日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

ソフトボールが金メダル

2008-08-22 07:15:16 | 日月神示の実践
 昨晩は女子ソフトボールの決勝で、日本対アメリカの熱戦が繰り広げられました。投手は日米とも、エースが登板しました。上野投手は3連投で、既に300球以上を前日までに投げていました。それでも気迫の投球には、感動を覚えました。先に日本が点を取り、日本ペースで試合が運ばれ、最終的には3対1で日本が勝利しました。試合の前に、「日本は過去2回アメリカに決勝で負けている、二度あることは三度あるというね。でも、三度目の正直ということもあるからね」と家内が何やらブツブツ言ってましたが、今回は三度目の正直で、見事金メダルを取りました。
 個人種目もよいのですが、やはり団体での優勝は選手みんなで喜べるので、喜びも何倍にもなります。喜び合いながら仲間の顔を見ていると、今までの苦労などが思い出されて、更に喜びと感動が増して行きます。誰でもそういう経験をしたことはあると思いますが、みんなで頑張って勝利したことが嬉しく思います。スポーツに限らず、仕事でも何でも、みんなで頑張って成功するということは、喜びの中でも一番に近いくらい嬉しい性質のものだと思います。

 今の日本は石屋の仕組みにより、相互の信頼も薄れて、他人しか住んでいないような社会になっています。田舎の年配の方々にはまだ心ある社会も一部残っているようですが、都会はほとんど人間関係は希薄になってしまいました。中矢伸一氏によれば、石屋の「自由、平等、博愛」という聞こえのよい言葉の裏にある、猛毒が作用した結果の社会が現出したのだそうです。自由・平等はどの団体も唱えている言葉ですが、その中には矛盾が含まれているとのことです。

 日月神事にはこのようにあります。
 「平等と公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ。天地をよく見よ、人民の申す如き平等も公平もないであろうがな。一寸のびる草もあれば、一尺のびる草もあるぞ。一寸の草には一寸が、一尺の草には一尺が頂点であるぞ。これが公平であり平等ともうすもの」

 自由・平等を標榜する団体がこの神事を読んだら、即座に反対すると思います。この神事の方が間違っていると。自由・平等を少しでも侵害するのではないかという恐れを、勝手に思ってしまう人たちは相当多いと思います。自由・平等への侵害の一種のアレルギーです。こういう人たちは多いですね。自由・平等を個々に見れば、良いに決まっていますが、自由平等がセットになった言葉にワナが仕掛けられていると思います。このワナについては、私は分かりませんでした。ほとんどの人も、その欺瞞には気付かないと思います。神の視点でないと、見抜けないワナだと思いました。