日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

武田教授が断言。能力主義の今より「昔の日本」が幸せだった理由

2020-09-24 16:33:11 | 政治・社会

<まぐまぐニュースより転載>

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武田教授が断言。能力主義の今より「昔の日本」が幸せだった理由

 

つい最近まで、日本は「一億総中流時代」と呼ばれる「みんな同じ生活」が良いという考え方が普通でした。しかし、いつの間にか欧米の影響を受け、会社は「年功序列」をやめて「能力主義」となり、「仕事ができれば若くても偉い」という考え方が浸透しています。最近の日本は何を選び、何を失ってしまったのでしょうか。中部大学教授の武田邦彦さんは、自身のメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』の中で、かつての日本人が持っていた「みんな同じ」の時代を振り返りながら、人間の「本当の幸せ」について考察しています。

 

■「人間の幸福」とは一体何なのか? 日本と他国の違いからわかる理由
 さて、人間が幸福になるというのはどういう状態でしょうか? まずは普通に生きていけるだけの衣食住が整っていることで、これは時代によって違います。昔は6軒ほどの長屋で、玄関がなく、障子をがらりと開ければ、そこにわらじを脱ぐ土間があり、土間を上がると6畳ほどの居間と小さな台所、それに小さい箪笥とちゃぶ台というところでしょうか。夜になると内職の道具を片づけて布団を敷き、そこで寝るという感じです。

 もちろんテレビも洗濯機もないのですが、「普通の生活」がそうであれば、人間はそれで十分に幸福なのです。生活としては大きな屋敷と家扶や下女がいる生活もあるのですが、それにはそれなりの苦労もあり、「生活の豊かさ」は違うのですが、「人生の幸福度」はほとんど同じだったのです。

それでは日本人は何が幸福であるかと考えたかというと、それは「自分なりの人生を送ることができる」ということでした。日本には「職業分類」があっただけです。それが日本では最初から社会の基本構造になっていました。わかりやすく言うと「支配層が支配する日本列島」ではなく、「日本列島には同じ日本人が住んでいる。職業分類はある」ということだったのです。

 つまり、人間にとってもっとも大切なことは、「金持ち、仕事の大きさ、階級」などではなく、「自分に与えられた範囲で、日本人に貢献でき、できるだけ自分に合っていて満足できるものを自分で選ぶことができる」という「他人に支配されない人生」と考えたのです。そこで、日本以外の他の国が「支配層」を作り、「支配層」が支配される人を統治するという骨組みを作ったのですが、日本だけは「支配層のいない社会」を形成したのです。

支配層がいなければ、
 1.自分に与えられた範囲で、
 2.日本社会に貢献し、
 3.自分に合っている仕事や生活を自分で選ぶことができる、

ということになります。「日本社会に貢献する」ことが必要だったかというと、自分はお米も食べるし、味噌もいる。でも自分が大工という場合、大工もして稲も育てるというのはなかなかむつかしいので、分業を社会の前提とするということです。

■能力がある人? それともお金持ち? 人間が持つ「本当の価値」とは
 日本人の生活はごく最近まで、2000年前と同じように「全員が同じ生活」でした。それを「一億総中流時代」と言ったのです。世界的には特別な社会でした。他の国の会社は「株主のもの」でしたが、日本の会社は「従業員のため」に活動しました。だから、日本の会社には「社員の運動会」がありましたが、欧米では「そんなのは個人の自由の制限だ」と正反対の考えだったのです。

「会社が大切」「社員旅行」、そして「年功序列」などはヨーロッパかぶれの人たちから激しく批判され、今では会社は株主のものとなり、社員(正式には従業員)は非正規、ブラック企業、うつ病、自殺などの問題を抱え、同僚との和気あいあいとした職場、生涯の友人も消えました。そして、「能力と強く結びついている賃金」になったのです。

「能力があるものが高賃金」というのは一見すると良いように思いますが、日本の文化ではありません。それは「人間の価値」という基本的な考え方によるからです。

日本以外の他の国は、「能力のある人が価値がある」と考えましたが、日本は「人間は誰でも同じような価値がある。でも能力のある人はちょっとだけ尊敬しよう」という風に「人の価値」について決定的な違いがあるからです。

現在の私たちは、ヨーロッパの考え方に影響されていますから、「若くても能力がある人は偉い」と考えていますが、日本の考え方は「能力がある人を認めるのは良いが、人間の尊さは人柄の良さ、年齢なども重要だ」と考えたのです。だから、会社に長く務めた人を少し高く評価しても良いと思ったのです。

私は科学者ですから、やや欧米の考えに親しみを持つのですが、人間というものについては決して「能力があるから立派な人間」とは考えてはいません。私の経験ではむしろ「頭が良かったり能力が高い人は自分勝手」という感じを持っています。目上の人は尊敬して丁寧に接しますし、収入によらずその人の人格などを重視します。その点では、私は「年功序列」や「会社で一緒に努力しよう」というのが良いと思っているのです。

<転載終わり>

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 武田教授が言われるように、つい最近まで、日本は「一億総中流時代」と呼ばれていました。「みんな同じ生活」が良いという考え方が普通なので、ヘンなストレスは少なかったと思います。

 それが変わったのは1991年以降のバブル崩壊からではないかと思います。その後は欧米の影響を受け、会社は「年功序列」から「能力主義」に転換していきました。私もアメリカ式のセールス&ネゴシエーションなどのトレーニングを数回受けました。

 欧米では、「能力のある人が価値がある」と考える傾向がありましたが、日本では「人間は誰もが同じような価値がある。でも能力のある人はちょっとだけ尊敬しよう」というように考えていました。

 現在は、欧米の考え方に影響されているので、「若くても能力がある人は偉い」と考えていますが、日本の考え方は「能力がある人を認めるのは良いが、人間の尊さは人柄の良さ、年齢なども重要だ」というものでした。

 バブル崩壊を機に、日本は成果主義に変わってしまいました。ただ、これが悪ということではないと思います。様々な経験を通して学んでいく過程かと思います。最近では以前の日本式経営で業績を伸ばしている企業もありますので、今後は日本式経営に変わっていく企業も増えていくと考えられます。

 

・まぐまぐニュース


コロナでグローバル資本主義が終わる!?

2020-09-13 05:41:11 | 政治・社会

< Yahooニュースより転載 >

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第66回 コロナでグローバル資本主義が終わる!?──内田樹の凱風時事問答舘

 

思想家にして武道家、道場兼寺子屋の凱風館館長にして神戸女学院大学名誉教授のウチダ先生が世の難問、あなたの質問、疑問にお答えします。

Q: 2011年の3.11「東日本大震災」以来、今年もすでに「令和2年7月豪雨」と、日本列島を毎年のように災害が襲っています。世界的な新型コロナウイルス禍にさらされてもいます。こういうのが続いているのも、時代の転換期なのでしょうか。もし、転換期だとすると、この後どんな時代が来るのでしょうか?

A:アメリカが「鎖国状態」の意味

天変地異って、わりと固まってくるんですね。鴨長明の『方丈記』を読むと、たいして長いエッセイじゃないんですけど、毎年のように飢饉があったり、大火事があったり、竜巻が吹いたり、地震があったり、そのたびにたくさん人が死んでいる。『方丈記』が書かれたのは、平家の政権が瓦解して、平安時代が終わり、鎌倉幕府という武家政治に変わる歴史的転換の直前なんです。歴史的転換点の前は、その前兆のように天変地異が続いた。幕末も安政の大地震、天保の大飢饉がありました。今も地震、洪水、パンデミックと天変地異が続くのは地殻変動的な変化が起きる前兆かも知れません。

コロナのせいで一番大きく変わるのは経済システムでしょう。グローバル資本主義が終わるかもしれない。

感染症専門医の岩田健太郎さんから伺ったんですけれど、今度の新型コロナウイルスは変異が異常に速いそうです。だから、ワクチンが作れないかも知れない。実際にHIVのように40年近く経ってもまだワクチンができない感染症はあるわけです。

(中略)

 ■ 「健全な資本主義」回帰のために
(中略)
グローバル資本主義の命脈が尽きたということは、アメリカのエコノミストたちの多くが認めています。多くの経済活動が停止し、自由市場が機能していないのですから、政府による大胆な介入がなければ、資本主義システムは持たない。
(中略)
市場に任せていると、アメリカはこれからずっと「鎖国」を続けないといけないということです。アメリカが「健全な資本主義」に回帰するためには、国民皆保険であれ、ベーシック・インカムであれ、「ニューディール」であれ、政府が介入して、国民全員の健康と雇用を保証する必要があるということです。

ベーシック・インカムの導入についてはアメリカではもう数年前から、AI導入による雇用崩壊の話題の時から出ていましたが、コロナでさらに声が強まった。


■ 都市は感染症に弱い
コロナ禍でもう一つわかったことは、都市は感染症に弱いということでした。人々が密集し、労働でも消費でも、斉一的な行動をとる。軍隊や艦船内と同じです。そういうライフスタイルが最も感染リスクが高い。 感染症に強いのは「他人と違うニッチで生きること」です。動物に夜行性と昼行性、肉食と草食、樹上生活と地下生活があるように、同じ環境を共有する生物は「生態学的ニッチ」を変えることで共生している。人間だって同じです。だから、人々が1カ所に集住しない、人と同じライフスタイルを避けるというのが感染症対策としては最も安全です。

17世紀のロンドンのペストの時、貴族と金持ちは真っ先に田舎の別荘に逃げ出しました。ペストで死んだのはロンドンから逃げることができなかった貧民たちです。事情は4世紀経ってもあまり変わりません。「都市以外のところでも暮らせる人間は生き残るチャンスが高い」です。

今回も田舎で農業をやっている人は生活がほとんど変わらなかった。ソーシャル・ディスタンシングがデフォルトですから。満員電車にも乗らず、人が密集するところにも行かない。それでも生業が営めるなら、それは「ウィズコロナの時代」においては大きなアドバンテージです。

宇沢弘文先生の「社会共通資本論」はこれまで何度も紹介してきましたけれど、社会的共通資本の基本である自然環境(大気、海洋、森林、湖沼、河川など)を守るためには、総人口の20%から25%が「望ましい農村人口」比率だと書いています。 今の日本の農業就業者数は170万人。総人口の1.3%です。これを20倍にするという話ではありません。農村人口の大半は農業以外のことをする。本を書いてもいいし、絵を描いてもいいし、レストランやカフェをやってもいいし、もちろんのんびり年金生活をしていてもいい。

でも、都市から離れて農村部に分散して暮らすことが「ウィズコロナの時代」では生態学的に適切だということです。 僕は久しく「ローカリズム=資源の地方分散」を主張していますけれど、ローカリズムの基本は「地産地消・自給自足」です。エネルギー、食料、医療、教育、この4つは人間が集団的に生きてゆくためには必須のものです。

でも、グローバル資本主義では「必要なものは、必要な時に、必要な量だけ、最も安いコストで調達する」ことが当然とされていた。それが「ジャストインタイム」生産システムと呼ばれていました。でも、それがどれほど脆弱な仕組みだったか今回のパンデミックで明らかになりました。

アメリカの医療器具の戦略的備蓄はマスクと人工呼吸器が1%、酸素吸入器は10%でした。「在庫ゼロ」をめざして、要る時は要るだけ買うつもりでいたら、買えなくて医療崩壊が起きた。

教育もそうですね。少し前まで、「日本の大学は現場の技術者や労働者を育てていればいい。指導層はハーヴァードやオックスブリッジ卒がふさわしい」というようなことを言って日本の学校教育に期待しないと広言していた人たちがけっこういました。でも、「教育は要る時に外注すればいい」という前提そのものが欧米諸国の「鎖国」で崩れた。高等教育も自前でやらないと、世界のどの大学も「日本のエリートのための教育」なんかしてくれない。

■ エネルギー、食料、医療、教育はみんなで
もう一度言いますけれど、エネルギー、食料、医療、教育は「金で買えばいい」というふうに考えない方がいい。生きてゆくために必要なものは「手元」で、みんなで力を合わせて創出し、共同的に管理する。それが僕の主張する「ローカリズム」です。

政府と財界はこれまで「都市一極集中」「地方の過疎化」を進めてきましたが、パンデミックでそのグランドデザインそのものが破綻した。(中略)残念ながら、今の政府にはそのための巨視的な計画を立てる知力も意欲もありません。でも、市民たちの間ではすでに「生き延びる」ための動きが始まっている。

<転載終わり>

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 内田氏が言われるように地方に住んでいる人の生活は、コロナ禍でも東京ほど大きくは変わりませんでした。高崎や宇都宮、三島などの地方都市は、電車での通勤よりも自動車での通勤の方が多いため、通勤に関してはあまり変化はありませんでした。

 仕事に関しても、医療介護関係以外の企業に勤務する人は、コロナの影響を大きくは受けていません。マスクを付けるくらいです。地方都市での生活は東京や大阪に比べて大きな影響はなかったようです。ただ、経済には大きな影響が出ています。デパートや観光、飲食関係は売上が減少しました。今後の見通しも立っていません。

 コロナ禍は既にピークを超えていますが、人々の意識はコロナ怖いのままのようです。

 

 

・Yahooニュース


マスコミの大転換

2020-09-12 16:31:51 | 日月神示の実践

<「日本を守るのみ右も左もない」より転載>

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今日の日曜日も、都内は自粛しているせいか、電車はガラガラ、人が少なくていい。これもマスコミがコロナを煽ってくれているから。各地の観光地もガラガラ。
なにより有り難いのが、やかましい外人や中国人の観光客などの大群が消え失せたこと。

それから、台風10号が九州に近づき、NHKなんかはそればっかやっている。そういえば、マスコミはやたら危機を煽る報道が増えてきたように思える。

 

 ●マスコミの役割は市場拡大と洗脳支配だった。
マスコミは、これまで市場拡大のために、グルメや観光や遊びや流行を煽り、人々の消費拡大を煽ってきた。

一方で頭脳支配するために、肝心なことや事実は流さない。芸能ネタやどうでもいいことを流して注意を反らしてきたのがマスコミだった。不正選挙に原発、CO2温暖化、人工物質・・・。

しかし今やマスコミの役割も大転換。

●マスコミによる市場の破壊と危機覚醒へ180度転換
これからのマスコミの役割は市場を縮小させることと危機を煽ることだ。
※観念支配という本質は全く変わっていないが、危機報道を通じて、民族自決と自給に誘導していく。
※マスコミ関係者も国民も、相変わらず思考停止しているのも変わらない。コロナのように言われた通りに報道し、国民は言われた通りに動くのだろう。

以下コロナ以降の今後の報道予測。
・今年3月〜、コロナの危機報道
・今後10月頃~、倒産と失業を大報道。

・年末、米株式大暴落を大報道 →市場の危機とBIへの誘導。
・来年年明け、米内戦の危機を大報道 →防衛と民族自決の大切さへ。
・来年、食糧危機を大報道 →配給制と自給の大切さへ。
・人工物質の危機を大報道 →人工物質の禁止や医薬品の毒性を暴く動きに。

今後ますます奥の院によるマスコミ支配が強まっていく。それにつれて、ますますマスコミの役割も先鋭化されていく。人々の間には危機感や不整合感が蓄積していき、どこかで閾値を超えていくのか?

<転載終わり>

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 この記事を読んで、確かにマスコミの報道姿勢が変わったなと思いました。今までは市場拡大のために、グルメや観光、遊び、流行を報道し、消費の拡大を煽ってきました。

 並行して真実は報道しない方向でした。芸能関係やどうでもいいことばかり流してきました。今でもテレビの番組表を見ると、見たいと思う番組はほとんどありません。

 今までのマスコミの役目は、市場を拡大するために尽力してきましたが、反転し今後は市場を縮小させることに方向転換したようです。つまり市場を縮小させることと危機を煽ることです。

 

 今後のマスコミの報道予測が不気味ですね。
・2020年3月〜:コロナの危機報道
・2020年10月頃~:倒産と失業を大報道。

・2021年:米株式大暴落を大報道 →市場の危機とBIへの誘導。
・2021年年明け:米内戦の危機を大報道 →防衛と民族自決の大切さへ。
・2021年:食糧危機を大報道 →配給制と自給の大切さへ。
・人工物質の危機を大報道 →人工物質の禁止や医薬品の毒性を暴く動きに。

 この予測がどこまで現実のものになるかは何ともいえませんが、方向性は正しいように思います。また、奥の院の思惑というのはよく分かりませんが、世界を牛耳る勢力の目的というものはあるように思います。

 日月神示にあるように、子の年である2020年から前後5年が大峠ではないかと感じています。

  

・日本を守るのに右も左もない