退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#395:拉致被害者

2014-10-30 09:09:52 | アメリカ便り
北朝鮮との拉致問題協議、また空振りだったような感じです。
それが、会談を終え空港に降り立った、日本代表チームの無表情の顔から伺えます。
北朝鮮は50人もの政府高官を“韓国ドラマを見た”とか何とか、わけのわからぬ理由で銃殺にしたそうですね。
そんな国を相手に協議を進める意義があるのでしょうか。
大の大人が、幼稚園児を相手に政治を語っているようなもんです。

私はこの拉致問題、被害者家族には大変申し訳ないと思いますが、もう終止符を打ったほうが良いと思います。
これは北朝鮮が相手と言うことで、解決しようが無いという理由が一つで、もう一つは以前も書いたけど、拉致被害者と一般の犯罪被害者の違いがわからないからです。

まるっきり犯罪に関係ない、ただ時と場所が悪かったと言うだけで犯罪被害者になっている人がこの社会にはたくさんいます。
サリン事件、福知山電車脱線事故、その他飛行機事故、交通事故等いろいろなところで、犯罪被害者は作られています。

その人たちはどのように、拉致被害者とは違うのでしょうか。
私にはわかりません。
拉致被害者だけがどうして何十年もの間、国の援助を得て“犯人探し、行方不明者探し”を行うことができるのでしょうか。
私にはわかりません。
犯罪被害者には、発生状況にかかわらず、違いは無いと思います。

北朝鮮相手の拉致問題の解決はありえないと思います。
この辺で終止符を打ったほうが良いのでは。

おまけですが、友達とは解かり合える間柄を表しますが、分かり合えないと言うか、まるっきりわからない国を相手に友好はありえないと思います。

だから、韓国中国北朝鮮相手にこちらから擦り寄っていく今の政策はやめて欲しいです。

どぶさんコメントありがとうございます。
何もいわなくても解かり合える友達と言うのは、ありきたりの表現ですが人生の宝です。
私は電話と言うのが嫌いなので、よほどのことが無いかぎり電話をしません。
でも1年ぶり5年ぶりに会っても、ちょっとこの前分かれたばかりのように接することができる友達って大事にしたいです。

ハブグレジュンタのマミー

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#394: 出会い

2014-10-29 05:45:41 | アメリカ便り
日本に帰ってきてから、私のブログは休みがち。
すいません。

昨日は母方のいとこと、居酒屋へお互いの鬱憤晴らしに行ってきました。
いとこの父親はアルツハイマー。
診断されてからの病状の進みようが早い。
よく転ぶため、そのたびにいとこは病院に連れて行ったりと忙しい思いをしています。
先週も転んで、手を切って骨折もしてしまいました。
いとこも言ってましたが、アルツハイマーや認知症の人って、まるっきり呆けてしまうまでがかわいそうです。
今までできていたことがなぜできなくなったんだろう、覚えていたのがどうして思い出せないのだろうなんていろいろの思いが、そして焦りが崩れ行く頭の中を駆け回るのです。
私も友達の名前が急に思い出せなくなったり、車を運転していて、急に“あれ、ここはどこだ”なんてことがあった時、非常にあせりますが、そんなことが増えて行ったりするとあせりと言うより、怖くなるでしょう。
いとこの母は、去年腹膜癌を患い抗がん剤治療を受け完治したのですが、最近再発したのが判り、また抗がん剤治療を始めました。
精神的にも肉体的にも、いとこは大変ですが、がんばるしかないのです。
私が帰る前にまた飲みに行くことを約束して別ました。

私のパリ友ケーさんが、私の本を友達に見せたそうで、さらにその人がその人の友達にも見せたそうです。
その友達と言うのが出版社に勤めていて、短いながらも簡潔に、そして的確に私の本に対する感想を送ってくれました。
それに対して私はメールを送ったのですが、その時“ありがとうございました。何かの機会がありましたら、これからもよろしくお願いいたします。”と言った当たり前の文章で終わらず、“会ってお話しませんか”となったわけです。
この“当たり前”で終わらないと言うのが私の欠点でもあり、長所でもあります。
そしてそんな私のずずしいメールにもいやな言葉ひとつはかず、快くあってくれることを引き受けてくれました。
おまけに、その友達も来ることになり、にぎやかな飲み会になりそうです。
うれしい!!です。
私の長所は、どんなところでもどんな人(ある一部を除いて)とでも友達になれるところです。
そして無視すべき人間も本能的に感じえることもできるのです。
これは人間が社会で生きていくうえにはすばらしい特技だと思います。
主人が今でも時々言います。
まだデート中だった頃、セントルイスと言う保守的な都市の、とあるバーに入ったところ、そこはまだ太平洋戦争の匂いがなんとなく漂っていました。
私達は初老の気のよさそうな老人の隣に座りましたが、よく見ると、その老人は太平洋戦争で使われた戦艦の名前がついた帽子をかぶっていました。
その人と話をしながら、私は冗談で“ひょっとして私のおじさんの乗った軍艦を沈没させたのはあんたかもしれない”と言ってその人の首を絞めるまねをしたのです。
首に手を回しましたが、しめはしませんでした。
私のすばらしい嗅覚で、“この人にはこのぐらいの冗談が通じる”と思ったからしたのですが。
おまけに今から30年昔のことで、私も若くかわいかったのもあるのでしょうが、そのおじいさんも死んだふりをしてくれました。
でもよく考えると、一歩間違えば“拳銃でズドン”何てこともありえたはずです。
そのことをおとなしい、私と性格反対の主人が言うのです。

人生、出会いです。
だから私は、どんな時もどんな人にも本気で接することにしています。
迷惑がられることもあると思いますが。
消え去るべき付き合いだったら、それはそれでいいのだし。

むかしむかしのハンフリー ボガード出演の映画 “カサブランカ”をご存知でしょうか。
映画の最後で、警察署長がハンフリーボガードに“これが俺達のすばらしい友達付き合いの始まりだ”的なことを言いました。
このようなことを言える友達を、私は死ぬまで求めています。

今日のブログは2,5日分あるな。

ハブグレジュンタのマミー






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#392: リフォーム

2014-10-26 06:50:51 | アメリカ便り
実家は築45年ほど。
母があちらこちら直していたようですが、今度はキッチンを主に直すことにします。
幸運にもいとこ夫婦が工務店を経営しているので、すべてを任せることにしました。
私がアメリカに帰った後、作業を始める予定です。
来年春は、住みやすい家となっているでしょう。

今日はわがふるさとの地を8642歩歩きました。
ちょっと迷子になり、道端にいるおじさんに道を聞いたりもしましたが、暖かい日和の中久しぶりの長距離(?)散歩。
これにジュンちゃん、ハブちゃんがいたら最高なんだけど。
ジュンちゃんは相変わらず“ウンコ”を食べているようで、娘が“ジュンちゃん、ウンコを食べた後で、お父さんにキスしたんだって”と言ってました。
娘は昨日から火曜日まで、エボラ熱騒ぎのニューヨーク。
月曜日、ニューヨークにある大学の医学部の面接を受けるためです。
この後、バージニアとミズーリ州の大学医学部の面接があります。
面接にこぎつけるまでも大変ですが、面接を通るのもまた大変。
まして、来年から医学部入学様式が変わるため、変わる前に入ろうとする入学希望者が通常の何倍もいるそうです。
ただでも困難な医学部進学がますます困難になっているようです。
がんばるしかないでしょう。
息子は何を考えているかわかりません。

今日は短く。

ふるさと周辺です。今日の8642歩の合間に取りました。



なんとなくジブリに出てくる妖怪みたいです。




中国人観光客でにぎわう北海道庁前




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#391: 私のふるさと

2014-10-25 08:34:57 | アメリカ便り
今日は友達と会うため札幌ダウンタウンに行ってきました。
札幌は昨今すっかりと観光地と化し、中国人観光客をたくさん見かけました。
でもここは中国とは違います、ゴミポイ捨てをしてはいけないのです。

本当に日本はきれいですね。
ごみはめったに見かけません。
中国ほどはひどくないけど、アメリカはごみだらけですよ。
道路の両肩なんて、ゴミ箱みたいです。

私の実家は札幌の南のはずれにあります。
バスと地下鉄を乗り継いで、札幌ダウンタウンまで約40分かかります。
昔は札幌白石から定山渓温泉まで定山渓鉄道が(1918-1969年)が走っていて、小さい頃はこの鉄道を利用して祖父母のところに遊びに来ていました。
しかし、赤字経営のためこの鉄道が廃止となってからは、実家のあるところから札幌に出るにはバスや地下鉄を乗り継いでいかなければなりません。
今でも鉄道が走っていたら大して便利だったでしょうに。

私はこの実家には住んだことがありません。
父の仕事関係で、札幌、室蘭、小樽と渡り歩き、アメリカに渡るまで官舎住まいだったからです。
この実家は父と言うより、母が退職後用にと私が高校の時に母の実家のそばに建てた家です。
母方のひいおじいさんが青森から開拓者として入居して以来の土地です。
小さい頃、祖父がいかに苦労してこの地を開拓したかをよく語ってくれました。
時には熊とまさかり一本で戦ったとか、マムシの入った一升瓶から酒を注ぎながら話してくれました。
風呂は五右衛門風呂、トイレは厠というにふさわしいものでした。
私自身が還暦を向かえ、“祖母”と呼ばれるにふさわしい年となった今、この五右衛門風呂、厠、鶏小屋、田んぼの中のおたまじゃくし、胡桃の木に止まったせみ、木の古株のカブトムシ、一升瓶の中のマムシ、馬小屋、すべてが懐かしいです。
そしてあの頃は、もう戻ってこないと言うか、より遠ざかる一方だと思うと私の生きてきた年月と言うものを感じます。

ふるさととは“親がいるところ”と聞いたことがあります。
私にとってのふるさとは、親だけでは無いのです。
鮭が何年も経ってから、自分の生まれた川に戻ってくるように、嗅覚、視覚、聴覚、遺伝子等すべての感覚で導かれるところとでもいえるでしょう。

私は子供達が10ヶ月の時から年一回1ヶ月を日本ですごして来ました。
これも日本人の血を半分持った子供達が、日本をふるさとと思ってくれるようにしたいがためでした。
親の手を離れた子供達がこの先、日本に対してどのような感情を持つか、果たして日本をふるさとと思ってくれるか、まるっきり未知ですが、ふるさとと思えるところをここに作ってあげたいです。

ハブグレジュンタのマミー
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#389:釧路、丹頂はまだでした。

2014-10-24 07:35:23 | アメリカ便り
2泊3日で阿寒、釧路、そして帯広に行ってきました。
ヨリさん(後期高齢者)と禮ちゃん(まもなく後期高齢者)を連れて、雪の降る前に丹頂を見たいと思ったのですが、やはり丹頂は雪とともに飛来してくるようで、見えたのは遥か遠くにいた3対だけでした。
後はツルセンターでの3羽。
近くで見ることができましたよ。
頭の赤い丸もちゃんと見えました。
雪が降ってからまた行きたいですが、その時はきっと観光バス利用となるでしょうね。
今回の旅行、“ナビがあるから大丈夫”と下調べをしなかった為、阿寒に行くのに旭川経由で行き、7時間半もかかりました。
“日本最北端の高速料金所”と書いてあるところまで来て、さすが私もあせりを感じ料金所の人に道を聞くと、“阿寒に行きたいのに、こんなところに来て何やってんの”と言った感じで、“比布まで戻ってそこから北見に行かないとだめだよ”と教えてくれました。
優しい方で、とおりすぐた部分の料金はとられませんでした。
アメリカ的大雑把旅行は、だめですね。
禮ちゃんヨリさんすいませんでした。
でも、禮ちゃん、足寄は旭川の向こうではなく、帯広の向こうでした。

ナビが悪いのです。
帰りもナビのおかげで、回り道を2回もしました。
皆さんナビは最新のにしましょう。

ニューヨークで西アフリカから帰国した医者からエボラ熱感染が見つかったそうです。
アメリカ5つの空港で、西アフリカ諸国からの入国検査を厳しくしたそうだけど、西アフリカからの出国を禁止した方がよいのでは。
この際、人権尊重なんて悠長なことを言ってられないと思うけど。

アメリカでは、昨今ゾンビー系のテレビ番組がはやっています。
ゾンビーウイルスに感染した人間が増え続け人間の種族存在が危ぶまれる番組です。
ゾンビーウイルスとエボラウイルスが重なってみえます。

ツルセンターの丹頂です。






釧路湿原を走るノロッコ号


釧路川、新岩保木水門


ハブグレジュンタのマミー







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