日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

懐の深い神道

2008-08-31 17:05:38 | 日月神示の研究
 友達や会社の同僚との会話で、よく話題にあがるのは、日本人の無節操と思われる宗教観です。正月は神社やお寺に初詣に行き、子供には神社で七五三のお参りをし、結婚は神前でもキリスト式でもどちらでも好きなほうでやり、人が亡くなればお寺で拝んでもらい、戒名を付け、クリスマスは家族や友人で楽しく過ごします。その他、バレンタインデーやハロウィン、イースターなどのイベントも結構そこら中でやっています。一年を通して、これらのイベントをやってますが、理論的には若干矛盾も感じますが、私もそうですが、さほど気にしないのが普通の日本人ではないかと思います。また、背景の宗教は気にせず、単に行事やイベントと捉えているのかも知れません。
 そんな日本人の無節操に見えて、ある意味懐の深い宗教的な行事に対する思いや行動が、神道の影響から来ているものであると中矢伸一氏は言われています。

 『宗教に限らず、世界のどのような思想やイデオロギーも、不思議と日本に入ると日本的なものに咀嚼され、根付いてしまうのです。大陸仏教が流入し、日本仏教に形を変えてわが国の文化として広く浸透したり、社会・共産主義が日本にやって来て花開いたりしております。ヨガや気功、太極拳なども人気があります。このような、日本人の持つ包容性は諸外国に例を見ず、世界に秀でたものであると思います。日本人に節操がないとか、アイデンティティを持たない国民性だとかいう次元の低い評価は、誠に神道の本質を知らぬ者が犯す短慮であります。事実は逆で、日本人の心に神道的精神性が失われずにあるからこそ(失われつつあることもまた事実ですが)、他に対して寛容になれるのです。日月神事にも、まさにその包容の精神が表れています。

 「神も仏もキリストも元は一つぞよ」(『天つ巻』第四帖)

 「釈迦祀れ。キリスト祀れ。マホメット祀れ」(『松の巻』第十七帖)

 「悪も御役ながら奥表に出てはマコトおさまらんぞ、悪結構な世は済みて、善結構、悪結構、卍(仏)結構、基(キリスト)結構、ことごとく結構の世と鳴り成る神の仕組み近くなって来たぞ」(『雨の巻』第八帖)

 「天之日月の大神様は別として、雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、釈迦、キリスト、マホメットの神様、百々の神様、みな同じ所に御神体集めてまつりて下さよ」(『光の巻』第二帖)

 「今度はキリスト教も仏教も何も彼も生かさなならんのぞ」(『梅の巻』第二十一帖)

 「日月大神、キリスト大神、釈迦大神、マホメット大神、黒住大神、天理大神、金光大神、大本大神、老子大神、孔子大神、総て十柱の大神は、光の大神として斎き祀り結構致しくれよ」(『空の巻』第十四帖)

 「仏教によるもののみ救はれると思ってはならんぞ、キリストによるもののみ救はれると思ってはならん、神道によるもののみ救はれると思ってはならん、アラーの神によるもののみ救はれるとのではないぞ、その他諸々の神、それぞれの神によるもののみ救はれるのではないぞ、何も彼も皆救われるのぢゃ」(『紫金之巻』第四帖)

 「釈迦、キリスト、マホメット、其の他世界の生命ある教祖及びその指導神を、み光の大神様と讃え祀れと申してあろが。おおひつき大神様の一つの現はれぞと申してあろうが」(『月光の巻』第十九帖)

 以上のように、神道のエコロジカルな面と、あらゆる宗教・思想を受け入れる包容力の面、この2つの点についてはもっと世界にアピールすべきではないかと思います。」(『日月神事 ミロクの世の到来』より)

 以上の中矢氏の説明により、神道は無節操ないい加減な宗教ではなく、どんな宗教も受け入れる包容力のある宗教だと言えるのかもしれません。
 世界を見渡してみれば、ユダヤ教 VS イスラム教、イスラム教 VS キリスト教など宗教戦争は今現在でも激しく行われています。また、民族間の戦争にしても、宗教の違いや文化・風習の違いから起こっている場合がほとんどだと思います。(グルジアの紛争などは、イルミナティが自分のエゴのために、起こした可能性もありますが)
 日月神事には、今までの宗教では考えられないことが書いてあります。仏教もキリスト教もイスラム教も神道や天理教、大本、金光教など、全ての神様を祀るように言っています。老子や孔子の教えを信じてもいいと書いてあります。このように全ての宗教は元は同じだから、何を拝んでもいいという宗教は世界中どこにもありません。全ての宗教は「我が神尊し」で、自分の宗教だけが、正しくて、他の宗教は良くない宗教だと教えます。その観点では、神道はとても懐の深い、平和的な宗教だと言えると思います。
 何だか、日本人の初詣やクリスマスなどのイベント好きな面が、少し理解できたような気がします。

一神と多神と汎神

2008-08-30 12:19:40 | 日月神示の研究
 ご存知の通り、日月神事の神は神道の神になります。神道とは八百万の神を奉る多神教と学校で習ってきました。山の神、海の神、川の神など、八百万も神がおられると教科書に書いてありました。つまり神道とはシャーマニズムであり、キリスト教、イスラム教、仏教などの世界宗教より下のランクの宗教と習ってきました。
 ところが、中矢伸一氏の著書によると、神道とは一神教であり、多神教であるとのことです。

 「真の神道とは、実は一神教と言っても誤りではないのです。究極の一神教というのは、神道においても確かにある。それは、古事記では「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」という神名で呼ばれたり、旧事紀(くじき)では、「天譲日天狭霧地譲月地狭霧尊(あめゆずるひあめのさぎりくにゆずるつきくにのさぎりのみこと)」という神名で呼ばれていたり、あるいは単に「スの神」と呼ばれるものであったり、日月神事では「おおひつきくにおおかみ」という神名であったり、いろいろであります。いずれにせよ、この大宇宙を生み給うた根源的な一柱の神という意味です。しかも大事なことは、創造神は宇宙をご自分とは別のところに「創った」のではなく、ご自分の中に、「生んだ」ということです。外ではなく内に、ご自身と同じ型のものを生んだのです。ですから、神の働きの現れとしては様々なものがあります。それがアマテラスだったりスサノオだったりツクヨミだったりするわけですが、そうした部分的な神の段階を指して言えば多神教であります。しかし大宇宙のどの部分をとってみても、それは神の身体の一部であるわけですから、その意味からすれば汎神であります。自然イコール神であり、この世のすべては神ということになります。つまり、一神にして同時に多神、多神にして同時に汎神。これが真の神道における「神」の概念です。これは私の独創では勿論なく、日月神事にそのように示されていることなのです。

 「全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性を持ち、同じ質を持ち、神そのものの現れの一部である」(「地震の巻」第五帖)

 「おおひつき大神としてのこの神は一柱であるが、働きはいくらでもあるぞ。その働きの名がもろもろの神様の名ぢゃ。無限であるぞ。このほう一柱であるが無限柱ぞ。総てが神であるぞ。一神ぢゃ。多神ぢゃ。汎神ぢゃ。総てが神ぢゃ、喜びぢゃ」(「春の巻」第二十一帖)

 「一神説いて多神説かんのも片端、多神説いて一神説かんのも片端、一神則多神則汎神である事実を説いてきかせよ」(「夏の巻」第十五帖)

 「総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が生み給ふたのであるぞ。このことよく弁へて下されよ」(「冬の巻」全一帖)

 したがって、神道を単なるアミニズムとか、自然崇拝などという次元で捉えるだけでは、まったく本質に触れていないことになります。真正なる神道とは、もっともっと懐が深く、次元的にも高いものなのです。」(中矢伸一氏「日月神事 ミロクの世の到来」より)

 この説明を読んで、なるほど神が自分の中に宇宙を創ったのであれば、山や海や川も神の一部であるから、それを神として拝んでも間違ってはいないということになります。また、人間も神の一部なので、人間も神であるとも中矢氏は言っておられます。人間は神の子であり、神でもあるということです。
 正直言って、今までは神道は多神教で、一神教より下のランクの宗教だと思っていましたが、一神教でいうところの神も持っているとは全く知りませんでした。無知というのは気楽なもので、神道をシャーマニズムと思い込んでいたので、一番身近な宗教なのに、全く学ぼうとは思いませんでした。(中矢氏は、日月神事は宗教ではないと言っておられます)また、神道は国家神道のイメージが強くて、軍国主義の背景となった宗教とも思っていました。また、現行の教科書では、神道と軍国主義をセットで教えているので、ほとんどの日本人は軍国主義を連想するのかと思います。
 しかしながら、日月神事を読めば、神道が多神教だけではないということがよく分かります。今後、神道については日月神事を勉強することにより、更に理解を深めて行きたいと思います。

借銭

2008-08-29 12:58:02 | 日月神示の実践
 この2,3日風邪を引いてしまって、朝早く起きられず、ブログを書けませんでした。今は昼休みですので、会社で書いてます。
 日月神事には、カルマのことを借銭とか、メグリと言うようです。中矢伸一氏の著書には、日月神事を読んで、いざ実践を始めると、病気や怪我や身内の不幸などが起こるので、止めてしまう人が多いと書かれています。この現象は、日月神事を実践することで、今までの自分の行ってきた良くないことが、膿として一時的に出てくる現象とのことです。私は日月神事を実践し始めてから、1ヶ月近く経ちますが、もしかしたらこの風邪も借銭を返すことに相当しているのかも知れません。8月上旬には義母の姉が亡くなりました。このことも直接関係あるかどうかは、神のみぞ知るところだと思います。
 今まで生きてきて、溜まってしまったカルマを清算するのは、そう簡単にはできないと思います。ただ、このまま何もしないと、更にカルマを積んでしまうことになりますので、少しづつ地道に清算して行きたいと思います。一生清算、死んでからも清算だそうです。今実践していることは、肉類を食べないということと、悪い思いを持たないということだけです。そして、一日一回は、日月神事を読むことと、自分流ではありますが、元の大神と日月の神々、先祖に感謝の祈りを捧げています。あくまで自分流なので、11月15日、16日に開催される「古神道の知慧セミナー」に参加して、祝詞のやり方などを勉強したいと思い、申込みをしました。

●古神道の知慧セミナー
 http://www.funaivisioncreates.com/archives/2008/07/part1part2_1.php

<実践メモ>
・3日前から風邪気味、会社を休むほどではない。
・首が5日前から少し痛い。
・昨日は夜中中、激しい雨と雷が鳴った。今までで一番激しいものだった。神の怒 りのようにも感じられた。その影響で、中央線は八王子より先は不通。京王線も 八王子で電車が脱線。愛知県では床上浸水となった。
・昼ごはん:白米、味噌汁、アジフライ、サラダ、お新香


白米と玄米

2008-08-25 21:34:22 | 日月神示の実践
 神から許されている人間の食べ物は、五穀・野菜ということは以前も書きました。

 「四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ」

 日月神事にはこのように示されているので、ご飯と野菜を中心に摂っていれば問題ないかと思います。ところが、ご飯といっても、白米はかえって身体にはよくないそうです。中矢伸一氏は以下のように言われています。

 「五穀の中でも、とりわけわれわれが主食としている米は、極めて栄養価やエネルギー価が高く、何物にも替えがたい穀類の王者である。しかし、米を精製し、フスマを取り去り、白米にしてしまったのでは何もならない。欧米でも、ブラウンライスと言って、玄米を食べる人が急速に増えてきているというが、同じ米でも、玄米と、精製した白米とでは、エネルギーや栄養の質の面でまったく異なってしまうのである。玄米は、生きているから、土に蒔いたり水につければ芽が出てくる。しかし、精製した白米は、蒔いても芽が出ることはない。外皮を取り去れば、生命力は失われてしまう。白米を横に並べれば「粕」という字になる。白米を食べることは、栄養学的にも、カスを食べることになるのである。」

 中矢氏の上記の説明の中で、「白米を土に蒔いても、芽が出ない」という説明は、分かってはいても改めて人間にとって、良くないものだと感じました。死んだ米ということですね。常温で1ヶ月ほっといても、全くカビが生えない、ある売り上げ日本一のパンと同じような気色悪さを感じます。ある売り上げ世界一の外資系のファーストフードの、ポテトフライは半年ほっといても、カビも生えないし、腐ったりもしないというドキュメントを、テレビでやってました。気持ち悪いですね。放っておけば、ちゃんと腐るものが、生きているということだと思います。
 我が家では、何となく発芽玄米が身体にいいらしいということで、4ヶ月くらい前から食べていますが、結構歯ごたえがあって美味しいです。白米と玄米を半々にして炊いてます。1Kgで600円くらいですので、結構割高ですが、主食が野菜なのでトータルでは、以前と同じか少し安くなったようです。

 ちなみに、今日のメニューはこんな感じでした。

6:30 (自宅)玄米茶 1.5杯

8:45 (会社)ミネラルウォーター 1杯

10:00 (会社)ミネラルウォーター 1杯

11:45 (定食屋)エビフライ、白米、わかめの味噌汁、マカロニサラダ、漬物

15:00 (会社)ミネラルウォーター 1杯

19:00 (自宅)発芽玄米1.5杯、納豆、根菜煮物、肉なし野菜炒め、サラダ、         梅干、味噌汁、お湯1杯

 五穀野菜のみの食事を始めてまだ3週間くらいですので、はっきりとした変化はありませんが、体重が1Kg減りました。ビールなどのアルコールを宴会や接待以外は止めているのと、神事で禁止されている菓子や饅頭を止めているため、カロリーの摂取が減ったのかも知れません。精神的には、食事と関係があるかどうか何とも言えませんが、以前より心配することが少なくなったように思います。この点については、もう少し経ってみないとはっきりとは言えないと思いますので、後日にしたいと思います。

 今後長い間に亘って、日月神事の行を続け、振り返って履歴を見るために、簡単なメモを残しておきたいと思います。
<メモ>
・雨、肌寒いくらい。
・自覚がないのに、両肘がすりむけて、カサブタになっていた。不思議。
・右の上の奥歯がしっくり来ない。歯医者は様子見とのこと。
・山形のお客さんから生のだだ茶豆を1箱送っていただいた。感謝。

真実

2008-08-24 15:14:03 | 日月神示の研究
 人間は誰でも幼いころから両親や学校から、真理や正しいことについて教えられて、育ちました。両親の言うことや、学校で教わったことは、あまり疑わずに信じて育ってきた人が多いかと思います。世界各国では、文化や教科書内容も違うことから、キリスト教を信じている人もいれば、イスラム教や仏教を信じている民族もいます。日本のように、科学でその存在が証明されないものは信じてはいけない、という風潮の国もあります。例えば霊魂や神などを信じる者は、非科学的な変わり者と言われてしまいます。霊魂や神が存在しないということも、科学で証明されている訳ではないのですが、ほとんどの人が霊魂や神の存在は否定しているのが現状かと思います。最近は、江原氏などのテレビの影響で、守護霊などの存在を信じる人も増えてきているとは聞きますが。
 そのように、その国の教科書やテレビ・新聞などの内容が、真実だと思って今まで生きてきた人が多いと思います。では、その当たり前に信じてきた内容が、真実とは全く違った内容であったとすれば、人間にとっては正しい判断ができないという不幸な状態だといえます。
 例えば、日月神事に書かれている肉食の禁止という内容は、私は今年の7月に中矢伸一氏の著書を読むまで、全く知らなかったことです。知らないということは、当然ハンバーグや焼肉を平気で食べてきたわけです。飲めば、ツマミは焼き鳥というのが定番となるわけです。日月神事や大本神諭などで勉強している人以外は、肉食がいけないことだということなど、知るわけがありませんので、普通に食べているわけです。
 そういう意味でも日月神事に出会えたことを、最近は心より感謝しています。日月神事に出会わなければ、きっと今日の夕飯はしょうが焼きか、から揚げになったろうと思います。真理を知らなければ、正しい行動はできません。いけないと思って、ケンタやマックや吉牛に行ってる人はいないはずです。

 肉食の禁止などは、個人にとって影響のある真理ですが、石屋=イルミナティの存在は日本だけでなく世界にとっての死活問題になります。フリーメーソンやロックフェラー、ロスチャイルドの陰謀については、少しは知っていましたが、日本の政治家や企業にもイルミナティに属している人間が多くいる事実を知って、驚きと共に恐怖と怒りを覚えました。フリーメーソンはある意味有名ですが、イルミナティについて情報を持っている人は多くないと思います。
 7月に日月神事を読んで、石屋の存在を知ってから、色々とネットで調べてみると、心ある方々が、その罪状を開示されていました。
 秘密結社は誰も知らないところで活動するから成功するのですが、ネットでその罪状を暴かれてしまうと、致命傷になると思います。そういう意味でも、インターネットというのは石屋にとっては、厄介な存在だと思います。

 ●秘密結社イルミナティ
  http://www.anti-rothschild.net/main/07.html


 ●ベンジャミン・フルフォード氏
  http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2008/03/post-20.html

ソフトボールが金メダル

2008-08-22 07:15:16 | 日月神示の実践
 昨晩は女子ソフトボールの決勝で、日本対アメリカの熱戦が繰り広げられました。投手は日米とも、エースが登板しました。上野投手は3連投で、既に300球以上を前日までに投げていました。それでも気迫の投球には、感動を覚えました。先に日本が点を取り、日本ペースで試合が運ばれ、最終的には3対1で日本が勝利しました。試合の前に、「日本は過去2回アメリカに決勝で負けている、二度あることは三度あるというね。でも、三度目の正直ということもあるからね」と家内が何やらブツブツ言ってましたが、今回は三度目の正直で、見事金メダルを取りました。
 個人種目もよいのですが、やはり団体での優勝は選手みんなで喜べるので、喜びも何倍にもなります。喜び合いながら仲間の顔を見ていると、今までの苦労などが思い出されて、更に喜びと感動が増して行きます。誰でもそういう経験をしたことはあると思いますが、みんなで頑張って勝利したことが嬉しく思います。スポーツに限らず、仕事でも何でも、みんなで頑張って成功するということは、喜びの中でも一番に近いくらい嬉しい性質のものだと思います。

 今の日本は石屋の仕組みにより、相互の信頼も薄れて、他人しか住んでいないような社会になっています。田舎の年配の方々にはまだ心ある社会も一部残っているようですが、都会はほとんど人間関係は希薄になってしまいました。中矢伸一氏によれば、石屋の「自由、平等、博愛」という聞こえのよい言葉の裏にある、猛毒が作用した結果の社会が現出したのだそうです。自由・平等はどの団体も唱えている言葉ですが、その中には矛盾が含まれているとのことです。

 日月神事にはこのようにあります。
 「平等と公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ。天地をよく見よ、人民の申す如き平等も公平もないであろうがな。一寸のびる草もあれば、一尺のびる草もあるぞ。一寸の草には一寸が、一尺の草には一尺が頂点であるぞ。これが公平であり平等ともうすもの」

 自由・平等を標榜する団体がこの神事を読んだら、即座に反対すると思います。この神事の方が間違っていると。自由・平等を少しでも侵害するのではないかという恐れを、勝手に思ってしまう人たちは相当多いと思います。自由・平等への侵害の一種のアレルギーです。こういう人たちは多いですね。自由・平等を個々に見れば、良いに決まっていますが、自由平等がセットになった言葉にワナが仕掛けられていると思います。このワナについては、私は分かりませんでした。ほとんどの人も、その欺瞞には気付かないと思います。神の視点でないと、見抜けないワナだと思いました。

船井幸雄オープンワールド2008

2008-08-21 21:06:51 | 日月神示の実践
 以前も書きましたが、日月神事に出会うことができたのも、元はと言えば船井幸雄氏の著書を読んだのがきっかけでした。その本で中矢伸一氏と日月神事について2、3ページほど簡単に紹介されていました。それから中矢伸一氏の著書を読み、日月神事に大変関心を抱き、「日月神事 完全ガイド&ナビゲーション」を読んでからは、今まで自分がまるで無知であったことを反省しながら、すぐに実践するのがベストだと思い、ブログを始めることになった次第です。もっと前から日月神事を知りたかったと思いましたが、今年7月に出会ったということも、神の計らいであったと思います。自分のメグリも多々あるでしょうから、自分にとってはこのタイミングになったのだと思いました。

 その出会いの恩人とも言うべき船井幸雄氏が開催される、「船井幸雄オープンワールド2008」が10月11日(土)、12日(日)にあります。品川のグランドプリンスホテル新高輪をほぼ貸切状態で開催するようです。10月12日(日)の飛天という会場で、14:30から15:50まで中矢伸一氏が講演されます。1日券が1名8,000円でしたので、12日だけ参加することにしました。別途1,000円の指定席で安心して中矢伸一氏の講演を拝聴しようと思いましたが、既に完売とのことでした。他の講演は指定席が空いていますが、主催者の船井幸雄氏と中矢伸一氏のお二人だけ、指定席が完売していました。中矢伸一氏の講演を聞きたいという方々が、いかに多いかということでしょう。私は中矢伸一氏の講演を拝聴するのも初めてですし、もちろんお会いするのも初めてです。どのようなお話しが聞けるのか、今から待ち遠しいです。船井幸雄オープンワールドは、何故か今回で終わりになってしまうとのことですので、最後のイベントに参加できるのもツイてる証拠だと自己満足しています。
もっとも、中矢伸一氏のセミナーや講演は、日本弥栄の会などの主催で今後も開催されると思います。


 ●船井幸雄オープンワールド2008
  http://www.ningenclub.jp/fyow/#koen

修行

2008-08-21 07:14:38 | 日月神示の実践
 昨日は息子の誕生日ということで、近所の回転寿司で寿司を買ってきました。ところが、不思議なことに、いつもは美味しく食べている鉄火巻きが、何となく美味しく感じられませんでした。「マグロなどの大型の魚は肉類に近いので、止めた方がよい」という、中矢伸一氏の言葉を思い出しました。なるほど、今後はマグロよりは小魚を中心に食べた方が良いと思いました。昨晩のメニューでは、野菜サラダが一番美味しく感じました。トマトやきゅうりは小平市の知り合いの農家から譲っていただいています。夏場はハウスでなく、路地ものなので、特に美味しくいただけます。また、先日伊香保温泉近くで買った煮豆も美味しくいただけました。今まではあまり煮豆などは好んで食べませんでしたが、日月神事を実践するためには、神から指定されている豆類も進んで食べようと思い食べたところ、美味しく感じました。既製品なのでやや甘さが多いと感じましたが、自分で煮ればもっと美味しくいただけると思います。
 日月神事を実践するといっても、日月神事には他の宗教と違って、難しい理論などがありません。肉類、酒、煙草、菓子、饅頭の禁止くらいしかないので、実践するといっても、どうしても食べ物の話しばかりになってしまいます。一般的な普通の宗教は、教祖が居て、教えがあって、献金やお布施などがあるのが普通ですが、日月神事の場合は、先ず教祖がいません。神事が下った岡本天明氏は、教祖ではありませんし、日月神事教などどいう宗教団体でもありません。当然献金やお布施をする対象もありません。ただ、自分と神の関係があるだけです。唯一の目標は身魂磨きだけです。そう考えると日月神事は宗教というより、修行に近いのかもしれません。宗教団体が推進する宗教を続けるには、献金やお布施などにかなりお金がかかるので、神よりも宗教団体に重きが置かれているようで、違和感がありました。日月神事のようなシンプルで、あまり費用のかからない修行は他にはないと思います。そういう意味でも、真理だと思えます。
 

宴会

2008-08-20 20:59:04 | 日月神示の実践
 昨日は長い間お世話になった取引先の方の栄転が決まり、壮行会を催すことになりました。19時から中野の居酒屋で始まりましたが、先ずはビールで乾杯。ここで早くも身魂みがきは頓挫です。その後日本酒を3種類いただき、10時過ぎたころには、焼酎のそば茶割りを飲みました。挙句の果てに、止めていた煙草も吸うわで、とても信心とはかけ離れた宴会となりました。
 お酒を飲むとその次は煙草と、どんどん流されていきます。酒の上での失敗も若いころから何度かあったにも拘わらず、その教訓は活かせませんでした。
身魂みがきは付け焼刃ということを、認識せざるを得ない一日となりました。

 「人力屋、酒屋、料理屋、芸姑屋、娼妓屋、無く致すぞ、世を潰す基ざぞ、菓子、饅頭も要らんぞ、煙草もくせぞ、よき世になったら別の酒、煙草、菓子、饅頭できるぞ、勝手に造ってよいのざぞ、それ商売にはさせんぞ」

 酒と煙草には負けてしまいましたが、肉類は口にしませんでした。料理は、レバー刺し、鳥皮餃子、焼き鳥などの肉料理が出ましたが、それらを我慢するのではなく、全く食べたくはありませんでした。むしろ食べた時の気色悪さを思い出してしまいました。結局食べた料理は、枝豆、たまこんにゃく煮、お新香、カニだけでした。居酒屋はメニューが豊富なので、穀物・野菜料理もわりと多いので助かります。
 また、以前は飲んだ勢いで女性が接客してくれる店にも何度となく行っていましたが、昨夜は2次会に行こうとは全く思いませんでした。肉類と芸妓屋は今のところ、全く再開する様子は無いと思います。(油断はできませんが)
今後は宴会時の酒と煙草をどう回避するか、検討したいと思います。

早寝早起き

2008-08-19 07:03:04 | 日月神示の実践
 日月神事を実践する上では、生活も神の言う通りに正していく必要があるそうです。中矢伸一氏によりますと、夜は10時に寝て、朝は5時に起床するという早寝早起きをするべきだそうです。2週間前までは週に2、3回は接待と言いながら遅くまで飲んで、寝るのが1時か2時という怠惰な生活をしていました。当然朝はすっきりとは起きられず、疲れた一日が始まるという典型的なオヤジのパターンをやってました。ところが、日月神事に出会ってからは、先ずは実践しようと一念発起し、身魂をみがくためには生活から変えようと決意しました。すぐに始められるのは、早寝早起きだと考えて、少しづつ実践している最中です。人間はよくできていて、早く寝れば、自然と早く起きるようになってますので、さほど努力もなく早寝早起きはできるようになりました。とはいっても、起床は5時半ですが。
 今までは運よく接待が入らなかったのですが、今日はお世話になった取引先の方が、昇進して金沢営業所に転勤するということで、19時から居酒屋で壮行会が開催されます。そうなりますと、家に帰るのが12時過ぎですので、就寝も1時くらいになると思います。明日は早く起床できるか自信はありません。しかも、お酒を飲みますので、それも身魂みがきにはマイナスになってしまいます。全人類が同じように日月神事を実践していれば、何の苦労もありませんが、私だけが勝手に実践しているので、他の人は当然今まで通りに接してきます。思い切って、自分が日月神事を実践していることを会社の人にも、取引先や友人、家族にも宣言してしまえばよいのでしょうが、今のところ言えません。ここは重要なポイントなので、なるべく早い段階で何らかの対処をしたいと思います。
 そういう訳で、今日は壮行会に参加します。その顛末はまた後日報告したいと思います。今日も一日、食べものに注意して、はりきって行って参ります。