退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#813: 難民/どさくさにまぎれた移民の権利と義務

2017-03-08 22:56:06 | アメリカ便り
先日ニュースで、北アフリカからの難民/どさくさにまぎれた移民(どちらとも言い難い)が言い放った言葉に違和感を覚えました。
“俺達は住みたいところに住める権利がある”。
ブリタニカ国際大百科事典によると、難民とは“本国の迫害や危難を避けるため他国に逃れ,移住する者。政治的難民と,戦争や貧困による経済難民とに区別される”と定義されていて、移民とは“自由意思に基づき平和的に生活の場を外国に移し定住する人のこと”と定義されている。

それらの人々を受け入れる国には“人道的と見栄”という以外、義務は課せられてはいない。
しかしながら昨今、難民/どさくさにまぎれた移民が爆発的に増えたため、受け入れる国は見栄を忘れ“自国民の人道的立場”を考えなくてはいけなくなってきている。
となると、“俺達は住みたいところに住める権利がある”、という難民/どさくさにまぎれた移民が抱いている考えは通らなくなってきました。

今のところカナダが制限なく難民/どさくさにまぎれた移民を受け入れているようですが、ドイツ、フランス、イギリスといった“難民/どさくさにまぎれた移民にとってのすみたいところ”は、度重なる難民/どさくさにまぎれた移民(またはテロ)による騒動で“人道的と見栄”なんていっていられなくなってきました。

当たり前なのです。
国にとっては自国民のwell-beingを一番に考えるのが。

さて、果たして“俺達は住みたいところに住める権利がある”という考えは正しいのでしょうか?
一般的に考えて、権利というのは獲得するものであって、自動的に天から降ってくるものではない。
しかしながら、難民/どさくさにまぎれた移民の多くには権利を獲得する時間もチャンスもない。

となるとこの人たちの“どこにでもすむことができる権利”というのは受け入れる国の“人道的と見栄”に頼るしかなくなる。

眠気が襲ってきたし、ちょっとこんがらかってきたので、続きは次回に。
ひょっとして私はどうでもよいことを書いているのではないかという、疑問もうかばないではありませんが、、、、

ハブグレジュンタのマミー