日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

一神と多神と汎神

2008-08-30 12:19:40 | 日月神示の研究
 ご存知の通り、日月神事の神は神道の神になります。神道とは八百万の神を奉る多神教と学校で習ってきました。山の神、海の神、川の神など、八百万も神がおられると教科書に書いてありました。つまり神道とはシャーマニズムであり、キリスト教、イスラム教、仏教などの世界宗教より下のランクの宗教と習ってきました。
 ところが、中矢伸一氏の著書によると、神道とは一神教であり、多神教であるとのことです。

 「真の神道とは、実は一神教と言っても誤りではないのです。究極の一神教というのは、神道においても確かにある。それは、古事記では「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」という神名で呼ばれたり、旧事紀(くじき)では、「天譲日天狭霧地譲月地狭霧尊(あめゆずるひあめのさぎりくにゆずるつきくにのさぎりのみこと)」という神名で呼ばれていたり、あるいは単に「スの神」と呼ばれるものであったり、日月神事では「おおひつきくにおおかみ」という神名であったり、いろいろであります。いずれにせよ、この大宇宙を生み給うた根源的な一柱の神という意味です。しかも大事なことは、創造神は宇宙をご自分とは別のところに「創った」のではなく、ご自分の中に、「生んだ」ということです。外ではなく内に、ご自身と同じ型のものを生んだのです。ですから、神の働きの現れとしては様々なものがあります。それがアマテラスだったりスサノオだったりツクヨミだったりするわけですが、そうした部分的な神の段階を指して言えば多神教であります。しかし大宇宙のどの部分をとってみても、それは神の身体の一部であるわけですから、その意味からすれば汎神であります。自然イコール神であり、この世のすべては神ということになります。つまり、一神にして同時に多神、多神にして同時に汎神。これが真の神道における「神」の概念です。これは私の独創では勿論なく、日月神事にそのように示されていることなのです。

 「全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性を持ち、同じ質を持ち、神そのものの現れの一部である」(「地震の巻」第五帖)

 「おおひつき大神としてのこの神は一柱であるが、働きはいくらでもあるぞ。その働きの名がもろもろの神様の名ぢゃ。無限であるぞ。このほう一柱であるが無限柱ぞ。総てが神であるぞ。一神ぢゃ。多神ぢゃ。汎神ぢゃ。総てが神ぢゃ、喜びぢゃ」(「春の巻」第二十一帖)

 「一神説いて多神説かんのも片端、多神説いて一神説かんのも片端、一神則多神則汎神である事実を説いてきかせよ」(「夏の巻」第十五帖)

 「総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が生み給ふたのであるぞ。このことよく弁へて下されよ」(「冬の巻」全一帖)

 したがって、神道を単なるアミニズムとか、自然崇拝などという次元で捉えるだけでは、まったく本質に触れていないことになります。真正なる神道とは、もっともっと懐が深く、次元的にも高いものなのです。」(中矢伸一氏「日月神事 ミロクの世の到来」より)

 この説明を読んで、なるほど神が自分の中に宇宙を創ったのであれば、山や海や川も神の一部であるから、それを神として拝んでも間違ってはいないということになります。また、人間も神の一部なので、人間も神であるとも中矢氏は言っておられます。人間は神の子であり、神でもあるということです。
 正直言って、今までは神道は多神教で、一神教より下のランクの宗教だと思っていましたが、一神教でいうところの神も持っているとは全く知りませんでした。無知というのは気楽なもので、神道をシャーマニズムと思い込んでいたので、一番身近な宗教なのに、全く学ぼうとは思いませんでした。(中矢氏は、日月神事は宗教ではないと言っておられます)また、神道は国家神道のイメージが強くて、軍国主義の背景となった宗教とも思っていました。また、現行の教科書では、神道と軍国主義をセットで教えているので、ほとんどの日本人は軍国主義を連想するのかと思います。
 しかしながら、日月神事を読めば、神道が多神教だけではないということがよく分かります。今後、神道については日月神事を勉強することにより、更に理解を深めて行きたいと思います。

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