次の通りである。観測者が猫の入った箱を開ける前は、まだ猫の生死を知らない状態であるから、量子力学的には重ね合わせの原理により、生状態と死状態の重ね合わせ状態にあるはずである。観測者が箱を開けるという「測定」によって初めて生か死が決まる。測定という観測者の自由意志による行為が猫の生死を決めてしまうのである。観測しようとしまいと、猫は生きているか死んでいるか、どちらか一方の状態になっているはずである。これはパラドクスであるというのである。

 これは、量子力学的観測という人間の自由意志による測定行為が入るから、このパラドックスが生まれるのである。そうであれば、人間の自由意志が入るような観測をしなければよいということになる。この話は思考実験とみてよいから、実際に観測をしなくても思考だけで結論が出るはずである。

 次に、測定過程をみると、放射性同位元素の崩壊、検出器による放射線の捕捉と信号電流の発生、猫の生死、箱を開けた観測者による目視、という段階から成る観測の連鎖を構成している。ここで、検出器による放射線の捕捉までがミクロ系を成し、観測者による目視までがマクロ系を構成している。こうしてみると、ミクロ系とマクロ系は一連の測定過程として連携しており、両者を区別する必要は全くないのである。それでは、なぜ区別したくなるのだろうか。

 同位元素の崩壊は量子力学の理論に従ってランダムに生じるのであるから、ミクロ系の出力はランダムな検出結果になるのであり、マクロ系の測定もそれに合わせてランダムに行うべきなのである。しかし、マクロ系の測定は、「19世紀の常識」に従って決定論的に行おうとするのである。つまり19世紀の常識という呪縛が作用してしまい、上記のような矛盾した結論となってしまうのである。

 量子力学で起きる事象は確率的であるから、ある物理量の測定に関しては、量子力学は同じ状態にある多数の力学系に対する測定結果の重ね合わせについての統計法則を与えるに過ぎない。ひとつの力学系におけるただ一回の測定に対しては、一般には、何の予言も与えない。これは物理学者の頭にある原理原則であるが、いざ観測となると、19世紀の常識が災いして誤った結論に導いてしまうのである。この結論は、シュレーディンガーやアインシュタインを深く悩ませたものである。それからおよそ100年の歳月が経過したが、未だにこの常識を改めるには至っていない。我々はほぼ19世紀の常識に従ってマクロ系の環境の中で生活しているのであるから、当分の間、量子力学の常識が定着するのは無理であろう。

 参考文献
 並木美喜雄著「量子力学入門」(岩波新書)

テレパシーとテレポーテーション

2025-05-18 08:27:27 | ブログ
 テレビで現実に起こっているミステリアスな出来事の番組を見た。小学生と思われる少年は、太平洋戦争で特攻隊員となって戦死した20代と思われる若者の記憶を受け継ぎ、若者の婚約者であった女性の名前を始終口にしていたばかりでなく、特攻出撃の様子まで彼の記憶に刻まれたのである。彼は、その特攻隊員が誰かについて調べ回り、ついにその氏名や墓のある場所を突き止めた。その情報は研究者に渡り、彼は、研究者の質問に答えて、乗った戦闘機の型式やその操縦法を正確に言い当て、特攻隊員が書いた遺書の中で引用されていた隊員が好きだった絵画2点まで当てたのである。こうなると、彼は特攻隊員が経験した事実を記憶として受け継いでいるとみなしてよいだろう。

 特攻隊員がもっていた情報がどのようにして後の少年に伝わったのかについて科学的に説明できないため、この出来事は非科学の領域に属する。過去の情報が未来の人間に伝わったかのように思えるので因果律には反しないが、伝達手段が特定できないのであるから、情報の共有は局所的ではなく、非局所的なものということになる。ここでいう局所性とは、通信がたとえば電磁波のような物理的に存在が認められた通信手段を用いて行われ、しかも遠くの影響が瞬時には伝わらない(超光速通信はできない)という制約が課されていることを意味する。

 過去から未来に向けての非局所的な情報の伝達と言えば、科学の領域では、量子もつれによる非局所的長距離相関が挙げられる。量子もつれは、測定器を用いて相関関係にある2つの量子のうちの一方の状態を観測すると、瞬時にして他方の量子の状態が決まるというものである。ライファーとピュゼーは、観測という作用に応じて、未来もしくは過去に情報が伝達されると主張した。量子もつれは、今や量子情報の中心概念になっているようである。

 感覚器官と頭脳を備え、地球上に生存する2人の人間は、同じ時空間の場を共有しているのであるから、まだ知られていない連繋方法によって気持や考えを共有する可能性を否定できない。昔からテレパシーの名で知られる心霊現象である。しかも、この現象によって過去から未来に向けて情報が伝達されたかのように思える事例の報告も珍しいことではない。

 参考文献によれば、「量子もつれの観測に係わる装置AとBが非局所的に通信することなく連繋するためには、装置の出力がランダムに生み出されていなければならない」という結論になる。通信とは、規則性をもつ情報の伝達を目的とするものであるから、この結論は、「非局所的なランダム性は通信に利用できない」ことを意味する。

 この結論は、一方で量子もつれを利用して通信を行う量子テレポーテーションを可能とする。また他方で、「このランダム性が同時に複数の場所に現れることを原理的に妨げるものは何もない」ことになり、時代を越えてテレパシーによる人間AとBによる情報の共有を否定する理由は何もない。自然は非局所的であるから、人間AとBとの間では、偶然でありながら同じ事象が生じる可能性があるからである。言い換えれば、「真のランダム性が通信を伴わない非局所性を可能にする」ということになる。ただし、この事象は偶然に生じたものであり、再現性はないから、テレパシーが非科学から科学の領域に昇格することはないだろう。

 量子の非決定性により、その位置はランダムになるし、量子がもつ物理量の方向性もランダムになるので、量子の位置や物理量の測定方向もランダムになる。しかし、それでもなおかつ量子もつれにある2つの量子の物理量の非局所的相関関係は保存され得る。

 それでは、テレパシー現象は、自然がもつ真のランダム性に基づく現象なのだろうか。冒頭の話の少年は、後知恵として特攻隊員の個人情報や経験のわずか一部でも知る余地が全くなかったのかどうかとなると、疑わしい。仮に少年が後から特攻隊員について知る余地が全くなかったとしても、時代は異なるが同じ日本人の男性となると、彼らの性格や日本人らしい思考傾向が似ていたとしても不思議ではない。2人が地球上に住む人間と遠く離れた銀河の中の惑星に住む宇宙人であれば話は別であるが。そうであれば、少年と特攻隊員の属性は疑似的なランダム性と複雑な相関関係をもつことになり、真のランダム性に基づくテレパシー現象より起こりやすいだろう。テレパシーが妄想であったとしても、「嘘から出た誠」であったとしても、そのスタートが偶然の出来事から始まることは確かなのである。

 疑似的なランダム性と言えば、一般にサイコロを多数回振るという行為やコンピュータが出力する疑似乱数も疑似ランダム性をもつ結果しか生み出さない。一人の人間がサイコロを多数回振ると、その人間の癖が規則性をもって現れることになり、毎回の試行が数学でいう独立試行でなくなり、因果関係や相関関係に左右されることになってしまう。疑似乱数の場合も、真のランダム性をもつ計算結果を出力する計算式は知られていないのであるから、結果は疑似ランダムなものとなり、隠れた規則性が伴うことになる。

 量子もつれを測定する環境は、自然そのものを写したものとは限らないので、必ずしも真のランダム性を実現するものではない。そのため、測定環境に合わせて2つの量子の間の相関関係を配慮したランダム測定を行うとすれば、それは疑似ランダム性をもつ測定ということになる。

 参考文献では、「ボルツマン脳」と呼ぶ奇想天外なものが登場する。特定の人間が、いま現在、その人特有の思考、感情、記憶をもつということは、その人の頭の中で、このとき実現している特定の粒子配置(あるいはニューロン・ネットワークの状態)のためである。そうであれば、その人と同じ粒子配置を実現した物理実体をボルツマン脳と呼ぶのである。ボルツマン脳が出現する確率は極めて小さく、ほとんど0に近い。しかし、25.4.6のブログで示したように、川の長さと、水源から河口までの直線距離との比はほぼ円周率(パイ)に一致する。物理的な川の形態が異なっても、概念的な見方をした川の形態はほぼ一致するのである。異なる川同士が相互に通信することによって川の形態を形成したとは考えられないから、これは川が自然に身を任せるというランダムな造形をしているうちに、偶然たどり着いた同じ円周率をもつという相関関係であろう。

 参考文献
 ハルパーン著「シンクロニシティ 科学と非科学の間に」(あさ出版)
 ジザン著「量子の不可解な偶然」(共立出版)
 グリーン著「時間の終わりまで」(講談社)

「時間は存在しない」を卒業する

2025-04-27 08:43:56 | ブログ
 25年2月23日付の「時間と空間はどのように違うのか」と題するブログの中で、一般科学書も出ている「時間は存在しない」とする説について、量子もつれの事例を挙げて説明した。その後、今年刊行された参考文献を読み、量子力学全体の中で時間と空間はどのように位置付けられているのかを考えることになった。その結果、この説は誤りではないが、空間の存在はさておいて時間だけを特別視するのは正当ではないと判断した。やはり「時間は存在しない」の文言はキャッチフレーズであって、相対性理論が教える通り、原理的には時間と空間を並列して同等に扱わねばならないと考え直した。

 参考文献の中にある佐藤文隆先生にインタビューした「量子力学と私」という記事を読んで、量子力学をどのように理解すべきかについて教えられたと思う。先生は、「量子力学が情報理論の一種でもあると考えている」とのことである。たとえば、波動関数は状態を記述するベクトルで表現することもできる情報である。波動関数がベクトルであれば、物理量は、このベクトルに作用させる演算子を並べた行列とみることができる。そうすると、量子力学から波動関数と物理量を除いた残りの変数は時間と空間を指定する変数である。これらの変数は、人間が指定した情報に他ならない。先生の言葉を借りると、「たとえばxという場所にあるという情報は、情報であるから自然を写したものではなく、いつも100%とは限らない。つまり情報に関する理論は確率になる。」と言える。なるほど。波動関数という情報に物理量を作用させたものもまた情報であり、その観測値は確率によって決まる量である。時間と空間を指定する変数については、不確定性原理の制約の下では観測値は確率的に決まる。

 芝浦工業大学の木村元先生による「ウィグナーの友人に聞いてみよう!-実在が揺らぐ世界と量子技術の未来」と題する講演を聴講した。先生は、実験形而上学という分野を研究しておられる。量子もつれに関するベルの不等式の拡張版として、局所友人不等式が提唱されている。ベルの不等式は、測定の対象物の状態と、測定器や観測者などの環境状態として、「実在性」+「局所性」+「自由意志の存在」を考慮する必要がある。古典力学では、実在性と局所性は当然の常識であるが、量子力学では破られている可能性がある。また、古典物理学では問題にする必要がなかった「自由意志の存在」あるいは「認識」が情報の形で測定結果に影響することになる。局所友人不等式では、「客観性」+「局所性」+「自由意志」+「友人性」+「物理的付随性」を考慮する必要があるという。

 ここでは、これまでに知った量子力学の事例がベルの不等式あるいは局所友人不等式に照らして正当と言えるのか否かについて検討する。

 ホイーラーは、二重スリット実験に基づいた思考実験を提唱し、現在の観測者が観測すると、過去において量子崩壊が発生するという「逆因果律」が成立する可能性を説いた。逆因果律は、量子力学の理論と矛盾しないが、実証されたことはないので、実在性または客観性がないということになる。「量子力学は観測される前の物理量の値に関する議論はしない」というのが統一的な見解になっているようだ。

 スピン相関をもつ2個の粒子を左右に設けた測定器に向けて同時に発射し、左右のスピン検出子によってスピンの大きさを測定し、ベルの不等式を計算する。結果は、スピン検出子の角度をピンポイントに選んだときにベルの不等式が破れる。しかし、乱数を用いてスピン検出子の角度を決めると、ベルの不等式を満足する結果が得られる。測定条件として「選択の自由という抜け道」があり、「自由意志」の条項を満たしていないのである。偏光相関をもつ2つの粒子として光子を用いた実験でも、ベルの不等式が破れるか否かの判定を行うことができる。ただし、この抜け道を防ぐためには、光子が空中を飛んでいる間に偏光子の変数をランダムに切り替える必要があるようだ。

 「シュレーディンガーの猫」をどう解釈するかについては、常識的な見方をしていたので、見直したい。

 ベルの不等式あるいは局所友人不等式は、量子力学の実験の際に使えるがその実験は量子力学に限定されるものではなく、どのような科学的実験や社会的実験にも使えるのではなかろうか。もちろん、実際の実験だけでなく、思考実験やシミュレーションの際にも使えるであろう。木村先生は、「単体では科学となり得ない仮説が、複数を組み合わせると実験検証可能な科学となることがある!」と言われる。これらの不等式が具体的にどのような問題に使えるかについては、今後の課題としたい。

 参考文献
 現代化学 2025年1月号(東京化学同人)
 ハルパーン著「シンクロニシティ 科学と非科学の間に」(あさ出版)
 倉本義夫など著「量子力学」(朝倉書店)

川の長さと、水源から河口までの直線距離との比を探究する

2025-04-06 08:26:39 | ブログ
 25年3月14日付の朝日新聞朝刊の天声人語に、英国の地球科学者ステルムが調べたという「川の実際の長さと、水源から河口までの直線距離との比」についての記事が載っていたので、数学的な探究をすることにした。この比がほぼ3.14、つまり円周の長さと円の直径との比(パイ)とほとんど同じというのである。

 まず、黄金比f(ファイ)と対数らせんの概念について説明する。黄金比は、線分ACをBC/AB=AB/ACになるようにB点で分割したときのAC/ABとなっている。縦の長さAB、横の長さACの長方形の横長/縦長比は、黄金比fになっている。fは2/(SQRT(5)-1)に等しい無理数であり、f=1.618034…と続く。

 黄金比の長方形の分割を繰り返してできる正方形の中に四分円を描いて、次第に小さくなっていく四分円をつなげると、対数らせんに近づいていく。



 線分の長さAB=1と置いて、らせんの長さSを求めると、各四分円の長さを加え合わせたものであるから、
   S=(PI/2)×[1+(f-1)+(f-1)^2+…+(f-1)^n+…]
の無限級数となる。PIは円周率(パイ)を示す。(f-1)^nのnを無限大にもっていくと0になるから、Sは収束する。

 らせん長Sのn=j以後の四分円長を加え合わせた部分和をS(n=>j)と書くと、川の長さはjを変数として、
   S(n=>j)=PI[(f-1)^j+(f-1)^(j+1)+…]/2
の式で表せる。

 [(f-1)^j+(f-1)^(j+1)+…]/2は、jの値に対応する水源から河口までの直線距離に相当し、S(n=>j)は、jの値に対応する川の実際の長さを表現する円周長に相当する。川の長さが長いほどjは小さくなる。

 参考文献
 ボール著「かたち 自然が創り出す美しいパターン」(早川書房)

インフレーションとビッグバンのある宇宙論

2025-03-16 08:35:57 | ブログ
 大学で物理学を専攻した者にとって、特にビッグバン理論とインフレーション理論が主役となる宇宙創世の話は、物理学の醍醐味が凝縮したと思えるような興味深い物語である。そこで、この分野のすぐれた参考文献に触発されてこのブログを書きたくなった。しかし、宇宙論は、物理学の中の古典力学、量子力学、相対性理論、素粒子論、流体力学、熱力学、統計力学など多岐の学問分野に関連するので、素人にとってその全体像を理解したと言えるような境地に達するのは容易ではないと思われる。このブログでは、専門家の説明を尊重するとともに、できるだけ補助的な解説を加えることに主力を置くことにした。

 現代の宇宙論では、宇宙は時空も物質もない無の状態から熱い火の玉として始まったとするビッグバン理論がほぼ定説となっている。1965年に発見され、その後の精密な観測とデータ解析が進んだマイクロ波宇宙背景放射(CMB)は、この説の決定的な証拠となっている。CMBとは、ビッグバンによって非常に高温で物質と放射が熱平衡状態を保っていた宇宙の温度が3000K程度に冷えてきたときに陽子と電子が結合して水素原子が形成されるとともに、物質から散乱を受けず自由になった宇宙誕生およそ38万年後の光が138億光年の旅をして我々の目に届いた放射光とされる。

 CMBの強度を周波数の関数として表すスペクトルのデータは、黒体放射と呼ばれる熱平衡にある物体からの放射のスペクトルと完全に一致することが確認された。これは、19世紀にその基礎が築かれた統計力学の威力を示すものであり、この事実を知って感嘆した記憶がある。宇宙がかつて熱平衡状態にあったことに疑う余地がなくなった。

 CMBのデータが示すように、宇宙初期の世界が完全な熱平衡状態にあったということは、宇宙の一様等方性を説明する根拠となるものであり、概略的には正しい。しかし、CMBデータをさらに詳細に調べた結果、CMB以前の宇宙にはわずか10万分の1程度の温度揺らぎあるいは密度揺らぎが存在したことが分かってきた。一般に、独立にゆらぐ分子N個からなる集団があるとき、Nを限りなく大きくすると、ゆらぎの総和を集団のサイズNで割った一個当たりのゆらぎは限りなく0に近づくという大数の法則がある。そうすると、CMB以前の宇宙に存在した10万分の1の密度ゆらぎを単純なビッグバン理論では説明できないのであり、ここにインフレーション理論が提唱されたのである。なお、ビッグバン理論では、宇宙は密度・温度ともに無限大の特異点から始まったとされる。インフレーション理論では、その前に宇宙のインフレーションが起こり、CMBデータに見る量子集団のゆらぎがつくられたとする。

 宇宙の大規模構造とは、宇宙に存在する数多くの銀河が形作る空間分布パターンのことである。銀河団は互いにフィラメント状に連なって超銀河団をつくり、銀河が比較的少ない領域(ボイド)を取り囲んでいるという構造をもつ。宇宙の大規模構造は、宇宙初期に生み出され、CMBデータで明らかにされたような密度ゆらぎがその後の宇宙膨張と重力的進化にともなって成長した結果、形成されたものと考えられている。宇宙の大規模構造は、脳の神経細胞のネットワーク構造と類似しているという研究報告があり、宇宙はマクロ的にはその初期から脳のようにまとまった因果関係をもった統一体であったことを示唆している。なお、宇宙の大規模構造の構築には、暗黒物質が重要な役割を果たしているので、CMBデータと大規模構造がぴったり対応するのか否かは、バリオンなどの通常物質の分布状況と暗黒物質の分布状況のすり合わせもあり、まだ検討中のようだ。

 インフレーション理論とは、要約すると、宇宙初期でインフレーション前に存在した互いに因果関係がないような複数の領域を含む空間が、インフレーションと呼ばれる光速を越えるような速度で加速膨張したことによって引き伸ばされ、CMBデータに見る密度ゆらぎがつくられたとする仮説である。もし領域Aと領域Bとが光速で到達できないとすれば、両者の間には因果関係が存在しないことになる。インフレーション理論は、宇宙の大規模構造を説明するとともに、宇宙の密度パラメータがちょうど1で始まること、言い換えれば宇宙の曲率が観測的にきわめてゼロに近いというビッグバン理論では説明できない平坦性問題を解決する。

 ここで地平線の概念を導入する。地平線とは光速で到達できる限界を表す。地平線の大きさ(地平線長)とは、上記の領域Aまたは領域Bの大きさに対応し、地平線長=光速×宇宙時間で与えられる。初期の宇宙では光子と電子は散乱を通じて強く結びついているので、圧縮性の流体として考えることができる。このため、光子は光速で走る能力がありながら、電子や陽子流体によって散乱され、地平線の外まで届かない。

 宇宙初期のゆらぎを、媒質の密度の高いところと低いところがある波と考えて、ゆらぎのサイズ(スケール)を波長と呼ぶ。またゆらぎの大きさは波の高さ(振幅)に相当する。ゆらぎの大きさを2乗した量をパワースペクトラムと呼び、密度の波がもつエネルギー量を表す。インフーション理論によれば、地平線長を越えるサイズの波長をもつゆらぎが存在できる。このようなサイズの大きな波長には因果関係がないので、何も起きない。宇宙膨張によってこのゆらぎが地平線の中に入ったとき、重力的進化にともない成長が始まる。また、宇宙に存在するゆらぎの全体は、様々な波長をもつゆらぎで構成されているが、ゆらぎの大きさが波長によらず一定(スケール不変)であるという性質がある。インフレーション理論で予言され、CMBの観測によって確認された事実である。

 宇宙初期の放射と物質の混合した媒質が圧縮性の流体であるならば、その媒体に生じる密度の波は、空気密度の濃淡が伝播する音波と同じ原理に基づいていると考えることができる。たとえば、フルートのような菅楽器は管の両端で音波が反射されるために、その境界条件をみたすような定常波が生じる。つまり、楽器の音は、基本となる音の上に多くの倍音成分が重なっているが、地平線の中の密度の波も定常波となり、同様の波長成分をもつ密度波で構成されている。ここで管楽器の管の長さが地平線の大きさに相当する。

 「~星が先かブラックホールが先か?~原始ブラックホール研究の最前線」と題する立教大学の多田祐一郎先生の講演を聴講して、インフレーション理論の全体像がより鮮明になってきたような気がする。ただし、多田先生が言われるように、今のところ「原始ブラックホール」説は、仮説であることに注意したい。

 インフレーション時の宇宙は、温度の高い領域と低い領域とが混在していた。つまり、宇宙は概略的には熱平衡にあったが、詳細に見ると、完全な熱平衡状態からわずかに外れるような密度ゆらぎがあったということである。各領域では、放射とバリオンとが一体となったプラズマの圧力と、物質による重力とが釣り合った状態にあったとする。バリオンとともに存在したと想定される暗黒物質はプラズマ圧を受けないので、暗黒物質がその重力により収縮して微小な原始ブラックホールが生成された可能性がある。各領域は、地平線で囲まれた領域とみなしてよいのだろう。

 宇宙は温度の高い領域と低い領域とが混在していたというだけなら、インフレーションがなくても起きる現象である。インフレーションがなければ、密度ゆらぎの波の媒質である放射と物質は因果関係でつながっているため、地平線で囲まれた狭い領域内の小さいスケールをもったゆらぎしか出来ない。インフレーションがあったので、密度ゆらぎの波の波長が引き伸ばされ、大きなスケールの密度ゆらぎができ、CMBデータを説明できるのであろう。宇宙が膨張して大きなスケールの密度ゆらぎがその地平線内に入ったとき成長を始めることができる。

 CMBデータから、ゆらぎは「ほぼスケール不変」という結論が出ているが、この「ほぼ」は、密度ゆらぎによる完全な熱平衡状態からのずれを意味することが理解できる。

 なお、対象とする量子集団は、放射の量子と物質の量子との相互作用がきわめて強く、粒子数密度が大きいため、そのゆらぎの運動論は、入門的な統計力学では扱えない。しかし、衝突時間と自由時間の考え方は、参考になる。衝突時間とは、着目する粒子が衝突相手との相互作用のおよぶ領域内に滞在している時間をいう。自由時間とは、粒子が一つの衝突相手との相互作用領域外に出てから、次の衝突相手との相互作用領域内に入るまでの時間をいう。平均自由時間はすべての衝突のしかたについて平均したものである。

 CMBデータから得られた10万分の1程度の密度ゆらぎを波の振幅とみなすことができる。CMBスケールのゆらぎの波の振幅が小さいため、そのパワースベクトルも小さく、微小な原始ブラックホール(PBH)は出来たかも知れないが、太陽質量の30倍もの質量をもつPBHは無理だろうということで、熱平衡にあった初期宇宙という想定から一気に飛躍することになり、大きなパワースペクトルをもつ第2のインフレーションが起こったとする仮説がある。

 初期宇宙で10^20g程度の質量(太陽質量の10^(-12)倍程度の質量)をもつPBHが出来た可能性はあるが、そこで発生する重力波は弱い。しかし、その近くのエネルギーの高い部分からmHzスケールの誘導重力波が発生する可能性があるそうで、その観測計画がある。

 昨年、「ナノヘルツ重力波で見える宇宙の新しい景色」と題する弘前大学の浅田秀樹先生の講演を聴講した。ここで、パルサーが規則正しい周期で出す電波パルス信号系列から重力波をとり出す技法があることを知った。ナノヘルツ重力波は「長波長」重力波に属し、原始重力波に相当するようだ。先生は、「インフレーションの直接証拠が原始背景重力波」と言われた。原始重力波を検出するための観測プロジェクトが進行中である。

 インフレーション宇宙を知ると、日常的にありふれた熱対流現象とよばれるものと比較してみたくなる。流体の入った容器の上と下に熱源を置いて流体を均一に加熱する。上下に温度差がなければ流体は熱平衡状態を維持するだけである。上下の温度差がごく小さいときには、流体は粘性抵抗のために動けず、単に温度差分の熱が流体を伝わって流れるだけである。この状態は伝導状態とよばれる。上下の温度差がある限界値を越えると、対流とよばれる流動が起こる。対流は熱平衡からずれた状態であるが、「ゆらぎ」とはよばれない。「ゆらぎ」とは平均からのランダムなずれであるという前提により、両者が区別されているようだ。

 インフレーションは、宇宙という舞台に加える外力である、とみるならば、対流の上下に置かれた熱源は、流体という力学系に対流を起こす外部エネルギーに相当する。

 流体としてパラフィン油を用いたベナールの対流実験では、多数の循環流のユニットからなる蜂の巣状の流動パターンが現れる。たとえば、火山から噴出した溶岩流が冷えたとき、柱状節理とよばれる構造物をつくる。溶岩流の内部で生じる対流も大局的にはユニットごとに分離したものであることを知る。モデルとしての対流構造は、複数のロールを並べたものであり、一つのロールが一つの循環流を表し、循環の向きは隣りあうロールどうしで互いに逆になっている。

 インフレーション宇宙では、温度の高い領域と低い領域とが混在していた。因果関係の壁があって、両方の領域内の媒質が混じり合わないためである。一方、熱対流現象でも流体は複数の循環流の領域に分離される。しかし、ある領域と隣の領域との間には因果関係の壁がないため、流体中の注目する粒子が複数の領域を渡り歩くことができる。モデルでは、各領域の平均温度は一定であり、領域間の温度差はないものとみなされる。

 参考文献
 科学2001年8月号(岩波書店)
 二間瀬敏史著「なっとくする宇宙論」(講談社)
 佐藤文隆著「現代の物理学「宇宙物理」」(岩波書店)
 川崎雅裕著「原始ブラックホールとインフレーション宇宙」(インターネット)
 久保亮五編「熱学・統計力学」(裳華房)
 蔵本由紀著「非線形科学」(集英社新書)