退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#482:安倍首相がんばりました。

2015-04-30 08:33:59 | アメリカ便り
安倍首相のアメリカ議会での演説、ニュースで見ただけですがなかなかのものでした。
45分間英語での演説、忙しい中をぬってたくさん練習したのでしょう。
議員から16回ものスタンディングオベイションを得たとのこと。
これはイスラエル首相ネタニヤフの27回よりは少なかったけど、韓国大統領の7回よりはだいぶ多かったとのこと。
これでまた韓国のひがみが増すでしょうね。
勝手にしてくれですが。

安倍首相の演説、もう少し発音を良くして文章の区切りを考えたら、もっと迫力のある演説となったことでしょう。
20回ぐらいスタンディングオベイションをもらえたかもしれません。
私にとって安倍首相の今回の演説は、日本人として誇れるものでした。
韓国が聞きたかった謝罪はせず、戦争責任に関してはうまくまとめたと思います。

以前も言いましたが、戦争するのに良いも悪いも無いのです。
アメリカのジャーナリストが言ったように戦争は所詮“Evil vs Less Evil" の戦いです。
どの国も自国の都合でEvil にも Less Evilにもなりえるのです。
韓国中国いつまでも日本の戦争責任を言っているから、自国のぼろがでてきていますよ。

今回の演説で、私が強く感じたのは、これで日本のアメリカ付属品的立場が終わった言うことでした。
と言っても、アメリカを良く知っている私、アメリカは自国の都合でどのようにでも変わります。

今日はよりさんを恵庭エコリンに連れて行きました。
なかなかの場所でした。
動物村とイングリッシュガーデン見学一人1200円はちょっと高い気がしましたが、寄付と思って納得しました。
でもよりさんの車椅子を押すにはちょっと不便なところがありました。
ハイドロポニックで育てたトマトの木はすごかった。
一つの種から大きなトマトの木が育っていて、20,000個のトマト収穫を目指しているそうです。









ハブグレジュンタのマミー




#481: 今日は馬と桜見物

2015-04-29 07:49:39 | 旅行
月光仮面のおばさんは今日、車椅子よりさんと禮ちゃんを伴い日高方面に行ってきました。
29、30、1日は本当は函館に行く予定でしたが、よりさんの体調を考え中止にしました。
それで、昨晩夕食に来た禮ちゃんと話をしているうちに、“馬を見に行こう”ということになり、いつものごとく、急遽日高行きが決まりました。
朝9時に禮ちゃんをピックアップして新冠へ。
日高門別を過ぎる頃には、残念ながら靄で遠くの岬がはっきり見えず。

まずは込むであろう“二十間桜通り”へ。
ここが見つかりづらく、あっちこっちうろうろ。
コンビニや、道端のおばさんに聞いてようやく見つけることができました。
おばさん曰く、“桜祭りは5日からで、道案内用の看板がまだたっていないんだろう”とのこと。
のんびりムードですね。
1年で一番の活気時だろうに、もうちょっと盛り上がりが必要なのではと、せわしい私は思いました。
桜並木はまだ満開にはちょっとまだ間がありましたが、3000本、7キロの桜並木の雰囲気を味わうことができました。
あまり混んでいなくて、ゆっくりと見ることができたのはラッキーでした。
その後、競走馬を見るため車を流しているとよいところを見つけました。
そこで撮った写真をどうぞ。
たくさんの子馬がいましたよ。
馬もかわいいですね。

ちなみに、よりさんに“今日どこ行った?”と聞いたら“忘れた”。
ま~、87歳こんなもんでしょう。

オグリキャップのお墓


かわいいのがたくさんいました。










よりさんの実家(お隣さん)の桜。




#480: 近場で桜見物

2015-04-27 17:56:26 | アメリカ便り
札幌に帰ってきてから寝れない日が続いています。
普段から不眠症の私が、毎晩、母の咳で寝れません。
うとうとし始めると“ごほんごほん、おえ~”。
かかりつけの医者が処方した咳止めを飲んだら認知がひどくなり、2回飲ませて中止。
昨日は耳鼻咽喉科に連れて行ったけど、異常なし。
咳は“性格によるもの”と私は解釈しました。
ついでに眼科にも連れて行きました。
黄斑変性症が少し悪くなってきたようだけど、このまま様子を見るとのこと。

昨日は母、おば、いとこの4人で、近場の花見にも行きました。
禮ちゃんが行った千島桜を見に、平岸にある寒地土木研究所、円山動物園近郊、大倉山ジャンプ場へ行ってきました。
寒地土木研究所なんて聞いたことがない、こんなところがあったんだと思わせる場所。
千島桜は、その名前のとおり、千島列島、北海道北部に分布する桜で、木と言うより、英語で言う“Bush(低木)”に近い感じがしました。
寒いところで育つ桜は、上には伸びないのです。
写真を撮っていると、やさしい研究所のお兄さんが“みんな一緒のところをとりましょうか?”と言ってくれたので頼みました。
ついでに、そのお兄さんに“ここで何をしているのですか?”と聞くと、“防雪壁の研究”をしているとのこと。
防雪壁、一つをとってもただ建てればいいと言うものではないのです。
円山は混んでいて車で流すだけ。
大倉山は、余市のニッカ工場と並んで、友達に喜ばれるところ。
車椅子よりさんが一緒だったため、リフトに乗って頂上まで行くことができなかったので、休憩所でソフトクリーム。
上を見ながら、“こんなところを滑り降りるなんて、きちがい沙汰だ”と思いましたね。
帰りがてら、“軍艦岬”のそばにある、蕎麦屋に寄り、“超極太手打ちそば”に舌づつみ。

安倍首相、アメリカに着きました。
日本ではいろいろ非難されている安倍首相、私は嫌いではありません。
特に歴代の首相で始めてアメリカの国会で演説するなんて。
安倍首相、2年ほど前にチャーリーローズと言う有名なTVキャスター(?)のインタヴューショーにも出ました。
自分の意見を外国の国会、テレビ番組で、堂々と言える日本の政治家なんて、今までにいたでしょうか。
そして、出てきました、韓国の慰安婦問題主張者が。
絶対こういった団体が出ると言うことを知りながら、そして個人的に攻撃されると言うことを知りながら、アメリカで演説するなんて根性が座っているのではないでしょうかね。
と、単純な私は思います。
アメリカだけではなく、他の国に対してもやってほしいです。
“日本の政治家”であることが一番大切です。
でもグローバル化してきた今、それ以上のことが必要となってきています。

千島桜(もっとたくさん撮ってきたけど、先日の卓球部の飲み会で、“同じ写真いくつも載せるな”といわれたので2枚でやめときます”。




ハブグレジュンタのマミー



#479:絞扼性イレウス

2015-04-25 08:02:46 | アメリカ便り
ある俳優夫婦の1歳になる次男が、絞扼性イレウスで亡くなったと聞きました。
子供を自分たちよりも先に亡くすと言うのは、親として経験したくない最悪のことだと思います。
かわいそうなことです。

私の息子も絞扼性ヘルニアになったことがあります。
1才になる前の健康診断で、両方の鼠蹊部にヘルニアがあることが見つかり、先生から“1歳過ぎたら手術をしましょう”と言われていました。
でも、絞扼が起きたらすぐ手術をしなければいけないから、気をつけてみているようにとも言われました。
“どうやったら判るのですか?”と聞くと、先生曰く“すぐ判るよ、火がついたように泣くから。”
その日は、1才になってすぐ、晩御飯を食べているときにやってきました。
先生が言ったように“火がついたように泣く”が。
本当に“ぎゃー”と言う野獣のような鳴き声でした。
息子のヘルニアはいわゆる脱腸で、食べ物が残ったまま腸が筋膜の間に入り込み、それが戻らなくなったのです。
壺の中に手を突っ込んで、拳骨を作ると手が抜けなくなりますよね、それと同じことです。
それをほっとくと、腸が壊死を起こして大変なことになるのです。
“ギャー”と泣いてすぐかかりつけの医者に電話をし、次の日には手術となりました。
看護婦に抱かれ、泣きながら私(主人ではないですよ)を呼びながら、手術室に入っていく息子の姿を忘れられません。
手術は無事終わり、それ以来ヘルニアで悩まされることはなくなりました。
しかし、息子は小学校を卒業するまで、医者から“マイルをためているのか”といわれるくらい、数々の緊急病院通いをしましたが。
親となることは大変です。

ハブグレジュンタのマミー

犬がいい!!!

#478: 元卓球部員、でもパートでした。

2015-04-24 08:34:39 | アメリカ便り
昨日は卓球部の集まり。
場所はいつもの後輩がやっている焼き鳥屋。
みんな還暦前後の、初老(失礼)と呼ばれてもおかしくない年齢となりました。
体育館で走ったり、ピンポンボールを追っかけていたのは40年前。
練習にあまり出ていなかった私は、やはり当時から異様な部員だったみたいです。
今回初めて(?)、“みんなそう思っていたのか~”と気づきました。
いや、なんとなくは感づいていたけど。
“だって他にもっと楽しいことがあるんだもん”、“クラブ活動は楽しいもの”と、まじめな部員と言うには程遠い私でした。
みんなまじめに練習している時に、“いや、どうも”ってな感じで遅れて入いったこともしばしば。
でも女子部員が少なかったので、追い出されもしなかったし、試合にも出させてもらいました。
“自分を変えるより、みんなを慣らせ”と言う私の真髄(?)は、無意識のうちにこの時もう始まっていたのですね。
とにかく、心優しい部員の皆さんのおかげで、私は楽しい部員生活を送ることができました。
ありがとうございました。
こんな私が日本に帰ってくるたび(それも年1回ではなく年2回も)、いやな顔せず集まってくれるみんな、感謝しています。
今回は2人が病気のため来ることができませんでした。
次回はぜひ元気な姿を見たいです。
この先、お互いもっともっと年をとり、もっともっと病気にかかる可能性が多くなるけど、いつまでもこうやって会い続けることができたらいいです。
みんな健康には気をつけよう。

ハブグレジュンタのマミー