喜多院法興寺

住職のひとりごと

陸山会事件、元3秘書に有罪判決

2011-09-28 06:45:19 | Weblog
9月27日付 よみうり寸評 読売新聞
 {公判で被告らの検事調書が証拠採用されなかったことで、石川知裕衆院議員ら3被告は有利な判決を予測していたのではないか。
◆小沢一郎民主党元代表も同じだったと思う。が、東京地裁の判決はそんな予測とはまるで逆。証拠採用しなかったのは争いのある危うい供述など排除しても判決できるということだった。
◆小沢氏の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件の東京地裁判決は3被告を厳しく断罪した。「多額の不記載、虚偽記入は政治資金規正法の趣旨にもとる、それ自体悪質な犯行」とされた。
◆記入ミスなどの単なる形式犯と軽視できるものではない。石川被告らは資金の流れについて「不合理な弁解を弄し反省がない」という判決だ。
◆「岩手県や秋田県では談合の本命業者選定に小沢事務所の意向が決定的な影響力を持ち、小沢氏の秘書の了解はゼネコン各社に〈天の声〉と受け止められていた」と背景にも踏み込んだ。
◆「小沢事務所と企業の癒着は被告らが小沢事務所に入る以前から存在」ともある。}

 素人考えからすると、多額の不記載、虚偽記入は故意による犯行だと思う。石川知裕衆院議員ら3被告は有利な判決を予測していたのではないか。しかし東京地裁判決は民主党の小沢一郎元代表の元秘書3人を有罪とした。判決は小沢氏側が否定し続けた政治資金収支報告書の虚偽記載を認定した。
客観的事実だけで3人の間の共犯関係も認めたため、小沢氏と秘書との「共謀」が成立する可能性もある。「無罪」に自信を見せてきた小沢氏だが、一転、苦しい立場に追い込まれた。


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1 コメント

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terasima@gold.ocn.ne.jp (noga)
2011-09-29 06:20:41
言語は、考えるための道具である。言語が違えば、考え方も異なる。

日本人は、本当に礼儀正しいのか。
我々の礼儀作法は、序列差法である。序列なきところに礼儀なし。
日本語には階称 (言葉遣い) がある。
言葉遣いの意味を身振りで表わせば、序列差法になる。

日本人は、なぜ察し (勝手な解釈) を使うのか。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には、時制がない。だから、未来時制もない。
日本人には、意思がない。
それで、勝手な解釈を利用する。

日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
恣意は、文章に表わせない。アニマル・子供に共通である。
恣意は、相手により察しにより文章化される。
本人には、その内容に責任がないが、それは本人の意向とされることが多い。

日本語には階称 (言葉遣い) があるので、日本人は序列人間 (縦社会の人間) になる。
義理 (序列関係) がすたれば、この世は闇だ。
意思はなくても、恣意があるので、アニマル風に行動する。

意思のない日本人は、天の声により行動が定まる。自分自身で考える力はない。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力は持っている。
だから、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ必要に迫られることになる。
これは、昔からある浪花節でしょうね。

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http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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