喜多院法興寺

住職のひとりごと

駄目な奴を認め、業を肯定するのが落語だよ

2011-12-14 07:12:00 | Weblog
12月14日付 編集手帳 読売新聞
{落語家の立川談春さんは中学生の頃、落語に親しむ学校の催しで東京・上野の寄席を訪れた。のちに師匠となる談志さんが高座に上がった◆談春さんの『赤めだか』(扶桑社)によれば、談志さんは四十七士の討ち入りを引いて落語論を語ったという。「でもね赤穂藩には家来が300人近くいたんだ。総数の中から47人しか敵討ちに行かなかった。残りの253人は逃げちゃったんだ」
◆理性ではどうすることもできない心の働きを「 業 ( ごう ) 」という。「逃げた 奴等 ( やつら ) はどんなに悪く言われたか考えてごらん。落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ」。駄目な奴を認め、業を肯定するのが落語だよ、と◆「たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうから、それも気をつけな」。最後は、得意の毒舌で締めくくったらしい。
◆〈 熱 ( あつ ) 燗 ( かん ) や討入りおりた者同士〉(川崎展宏)。被災者の身の上を思えば、どんな苦労にも耐えられると理性では分かりつつ、身勝手や怠け癖の“業”に震災後も負けつづけて迎えた「義士討ち入りの日」である。熱燗と、心優しい談志節が腹にしみ渡る。}

 仏教では人間の業を取り除くために戒律を誓わせて、菩薩の心を植え付けるように精進努力させている。しかし理屈では理解しているが、戒を破るのは人間の常である。落語は説法の影響を受け今の落語が出来た。だから、談志さんの「駄目な奴を認め、業を肯定するのが落語だよ」は人間の本質をついた言葉だと思う。この駄目な人間が、反省する機会を与えるのが仏教だと思う。

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