日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

135度地点で「わの舞」を踊りました

2011-09-30 21:24:50 | 日月神示の実践

 9月25日の昼前に、淡路島の135度地点の砂浜で、「わの舞」を踊ることになりました。今回のツアーで「わの舞」を踊るかも知れないと、事前に聞いてはいましたが、本当に踊るとは思ってもみませんでした。

 前日の24日は、明石海峡のすぐ近くのホテル舞子ビラに泊まりました。以前からこのホテルには一度泊まってみたかったので、念願が叶いました。籠神社の宮司さんのお話しが予定より1時間も長かったため、スケジュールが押してしまい、ホテルに着いたのが、夜8時半くらいになってしまいました。すぐに皆で夕食を摂りました。併せて、出雲大神宮と皇大神社でいただいたお神酒を、皆で有難くいただきました。

 その後早めに各人部屋に引き上げて、残った一升瓶のお神酒をチビチビと、最年少のHさんの部屋で飲んでいました。美味しくも有難いお神酒をゆっくり堪能していたのですが、突然新潟のTさんが翌日の「わの舞」の演舞に備えて、皆で練習しようと言い出しました。ぶっつけ本番でいいんじゃないの、とTさんに言ったのですが、全然聞いてません。パソコンでこのYouTubeの「わの舞」を、先ずは皆で見ることにしました。酔ってるので、YouTubeを見てもよく判りません。それじゃやってみようということで、わの舞の経験者のTさんの指導で、一同仕方なくやることになりました。ホテルの部屋で0時過ぎまで、飛んだり、跳ねたりしましたが、不思議とクレームはありませんでした。

 そして、いよいよ当日になり、135度線にある石屋(いわや)神社の前の海岸の砂浜で、ついに「わの舞」を踊るはめになってしまいました。淡路島と神戸から、わの舞のリーダーの方二名が応援に駆けつけてくれました。最初に10分くらいリーダーの方からわの舞の基本動作について説明がありました。私たちはとりあえず前日に少し練習しましたが、95%の方はぶっつけ本番です。私はこんな難しい踊りは、初めてではできっこないと、思ってました。

 いよいよイントロが流れて来ました。神聖でダイナミックな音楽は、遠い昔に聞いたことがあるようにも思えました。リーダーの動きに合わせて、全員がぎこちなく動きはじめました。海岸の砂浜で、裸足になって踊っていますので、足元がおぼつきません。皆さんバランスを崩しながら何とかリーダーの真似を懸命にやってますが、何せ初めてですから無理があります。それでも踊っていると、何故か楽しく思えてきました。昨日は酔っ払ってて、億劫でしたが、快晴の下で潮風に吹かれながら踊るのは、案外気持ちのいいものだと感じました。いい年齢の人たち55人が、音楽に合わせて一生懸命踊っています。後で聞いたら、近所の住民の方々が見に来ていたそうです(笑)。

 このYouTubeは勝手に貼らせていただきましたが、こんな風に格好良く踊れたら、もっと気分爽快だろうと思います。結局二回踊りましたが、二回目は案外上手く踊れたようです。わの舞の経験者の方が言うには、初めてでこれだけ踊れたのは奇跡だということでした。みんなの気持ちが一つになったからだと私には思えました。感激して涙ぐんでる方もいたほどでした。これはハマるなと思いました。そして、できればもっと上手に踊りたいと思いました。10月のコルマン・インデックスの最後の日に、神社巡りとして麻賀多神社に行きますが、その境内でわの舞を皆で踊ろうと提案しました。新潟のTさんには、最初は全くやる気なかったのに、どいう風の吹き回し?と言われてしまいました。実際に境内で踊ることは難しいでしょうが、近くの広場で踊れたらいいと思ってます。関東の神社巡りサークルのリーダーのSさんは、わの舞を1年以上やられています。千賀一生さんから直接指導も何度もしてもらったそうですので、今から楽しみです。

 

・わの舞

 


「ガイアの法則」と135度線のツアー

2011-09-28 06:19:37 | 日月神示の実践

 9月23日から25日の135度線ツアーは、千賀一生さんの「ガイアの法則」を基に企画されたものです。昨年から「ガイアの法則」については何度かこのブログでも書いてますが、それによると、文明は1611年の間に生まれて、滅びるそうです。また、東西文明は800年毎にその中心地が交代されるようです。そして、1200年から始まったロンドンを中心とした西洋文明は、1995年で終わり、日本の135度線の地域に文明の中心が移ったそうです。1995年に移ったということは、既に日本が世界の中心となっているということになります。ただ、日本文明が最大に発展するのは2400年頃ということですので、今はまだ発芽したばかりの芽のような時期とのことです。確かに震災と原発と900兆円の財政赤字で苦しんでいる現在の日本を、世界の中心だと信じる人は誰もいないのではないかと思います。

 「ガイアの法則」には、以下のようにあります。『新たな文明サイクルの誕生をうながす脈動は東経135.0度ラインで始まりつつある。統計135.0度を中心に広大な範囲に対してこの誕生作用は働き始めている。当然、日本人はその影響下にある。いかなる文明の誕生に際しても言えることだが、このフィールドでは聖なるリズムに共鳴する波長を持つ者にとって、新たなサイクルに向かうべき創造的インスピレーションを感知しやすいフィールドなのだ。この影響力は日本全土に及んでいるが、ことに、焦点の近域で誕生した人、あるいは、生活した人の中には、そのタイミングによってはより強い影響を受け、物事の進展が加速したり、人々の焦点となったり、類まれなインスピレーションを受け取ることがある」

 つまり兵庫や京都、大阪で生まれた人又は、そこに住んだことのある人は、物事の進展が加速したり、人々の焦点となったり、類まれなインスピレーションを受け取ることがあるということです。また、その地域以外で生まれた人でも、タイミング良く135度線地域を訪問した人は、同じように物事が上手く行くようになるそうです。ということは、今回の135度線ツアーに行かれた方の中には、聖なるリズムと上手い具合にタイミングがマッチした人がいるかも知れません。この時期にこのツアーに参加したのですから、ほとんど全員が、聖なるリズムとタイミングが合う方ばかりとも考えられます。

 私は「ガイアの法則」を読み、昨年の6月と11月に135線地域を訪問したところ、1ヶ月以内に大きな変化がありました。今回とやや同じコースで、6月8日、9日と京都、兵庫、淡路島、徳島の神社を巡りましたが、驚いたことに翌月の7月1日に赤城の農地が見つかったのです。当時のことは、このブログでも書いてありますが、両親と赤城の親戚の農地を7月1日に見学に行きましたが、あまりに心に響いたため、即決しました。

 11月にも135度線地域に行きましたが、翌月の12月上旬に船井メディアさんから農業関係の商品開発のオファーをいただきました。今ではその商品は日本弥栄の会さんの監修の下で、船井メディアさんの幸せウェブショップというサイトで販売されています(日本弥栄の会さんでももちろん販売されています)。6月も11月も丁度その日程しか空いてなかったので訪問したのですが、たまたま聖なるリズムとタイミングが合ったのだと思います。偶然とはいえ、とんとん拍子に物事が進み、あまりに進展が早いので、ついて行くのがやっとでした。

 私でも135度線の影響を受けたのですから、55人で三日間かけて135度線地域を巡った影響は、きっと出るように思います。皆で思いやりのある社会を実現しようという気持ちで、各神社を参拝したので、その想いは通じたように思います。この三日間は、聖なるリズムとマッチしたタイミングだったかも知れません。千賀さんの場合は、自分の人生を変えるような出来事が翌日には起こったそうです。私は約3週間かかりました。今回は個人個人で違うと思いますが、何らかの変化があると思います。ワクワクしますね。

 

 


「135度線の聖地・神社を巡るバスツアー」から帰ってきました 

2011-09-27 06:39:30 | 日月神示の実践

<日本弥栄の会より記事転載>

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「135度線の聖地・神社を巡るバスツアー」から帰ってきました

月刊『たまゆらpremium』ではかねてより予告しておりました、「東経135度線の聖地・神社を巡るバスツアー」を、9月23日~25日の三連休に開催しました。
三日間、最高の天気に恵まれ、この上ないくらいに素晴らしい、思い出に残るツアーとなりました。

135度線というのは、「次の文明の中心軸は日本に移る。それは東経135度の日本標準時が通るあたりになる」という、千賀一生さんの『ガイアの法則』をふまえたものです。
この東経135.0度から東に1.4度の範囲であれば、エネルギーの高いエリアとなるということで、そうなると、丹波・丹後地方にある各神社や大本の聖地がすべてこのエリア内に入ってしまいます。
神戸や大阪、京都なども入ります。
このあたりが地球の次期文明の中心地として栄えるようになるという説が正しければ、このエリアにある神社や聖地が世界的に見直されることになるかもしれませんし、そこから世界を弥栄発展に導くエネルギーがいよいよ増し、輝き始めるのかもしれません。

淡路島では、50名の参加者の皆さんと一緒に「わの舞」を踊ることもできました。
全国津々浦々から参加された皆様、本当にありがとうございました。
そして大変お疲れさまでした。
この報告レポートは、『たまゆら』11月号に載せる予定です。
詳しくはそちらをお読み頂ければ、ということで・・・。
連休明けの今日は、たまった仕事を片付けるのにおおわらわです。


<転載終わり>

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 9月23日から25日までの三日間、135度線の聖地や神社を巡りましたが、その間ずっと中矢代表と行動を共にすることができました。普段は講演会でしかお見かけできない中矢代表と間近でお話しをさせていただくことができ、会員にとっては夢のような三日間となりました。

 23日の9時に京都駅からバスで出発しましたが、先ずスタッフの東光社さんのFさんから三日間のスケジュールのご説明をいただきました。今回のツアーはFさんが具体的な調査や交渉をしてくださったとのことですが、とても満足のいく内容でした。普通の旅行代理店では既製品のパック旅行ですので、ごく普通の旅行になりますが、今回は亀岡と綾部の大本の施設を訪問したり、比沼麻奈為(ひぬまない)神社や皇大(こうたい)神社というツアーでは訪問しないような神社への正式参拝、135度地点である明石大橋の近くで「わの舞」を踊ったりと、奇想天外なオプションプランのオンパレードですから、それを具体的に交渉されたFさんには、かなりご苦労があったのではないかと思います。

 更に、会員一同は菜食ですから、肉無しのメニューを旅館やホテルと交渉しなければなりません。昼食でも菜食メニューのレストランを探して、交渉しなければなりませんので、なかなか大変だったと思います。ツアーの前に、Fさんが今回の工程を実際に全て廻って調べていただいたので、ツアーは滞りなく進行しましたが、ぶっつけ本番ではこうは行かなかったと思います。何せ60名近い人数で行動しますので、引率も大変です。移動には時間がかかりますし、外では声が通りませんので、バスの中で全てを伝えておかなければなりません。このような条件の中で、何の問題もなく、スムーズにツアーを進めることができたのも、Fさんの頑張りのお陰だと思います。ありがとうございました。

 Fさんのバスでのご説明の後、中矢代表が今回のツアーの見どころを、古代史の観点から解説してくださいました。事前に中矢代表が1997年に書かれた『出口王仁三郎・大本裏神業の真相』の抜粋した冊子が配られていましたので、それに沿ってご説明くださいました。主な内容は、以下となります。

・丹波の鬼伝承と「鬼三郎」

・丹波王朝の祖神・ホアカリは、日本国の初代天皇か

・大江町の「元伊勢」と、出口ナオの「水の御用」

・丹後元伊勢・籠神社に秘められた因縁

・籠神社の奥宮・冠島の老人神社の祭神はホアカリだった

・大本の御神体石「ミタマ石」秘話

・豊受大神と丹後の古伝承

・王任三郎は豊受大神を、伊都能売神と説いていた

・豊受大神と国常立尊とは同神異名か

・国常立尊を最高神として奉じた神道家たち

・『富士文献』にみる国常立尊と丹波との関係

・丹波一の宮・出雲大神宮は国常立尊を祀る?

・綾部の本宮山が豊受大神の最初の鎮座地だった?

・『霊界物語』特別篇「天祥地端」と『富士文献』の符合

 

 なかり古代史の基礎が理解できていないと、チンプンカンプンですが、中矢代表が判り易くご説明くださいましたので、概要は少しだけ判ったのではないかと思います。私はこれからこの冊子を勉強したいと思います。古代の日本とシュメール、天皇家などの関係も書かれていますので、とても興味深い内容です。千賀一生さんの「ガイアの法則」とも同じ内容になっているところにも感心しました。丹波や丹後地方は日本の古代史の中でも、重要な地域だということが解りました。中矢代表が、世界の中心が日本に戻って来る、それが135度線の地域であると言われましたが、何とも壮大でロマン溢れる内容です。今回のツアーが、歴史の同時性の象徴であるように感じています。遠い昔、日本が世界の中心であった頃、135度の地域はその都だったと思います。その太古の都を、今回私たちはバスで巡ったのかと思います。単なるバスツアーではなく、何か意義のある三日間だったように感じています。

 「ガイアの法則」を再度読もうと、先ほど本棚から取り出しました。通勤の途中で読み直そうと思います。

 

 


神社巡りサークル「チーム関西」 いよいよ始動

2011-09-26 06:53:33 | 日月神示の実践

 9月23日から25日まで日本弥栄の会主催の「135度線の聖地・神社を巡るバスツアー」が開催され、私も参加したことは昨日ご報告しましたが、このツアーに参加した目的の一つが関西の神社巡りサークルの立ち上げでした。

 関東では今年の4月から神社巡りサークルを、日本弥栄の会会員の有志で行ってきました。第1回は日月神示が降ろされた麻賀多神社を参拝し、第2回は岡本天明さんゆかりの鳩の森神社や明治神宮など、第3回は日月神示にある「榛名の仕組」の榛名神社を参拝し、全員でひふみ祝詞を奏上させていただきました。元々一人で神社巡りをされていた東京中野のSさんにお願いして、神社巡りサークルのリーダーとして皆を導いて欲しいとお願いしたことから始まりました。Sさんは快くお引き受けくださり、関東の神社巡りサークルがスタートすることになったのです。第4回はあまりにリクエストが多いので、再び麻賀多神社に参拝させていただく予定です。その日はコルマン・インデックスが終了する日ですので、どんなことになるのか、参加者一同は今から期待で一杯という感じです。

 この神社巡りは、縄文時代から人々が普通に行ってきた、神様への礼拝を私たちも同じようにやってみようということで始まりました。また、今は実践の時代に入ったと中矢代表が言われていますので、小さくてもいいので自分達で企画し、実践して行こうという目的もありました。あまり仰々しくすると、重荷になったり、形式ばってしまうので、自然体という意味からもサークルという軽いグループにしました。

 今まで3回の神社巡りを行いましたが、とても評判がいいので、是非関西でも始めて欲しいとずっと考えていました。実は、関東の神社巡りを企画したと同時に関西も考えていました。昨年の11月に中矢代表の講演会が大阪で開催されましたが、その際にボランティアでお手伝いいただいた方が7名おられました。この方たちを軸に、神社巡りサークルを立ち上げたいなと考えていました。とはいっても、先ずは自分達でやってみないとどうにもなりませんので、先に関東をスタートさせたという次第です。ただ、昨年中矢代表から千賀一生さんの著書「ガイアの法則」を勧めていただき、日本の135度線の地域が世界の中心になるということが判り、関西での神社巡りというのは、小さいながらも地球の文明のサイクルに連動した歩みになるのではないかと考えていました。

 そして今回のツアーには、関西の方が10名参加されていましたので、その中から、昨年の中矢代表の大阪講演会でボランティアをしてくださった男性のTさんをリーダーに、サブリーダーを女性のIさんにお引き受けいただきました。お二人とも関西の神社巡りサークル発足には、快くご賛同いただきました。これでいよいよ「チーム関西」のスタートとなりました。発足まで1年かかりましたが、とにかくスタートできて良かったと思っています。

 昨日の淡路島での昼食のときに、関西の方々が集まり、一緒に昼食を摂りながらチーム関西について打ち合わせされていました。私は神社巡りだから第1回目は、きっと京都の神社だろうと考えていましたが、予想に反して奈良の「大神神社(おおみわじんじゃ)」に決定しました。日程は12月10日ですので、私も参加したいと考えています。こうして、神社巡りサークル「チーム関西」は発足しました。関西は神社の宝庫ですから、行きたい神社は数多くあります。これからの活動が本当に楽しみです。135度にあるチームですので、関東とはまた違った味を出してくれると思います。今後は北海道や東北、中部、中国、四国、九州にも神社巡りサークルができればよいと思います。自然に任せていれば、きっと1年後にはまたどこかの地域で、サークルが発足していることと思います。そして、また今回の中矢代表と一緒に巡るツアーで、合流するのも楽しいことだと思います。

 今日はこれから赤城に行き、キャベツの定植をします。野菜が気がかりですが、研修生のAさんとIさんが頑張ってくれたので、きっと大丈夫です。風も爽やかになってきました。いよいよ秋本番に向けて、野菜作りも秋仕様です。今日もはりきっていきたいと思います。

 

 

 


135度線の聖地・神社を巡るバスツアーから帰りました

2011-09-25 22:01:23 | 日月神示の実践

 9月23日から25日まで、日本弥栄の会主催の「135度線の聖地・神社を巡るバスツアー」が開催されました。23日の午前9時に京都駅集合でしたので、前日の22日に京都に泊まることにしました。関西以外からの参加者はほとんどが、京都に前泊したそうです。

 京都の出雲大神宮や亀岡と綾部にある大本の聖地、籠神社、真名井神社、皇大神社にも参拝させていただくことができ、とても有意義な3日間でした。普通のツアーではまず行くことができないような神社に行くことができ、とても満足のいくツアーとなりました。北海道から九州まで全国から55名の弥栄の会会員さんが参加されました。初めて会った方が60%くらいでしたが、その方たちともまるで昔からの知り合いのように、すぐに打解けて楽しく話しをすることができたのは不思議でした。今まで国内、海外の旅行や視察の中で、私にとっては最も充実して、楽しいツアーとなりました。こんな「夢」のような研修旅行は生まれて初めてでした。現実なのに、余りに楽しすぎて、まるで「夢」のような3日間でした。3日目の今日の午後からは、皆さんとお別れするのが、とても名残惜しく、少し寂しい感じがしました。関東の皆さんとはいつでも会えるのでいいのですが、北海道や北陸、近畿、九州の皆さんとは今度いつ会えるかも分かりませんので、何となく淋しい心境になってしまいました。皆さんも同じように感じていたようでした。

 今回は得るものがとても大きく、そして多くの皆さんと心が通じるお話しすることができ、とにかく楽しく充実した旅でした。また京都や兵庫、大阪、奈良などの135度の地域が、今後世界の中心になることを実感するツアーとなりました。詳細は今後、徐々にお話ししていきたいと思います。最後は明石の「魚の棚」で皆さんと分かれ、一路帰路に着き、21時前に無事自宅に戻りました。普通は旅行代理店に全てお任せのツアーですが、今回は全て日本弥栄の会さんが企画・実行してくださいました。かゆいところに手が届く、正に心温まる120点のツアーでした。皆さん、最高だと口々に言われていました。そして、陰でご苦労されたスタッフの方々へ、何度も感謝の言葉を伝えていました。こういう旅ならまた行きたいと本心から思いました。ありがとうございました。

 

・次期文明の中心の国は日本の関西になる


「反原発集会に6万人集結:国民の危機感が高まっている証拠か」新ベンチャー革命より

2011-09-20 20:46:53 | 政治・社会

 <新ベンチャー革命より記事転載>

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反原発集会に6万人集結:国民の危機感が高まっている証拠か 
 
1.反原発集会に6万人も集結 
 
 本ブログ前号(注1)にて、国民のマスコミ不信問題を取り上げました。この問題は今後も尾を引く兆しがあります。それは、2011919日に東京・明治公園にて行われた反原発集会になんと6万人も国民が集まった事実に関するマスコミの報道姿勢に見られます。
 
 テレビニュースや新聞は一応、報道していますが、その扱いは非常に小さいものです、できれば報道したくないという姿勢がミエミエです。その中で、英字新聞のジャパンタイムズ紙2011920日号のトップに掲載された集会の航空写真には驚きました。ものすごい数の人が集まったことがわかります。このところメーデーなども盛り上がりがなくなっている中で、マスコミの応援なしに、これほどの人を集める集会は非常に珍しいと思います。
 
 この集会はノーベル賞受賞の大江健三郎氏などの立ち上げた『さよなら原発1000万人アクション』(注2)の主催したものです。
 
 この集会主催者の事務局は御茶ノ水の総評会館にありますから、原水禁(注3)系の団体のようです。つまり旧日本社会党系団体です。
 
 原水禁は、日本における原爆反対勢力の中核で、当然、原発や核燃サイクルにも反対であり、悪名高い日本の原発マフィア(産官学の原発推進派および政官財の原発利権者)の天敵です。
 
 原発推進派の学会である日本原子力学会も919日に、北九州市にて3.11事件後初めての全国大会を開いています。マスコミの扱いは、上記、反原発集会より、原子力学会の扱いの方が大きいという印象でした。
 
2.マスコミが無視したにもかかわらず、反原発集会に6万人も集まったのは驚異
 
 上記、9.19反原発集会の特徴は、マスコミの協力なしに6万人も動員した事実にあります。恒例のメーデー4万人台の動員数を上回るほどです。メーデーの場合、全国の官民労組活動家が動員されますが、今回の反原発集会に集結した国民は自発的参加だと思われます。この日は三連休の最終日だったにもかかわらず、遊びより、集会参加を優先した人たちがこれほど多いとは、何か大きな国民意識の変化を感じます。
 
 いずれにしても、国民の原発マフィアへの怒りがいかに大きいかを物語っています。
 
 東電を筆頭に原発推進関係者は国民の怒りがいかに大きいか、肝に銘じるべきです。
 
3.新安保時代が再来するのか
 
 上記、9.19反原発集会の大盛況から思い出されるのが、現在より半世紀前の60年代の安保闘争時代です。
 
 今回の集会を主導した大江健三郎氏は紛れも無く、安保世代の人物です。同氏は9.11集会の壇上に立って、50年前の記憶が蘇ったはずです。
 
 今、若者中心に60年代と同じような危機感が芽生えているような気がします。
 
 60年代安保世代の危機感とは、簡単に言えば、当時の岸信介・自民党政権が日米安保条約締結を強行し、日本が米国の属国となって再び戦争に巻き込まれるのではないかという危機感でした。安保世代は、50年代、在日米軍が朝鮮戦争を始めたのを見ていますから、その危機感は切実だったのです。
 
 当時の若者は、現在と大きく違って、極めて反米的であり、在日米軍を敵視していました。当時の若者の勘に狂いはなかったのです。彼らの危惧したとおり、50年後の現代日本は、日米安保条約に縛られ、米国の属国に堕しています。当時の若者が口にしていた米帝(米国帝国主義)という対米観は、本ブログにおける米国覇権=米国戦争屋という対米観に近いものです。
 
なお、上記、米国戦争屋およびそのロボット・悪徳ペンタゴン日本人の定義は、本ブログのNo.225の注記をご覧ください。
 
4.安保世代以降の日本人は米国に懐柔された
 
 戦後日本を支配する米国戦争屋ジャパンハンドラーのすごいところは、60年代安保世代の過激な反米運動を観て、日本国民を露骨に弾圧せず、巧妙な懐柔策を採った点です。その結果、日本国民の反米感情が緩和されたのみならず、大量の悪徳ペンタゴン日本人(親米日本人、厳密には米戦争屋ジャパンハンドラーに操られる日本人)が発生しました。
 
 米戦争屋は、属国日本に在日米軍を配置する関係で、日本列島に同居する反米日本人による対米テロ攻撃を嫌った結果、日本人への懐柔策(ソフトパワーの適用)が採られたのです。
 
5.近年、米国戦争屋の対日懐柔策への反動が出始めた
 
 米戦争屋ジャパンハンドラーは、2001年に極め付きの対米隷属・小泉政権誕生に成功し、以来、米戦争屋の対日介入が露骨になっています。しかしながら、その反動にて、2009年、政権交代が起きてしまいました。そして、小沢・鳩山政権というアンチ米戦争屋政権が誕生したため、あせった米戦争屋は悪徳ペンタゴン日本人を総動員して、小沢・鳩山政権を潰すと同時に、ジャパンハンドリングを一層強化してきました。その結果、米国ジャパンハンドラーに操られる悪徳ペンタゴン日本人の反国民的行動が際立つようになってきました。
 
 とりわけ、悪徳ペンタゴン検察とマスコミによる小沢・鳩山コンビの追い落としは露骨で異様であったわけです。そして異様に執拗な小沢失脚工作を通じて、政官財とマスコミに蔓延する悪徳ペンタゴン日本人がその正体を国民に見せつけたわけです。
 
 そこに3.11原発事故が発生、有事対応を通じて、米戦争屋の威を借りる悪徳ペンタゴン日本人エリートの反国民的行動が国民の目に余るようになったのです。
 
 3.11原発事故が起きた後、国民は、日本における原発マフィアの存在に気付いており、彼らからとんでもない目に遭わされたと感じています。そして、この国民の敵・原発マフィアと露骨な小沢失脚工作で正体を見せた悪徳ペンタゴン日本人が同じ穴のムジナ、すなわち、両者、国民の敵であると認識し始めているのです。
 
6.原発事故を契機に、国民意識に変化の兆し
 
 9.19反原発集会の盛り上がりから、国民意識の変化の兆しを見ることができます。
 
 これまで政治に関心の薄かった国民が、ネットで情報を得るようになり、まず、マスコミの偏向と異変に気づいたわけです。次に国家が危機に瀕しているのに、政治家も官僚も国民の方を向いていないことに気付いています。そして、国民の選んだ政治家は期待に反して自己保身に汲々としており、官僚とマスコミに翻弄されていることにも気付いています。
 
 このまま、政治を彼らに任せたら、とんでもないことになりそうだと気付き始めています。
 
 三連休にも浮かれず、9.19集会に6万人も集まったのは国民の危機感が高まっている証拠です。
 
1本ブログ No.450フジテレビ抗議デモ:韓流偏向に留まらず、国民のマスコミ不信の爆発とみなせる2011919
 
注2:さよなら原発1000万人アクション 
 
注3:原水爆禁止日本国民会議、ウィキペディア参照
 
ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm

テックベンチャー投稿の過去ログ 
 
 
<転載終わり>
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 9月19日の脱原発集会に6万人もの人が集まったのには驚きましたが、テレビや新聞でほとんど報道されないことの方がもっと驚きました。マスコミや国、原子力村の人間にとって、余程このデモが迷惑だということが判ります。せっかく原発という金の成る木を育てたのに、福島原発事故くらいで廃棄にされてたまるか、ということでしょうね。あと3年も経てば、忘れやすい日本人は忘却の彼方だろうから、今は神妙にしていよう、というところだと思います。このままだと、彼らの思惑通りになると思います。
 
 原子力村や国としても、このように6万人も集まる大規模なデモが頻発する状況は、とても厄介なことだと感じていると思います。確かに60年安保や70年安保闘争は、国の方向性に大きな影響を与えたので、今回のような脱原発デモがそのように成長することを危惧しているはずです。
 
 9月6日、7日と中矢代表と共に福島各地の線量を計測しましたが、いくつかのことが判りました。先ず、福島に誰も来ないということです。磐梯熱海温泉に泊まったのですが、旅館には私たちしか泊まっていませんでした。また、郡山市から田村市を通って、葛尾町、浪江町まで行きましたが、すれ違う車も少なく、休業している飲食店も多かったです。昼食を摂ろうということで、お店を探したのですが、地元の蕎麦屋や郷土料理などが全くありませんでした。30Km走っても地元の料理を提供する店が見つからず、仕方が無いので「かっぱ寿司」に入ることになりました。これには参りました。まさか福島まで来て、東京や埼玉のチェーン店で昼食を摂ることになるとは思ってもみませんでした。寿司自体は悪くなかったですが、福島名物を食べる予定でしたので、ちょっと期待外れでした。
 
 次に原発から半径20Km~30Kmの田んぼや畑では、作付けを行っていないため、草ぼうぼうになってました。たとえ米や野菜を作ったとしても、福島産=放射能汚染ということで
買い手がいないということで、作っていないと思います。米や野菜を栽培している農家もいましたが、少数でした。
 
 三番目に、福島県は全て放射能汚染されていると思っている方が多いと思いますが、実際に福島に行って、各地をガイガーカウンターで計測してみると、全然違っていることが判ります。原発20Km地点では、空中で最高が2.5μSvくらいでした。4月に浪江町の同じ場所で計測した時には、6.75μSvでしたので、かなり下がっていることが判ります。この件に関して、高島ヤス先生は海に放射性物質を流し続けているため、空気中は軽減されていると言われていました。多分海に流しているということと、「特攻隊」と呼ばれる原発の最前線で作業をしている人たちの懸命な努力のお陰で、改善されたと考えられると思います。
 確かに原発から20Km地点は2.5μSvありましたが、25Km地点 では0.3μSvくらいですので、かなり低い数字になりました。30km地点では0.1~0.15μSvでしたので、東京と変わらない数字でした。このように、原発から30km離れていれば、東京や埼玉と同じということです。福島県全てが汚染されているわけではなく、汚染されていない地域の方がずっと多いというのが、真実です。30km離れた地点では、地表でも0.1~0.15μSvですので、東京と全く同じということが判りました。ただ、浪江町のホットスポットでは、1ヵ所だけ地表で27μSvを計測しました。空中は2.5μSvでした。
  このように、福島県は安全な地域が相当多いですので、福島が全て放射線で汚染された死の町ではないということです。毎年、健康診断や人間ドックで、平気で胸部レントゲン写真を撮っているなら、一度福島に来て、各地を計測して欲しいと思います。そして地元の人に鼻血が出ている子供がいるか聞いて欲しいと思います。JTBや近畿日本ツーリストなどの旅行代理店は、福島のツアーは一切組んでいないとのことです。旅館やホテル、飲食店などは次々に倒産しているそうです。政府の保障については話しも進んでいません。これでは経営は続けることはできません。真実を追究する人が最近は多くなっています。自分が真実や真理の探究を目指すのであれば、一度福島に行って、現地を見て欲しいと思います。それが一番の支援だと私は思います。原発20Km地点の機動隊のバリケードから300mくらいの至近距離に、「副島隆彦学問道場」の施設がありました。副島さんは原発推進派だとか言われていますが、とにかく至近距離に施設を構えるということは、誰でもできることではないと思います。
 
 そもそも低線量被爆は健康に害があるかどうかの理論自体が、立証されているわけではなく、あくまで仮説です。害があるかも知れないし、害などないかも知れないというのが現状です。これが根本的な問題ですので、今後は多方面から検討されるべきだと思います。
 
 
 
 
 
 
 

「脱原発が第二の福島を生み出さない唯一の方策」 植草一秀氏

2011-09-20 19:11:06 | 政治・社会

<知られざる真実より記事転載>

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脱原発が第二の福島を生み出さない唯一の方策

本日、9月19日、東京の明治公園で「さようなら原発」5万人集会が開かれる。
 
さよなら原発1000万人アクション
 
さようなら原発 5万人集会
 
日 時:9月19日(月・敬老の日)
    13:00~ライブ  
    13:30~集会
    14:15~パレード
会 場:明治公園
交 通:JR「千駄ヶ谷」下車5分
    /地下鉄大江戸線「国立競技場」(E25)下車2分
    /地下鉄銀座線「外苑前」下車15分
内 容:オープニングライブ  寿
発 言:落合恵子さん/大江健三郎さん
    /内橋克人さん/鎌田慧さん
    /山本太郎さん/武藤類子さん
   (ハイロアクション福島原発40年実行委員会)
ライブ:ランキン・タクシー、ナラカズヲ

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米国スリーマイル島原発事故、ソ連チェルノブイリ原発事故、東電福島第一原発事故は、原子力が人類には制御不能であることを証明している。
 
 原発事故の特徴は、ひとたび大事故を引き起こせば、このかけがえのない地球の生命体としての活動を、未来永劫にわたって麻痺させてしまうことにある。
 
 二酸化炭素が地球の温度上昇をもたらすとの根拠の不明確な命題を信じて、二酸化炭素排出を抑制しようという敏感さを持つ人々は、その不確かな活動に力を注ぐ前に、脱原発運動に精力を注ぐべきである。
 
 原子力事故がいかに制御不能であり、人類、生命体、地球の論理、倫理に反しているかは、誰の目にも明白であるからだ。
 
 福島第一原発の事故を目撃して、なおかつ原発推進の旗を振る人間は、感性を失っているか、原発マネーに毒されているかのいずれかである。
 
 本来であれば、日本全体の原子力発電所の稼働をすべて停止し、想定されるすべての自然災害に原発が耐え得るかどうか、厳格なテストを経たうえでなければ、再稼働は認められないとするのが正しい対応である。
 
 そして、想定されるすべての自然災害を踏まえ、なおかつ、必然的に発生する人為的過失の発生確率を踏まえたときに、それでもなおかつ、重大事故発生の確率をゼロにまで引き下げることは不可能であることを認識し、脱原発を確定するしか、本来進むべき道はない。

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原発を推進する者がいるとして、その可能性を、感性を失っているか、原発マネーに毒されているかのいずれかと記述したが、可能性としてはもう一つある。核武装を目論む人々が、そのために原発を推進しようとしていることだ。
 
 この代表者が石破茂氏である。石破氏はやはり、単なる軍事マニアではなかった。核武装論者だったのだ。
 
 暴力団を廃絶するために、暴力団関係者と親密な接触を持つ者を、暴力団構成員に準じる取り扱いをしようと警察が躍起になっている。
 
 これとの比較で言うなら、核兵器推進の立場を示す人間を危険人物として取り扱うことを検討するべきだろう。
 
 日本は世界で唯一の核爆弾の被爆国として、核廃絶運動の先頭に立つべきである。核を拡散させ、原発ビジネスを拡散することは、人類にとっての脅威である。
 
 原子力ビジネスは年間3兆円を超すビッグビジネスであるから、原発マネーに目がくらむ人々は、原発ビジネスを温存しようと、血眼になっている。
 
 言論人のなかでも、ひたすら原発ビジネスの温存を主張する輩が存在するが、カネの亡者か、さもなくば、ものごとの軽重を理解できない未熟な人々である。
 
 短期の利害得失ではなく、長期の地球生命を考慮して考察するべき事項であるからだ。

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「さようなら原発」一千万人署名市民の会は、3月11日の東日本大震災により引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、脱原発のために1000万人の署名を集めることを目標に展開されている運動である。
 
 この運動の一環として、本日9月19日(月)に上記要領で、東京の明治公園で5万人規模の集会を開くことが呼びかけられている。
 
 集会は内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔の各氏によって呼びかけられた。
 
 これに呼応する形で「さようなら原発1000万人アクション」が署名活動とともに日本全国にひろがり、大きな動きとなりつつあるとのことだ。

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この地球上にはカネよりも大切なものがある。カネでは手に入れることのできない、かけがえのないものがある。
 
 東電福島第一原発の事故で、どれほどのものが失われたのかを考えてみたことがあるか。
 
 福島に生まれて
 福島で育って、
 福島で働いて、
 
 福島で結婚して、
 福島で子どもを産んで
 福島で子どもを育てて、
 
 福島で孫を見て
 福島でひ孫を見て
 福島で最期を過ごす。
 
 それが私の夢なのです。
 
の言葉を総理大臣が絶叫したところで、第二、第三の福島を生み出す道をせん滅しない限り、国会演説もただの言葉の羅列、人気取りのパフォーマンスに過ぎないことになる。
 
 野田佳彦氏が、福島の女子学生のこの言葉を重く受け止め、こうした郷土に対する市民の熱い思いを大切にするなら、二度と、福島と同じ過ちを、絶対に日本で引き起こさないための、万全の方策を示し、実行することだ。
 
 それは脱原発を決定し、実行することである
 
 その方策を示すこともなく、この言葉を引用したところで、何の意味もない。巧言令色鮮し仁だ。
 
 野田佳彦氏の行動は、経団連の要求丸呑みのものだ。経団連の要求は、原発、法人税、TPPだ。脱原発経産大臣を辞任させ、法人税減税を強行し、11月のAPEC会合に向けて、TPP参加表明を行うとするなら、この首相は悪の代理人である。
 
 脱原発、反法人税減税、反TPPこそ、正しい対応である。

 

 

<転載終わり>

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昨日脱原発を訴え、明治公園で集会とデモが開催されました。私の知り合いの日本弥栄の会の会員さんも参加したとのことでしたが、残念ながら私は仕事で参加できませんでした。マスコミではこの集会やデモのことはほとんど報道していませんので、一般の国民にはあまり知られていないようです。

 

あれだけの大事故を起こしておきながら、国は今でも新たに原発を作ろうとしています。日本の原発事故を見て、ドイツやイタリアは脱原発に舵をきりましたが、本来は日本こそが脱原発を決めるべきだと思います。

 

福島原発半径20Kmに住んでいた方々が、昨日ようやく自宅に4時間だけ戻ることができたそうですが、自分の家に住むことができないことがどれほど苦痛なことかは、東電や原子力村の人間には全く分からないと思います。金のためなら犠牲も必要、と考えている人間に、脱原発を納得させることはできません。このような集会やデモという手段しか、私たち国民には残されていないのかも知れません。このまま原発事故は風化し、人々から忘れられていくのかも知れません。そして原発は何も無かったかのように、動き続けるのだと思います。原発を止めたほうがいいと考えている国民と、原発を継続稼動させた方がいいと考えている国民の、本当の割合を知りたいものです。私の周りの人は90%くらいが脱原発ですが、実際はどうなんでしょうか。新聞のアンケートはいい加減で信用できません。最近はアンケートすら実施していませんが。

 

先日も中矢代表と福島に行き、原発の周辺や更にその周りを見て廻りましたが、誰も居ませんでした。4月に行ったときにも誰も居ませんでしたが、放射能を計測している弘前大学の車や大阪ナンバーの車は居ましたが、今回は警察車両ともう1台しかすれ違いませんでした。誰も居ない町や村です。畑は全く作付けしていないため、草ぼうぼうです。田んぼも草ぼうぼうです。福島の野菜を作っても誰も買ってくれないからだと思います。その畑や田んぼを見て、何とも寂しい気持ちになりました。

原発から25Kmくらいのところでは、4月のときより線量は半分くらいに減っていました。更に40Kmくらい離れている磐梯熱海ですと、線量は0.1~0.15μSvですから、東京と同じでした。原発から半径40Km以外は、東京と同じ線量ですので本来は安全なのですが、磐梯熱海温泉の旅館でも私たち以外は誰も泊まっていませんでした。このままでは宿を閉めざるを得ないとオーナーは言われていました。保障についても全く進んでいないとのことで、これでは泣き寝入りになってしまいます。東電も政府も無責任ですから、旅館をはじめ福島県の保障対象は、すぐに対応すべきですが、半年近く経っても何も進んでいません。このような悲劇を二度と起こさないためにも、脱原発は急務だと思います。

 

 

 

 

 

・知られざる真実

 


『経済が破綻したらどうなる?』~1.戦後日本のハイパーインフレ時はどうだったの?~

2011-09-16 07:23:11 | 日月神示の実践

<「金貸しは国家を相手に金を貸す」より記事転載>

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『経済が破綻したらどうなる?』~1.戦後日本のハイパーインフレ時はどうだったの?~

米国債デフォルト→世界中の国債が暴落すると、まずパニック買いや銀行取付騒ぎが始まり、デフォルトから1~2週間で預金封鎖が強行される(但し、ex月50万円までは引き出し可)。
国債暴落とは貨幣価値の暴落と同義であり、あらゆる物価が2倍→3倍→5倍と跳ね上がっていく。この超インフレ状態が、1~2ヶ月続くだろう。
『経済予測2 超インフレと預金封鎖で旧紙幣は紙屑に。狙いは新紙幣配給による経済のリセット』

 
>過去経験したことがない全世界的な経済破局が、しかもそう遠くない将来(遅くとも数年以内)に起こることは、どうやら不可避のようです。
  
>経済破局が起きたら国民の生活はどうなるのか、国家はどういう政策を打ち出すのか、過去の事例を研究していくところから出発して、その事態を冷静に乗り越える準備をしておきたいと思います。
新シリーズ「経済が破綻したらどうなる?」プロローグ 
       
シリーズ第1回目となる今回は、『戦後日本のハイパーインフレ』を研究したいと思います。
 
top.jpg
画像はコチラからお借りしました。     
 
戦前・戦後(昭和20年前後)は日本も物価高騰(ハイパーインフレ)に見舞われました。
さて、どのような状況だったのでしょうか??
  
      
続きへ行く前に m024
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◆状況 
 
ハイパーインフレ 日本の戦前戦後の状況2 物価はどうなったのか?』より
※一部引用者によって要約させていただきました<(_ _*)>

・昭和9~11年
戦前安定期の最後。
 
・昭和12~19年
戦時中。この間、普通なら戦時インフレで相当物価が上昇するはずですが、価格統制・配給制・国債発行などの政策で何とかインフレを防ごうとする。しかし、闇市場の発達で、結局は2.5倍ぐらいに上昇しました。実際のハイパーインフレは18年末から始まったと見るべきでしょう。
 
・昭和20~21年春
終戦前後の期間。B29による焼夷弾空襲によって全国の都市は焼け野原。さらに本土決戦準備のために軍が大量の物資を発注。これによりインフレが発生します。
しかも終戦後、国民は生活の為にそれまでの貯蓄を下ろしにかかり、さらに何をとち狂ったか、政府が軍発注物資の代金を一挙に払ったため、一度に通貨供給量が増えて強烈なインフレになります。庶民は持っている物を少しずつ闇市で売って暮らす「タケノコ生活」。それでも空襲よりはよほどましです。

 
 
◆財政状況
 
☆通貨流通高のグラフ
通貨流通高、日本銀行券(紙幣)+政府紙幣+補助貨幣(硬貨)の市場流通合計金額です。要するに国内にどれだけの現金が流通しているかのグラフです。
  
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画像はコチラからお借りしました 
     
>戦争の為に政府が民間から物資・労働力を調達すると、民間に大量のお金が流れ、それがインフレを引き起こします。そこでインフレを防ぐために、政府にお金が戻ってきて通貨流通量が増えないようにする政策が、国民に国債を買わせると言う物でした。
 
>終戦によってこの政策が取れなくなると、国民としては苦しい生活を何とかするために、一斉に貯蓄を引き出そうとしますから、極端に通貨流通量が増えることになります。こうして戦後のハイパーインフレが起きたわけです。
『日本の戦時債券』より
 
    
◆物価
 
☆東京卸売り物価指数グラフ
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画像はコチラからお借りしました
    
絶対的な物不足の中、生産量を上げるためにお金を供給し続けた結果、ハイパーインフレが起こりました。それでは具体的に主要品目の価格がどうなったのか?見ていきます m034
 
   
◆エネルギーと食料価格               
 
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画像はコチラからお借りしました
   
17~18年間で白米は272倍、塩300倍、ガソリン360倍・・・急速に物価が上昇しています。続いて当時の食料自給率を見てみましょう Very Happy
 
    
◆国民生活
ハイパーインフレの状況下、物価統制、配給制で、都市部の国民はほとんど食料を手に入れることができませんでした。都市部の国民は公定価格の数倍にもなる闇市の闇値で、食料や生活必需品を手に入れていました。
  
【闇 市(青空市場)】とは・・・
不良在日外国人(第3国人)や戦争の引き上げ者、愚連隊などが、非合法のマーケットを作ったのが、闇市の起こりとされています。
ヤクザたちばかりではなく、多数の一般民もおり、生きるために必要な食料を手に入れる場としてにぎわっていました。また、ヤクザたちが闇市の治安維持の役割を担っていたという見方もあります。余談ですが、アメ横や新宿などの繁華街が、昔は闇市だったというのは驚きですね(◎o◎) m034
敗戦後、焼け跡の街頭に生まれた闇市は、金さえあれば、何でもあり、並べる傍から飛ぶように売れた。
敗戦の痛手で民衆の食糧難はすさまじく、闇市ではとくに食べ物の売り場が活気を呈した。こめは軍靴、軍服、軍隊毛布などが放出された戦争中から、政府の管理下にあり、自由販売はできなかったが、農村からかつぎ屋が取り締まりの網をくぐって運んできた。
ふかし芋から、カストリ焼酎、衣料、軍需物資などなど、どこから流れてくるのだろう。闇屋の多くは復員兵だった。最盛期の「青空市場」は全国で17,000を数えたという。
昭和20年10月警視庁は闇値を発表。米1升標準価格53銭のものが70円に、砂糖1貫匁標準価格3円75銭が1000円もした。
東京では新橋、上野、新宿など鉄道のターミナル駅の周辺に大きな闇市ができ、そこを舞台に新しいヤクザ組織が生まれた。
1950(昭和25)ごろから、闇市は次第にバラック建ての商店にかわり、戦後の盛り場のもとになつた。
『94才のホームページ』
  
昭和21年の初任給(大卒)は540円でした。(リンク)一家でお米5kgを食べるとすると231円となり、お米だけで家計の半分以上!普通の人は大卒よりも更に給与が低かったと考えると、かなり苦しいですね。 Embarassed
 
  
<当時の闇市での売り手の声>
売れはしたが
平成14年12月25日朝日新聞掲載
終戦後の東京はそこここに闇市が立った。
生活物資に飢えていた大衆はいかがわしい物でも、
みんな飛びついたものだ。夫は戦争中、大手の石鹸会社に勤めていたので、せっかくの知識を生かして石鹸を作り売ろうと計画した。
乏しい材料を使って何とか石鹸らしいものが出来上がった。
もちろん今のような滑らかさはないが、薄茶色の棒状の石鹸が幾本か完成した。
一本だけ残してあとは普通のサイズに切り分け、かねて調べておいた新宿辺りで売ったらしい。
値段は忘れたが、瞬く間に売り切れて、夫はえびす顔で帰ってきた。
翌日、その石鹸を取り出した私は仰天した。
何とあのみずみずしかった石鹸にしわが出来ている。
使ってみると、泡も立たず、汚れも全く落ちない。
次の日、その次の日と石鹸は小さく硬くなり続け、ついには、えたいの知れない物体と化してしまった。私は震え上がった。
電話が鳴る度に顔を見合わせた。電話も普及しておらず、苦情を言おうにも、
どこの誰かが売ったのか分かるわけもなかったのにと、後で気がついたが、あの石鹸買った人、ごめんなさいと今でも忘れられない。
東京都江戸川区  金井 幹子  85歳
『声』

  
<当時の困窮した消費者>
敗戦の年である昭和 20 年 ( 1945 年 ) は、天候不順、戦争による労働力不足、粗末な農機具、そして肥料や農薬生産の減少により、米の収穫は例年より 40 パーセント 近くも減少し、明治 43 年 ( 1910 年 ) 以来最悪の不作の年となりました。
しかも敗戦により官僚の統制力が失われ米の集荷も機能せず、農民は収穫した穀物を政府に供出せずに闇の ルート に品物を横流しした結果、配給米が底をつきました。10 月初旬、農林大臣は東京都の備蓄米 ( それも大豆や豆かす入り ) が僅か 3 日分しかないことを知り、驚きました。
大藏大臣は U P 通信社に対して食糧がすぐに輸入されなければ、 1 千万人の日本人が餓死するであろうと述べましたが、この誇張された数字は、その当時間違いないものと受け止められていました。
昭和 20 年末から 22 年 ( 1947 年 ) にかけて日本の食糧事情が極度に悪化して、命の綱の食糧配給も、遅配、欠配が続き、日本政府も前述の如く、 餓死者が出ることを予想した ほどでした。
東京都についていえば、食糧の遅配、欠配が慢性化して、昭和 22 年 6 月には食糧配給の欠配が 30 日にも及びました。その為どこの会社でも従業員は生産よりも生きる為に日々の食糧確保に精一杯で、日本電気 ( N E C ) の三田工場では昭和 21 年 5 月の出勤率は 8 割に満たない状態でした。
『ズルサ』

ちなみに、昭和21年5月19日には、食糧不足に悩む「米よこせ デモ」の デモ隊員が皇居内に乱入する、「食糧 メーデー」が起こりました。
当時の困窮ぶりが伝わってきますね。
 
そういえば、当時は現在に比べて食料自給率が高かったはず・∀・!
ということで、最後に食料自給率と農業従事者数の推移をデータで見てみましょう(*´∀`)ノ☆+゜
 
  
◆食料自給率
 
☆日本の食糧自給率の推移 
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画像はコチラからお借りしました
     
☆日本の農業従事者の推移
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画像はコチラからお借りしました
  
昭和35年(1960年)は食料自給率(カロリーベース)が79%あり、農業従事者も総就業者数の内半数近くを占めていました。食料自給率は高くても、そもそも戦後ということで米の全量が足りなかったゆえに困窮していたのですね。
また、食料自給率40%を切り、農業従事者も10数%という現在、破局が訪れたら、当時の混乱を上回ってしまうかもしれないなぁと感じました m240
 
 
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以上、戦後のハイパーインフレを振り返ってみました。
次回はこのハイパーインフレ対策として行われた預金封鎖、新円切り替えについてご紹介します♪♪
ご期待くださ~い m072 m034

<転載終わり>

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 2008年から朝倉慶さんの著書を4冊ほど読みました。朝倉さんは一貫して、日本はハイパーインフレになると言われていますが、今の日本は20年間デフレが続いているので、ハイパーインフレになるなどと考えている人は少ないようです。先月朝倉さんの「2012年 日本経済は大崩壊する」を読みましたが、それによると2012年に日本経済は国債が大暴落し、通貨である円の価値の失墜、そしてハイパーインフレになると言われています。

 ハイパーインフレという言葉はよく耳にする言葉ですが、実際ハイパーインフレになるとどうなるのかを具体的に説明している著書やサイトは意外と少ないです。まるで国民に知られてはマズいのかと思われるほどに、ハイパーインフレの情報は少ないです。ハイパーインフレになれば国債が紙切れになるという事実を、国は国民に知られたくないようです。当然紙幣の価値はすさまじく下がりますので、3000万円預金があるから老後は大丈夫と言ってる人も一気に青くなります。

 この記事によれば、昭和17年から18年の1年で、米は何と272倍に暴騰したことが分かります。現在の価格に直して考えれば、10Kgで3000円の米が、81万6千円に暴騰したことになります。1L 140円のガソリンが5万円に暴騰したことになります。「レギュラー、満タン、現金で」と言って40L入れてもらえば、200万円請求されます。そんな馬鹿なことが起こるはずはないと誰もが思うでしょうが、歴史は繰り返さないとも限りません。

 昨日は以前いた会社の人と中野で半年ぶりに飲みました。その人は2008年に金を買っておけばよかったと後悔してました。2008年に私はわずかばかりの金を購入したのですが、その人にも勧めていたのです。でも残念ながら、奥さんに反対されて断念しました。最近奥さんは、あの時金を買っておけばよかったと、後悔していると言ってました。それで、今からでも遅くないので、コインを少しでも買ったらどうかと言いました。金は今後も値上がりするとは思いますが、それよりも紙幣の価値が来年から極端に下がりますので、それを少しでもカバーするためにもコインを勧めました。実際はハイパーインフレなど全く起こらず、相変わらずデフレかも知れませんが、そしたら記念のメイプル金貨だと思って、大事に持っていてもいいと思います。預金のある人がそれをヘッジするために買うのであって、お金を借りてまで投機するのはどうかと思います。欲をかくと、ロクなことになりませんので。また、朝倉さんや副島さんは、プラチナもいいと言われています。

 今月の前半は農業ばかりでしたが、今日はITの仕事で東京タワー近くの赤羽橋のお客さんに行きます。イスラエルの外資の人と一緒に行きますので、二人で早めの昼食を摂る予定です。農園の方は、今日は研修生2名で秋ジャガイモの植え付けをやってもらいます。土日はまた農園に行く予定です。先日の台風にも負けずに、1200本の大根の苗は元気に育っています。会員さんの大根も芽が出てきました。11月の収穫祭には、美味しい大根ができると思います。

 

 

・金貸しは国家を相手に金を貸す


【目前に迫ってきた国債暴落の危機】 岡田淳三郎氏

2011-09-15 06:43:50 | 政治・社会

 

<るいネットより記事転載>

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【目前に迫ってきた国債暴落の危機】

東北大震災と原発事故によって日本は大打撃を受け、GDPは急落し、2ヶ月連続貿易赤字が続いている。当然、円安になるはずである。にもかかわらず、円高が進んでいる。

いったい、円高=円買いを仕掛けている金貸しの狙いは何なのか?

実は、過去にも今回と似たような、おかしな円高状況があった。
それは、'90年バブル崩壊後の円高状況である。バブル崩壊で日本経済は大打撃を受け株価が暴落していったが、その暴落の間5年半に亘って株価下落と反比例するように円高が進んでいった。これは、金貸し勢が日本の銀行や優良企業の底値に落ちた株式を買い占めるために、強力な円買いに入った結果であると見てまちがいない。

「日本の国債はその95%を日本が保有しているので暴落しない」という話をよく聞くが、その話は重大なポイントを見落としている。日本国債を保有している日本のメガバンクは、既に外資(金貸し)に支配されている可能性が高い。とすれば、日本の国債も米欧の国債と同様に、いつでも暴落させることができる。

'95年阪神大震災の後の円高も同様である。震災で打撃を受けて日本の株価が急落してゆくのをチャンスと見た金貸しは、円買いを進めて日本の銀行株・優良企業株を買い占めていった。(なお、阪神大震災もオウムサリン事件も、金貸しの仕業であるという説が、一部には出回っている。大災害を起こして大量の円売りを誘っておいて、買い進めるという寸法である。)

とすれば、東北大震災と原発災害にもかかわらず、円高が進んでいる今回の状況も、同様の構図だと考えられる。
では、今回の金貸し勢のターゲットは何か?

国債の暴落は貨幣価値の暴落と同義である。従って、米国債デフォルトの刻限が迫っているのだとしたら、その前に金貸しは全ての準備を整える必要がある。だから、当然、資源や金(ゴールド)や他の安全な通貨の買いに入るはずであるが、今の所、金貸しが円以外にこれらの買いに入っている兆候は見られない。金や豪ドルは上がっているが、金貸し勢が出動するには市場規模が小さすぎる。原油や鉱石の価格は横ばいで、食糧価格は天候の影響で1~2割程度上昇しているにすぎない。
ここで、「現物価格が上がっていないので、当分デフォルトは無い」と見るのは、決定的な誤りである。むしろ逆で、資源価格が上がらないのは、金貸しが米国債デフォルトに向けて、既に数年前に石油・鉱石・食糧を牛耳る企業群の支配を終えているからである。

したがって、今回の原発事故以降の円買いは、米国債デフォルト→米国債暴落→世界中の国債暴落という経済破局にむけた最終局面の動きであると考えられる。
その狙いは何か?
どうやら金貸しにとっては、日本の国債だけが暴落しないという状況は都合が悪いらしい。とすれば、金貸し勢は、世界中の国債暴落=旧紙幣価値の崩壊を計画していることになる。したがって日本国債も同時に暴落させる必要がある。
そのための日本国債買い、それこそが金貸しの狙いであり、不自然な円高の理由であろう。

実際、短期国債市場では、数ヶ月続けて外資による毎月50兆円の買い越しが続いている。それだけの短期国債を買い占めていれば、短期国債を暴落させることで、(もともと彼らが支配しているメガバンクが所有する)長期国債をも暴落させることは可能である。

米国債暴落を皮切りとする、世界中の国債暴落→貨幣価値の崩壊という形での経済破局の時期が迫っていると見て、まちがいないだろう。
そして、日本国債をも暴落させようとする今回の仕掛けから見えてくるのは、世界中の国債を暴落させた上で、全世界一斉に新紙幣に切り替えるという金貸し勢の計画である。

<転載終わり>

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 東日本大震災とそれによる福島第一原発事故で日本は大きな打撃をうけているにもかかわらず、何故か円高が進んできています。最近は77円~76円の間で高止まりしていて、多くの日本企業が経営難に苦しんでいます。このような危機的な経済の中、何故極端な円高になるのか、多くの日本人は不思議に思っていると思います。この戦後史上最高値を更新している今の円高が、国際金融資本の戦略の結果という岡田氏の推論は、一理あると思いました。

 日本のバブル崩壊後は、経済が一気に冷え込み、山一証券や北海道拓殖銀行の倒産など、多くの企業が倒産したことは誰でも記憶にあると思います。それと並行して、多くの日本企業が外資に買われたことは誰でも知っていると思います。ハゲタカファンドに乗っ取られた日本企業のテレビドキュメンタリなども多く放送されたので、見た方も多いと思います。

 三菱東京UFJやパナソニック、ソニーなどの日本を代表する企業も20%~30%くらいは外資の資本が入っていると聞きます。オリックスなどは60%が外資ですので、日本企業というのは看板だけということになります。

 国際金融資本が、米国債の暴落から世界中の国々の国債を暴落させ、その後新紙幣に切り替えるという目論見を、現在進行させているという岡田氏の説は、説得力のあるものに思えました。今は日本国債を買い上げ、タマを仕込んでいるということですが、いずれそのタマは発射されるということになるのでしょうか。今の日本は東日本大震災や原発事故を全く修復できていませんが、国民は何故か危機感はそれほど感じていないように見えます。むしろ震災も原発も薄れて来て、のん気な風にも見えます。天災(人災も)は忘れた頃にやって来るというのは、本当かも知れません。

*昨日の赤城農園は、研修生2人と長ネギの植え替えをやりました。途中からカニさんが来てくれて、草刈りをしてくれました。にんげんクラブ全国大会の日からずっと真夏の天気が続いているので、先週定植したキャベツやブロッコリー、大根には気をつけています。この1週間が一番大事なときですので、今日も気をつけて見たいと思います。今日は玉ねぎと秋ジャガイモの植え付けをやる予定です。これから農園に行き、作業に取り掛かろうと思います。

 

・るいネット


にんげんクラブ全国大会で、5000人がひふみ祝詞を一斉に奏上しました

2011-09-12 07:03:12 | 日月神示の実践

 

 9月10日(土)、11日(日)の二日間に亘り、恒例の「にんげんクラブ全国大会」がパシフィコ横浜で開催されました。

 二日とも快晴でしたが、真夏の暑さが戻ってきて、かなり暑かったです。そんな中、全国から延べ1万人以上の方々が横浜に集結しました。40代から60代の方々が多かったですが、20代の方もかなり多くなったなと感じました。関西弁や地方の言葉で話す方も多かったので、全国から集まってきたことが分かりました。

 私は台風の被害にあったひふみ農園の修復と、新月から満月に向かう14日間の最後の二日間で、大根や白菜、長ネギ、ジャガイモの種蒔きをしなければならなかったので、10日は参加を断念しました。佐野社長や岡田多母さん、朝倉慶さんの講演は聴きたかったのですが、仕方ありません。あとで、研修生のAさんやカニさんに内容を聞こうと思います。11日(日)もどうしても白菜と長ネギの種蒔きをしなければならなかったので、朝6時から新人研修生Iさんと一緒に作業を始めました。朝の赤城山の空気は澄んでいて、とても爽やかでした。研修生Iさんは、草津の空気に似ていると言ってました。二人で何とか種蒔きを終えたのが、10時半でしたので、すぐに父親に前橋駅まで送ってもらい、横浜を目指しました。運が良いことに電車の乗り継ぎがよく、14時には会場に着きました。丁度休憩時間だったのですが、会場に着いてすぐにカニさんに会いました。その後八王子のKさんに会い、仙台のIさんからは萩の月をいただきました。その後は久喜のTさんや研修生のAさんなど親しい人と不思議なほど会いました。5000人がブースを見学している中でも、ちゃんと会うべき人とは会うんだなと思いました。最近はそういうことが多いので、みんなそれほど不思議に思っていないようです。どうせまた会うでしょ、という感じです。

 14:40から白鳥さんの講演が始まりました。祈りの力について講演されました。昨年も白鳥監督はにんげんクラブで講演されましたが、この方は数年前に脳腫瘍になったことがあり、それを自らの祈りの力で治したそうです。自分のネガティブな思いも、ポジティブな思いも全て肯定し、まずは受け入れたそうです。そして、西洋医学の範疇の処置は全くしないにも拘わらず、脳腫瘍が治ってしまったという方です。想いは現実化するということの典型です。また、植物は人が思ったり、祈ったりすることで、元気に生長するというデータがあるということです。元気な本葉を出してね、花が実を結ぶようにねと具体的に思ったり、声掛けしたりすると更にいいそうです。昨年ひふみ祝詞を唱えながら小松菜の種を蒔いて、大松菜に生長させた久喜のTさんの事例も、白鳥さんの声掛けと同じことだと思いました。ひふみ赤城農園でも、区画が隣同士なのに、すごく元気に育っている区画と、あまり元気の無い区画があります。あまりに見事な対比で、びっくりします。特に、楽しそうに種蒔きや草取りをしているご家族の区画はとても良く育ちます。目黒のSさんの区画では、メロンがとても良くできました。農業は初めてにもかかわらず、甘さは既存のものより少し控えめですが、とにかく瑞々しく、香りがよいメロンができました。野口の種をネットで買って、蒔いたのですが、Sさんとお子さんの想いがメロンや小豆に通じたようです。新宿のOさんや岩槻のGさんご家族の野菜もとてもよく育っています、特にスイカは瑞々しくて爽やかな味でした。白鳥さんのお話しを聴いて、ひふみ農園で起こっていることの証明ができた気がしました。種蒔きや水遣り、草取りの時にひふみ祝詞を唱えながらやると、とてもよく育つことは何十という事例で、確認しましたが、ただ単にひふみ祝詞を唱えながら作業をするよりも、気持ちを込めてひふみ祝詞をつぶやきながら作業した方が、効果は大きいです。元気な花が咲くといいね、根っこが元気に張れるといいねと思いながら、ひふみ祝詞を唱えると、そのようになってくれます。とてもよく実感できた講演でした。

 15:10からはマヤの預言を研究されている柳瀬さんの講演が始まりました。柳瀬さんのマヤの預言については、にんげんクラブの月刊誌で読んでいましたが、実際にお話しをお聞きすると、天文学に通じると感じました。また、日本は江戸時代までは太陰暦を使っていたことは知られていますが、日月神示に出てくる日付は太陰暦の日付ではないかと言われています。有名な9月8日の仕組は、太陰暦では10月4日だと、中矢代表が言われていました。今まで、太陽暦を使うことに対して、何も疑問や不都合は感じていませんでしたが、柳瀬さんの話しを聞いて、太陽暦は唯物的で独善的な要素が強いと思いました。要は西洋の利己主義です。

 5月からひふみ農園でも、太陰暦に合わせて種蒔きを行っています。「月の満ち欠け」と植物の発芽や生長が関係しているとは、考えたことも無かったですが、テネモスの飯島さんのお話しや、地球家族の資料を読み、農業は太陰暦でスケジュールを組んだ方が、上手くいくのではないかと思うようになりました。そして、ニンジンの種を太陰暦に合わせて、4800粒蒔いて実験をしたところ、新月から満月に向かっている期間に蒔いた2400粒の種はすぐに発芽し、元気に生長していますが、満月から新月に向かっている期間に蒔いた2400粒の種は1ヶ月経っても発芽しないケースも50%もありました。これにはびっくりしました。もう少し実験をやってみないと、はっきりとした結論は出せませんが、今のところ太陰暦通りに進んでいます。にんげんクラブ全国大会で、柳瀬さんの太陰暦のお話しを聴けたことは、今後のひふみ農園の方向性に大きな影響があったと考えています。正にタイムリーな講演でした。

 その後は船井勝仁社長とオオトリの中矢代表の講演が続きますが、今日はもう仕事の時間なので、また後日にしたいと思います。中矢代表のお話しと5000人のひふみ祝詞奏上は圧巻でした。オオトリにふさわしいお話しでした。

 

*全国大会の後、恒例の打ち上げをやりました。といっても、事前に何の連絡もしていませんので、会場でたまたま会った人が集まった飲み会でした。それでも18名の日本弥栄の会会員とにんげんクラブ会員が集まりました。みなとみらい駅は非常に分かりにくい構造になっていて、かなり不親切な街でしたが、何とか空いているお店が見つかりました。すぐにビールを頼んで、「お疲れ様でした!」と乾杯しました。真夏の暑さだったので、ビールが喉に染み渡ります。いい仲間と歴史的な講演会に参加でき、オマケにビールと肉なし料理をいただけるとは、サイコーです。これがミロクの世の雛形の一部だろうと感じました。とにかく変な気を遣わなくて済むのがいいです。反対意見を言われても、カチンと来ないのが不思議です。なるほど、そういう考え方もあるのかと思います。いずれこういう仲間と仕事ができたら面白くて、いい仕事ができるだろうと思いました。次回は10月23日のコルマン・インデックスの講演会でお会いしましょう。(そのあと、また飲みましょう。)