退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#212:まだ名前が決まりません。

2014-01-30 22:12:31 | アメリカ便り
まだパピーの名前が決まりません。
昨日、獣医さんに行く前までは、Ryomaで行こうと思っていたのですが、やはり発音が難しいようで、
Ryoの発音ができない。
獣医さん、一生懸命発音しようと思ったけど、だめでした。
今日は今日で、隣人が名前を呼ぼうとしたけど、だめでした。
やはりRyomaはやめておいたほうがいいでしょう。
またまた、考えなければ。

先程、ようやっと手こずっていた翻訳が終わり、ブログを書いています。
今日の晩御飯は、冷凍ピザという、超アメリカ的なものでした。
私は、食事というか、晩御飯は、一家がそろって食べるものだから手を抜かず、ほとんど毎日作っています。
それもちゃんと、手のかかる日本食。
一つのなべに、ぐちゃぐちゃ入れて、煮込んだり、オーブンに入れてで終わりというアメリカ料理ではないのです。
主人はどうかわからないけど(なんせ口数が少ない人だから)、子供達はおかげでひじょうに口が肥えています。
だから、料理をするのいがめんどくさくなって、“どっかに食べに行こう”といっても、なかなか行ってくれません。
つまり、私の料理のほうが、そん所そこらのレストランより美味しいのです。
と私は思っていますが。
でも、きっとケチの主人は金を使うのがいやだから。
息子は家でさっさとご飯食べて、出て行きたいから。
娘は出て行くのに、服を取り替えたりしなくてはいけないからめんどくさい。
というのが、私の料理がどうのこうのというより、実の所、正直な理由ではないでしょうか。

アメリカではキッチンが汚くなるから料理をしないとか、料理は最小限しかしないという人がいます。
信じられません。
じゃ~何のために、何でもそろったキッチンがあるのだろうと思いますが。
キッチンも、ステイタスの一環なのです。
大きなマンションで、冷凍ピザとか、マクドナルドなんて、差が激しい感じですが。

ハブグレのマミー




#211: 息子の職探し

2014-01-29 21:07:15 | アメリカ便り
12月に大学を卒業したわが息子、職探しのためにようやく重い腰を動かし始めたようです。

今日、人生初めての面接。
場所は、以前娘が大学院に進む前に1年半ほど働いたことがある、大学の免疫学教室。
昨日の夜、今日の面接に行く前と、2回もやさしい(?)娘から電話がかかってきました。
面接に備えて息子にいろいろコーチングをしていたようですが。
面接から帰って来た息子に"どうだった?”と聞くと、"ん~、どのくらい働けると聞かれたから、大学院か医学部に行くつもりだから1年半くらいですと答えた”とのこと。
あちゃ~、一番言っちゃいけないことを、言ってしまったのだ、この世間知らずの息子は。
娘はちゃんとコーチングをしなかったのかしら。
待てよ、息子がまさか、面接で、一番言ってはいけないことを言うとは思わなかったとか。。。。

そうです、だれも1年半しか働く気が無い人を雇うほど暇ではないのです。
特にリサーチでは、実験が少しはできるようになるまで半年はかかります。

息子、少しは勉強になったでしょうか。
この分じゃ、私、しばらくは、息子の飯炊き女、洗濯女となりそうです。

パピーちゃんの名前を、私のアイドルである、坂本龍馬にちなんで、Ryomaとすることにしました。
もちろん私の一存です。
娘にはまだ言ってませんが、息子はだめだ、おかしいだし、主人は無言です。
と言うことは、決まりです。
Ryoma で行きます。
でもこれって、アメリカ人には発音しずらいでしょう。
今日、始めてRyomaを獣医さんの所に連れて行ってチェックアップをしてきました。
グレーシーが死んだ診察室でした。
またまた思い出して、涙ぐんでしまいました。
もうちょっと長く生きていてくれればな~、と悲しいさが溢れてきました。

ハブグレのマミー

#210: イルカ業とアメリカ論

2014-01-28 21:06:13 | アメリカ便り
和歌山県太地町のイルカ漁、海外からは白い眼で見られていますね。
おまけに、ケネディー大使のツイッターが話題になっています。
去年だかおととしだかに放映された“コーヴ”という映画を覚えている方たちもいると思います。

豚、牛等を食用として毎日平気で殺すのは許されているのに、どうして100頭(今年の数だそうです)ほどのイルカを、年に一回400年続く伝統行事として殺すのが許されないのかわかりません。

豚、牛、鶏が食用なら、イルカもこの地区の人にとっては食用なのです。
昔から、すき焼きの肉の変わりに、鯨肉とか、イルカ肉を使っていたとのこと。

私個人としては、世界各国から非難を受けてまで、鯨やイルカを殺して食べるほど、他に食べ物がないわけではないのだから、そんなことしなくてもいいじゃない。
と単純に考えることができますが。

でも、アメリカという、世界で、地球にそしてエコシステムに一番迷惑をかけているような国に“ぐちゃぐちゃ”言われると腹が立ちます。
まして、ケネディー大使みたいに、大使としてのインパクトを考えずにこのような発言をされると尚更、腹が立ちます。

アメリカという国は単純=自分の足元を見ない=自分たちの都合で物事を判断する=人(他国)のせいにする=アメリカが一番、という方程式が常に当てはまっているんですよ。

信じてください。
そんな国に37年住んでいるのだから。。
でも、そんな国を嫌いかと問われると、そうでもないのです。
慣れちゃったから。

3日ほど前に見たテレビ番組でイエローストン、アイダホのグレイウルフのことやっていました。
ここのウルフ、1960年には牧場主たちによって、絶滅となったそうです。
家畜がウルフによって殺されるからという理由で。
それで、1990年代には、今度は、カナダのアルバータからウルフをこの地区に移住させたそうです。
2011年には、またウルフの数が増えてきたから、ウルフ猟がある程度許されるようになったとか。
これもすべて、アメリカ人の都合で決められていますよね。
他国で、イルカがどうのこうのなんて、自分たちのやっていることを考えたら、意見できないと思いますがね。
いや、これはイルカに限ったことではないですが。

ハブグレのマミー

まだパピーの名前がついていません。
ジロー、ジュン、アキラ、ナツとかいろいろ出ていますが。
なんかよい名前ありませんか?










#209: 家族が増えました。

2014-01-26 15:42:35 | アメリカ便り
皆さん、コメントありがとうございます。
本当に身にしみます。

ブログ、兄ちゃんも読んだでしょうか?
本当に奇跡は起こるのです。
兄ちゃんが、その証拠です。

だから、何でも最後まであきらめないことです。

先回のブログは長かったので今日は写真盛りだくさんにします。
題から想像できると思いますが、昨日パピーを買いました。
我家から40分ぐらいの所にいる、オーストラリアンシェパードのブリーダーからです。
ブラックトライの12週間の男の子。
今のところ、ハブちゃんは、無視をしている感じですが。
先程お風呂に入って綺麗さっぱりしました。
たいそうな美男子、性格も温厚で、頭がいい。
3拍子そろっています。
しばらくは、トイレトレーニングが大変かも。
でも、かわいいから何でも許せます。

ブリーダーの所です。このほかに、生まれたばかりの子犬も入れると23匹ぐらいはいました。






ハブちゃん



名無しのパピー



ハブちゃんとパピー


ペリエイテッドウッドペッカー




ブルーバード


憎たらしい害リス


パープルフェンチとゴールドフェンチ


新しい名前を考えないといけませんね。

でも今のところ、ハブグレのマミーです。

#208: 拝啓、お兄様

2014-01-24 20:10:55 | アメリカ便り
先日、兄の娘が送って来た写真のなかに、兄が私のブログを読んでいるのがありました。
だから今日は、兄がこのブログを読むであろうと仮定して書きたいと思います。

拝啓、兄上様
昔、"巨人は不滅です"とよく言っていましたね。
その言葉をそのまま、あんたに返したいと思います。
"育雄は不滅です”。
医者も看護師も皆びっくりしていますよ、あんたの奇跡の回復力に。

千歳空港に着いてから、バスに乗ってあんたが迎えに来るはずの地下鉄の出口で待っていても、いつもは時間に正確な兄ちゃんが30分待っても来ない。
電話をかけようと思って、駅の中に入っていくや否や、呼び出しがかかりました。
事務所に行くと、あんなたが倒れて病院に運ばれたので、そちらのほうへ行ってくれとのこと。
おじを呼び出し、大きなスーツケースを車に入れ、まっすぐ病院へ行きました。
その道中の長く感じたことといったらありませんでした。
特におじの安全運転。
必要以上に時間がかかりました。
そして道中思うことは、“こんなはずではなかった”。

ICUに行くと、兄ちゃんの職場の人達が来ていました。
その人達の顔を見たら、すぐ、現状が深刻である事を察しすることができました。
しばらくして、看護師に中に入るようにいわれました。
その時一番に思ったことは、“という事は、まだ生きているんだ”でした。

中に入って、枕元に行くと、あんたは意識なく混沌と寝ていました。
“回復の見込みは5%です”と、医者にはっきり言われた時は、“なんだこの医者、家族の期待を引き裂くようなことを、こんなにはっきり言っていいの”と思いました。
家族や患者って、医者、看護師、周りの人の一言一言に神経のすべてを集中させて聞き入っているのですよね。

最初の1週間が過ぎても、大して進歩なし。
医者も“1週間経って意識が戻らないのは希望が薄い”という。
またまた、はっきり言うなよな。
でも私たちは、少しの希望でも持てるよう、ちょっとでもよいことがあると、例えば、“指を少しは握り返してくれたような感じがした”とか、事実と言うより、希望的感覚で喜べる原因を見つけるよう努力しました。
その内、自発呼吸も増えてきました。
でも相変わらず、眼がちゃんと見えているんだか、意識があって動いているのだかぜんぜんわからなかった。
医者も、“わかりません”でした。
2週間たった頃には、いすに座らせ始めました。
こんなに早く、リハビリを始めるのかと思いました。

最初はずり落ちそうになっていましたね。
でもある日、シャキーと座っていたのにはびっくり。
いつもの兄ちゃんそのままでした。
その後は、着々と回復していきましたね。
3週間経って、私がアメリカに帰る頃には、私のことがわかるようで、私の問いかけにうなずいてくれました。

しかし、医学の力ってすごいなと思いましたよ。
そして、奥さん、娘の献身的な毎日の休みの無い介護。
もちろん、看護師さん、お医者さんたちも優秀な人達にめぐり合えた幸運。

倒れた場所も仕事場でよかったね。

あんたは、やはり、不滅の人です。
箸を握って、自分でご飯を食べているあんた。
私の友達がお見舞いに行ったら名前で呼んでくれたと驚いていました。
うそじゃないよ、本当に死にそうだったんだからと、言い訳をしなくてはいけなくなったじゃないか。
なんてことは言いませんが。
今は、我儘を言っているそうですが、そこまで回復したら上等です。
これからは、もっと丈夫になって、体重を増やさず元気でいてください。
3月下旬には帰るから。

HCUの看護婦さんが言ってました。
昔、兄ちゃんと同じ状態でHCUに入ってきた人が、出て行くときには、自分の足で立って、“じゃーな”と言って帰っていったそうです。
当時、それを聞いたときには、夢のような話で、まさか、あんたがここまで回復してくれるとは本当にだれも思っていなかったと思います。
一言、と言うか、これだけ長いと、もうやめときますが、夢のようです、あんたがここまで回復してくれたのは。

めでたしめでたし。

ハブグレのマミー