退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#87: 慰安婦の像とアメリカそして麻生

2013-07-31 22:28:29 | アメリカ便り
昨日、ブログを休んでしまいました。
アメリカに帰る娘を飛行場に送り、その後、実家で人の出入りが多かったもので。
今日は、夕方からアメリカの友達夫婦がやってきます。
この夫婦、グラスアーティスト。
大きなスタジオを持っていて、非常に見事な装飾用の皿、花瓶、グラスなどを作っています。
予定としては、4日に小樽北一グラス、余市ニッカ工場、札幌大倉山ジャンプ場。
5、6日は、洞爺湖一泊。
途中昭和新山、有珠山、羊蹄山などを見て回ります。
去年、10月にもアメリカ人夫婦が来ましたが、同じコースを回り楽しんだみたいでした。
6日洞爺から千歳飛行場に汽車で行ってもらいます。
また忙しくなるでしょう。
認知が進んできた母。
短期の記憶はかたっぱしから失っていく母。
きっと混乱するでしょうね。

昨日のニュースで、韓国がロスアンジェルスに"慰安婦の像”を建てたと放送していました。
どうしてアメリカに建てたのでしょうか?
単純な私が考えるには、
1.アメリカ、そして世界に“日本ってひどい国なんだ”と見せつけるため。
2.観光客、外人が多くいるロスでは世界的に慰安婦問題をアピールできると考えたため。
3.韓国内の団結心を強化するため。
4.韓国政府の国民に対する人気取りのため。
5.韓国の存在感を見せるため。
大して効果はないでしょう。
というのは、韓国も、日本もアメリカ、その他の外国にとってはアジアの小国でしかないからです。
3,4は韓国内でのことなので勝手にどうぞです。

麻生副総理、またやりましたね(ナチス発言)。
今朝のテレビでは麻生さんの失言のことで花盛り。
この人、総理、外務大臣その他数え切れない数の要職につきながら、まだ学んでいないのですね。
常識と非常識が。
あまりにも、華々しい家系出身の為か常識がないです。
国際社会に立つ日本を代表する政治家としてあのような非常識な発言はして欲しくないです。
本当に、他国に足をすくわれるようなことをするな、と言いたいです。
要職についた政治家と言う人達は、公の場所では身内感覚的発言をやめ、常にグローバルな状態におかれていることを自覚して欲しいです。

でも、このような人を繰り返し繰り返し選ぶ国民、そして要職に就ける日本の政府も、常識非常識がわかっていないかも。
自民党に対しては、自業自得。
こんなことが絶対起こること、この人の経歴から予測できるはずなのに選んだのだから。
そのとばっちりを受ける国民はいい迷惑です。

“恥”、“武士道”、そして“引き際”を学んで欲しいですね。
ねじれが解消された国会。
今日、初国会が開かれます。
党内部から早々起きたねじれでこの先どうなるのでしょうか。

ハブグレのマミー

#86: Q & A

2013-07-30 18:09:30 | アメリカ便り
今日はコメントがきていたのでそれに沿ってブログを書きたいと思います。

ピッコロさん、コメントありがとうございます。
パチンコ、アメリカにはありません。
個人で自宅に持っている人は聞いたことがありますが、パチンコ屋というのは聞いたことがありません。
でも、アメリカはギャンブルが盛んですよ。
あちこちの都市に“カシノ”が建っていて、市の財政を援助しています。
私の住む都市にも3箇所ぐらい大きな、ラスヴェガスで見られるようなカシノがあり、繁盛しているみたいです。
こちらでは、パチンコの変わりにスロットマシンが流行っています。
5セント、10セント、25セントなどのコインを入れてレバーを引き、数字が横一列同じになったら、お金がジャラジャラ出てくる頭脳低下マシンです。
後、トランプゲームのブラックジャック、ポーカーなどもやられています。

昨日のブログに対するピッコロとホスピタルgさんのコメント。
私は、天災は一般的な自然選択ですが、現代において戦争、犯罪、事故などの人災も無意識に行われている自然選択に入るような気がします。
これは私の意見ですが。

早い遅いはあるけども、死、老いは絶対にくるものです。
いくら医学が発達してもサイボーグ人間にでもならない限りそれは絶対に来ます。
そんな中で、物理的、相対的不老不死には重要性がなくなると思います。
つまり考えてもしょうがないのです。
自分で決めた生き方をして、生きるだけ生きるしかないと思います。
だから不老不死は、個人の定義によると思います。
ちょっとわかりにくい言い方かもしれませんが。
ホスピタルさんのおっしゃる“華”のような人生。
その“華のように生きる”ということがどのような人生かはホスピタルさん個人の定義です。
個人の生き方により、人生長くもなり短くもなるし、いつまでも若く感じることも早く老いを感じることもできる。

今日も短めに。

昨晩アメリカから息子が一人で、そうです始めて一人でやってきました。
成田から羽田にも一人で行くことができました。
成長したな~。
中身、もう少し成長して欲しいですが。

ハブグレのマミー




#85: 癌と不老不死

2013-07-29 17:36:44 | アメリカ便り
先月購入した月刊誌に載っていた対談は、非常に興味があるものでした。
この対談、私の尊敬するジャーナリストと分子生物学者のものでした。

学術的な見解は、またの機会にまわすことにします。
というのはそれを書いていたらもっともっと長くなりそうなので。

この対談の中で "癌ができるのはある意味、進化の必然性” であり “人という種の保存を考えると、生殖年齢を過ぎた個体は、なるべく早く排除したほうが、食糧事情が悪かった時代には合理的であった、、” と書いていました。
なるほど。
癌は“姥捨て山的存在”なのです。
そして癌は、年齢に比例して発生数が増えますが、実際には予防、診断、治療が進歩している現在、日本人の癌は減っているとのこと。

更に医学的に不老不死は不可能だともおっしゃっていました。
というのは、細胞レベルで言うと死なない細胞はがん化しているということなのです。

私は、癌をこのように考える人を始めて知りましたが、まさにそのとおりだと思います。
でも日夜進歩している医療。
癌で生き延びる人達が沢山おられる中、次の自然選択要素と言うものが何になるのか考えます。
不謹慎にも取られるかもしれませんが、天災、戦争も人類に対する自然選択の一種ではないでしょうか。

今日は短いです。
というのは、朝から実家の庭掃除で疲れているからです。

ハブグレのマミー



#84: 捏造と引き際

2013-07-28 18:21:47 | アメリカ便り
昨日は娘を近所のパチンコ屋に連れて行きました。
娘にとっては初めての経験。
私は日本に帰ってくるたびに必ず一度はパチンコ屋の門をくぐります。
入るたびに新種の機械になっていて、何がなんだかわからないけど球を打っていくといった所でしょうか。
パチンコ台が、ま~にぎやかな事。
がんがんうるさいし、ピカピカとテンカンでも誘導しかねないほどの電光。
昨日はでるわでるわ。
途中でもう飽きて来たのでやめようかと思い、店員さんを呼ぶと"今入っている所、まだ入るからやめるな”と言われ、更に一時間ほど続けました。
結局は1円玉千円分を買って9500円分勝ちました。

本題の捏造です。
いずれはわかること、どうしてするのでしょうかね。
捏造ばかりではなく、東電の事実隠しとか、うそ一般。
最近話題になったのは、日本最高峰といわれている大学で行われていた捏造で、過去16年165本の論文を調べた結果43の論文に不正があったとのこと。
データの使いまわしなど、人間窮地に立たされたらなんでもやるのでしょうね。

私のアメリカで知りあった知人もこれをやった責任をとらされ,日本最高峰といわれている大学から懲戒免職を受けました。
この知人、最後まで″私は知らなかった。助手のやったこと”と言い続けましたが。
裁判に続く裁判で身の潔白を晴らそうとしましたがだめでした。
あまりにも長引かせた為、最後のほうでは皆″どうでも良いや”と言った感じだったのではないでしょう。

社会にインパクトを及ぼす人は、常に自分の責任、その世間に及ぼすを理解しなければならし、それ以上に引き際を見極めないといけないと思います。

サイエンス分野は本当に競争がすごいです。
特に私がやっていた分子遺伝学分野は。
まだまだ不明な所が沢山あるため、″最後のフロンティア”的存在です。
だからそれだけ競争も激化しています。
そして一度、捏造が発覚するともう2度と返り咲きはできないです。
それだけ信頼と言うことが結果以上に物をいうと思います。

捏造、捏造に加担する人達、目先のことしか見えない人、私には理解できません。

昨日アメリカの友達、あのリンパ腫になった犬のお母さんからメールが来ました。
犬は、抗がん剤のおかげで少し元気になってきたみたいです。
モグラを捕まえたそうです。
良かった良かった。

ハブグレのマミー






#83: 少々二日酔い気味ですが。。。

2013-07-27 19:00:27 | アメリカ便り
昨日はクラス会第2弾でした。
私が37年前に卒業した専門学校のクラス会です。
この学校、1学年25人で3学年あり全部タダでした。
そうです学費がタダ。
どうしてタダなんですかと誰かに聞いたら"厚生省がやっているから”といわれたことがありました。
出したお金は教科書代だけ、37年前にこのような学校があったのです。
その学校で私たちは臨床検査技術と言う、当時、聞きなれないことを学びました。
私が学校の名前を言うと大抵の人は、"死んだ人をなんかする所かい?"
程度の反応しか戻ってきませんでした。
一般の人には、あまりなじみのない学校でした。
今は名前も変わったし、内容も4年生大学に変わりました。
もちろん授業料も払わなくてはいけなくなりました。

第一弾は我家でバーベキューでしたが、第2弾のクラス会は常連となった飲み屋で、総勢7人集まりました。
クラスが小さかったし、皆卒業後ちりじりになったのでいつも集まっても9人くらいです。
クラスが小さいということは、みんな仲が良かったです。
実験なんかもたすけあったり、というかまじめな誰かに(特定できますが)押し付けてクラスを抜け出したりといったことも平気でやってました。
いやなかをもされず実験をやってくれました。
ま~楽しかったですね。
ちなみに、私はどこででも楽しくやれるという特技を持ってます。
だから40年近く経った今でも、私が帰るたびにこうやって集まってくれているのですが。
ほとんど皆、今でも現役の検査技師をやっています。
還暦まじか、おなじみの親の話し、病気の話、年金の話に花が咲きました。
皆いつまでも元気で、こうやって年に何回か集まり続け、一緒に老人ホームに入ることができればいいです。
では、今日は短く。

昨日集まった皆にも言われました。
“ブログが長い”と。

ハブグレのマミー