今でもプラス思考に関する書物やセミナー等を散見することがあります。プラス思考さえ身に付けられれば、問題と思われた事柄を解決し得るかのように喧伝されているようです。はたして本当にそうなのか、思い違いがあるのではないかと感じます。

個人に焦点を当てて考えたとしても、ほんとに追い詰められた時に、プラス思考や前向きに考えること等ができるのだろうか。プラス思考しなければならない・前向きに考えなければならないと思い込むことで、逆にストレスを蓄積してしまうだけではないだろうか。

こう思ったとき、洋の東西の違いということがふと頭に浮かんできました。西洋の文明は、自己を確立することが前提となっているように思いますが、東洋には無の文化があります。一切の前提(今まで思い込んでいたこと等)を脇に置いて、一度頭の中をからっぽにしてみる。そうしてから読む・聞くことをすれば、案外素直に「生きた言葉」が沁みこんでくるように思います。
「プラス思考」というのは、どうも西洋的な発想法であるまいかという気がします。頭の中をからっぽにして真摯に見つめ直すということは、自己の確立とは無縁だと思います。おそらく、西洋人にはそれができない、できないからこそ問題を覆い隠すだけの発想になる。

> 本源集団を破壊した私権文明が滅亡の危機を迎えた今日、東洋人の心の底に残る本源集団性・本源共認性は、人類再生の基盤を成すものとして極めて重要になる。中でも、島国ゆえに一七〇〇年前まで掠奪闘争に巻き込まれることなく原始文明を発展させてきた日本人の心の底に残る本源的な共認体質は、極めて貴重である。もし、人類に絶滅を免れ得る資質が残されているとしたら、それは東洋人、とりわけ日本人の心の底に残された、類い稀なる縄文人的精神基盤なのではないだろうか。(実現論2_2_06

東洋の遺産はもっと見直されていいと思います。
 
<転載終わり>
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 プラス思考のセミナーや書物は今でもとても多いです。プラス思考が良い発想法だという認識を持つ人は多いと思います。プラス思考そのものは悪いことではないと思いますが、無理やりプラス思考をするというのはいかがなものかと思います。自然でないものはムリがありますので、良い結果にならないように思います。自然とプラス思考になるのであれば、それはいいことではないかと思います。プラスもマイナスもあるのが人間ですから、プラスだけというのは不自然だと思います。プラス思考の勧めには、「プラス思考すれば得だよ」みたいな損得勘定があるように思います。まあそれも大事ですけど。
 
 自分としては、自然体で自分の奥にある魂が感じることを大事にしています。こういうと難しいですが、感じるままに自然にということです。自分の魂が納得できればいいと思っています。魂の奥には神がおられるように最近は感じることがあります。自分に聞いてみれば、かなり正しい答えが出るように思います。不思議ですが、自分が一番知っているのです。
 
 
 
 
 
 
 
・日本人と縄文体質