退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#564:徒然、日本で。No. 1

2015-10-28 22:21:59 | アメリカ便り
毎日忙しい日々を送っています。
先ほど、14日にアメリカを発って以来初めて、主人に電話をしました。
私も主人も電話は必要最低限しかしないので、このようにご無沙汰してしまいました。
お互い、電話がないのは元気な証拠ってな感じです。
電話をすると、ワールドシリーズ第2戦を見ている主人、邪魔しては悪いので、というかそれほど話すこともないので、“元気?”“あ~”的短い会話でで終わり。
ゲームのほうは5回で1対1だそうです。
メッツファンの主人1回戦は負けたそうなので、真剣に見ていました。
ジュンちゃんは私がいなくてもさびしくないそうです。
順応性の高い犬だこと。

火、水とよりさんレイちゃんと函館から40分程離れた所にある鹿部町に行ってきました。
“間欠泉しか見るところがないよ”と地元の人に言われたとおり、本当に何もありませんでしたが、我が家から最高のドライブでした。
長万部でかに飯を食べ、鹿部では、寿司お任せコース。
寿司もおいしかったけど、ギンダラのみりんと醤油付けを焼いたのが最高でした。
ホテルに着いたときは私たちを除いたら、もう1家族ぐらいしか見当たりませんでした。
ホテルの人に、“空いてますね”と言うと返事がなく、笑いを浮かべるだけ。
この笑い、後からわかりました。
バス3台分の中国人が夜8時ごろやってきました。
ちょうど、夕食から帰ってきた私たちが風呂に入ろうとしたら、“ここは中国か”でした。
“うるさい、汚い”中国人が芋の子をを洗うようにいました。
なんせ、ビーチサンダルで温泉に入ってくる。
あけたドアは閉めないし。
使った桶やらシャワーはそのまま。
シャワー出しっぱなしもありました。
うるさい餓鬼は叫んでいるし。
ひっぱたくなりたい気持ちを必死に抑えました。
マナーというより、世界一般的な常識がない。
中国という国ではみんなどのような生活くをしているのでしょうかね。
といっても、私、知りたくもありません。

ホテルの人が言ってました、“中国人団体は夜遅く来るので、温泉は夕食前に入るように”と。
日本国民がゆっくり静かに好きな時に温泉に浸かっていられなくなったのは、民主党前原のせいです。
この人が、中国人が日本にくるためのビザ習得の年収を340万円から80万円に下げたからです。
もう5年程前だったでしょうかね。
民主党政権が日本ぶっ潰し好き勝手政治をしていたときでした。
前原がニュースでこれを発表したときから、私は“やばい”と思っていました。
今年3ヶ月で、中国人の爆買いが1兆円を超えたそうです。
この1兆円、総体的そして将来性を考えると、儲かったのか損をしているのかわかりません。

1泊旅行の写真をどうぞ。



























沈む太陽を撮ろうととまった中山峠で、芋団子を買っているうちに沈んでしまった太陽。



ハブグレジュンタのマミー




#563:京都歩き旅行

2015-10-25 08:34:04 | アメリカ便り
京都3日目は大阪から元クラスメイト2人がやってきて、大徳寺見物。
この二人、大阪在住35年ですっかり関西人になってしまった。
見事な大阪弁でした。

大徳寺は禅宗寺院で茶の湯文化とも縁が深いところだそうで、竜安寺石庭のミニ版がありました。
ここをぶらぶら歩き、タクシーで15分ぐらいのところにある料亭でミニ懐石料理。

その後、祇園の仲見世で買い物をして、大阪の梅田(?)で晩御飯兼飲み会
朝早く札幌に発つため、8時ぐらいにみんなと別れ、関空内にあるホテルで一泊。
充実した京都でした。
今日は写真を盛りだくさんです。

寺の名前がこんがらがっているので、書きません。

コロラドの上空。すべてが茶色














中岡慎太郎と坂本竜馬の墓



















#562: 京都歩き旅行

2015-10-22 16:23:07 | アメリカ便り
京都の1日目は静岡から来た友達夫婦と東映映画村、広隆寺、仁和寺を訪れました。
映画村は修学旅行の小学生で“蜘蛛の巣を散らした”状態。
こんなにたくさんの子供を見ることができてうれしい。
子孫繁栄は国の繁栄に繋がります。

広隆寺、仁和寺は“京都の混乱はどこいった”といった感じで、静かで混雑はまるっきりありませんでした。
あの“社会科の教科書には絶対載っている弥勒菩薩”で有名なところ。
友達は子供のころに見たこの菩薩のインパクトが強く、見た後に母親に僧侶になるといったそうです。
アポロ11の月面着陸を見て“宇宙飛行士になる”と思った私と、思想の過激さでは同じくらいでしょう。

2日目は一人で散策。
ホテルから、国立博物館、秀吉の耳塚、清水寺、維新の墓、高台寺、八坂神社、祇園、建仁寺を散策しました。
よく歩きましたが、京都は郊外を除けば、すべてが歩ける距離にある感じがしました。
国立博物館では琳派の展示が開催中で混雑していました。
琳派は本阿弥光悦、俵屋宗達、緒方光琳が有名です。
琳派といえばなんとなく、“金ぴかの絵”という感じしか抱いていなかった私、無学を感じました。
秀吉の耳塚は、朝鮮出兵の土産として、朝鮮武士の首の変わりに持ち帰った耳の塩漬けが収められています。
“昔の武士は気持ちの悪いことをしたもんだ”と単純に感じました。
清水寺は“ここは中国だ”と思わせるぐらい中国人で一杯でした。
それでも、お土産屋さん、そんな中国人を相手に丁寧に対応していました。

清水寺の後は維新の墓がある護国神社。
ここで中岡慎太郎と坂本竜馬の墓にお参りしました。
坂本竜馬は名言をたくさん残していますが、私の志とする名言は、“人として生まれたからには太平洋のようなでっかい夢を持つことだ”。
夢を見つけることはそれを叶えることと同様(またはそれ)以上に難しいと思います。
夢が人生の原動力になっている私、でかい夢を見つけなくては。

維新の墓の次は高台寺。
豊臣秀吉の妻ねねが秀吉供養の為に建てたもの。
坂を登って行くのがきつかった。

その後八坂神社と健仁寺を回って、コンビニで弁当を買ってホテルに戻りました。
毎日ジュンちゃんと8キロ近く歩いている私ですが、さすがに疲れました。

ハブグレジュンタのマミー


メッツがワールドシリーズ進出したそうです。
主人、さぞ喜んでいるでしょう。










#561:京都清水寺は中国だった。

2015-10-20 16:21:33 | アメリカ便り
昨日は区役所に行って国民保険証を再発行してもらい、病院へよって傷を消毒してもらいました。
お昼を食べてから今度は母を歯医者に連れて行き、入れ歯を新しくしてもらうことにしました。
4月に調整してもらったのですが、それでも合わないようで、常に口の中で“くちゃくちゃ”やっています。
“食は命の源”、ちゃんとあわせて食べやすいようにしてあげようと思います。

アメリカから電話をかけたときでも、先日ピックアップしたときでも険しいボケボケだったよりさん、翌日にはまた直ってしまい、以前の“ボケ気味”に戻ったようです。
昨日は大好きだったジグソーパズルを出すと、一人で黙々とやり始め、半日やって外枠の半分ぐらいができました。

顔つきがまるっきり変わりました。
今、お世話になっている施設、これぐらいよいところはないという感じなのですが、やはり身内(娘)が一番なのでしょう。
でもアメリカの家族も私を必要としているので。

京都滞在初日は静岡から30年以上の知り合い夫婦がきてくれました。
このご主人私がアメリカの会社に勤め始めてまもなく、知り合った人です。
偶然、会社内にある裏階段を降りて行った時、向こうからあがってきたその人に出会ったのです。
向こうは髪の毛が5分刈りの私を“丁稚”がやってきたと思い、私は“丸っこい”日本人がやってきたと思いました。
それ以来の知り合いです。
でもその人は私と違って、NECから引き抜かれてこの会社にやってきたと言う非常に優秀な方で、5年くらい勤めてからノースキャロライナの大学の教授となり会社を去っていきました。
その後、5,6年して日本の大学の教授となり、日本へ帰っていきました。
その後も年に1回ぐらい連絡を取り合っています。
この人の強烈さは、一緒にコロラドにスキーに行ったときに着ていた、サイコデリックなスキーパンツ(タイツ)で表せます。
一度合ったら忘れられないと言う人です。
4年ほど前に三島に住んでいるいとこ(今は脳梗塞のため不自由な生活を強いられています)を訪問した後、そのひとのお宅へ行ってきました。
自宅近くの温泉に連れて行ってもらい、うな重を食べさせてもらいました。

この人はもう70冊も出版しており、私は見たことがありませんがテレビにも時々出ているそうです。
最近では“おが屑バーガー”と言って、木を削った後に出るおが屑を食に利用することをテレビの番組(世界で一番受けたい授業)で紹介したそうです。
とにかくユニークで、知識が広く深い人です。
奥さんはそんなご主人を“勝手にやって”と思いながらも影でしっかり支えているような、おっとりとした、しかし芯が強い人です。
これまた5年にいっぺんぐらいしか会わなくても、毎日会っている感じになれる人です。
昨晩、庭で取れた柿をどっさり送ってきてくれました。
ありがとうございました。
と書いたところで、清水寺が出てきませんね。

明日にします。
もう十分に長くなってしまったので。

ハブグレジュンタのマミー



560:年を感じました。

2015-10-19 16:00:25 | アメリカ便り
今日は京都旅行の話をしようと思いましたが、それどころではなくなりました。
昨日、千歳でレンタカーをピックアップして、というかいつも我が家に車を届けてくれているレンタカー会社のお兄さんが“どうせだったら千歳空港まで届けますよ”といってくれたので、今回は千歳から運転してきました。
本当に便利です。
このレンタカー会社、5,6年前に偶然ネットで見つけ、それ以来、利用しています。
最初は、2,3日とかでしたが、兄がたおれた2年前から滞在中を通して借りるようになりました。
車って本当に便利ですね。
特に実家のある、南区の僻地には最適です。

レンタカーを借りて、恵庭、支笏湖の紅葉を見ながら、実家に着くのに1時間ちょっと。
支笏湖の紅葉はきれいでした。
途中で、ラーメンと餃子セットを食べ家に着いたのは12時ぐらい。
1時くらいに“険しい顔以外表情がないボケボケ”のよりさんをピックアップして家に連れてきました。
この顔つき、ボケがひどくなった証拠です。
以前2回ほどあった“ボケ急激化”のときも、世界中の不幸を背負ったような顔をしていました。
以前の時は一過性のものでしたが、今回はどうなるやら。
相変わらず、“一人で家に住める”なんて、生意気なことを言っていますが。
トイレに行くか、何をチェックしているかわからないけど、家中の引き出しを開ける以外ソファーに座っているだけ。

よりさんをピックアップしてから、家の掃除をして生協に買出しに行って事件が起きました。
ベランダのドアに中指を挟んだのです。
それほどひどいと思わなかったのですが、血がぽたぽた、見ると骨が見えました。
“これはひどい、縫わないとだめだ”と思いましたが、5時を過ぎていたため、どこも閉まっている。
こういう時頼れるのは、“働く主婦”の隣人。
いつもは帰りが遅いけど、昨日は電気がついていたので、病院に連れて行ってもらいました。
最初行った病院は5時で受診が終わっていたため、5時10分についた私は見てもらえず。
一瞬“たらいまわし”という字がちらつきましたが、隣人が“何とか病院は6時まで開いている”ということでそちらへ行くと、5分ぐらいで見てもらえました。
働いている主婦(子供を持った人)は、こういう“クイックシンキング(頭の回転が速い)に優れているので(人にもよりますが)、こう言う時には頼りになります。

病院の先生は地元で、40年近く開業している先生で、温厚な人懐っこいよい先生でした。
治療中、ずーと私の京都旅行の話をしていました。
レントゲンを撮って骨に異常がないことを確かめ、4針縫い、指をぐるぐる巻きにして終わり。
抗生物質と痛み止めを出してくれました。
腱にも異常がないようです。
看護婦さんたちもやさしく、機敏な動きの人たちでした。
高齢の先生のすべてを理解、予測、そして受け入れている動きの看護婦さんたちは、見ていて気持ちがよいものでした。

保険証が見当たらなかったので、もって行かなかったけど、全額負担でも1万3千円程度。
保険証を持ってきたら、7000円ほど戻ってくるとのこと。
今日、区役所に行って保険証を再発行してもらいます。
しかし、安いですね。
レントゲンとって、4針縫って、おまけに薬までくれて、1万2千円。
アメリカだったら、病院のドアを開けて一歩踏み込んだだけで、1万円はかかるでしょう。
だから、もしこれがアメリカだったら5万円は軽くかかっていたでしょう。

日本人は日本の国民健康保険、医療システムのよさに慣れっこになっていますが、感謝すべきです。
その他もろもろ、日本人が感謝すべきものがたくさんあると思いますよ。
世界の国を知っている私が言います、こんな国は稀です。

指を怪我しているのに、またまた長くなってしまった。
でも私タイプができないので、指を怪我していない時でも両手指1本づつでしかタイプできないので。

ハブグレジュンタのマミー