退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#814: 難民/どさくさにまぎれた移民の権利と義務: 続き

2017-03-10 14:46:05 | アメリカ便り
昨日の、「となるとこの人たちの“どこにでもすむことができる権利”という考えは適応せず、受け入れる国の“人道的と見栄”に頼るしかなくなる」、の続きです。

または、あくまで自分たちが決めた権利を主張し、受け入れ国の事情も考えず、“住みたいところに住む”と権利ばかりを主張するという考えもあります。

つまり、難民/移民の移住には
1.受入国次第(パッシブ)
2.成立しない権利を主張する(スードアクティヴ)
の二通りが存在する(当たり前ですが)。

2011年以来500万人のシリア人が国外に逃げ、700万人が国内で逃げ回っているそうです。
さらにアフガニスタン、イラク、南スーダン等もたくさんの難民を生んでいる。

実に世界で計6000万人の人が自国内で新しい居場所を探しているそうです。
これは120人に少なくとも一人は移住先を探しているということになるそうです。

とにかく、“民族の大移動”に近い移住がおきています。

こんな中で、移住者がみな、“すみたいところにすめる権利”を主張できるわけがない。
ということは移住者は権利の主張は忘れて、受入国の慈悲にすがるしかない。

しかしながら、受入国も今までバランスを保っていた国事が、一度にたくさんのまるっきり文化も民度も違う移住者が入ってきたことにより保つことができなくなり、あせりだし、受け入れ中止や縮小、さらには国政まで変えようという動きがあちらこちらで発生してきている。

今の段階では受入国の慈悲にも限界が出てきている感じがする。

となると、慈悲にもすがることができなくなる。

余談ですが、もし日本人が難民と課した時には、受入国はたくさんあると自負しています。
だって、私たちの民度は高いし、温厚だから。

私が思うに、今の難民問題を解決するにはまるっきり新しいアップローチをとらなければいけないと思う。
このままでいけば、国という人間が住む上でのもっとも基本的な単位が失われていくような気がするからだ。
もっとも“人間はみな平等そんな国境なんか要らない、グローバルな世界にすればよい”という所謂“知識人”ってな人種もいるだろうけど。

平等であること、グローバルであるということは国としての固有性をなくするということとはまるっきり別なことである。

今の国連はあのバンキームーン元事務総長でまるっきり無能可してしまった。
この人は今までの総長のなかで一番ひどかったと評判です。

昨今の国連やらユネスコやら国際裁判所やら国際的な“何とか”は私利私欲が入り込みすぎて正当な判断ができない組織となってきている。

私個人、このような組織はアンティーク的なお飾りでしかないと思っている。
IOCやらFIFAなんても同じです。

この続きはまた次回。
新しい画期的な難民解決策を考え出します。
いや、これはほらです。

オマケ: 第2次朝鮮戦争が勃発したならば20万人超(もちろん大好きな南北朝鮮人)の難民が日本に流入すると防衛庁秘密資料が示しているそうです。