喜多院法興寺

住職のひとりごと

「地震にあひて」思うこと

2011-03-27 06:36:54 | Weblog
3月27日付 編集手帳読売新聞
 {〈帰り来てうれしと思ふ 我家 ( わがいえ ) も 吾妹 ( わぎも ) も 吾児 ( あこ ) も皆 恙 ( つつが ) なし〉。88年前の関東大震災の後、歌人の花田 比 ( ひ ) 露 ( ろ ) 思 ( し ) が「地震にあひて」と題し、小紙にそんな歌を寄せている。
◆日本中の人が、家族や家を失った何十万人という被災者の悲痛を 想 ( おも ) いつつ、毎日、我が家に帰り着くたびに親や子、夫や妻の無事を確かめ、恙なきことの幸せをかみしめているだろう。「日常」の大切さを実感する。
◆職場の傍らで積まれたままになっている、この約半月の新聞の、一番下にあった紙面を引き抜いてみた。“あの日”の朝刊、一面トップは現職の東京都知事が出馬表明するという記事であった。
◆その隣には沖縄県民を 誹謗 ( ひぼう ) する発言をした米高官が更迭された、と報じられている。主婦の年金問題や、子ども手当をめぐって紛糾する国会の記事も大きい。
◆もちろんどれも重大な出来事なのだが、ニュースの背後に宿る日常感のようなものが妙に懐かしい。八方ふさがりだったはずの日々も 愛 ( いと ) おしく、解決困難と感じていた数々の問題が、今は活路を見いだせそうに思える。この災厄に立ち向かいつつ、早く、しっかりと日常に戻っていきたい。}

 88年前の関東大震災では、多くの被災者と死者を出した。その時の歌人の花田の「地震にあひて」と題し、小紙に家族が寄せ合い日常生活の大切さが実感する。今までのニュースはどこに行ったか、遠い過去の出来事に聞こえる。日に日に死者の数が増え、福島の原発は懸命の努力にもかかわらず、終息する様子もない。原発付近の住民は食料も届かず、政府は自主避難をよびかけに、途方にくれる住民。町ごと集団疎開をところも出ている。ニュースを見ていると、犬を飼っている家庭は避難しないで家にいる。犬も家族なのか見捨てられないのが現実なのか。