日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

忍び寄る金融危機

2023-03-27 19:44:44 | 日月神示関連の情報

<週刊現代より転載>

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100年に一度といわれた金融危機だったリーマンショックから15年。ついに新たなる波乱の芽が見え始めた。

米国のシリコンバレー銀行、シグネチャー銀行などの破綻に続いて、3月19日には経営不安が高まっていたクレディ・スイス・グループが、同じくスイスの金融最大手UBSに買収されることが決まった。これに伴いクレディ・スイスが発行していた「AT1債」と呼ばれる社債(日本円にして約2兆2000億円)が無価値になると発表された。経済産業研究所コンサルティング・フェローの藤和彦氏が解説する。

「金融危機はまだ序の口だと見ています。長期の金融緩和から一転して、米国は政策金利を1年で4%も上昇させました。この影響が出ないと考えるほうが不自然です。 

クレディ・スイスはもともと乱脈経営が知られていましたが、金利上昇で債券などの保有資産が下落し、財務状況の悪化が懸念されて経営危機に陥ったのです」 

金融コンサルティング会社インフィニティの田代秀敏氏も、リーマンショック時の既視感があるという。

「どこかから火が出て、政府が慌てて鎮めるが、最後は手に負えず破綻させてしまう状態になってリセッションに入るという流れです。しかも現在は、あの当時よりもマグマがはるかに大きい。リーマンショック以降、世界は金融緩和をずっとやってきた上に、パンデミックやウクライナ戦争でマネーは膨れ上がっていますからね」 

重要になるのは、今後の米国の金利動向だ。3月は0・25%の利上げが確定しているが、問題は次の5月。インフレが収まらず、さらなる利上げが必要となれば、銀行の破綻は連鎖するだろう。 「米国以上に不動産市場が活況を呈していたカナダ経済では、すでに住宅価格が大きく下落しています。もし米国でも不動産市況が悪化すれば、さらに多くの金融機関が破綻するでしょう」(藤氏) 

5月はただでさえ「セル・イン・メイ(「5月に株を売って夏のバカンスに出かけよう」の意)」といわれ、相場が弱い時期。春の嵐が近いようだ。 

「週刊現代」2023年4月1・8日号より

 

<転載終わり>

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『完訳 日月神示』の「黄金の巻 第五十九帖」の神示はとても有名です。

 『金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世と致すのぢゃ。』

 これは、お金が不要であるという意味ではなく、強欲な資本主義の終焉をさしているのではないかと思います。15年前のリーマンショックで資本主義は大きな打撃を受けましたが、崩壊することはありませんでした。

 資本主義末期になるとバブル発生と崩壊を繰り返すため、近年はその間隔が短くなってきています。2012年頃は第2のリーマンショックが起こり、日本は大不況に陥るという本が多く出ていましたし、ネットの記事でもよく見かけました。最近は不況に陥るという本もあまり見かけなくなりました。

 地震などの天災も忘れた頃にやってくるので、経済危機も皆が意識していない時に来るように思います。リーマンショックのように突然来るのかも知れませんし、ゆっくりと変化するのかも知れません。経済危機は突然来る可能性がありますが、資本主義の崩壊は30年、50年というスパンで変化していくのだと思います。では資本主義の後にはどのような社会になるのでしょうか。それは中矢代表の著書「ミロクの経済学」に書かれていますので、関心のある方は読んでみるとよいと思います。

 

 

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三菱東京UFJ銀が人間型接客ロボを導入 身長58センチで愛嬌ある動き

2015-02-04 20:50:39 | 日月神示関連の情報

<産経新聞より>

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三菱東京UFJ銀行は2日、今春から身長58センチの人間型接客ロボットを首都圏の1~2店舗に試験的に置くことを決め、試作機を公開した。銀行の接客ロボット導入は世界初という。店舗のエンターテインメント(娯楽)性を高めるとともに、業務の効率化にもつなげる。

 導入するのは、ソフトバンクが出資する仏アルデバラン製のロボット「NAO(ナオ)」。肘や膝の“関節”を駆使した愛嬌(あいきょう)ある動きが特徴だ。同行とアルデバランが専用ソフトを開発し、ナオに組み込んだ。

 来店客をカメラで認識。「現金自動預払機(ATM)の場所は」「住宅ローンの窓口は」といった質問を聞き、それぞれに応じた窓口を案内する。

 東京五輪で増えると予想される外国人客の接客もできるよう、英語やフランス語など19カ国語で会話できる機能を持っている。行員を補助する案内係としてデビューさせ、来店客の反応を見極めたうえで本格導入するか判断する。

 同社は、米IBM製の人工知能「ワトソン」を使う取り組みも開始。ロボットの会話力を高めるだけでなく、蓄積した客のビッグデータを資産管理や財務アドバイスなど新たな金融サービスにつなげられるか検証する。

このニュースの写真

  • 三菱東京UFJ銀が人間型接客ロボを導入 身長58センチで愛嬌ある動き
  • 三菱東京UFJ銀が人間型接客ロボを導入 身長58センチで愛嬌ある動き

<転載終わり>

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 三菱東京UFJ銀行は、4月に試験導入する接客ロボット「NAO(ナオ)」(身長58センチ、重さ5・4キロ・グラム)を公開しました。相手の音声や顔を認識し、身ぶり手ぶりを交えながら英語など最大19か国語を話すそうです。

 東京オリンピックに向けて、ロボットが銀行にデビューするそうです。日本人は外国語があまり得意ではないので、ロボットで補完するのもいいと思います。ただ、長典男先生が言われるように、ロボットが人間に反旗を翻すことのないことを祈ります。ターミネーターは映画の中で十分ですが、あり得ない話しではないと思います。

 

 

 

・産経新聞


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ガンは日本文化を素直に受け入れれば治るんです

2013-01-27 22:37:04 | 日月神示関連の情報

<薬屋のおやじのボヤキより転載>

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癌(がん)は、日本文化を素直に受け入れれば治るんです

 

 「みやざき中央新聞」というローカル紙があります。月4回発行で購読料は月1,050円。
 小生は10月から購読を始めました。この新聞、ローカル紙でありながら、地元のニュースはほとんどなく、また、ニュースではなく、心温まる、勇気をもらえる、感動した、といった内容ばかりです。ですから、愛読者は全国に散らばっています。
 
日刊新聞の紙面の大きさで、2ページしかないですが、記事の数は8つ程度でコンパクトにまとめられています。毎号楽しみにしており、届いたら早速全部を熟読するのが習慣となってしまいました。
 興味のある方は、「みやざき中央新聞」で検索なさってください。サンプルページもご覧いただけます。

 さて、その中で、お医者さんから“あなたは助かりっこない”と宣告されたにもかかわらず、心の持ちようでもって、医師の助けを全く借りずに完治した方の講演要旨が3号にわたって記事になっていましたので、それをかいつまんで紹介することにしましょう。

 その方は、株式会社ことほぎ代表取締役:白駒妃登美(しらこま・ひとみ)女史で、久留米市で開催された「和ごころ塾」での講演です。

 女史は、5年前に子宮がんを患い、子宮を全摘出したものの、3年前に肺に転移していたことが発見されました。そして、医師から「こういう状況になって助かった人を今まで私は見たことがない。」と言われてしまいます。

 そこで、女史は生き方を変えます。
 最初は、「がんに打ち勝とう」という“闘病”生活に入ろうとされたのですが、考えてみるに、これは、“毎日「反戦集会」に出ているようなもので、がんをどんどん増殖させるだけのことではないか”と、お感じになられます。
 このことは、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサが、唯の一度も「反戦集会」には参加せず、出たのは全て「平和集会」だったことから、そう気付かれたとのことです。

 伝記本を読むのが好きな女史は、特に好きだった正岡子規の生き様を思い出します。
 <不治の病の病床に就いた正岡子規が見つけた武士道>
 生への執着もなく、諦めもなく、生かされている今という一瞬一瞬を、平気で生きること
 この正岡子規の生き方、つまり、余命幾ばくもないと宣告されたことに対して、「現実を素直に受け入れて、毎日を精一杯生きることに尽きる」、これしかないと思われたのです。
 また、子規以外の歴史上の人物たちの生き方とも向き合っていって、女史は、日本人の日本人たる所以というものに気付かれます。
 ここから先は、「みやざき中央新聞」の記事をそのまま引用します。

 「私は日本人として生まれたのに、なんて日本人らしからぬ、アメリカ人かぶれした人生を生きてきたんだろう」って。そして「今から私は日本人として生きよう」と心に決めたんです。
 そしたら、不思議なことが起きました。毎晩子どもの寝顔を見ながら、不安で不安で泣いていたんですけど、「
日本人らしく生きよう」と思ったら、夜眠れるようになりました。それまでの不安が雪のように溶けてなくなったんです。たぶん、人間が抱える悩みというものは、そのほとんどが過去を後悔しているか、未来を不安に思っているのか、どちらかではないでしょうか。
 でも、日本人というのは欧米人のように、未来に軸をおいて、今を未来のための手段にして生きていくなんて合わない。それより、今自分に与えられた環境やご縁を感謝して受け入れて、そこで出来る精一杯のことをして生きていくほうが合っているんじゃないかと。
 過去の日本人がしてきたように、私も過去や未来を手放し、「今、ここ」に集中したら、不安から開放されたんです。悩みが消えたら、さらに不思議なことが起こりました。
 お医者さんが「明日からいよいよ抗がん剤治療に入りますから、もう1回精密検査をしましょう」とおっしゃって、精密検査を受けたら、なんと幾つもあったがん細胞がきれいに消えてなくなっていたんです。
 私、思いました。
 私は日本人として生まれたのに、ずっとアメリカ人みたいな生き方を目指してきた。私に宿っている日本人の遺伝子はそんな生き方を喜ぶはずがない。きっとスイッチがオフになっていたんじゃないか。でも、私が日本人らしい生き方に気が付いて、今日から日本人として人生をやり直そうと思ったときに、たぶん私の中の遺伝子がとっても喜んでくれたんじゃないかって。
 その結果、遺伝子がオンになって、自分に元々宿っていたけれども、眠っていた生き方が急に発揮されるようになったんじゃないかと。
 たぶん、私たちが「奇跡」と呼んでいる出来事は、あり得ないことが起こることじゃなくて、遺伝子がオンになることによって、今まで眠っていた可能性が急に目覚めて、すごい力を発揮して起こった出来事のことを「奇跡」と呼んできたんじゃないかなって、そんなふうに思ったんです。
 日本人の遺伝子は、おそらくあの『古事記』の時代から組み込まれているんです。だから、日本人としての本来の生き方を心がけたら、きっと私たちの遺伝子はオンになって、皆さんの人生にもすごい奇跡が次々と起きるようになるんじゃないかなって思うんです。
                                                   (了)

 いかがでしょうか。日本には、素晴らしい人生哲学、生き方の文化があるのです。
 そうした哲学的あるいは文化的な心を持てば、“がんと闘う”という気持ちは決して湧いてこず、自然と“がんを素直に受け入れる”という気持ちになってしまい、体の中では「反戦集会」が起こらなくなって「平和集会」ばかりが連日開かれ、何だか分からないうちに、がんが消えてしまうことになるのです。
 このことは、次の過去記事で、がんが自然治癒した例を幾つか挙げましたが、それと相通ずるものがあります。よろしかったら、そちらもご覧ください。
  治癒した人から分かった「ガンを治す心」

 ところで、終わりのほうで『古事記』が出てきましたので、『古事記』とはいかなるものかを少々解説しておきましょう。
(参考文献:萩野貞樹著「歪められた日本神話、武光誠著「日本人なら知っておきたい古代神話」、みやざき中央新聞2490号「古事記に学ぼう:富田欣和」)
 古事記には、ギリシャ、朝鮮、太平洋の島々などで生まれた神話が登場人物の名を変えてそっくり物語られているものもあります(なかには結末を日本風に変えたものもあり)が、当然に日本独自の神話も数多く登場します

 
その中で注目すべきものは日本独自の神話であり、神々の位置付けが諸外国の神話とは大きく異なることです。
 旧約聖書も神話の一種ですが、全知全能の唯一神が天地を創造したとありますし、ギリシャ神話の神々も絶大なる力を持って事を成し遂げます。これに対して、日本神話に登場する神々の弱々しいことといったら、それは神様より人間に近い存在です。
 そして、物語の内容に心温まるものが多いのも日本神話の特徴です。
 これは、世界一自然が豊かで飢餓で苦しむことがなかったでしょうし、島国という立地であるがゆえに他民族の侵略・略奪というものを経験してこなかったという、平穏平和がずっと続いてきた土地柄であったからでしょう。
 例えば、ヤマタノオロチの神話も、“やり方も分からないし、力もないけど、自分が自分の役割を果たせば、自然とご利益が転がり込んでくる”ことを教えてくれている話です。
 こうした心温まる神話の数々でもって日本人の価値観が出来上がり、普段の何気ない行動や生活様式を作り上げているのではないかと思われるのです。
 戦後になって、殺伐とした欧米文化が根深く入り込んだように見えても、日本人のその根底には今日でも日本神話の心が多分に残っているのは間違いないです。

 
<転載終わり>
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 この記事は日本人にはよく判る内容ではないかと思います。過去や未来を思い、生きるのではなく、「今」を一生懸命に生きることが日本的というのも頷けます。ガンを撲滅させるのではなく、ガンを抱き参らすことでガンが治るということも、なるほどと思いました。悪も滅ぼすのではなく、悪を抱き参らすのが日月神示のやり方ですし、日本人が縄文時代からやってきたことです。
 
 日月神示には以下のようにあります。
 
『一切の未来も一切の過去も、すべてが現在ぞ。中今ぞ。このことわかるが善ぢゃ。神はすべてを知っているのぞ。現在は永遠ぞ。何処からともなく感じて来るもの尊べよ。取り次ぎ、信者より曇りひどい。十一月十七日。(「黄金の巻」 第七帖)』
 
 
 
 
・薬屋のおやじのボヤキ

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「2012年冬至を終えて」 はせくらみゆき氏

2012-12-25 20:11:48 | 日月神示関連の情報

<はせくらみゆきブログより転載>

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皆さん、こんにちは。
今日は、クリスマスイブです。

窓辺を照らす水滴の煌めきに心をときめかせながら、
柔らかな空気に満たされた
7色に分光された世界を
まるではじめてみる世界のように喜びを持ってみつめていることに
ただただ、ありがたく、愛しく思う朝です。

巷では、「世界の終わり」から「アセンション」まで、
何かと噂の多い冬至でしたが、
おそらくほとんどの人にとっては、
ただのクリスマス前の冬至の日に過ぎなかったのであろうと思います。

とはいえ、個人的には、とても大きな気づきと変容の三日間を過ごさせていただきました。

この三日間を通してわかったことは、次元転換(上昇)と呼ばれるアセンションの波は、
何かがいっぺんに御破算になってポン!と変わるような都合の良いものではなく、
個人の意思と意識と行動の結果の総和(それぞれの振動周波数)がもたらす
個々から始まるトランスフォーメーション(変容)であるということです。
ですので、個人によってかなりの差異がでます。

もちろん、何かの変化を感じたから良いとか、
感じなかったからだめだといったことでは
決してありません。

私たちはともするとすぐに比較や判断といった
自我意識がもたらす思考の産物に囚われてしまいますが、
真実は、ただそこに、そっと寄り添い横たわっています。
「なる」のではなく「ある」のです。
ただその声は
繊細で、静謐で、かすかな呼び声なので、
私たち自身が、沈黙と共に
心静かに研ぎ澄ませていく必要がありそうです。

さて、私自身の個人的な体感についてはいろいろとありますが、
今、これを言語化することがよいこととは思えないので書きませんが、
1つだけ、誤解を恐れずシェアするとしたら、
時空の回廊を渡り、今、こうしてブログを書いている
タイムラインに戻ってきて書いているという感覚なのです。
(これが私が知覚した「体感」世界です。
決して強要したいわけでもなく、
信じてくださいとか、こうすべきといったものではありませんので、
1つのファンタジーとしてとらえていただいても全くかまいません)
なぜ、書いているかというと、
確信を持って伝えたいことがあるからです。
それは

新しい振動数の地球があり、そこに人々が暮らしていたということ。

その地球は、実はこの視えている物質世界に折り重なるようにして、
違う振動数の時空間の中に、同時共振しながらたたみこまれていました。

その地球に暮らす人の価値観は、まさしくスピリチュアルな世界や宗教指導者が伝えている通りの、
共生・共栄・互恵の世界でした。
所有と制限のない、思いやりに満ちた世界でした。

競争・支配のある今の私たちにとっては信じがたいような世界ですが、
はっきりいえるのは、
私たちの中にはそれを可能にする力がある ということです。
なぜならそれが、
私たちホモ・サピエンス種としての性質だからです。

どうしたらその力を目覚めさせることが出来るのか?
それは、

わたしとは誰か?

を知ること。
このことを頭でわかるのではなく、心で、そして肚で、体感することなのです。

まるで禅問答のようになってしまい、申し訳ないのですが、
ここを体感し、ここから生きることで、
すべてが変化していくと思います。
どうしてもこれが伝えたかったのです。

これからの世界、ますます大切なのは、
そこを中心として生きることであると思っています。

真我と共に生きていく。
その望みを実現する神聖な道具として、
われの心と身体を使ってあげるのです。

これは精神論ではありません。
実践論です。

新しい振動数の地球は、
共生、共奏、利他的で全体性の社会です。
いろんないのちが有機的に繋がっていることを
自覚している社会でした。
それをあたりまえとする世の中だったのです。

これは理想論でもなんでもなく、
人間という、実は多次元性の性質を持つ
私たちのもうひとつの「現実」です。

この「現実」と共振・同調し、移行することを意図するのであれば、どうぞ
私とは誰か?
を意識しながら、

今、この瞬間に100%心をかけて生きる

事に注意をはらうと良いと思います。

とはいえ、なんだか難しくてややこやしいな~と思われたのなら、
一番効果的だと思われるアクションを提案したいと思います。

それは「笑うこと」。

理屈も何もいりません。
良く笑う!
これぞ一番の振動数アップ法です。

明日のクリスマスの午前中、
私は大笑いしに行きます。
その名も「お笑い神事」!
正式には注連縄掛神事というものです。
http://www.hiraoka-jinja.org/special/2012-owarai-shinji.html

生かされてありがたいと思う気持ち。
すべてにありがとうと思う気持ち。

その気持ちが、朗らかにどこまでも笑う心に通じていきます。

こんな御神事のある素晴らしい国に生まれたことを誇りに思います。
現時空間も素晴らしい!
なんとダイナミックで可能性に満ちた「今」なのでしょう。
やるっきゃない♪

さあ、心の岩戸を開き、
ほがらかに、かろやかに、
新しい時代に漕ぎ出しましょうね。

明日が楽しみ~。
もし見つけたらお声掛け下さいませ♪

<転載終わり>

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 はせくらさんも枚岡神社の「お笑い神事」に参加されるのですね!是非声をかけたいと思います。

 はせくらさんと高橋義則さんの言われていることの核心は、ほぼ同じだと私には思えます。

 はせくらさんは「共生・共栄・互恵の世界でした。所有と制限のない、思いやりに満ちた世界でした。」と言い、高橋さんはワンネスと言われています。また、このお二人の人間的な共通点は、明るくて、ほがらかで、やさしいところです。私の好きな方です(笑)。

 

 

・はせくらみゆきブログ


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「日本における恋愛観念」 共同体社会と人類婚姻史

2012-03-01 06:56:33 | 日月神示関連の情報

<共同体社会と人類婚姻史より転載>

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【人類婚姻史を構造化する】10~日本における恋愛観念,一対婚の広がり~

これまでシリーズにて,世界の婚姻制度の歴史的変遷を見てきました。

その中で,人類の婚姻様式を規定するのは,「皆の最大期待⇒集団や社会の統合軸」であることを軸に人類婚姻史を構造化してきました。
その結果,さまざまな外圧に適応するために,婚姻制度もみんなの期待により変化している事を確認しました。

m013 <これまでのシリーズ1)~9)>

「1」人類婚姻史を構造化する プロローグ」
「2」極限時代の婚姻様式は男ボスを中心として首雄集中婚ではない?!」
「3」極限時代の婚姻様式「チャネリングセックス」とは?!」
「4」採取生産時代の婚姻と近親婚のタブー」
「5」採取部族の婚姻の変化~交叉婚:単位集団からの集団外の充足対象の拡大」
「6」採取部族の婚姻の変化~性の需要アンバランスが集団婚を解体に導く~」
「7」北方狩猟部族の勇士婚~洞窟から出た人類が集団に期待したもの~」
「8」略奪婚から私有婚」
「9」ルネッサンスから近代の婚姻様式:私権闘争以降,略奪婚⇒固定一対婚から,自由恋愛へ」 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

m005 欧米社会の婚姻史(これまでの復習)

略奪闘争の嵐に巻き込まれて,欧米~中東~中国とほとんどの世界では,氏族集団が徹底的に破壊されて略奪集団しか生き残っていなくなっていました。婚姻制度も略奪婚に変化しましたが,集団安定の為に固定一対婚に移行していきます。

略奪共認の圧力(=略奪を共認して,自らも略奪に参加するしかない)の中で,社会は私権確保が最大の期待となってきます。
そして私権獲得の大きなエンジンとなったのが「恋愛」観念です。

「恋愛」は自由な性市場の拡大を目指します。その結果,欧米文化は略奪(植民地化~帝国主義化~経済支配)し続けます。
そして,ほとんどの世界では,「恋愛」の自由の下で「固定一対婚」が普及しました。

m005 日本の江戸時代までの婚姻制はどうだったのか

唯一この欧米略奪文化から隔離されていたのが,鎖国をしていた「日本」でした。
島国の日本の江戸時代では,8割の平民である農民は,全面的な略奪闘争の波を受けることがなかったので,昔からの村落共同体(≒母系制)を維持していました。
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※現代でも,早乙女たちは太鼓に合わせて田植え歌を歌いながら苗を植えてゆく」祭りが残っています。
写真は,山野草、植物めぐり『新庄の大花田植え’09-5』よりお借りしました。
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※夏の初めのネズミ村、今日も田植えで忙しい、 グルグル、グルグル、水車、回して水をかえこんで 馬にマンガ引っ張らせ、ザブザブ、ザブザブ、代掻いて、苗を運んで投げ込んで、ずらりと並んだ早乙女が、節ものどかな田植え唄、一反植えるとおばさんが、持てくるお茶とおにぎりでみんな揃って中休み⇒田植えは村人全員で行う一大事業です。
 ~「懐かし通り 郷愁倶楽部」さんからお借りしました~


支配者層は,緩やかな支配方法で,村落共同体に自治を認めていました。惣村(=村落共同体)は,共有の神社や水路,田植えや稲刈りの順番制などの生産ルールを共認されており,村人の生活基盤そのものであった。
多くの蓄財が村の共有所有で,子供たちも村の子供でした。(≒母系性文化)

当然に,若衆宿などの婚姻も村のルールに従って結婚していました。結婚により,嫁入りした女性は,労働力として期待され,村の跡継ぎとなる子供たちの出産,育成を期待されました。

当時の「結婚」は,好き嫌いの感情ではなく,期待される役割(≒生活)その物だったのです。

また,「性」は解放的で,貞操観念がなく婚姻前の性交も問題ありません。婚姻後も主人以外との性交も,祭りなど夜這いによる性交があり,実質的に村の「性」は皆の共有でした。
産まれてきた子供は「村の子供」なので,誰が父親かなどは問題ないという,おおらかな社会です。

当時の皆の期待は,生産力である惣村(=村落共同体)の維持でした。その為に村の結束の維持として「性」の楽しみの共有は大切でした。また,女性は労働力としての期待と子孫の出産~子育として大きな期待を受けて「結婚」していました。

註)江戸時代までの婚姻制は,身分により2層が存在して居た。
①2割程度の支配層(武士など)は,大陸の略奪文化の影響で儒教文化による厳格な一対婚の文化でした。
②8割の平民は,平安の時代以前からず~と夜這い婚文化です。つまり,一対婚形態を取りながらも,「性」に関しては村の共有で,おおらかな性文化を楽しんでいた。


m005 明治時代の開国と共に,家族,婚姻の制度を改正

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於鹿鳴館貴婦人慈善会之図

一対婚+恋愛文化の欧米人達は,日本の夜這い婚にビックリします。と言うのも,キリスト教は生涯一人しか居ないという「一対婚」が建前です。(不倫文化も有るのですが,それは罪なる秘め事なのです)だから,日本における村内のおおらかな性の共有文化を,「野蛮文化」と非難します。

これに大慌てしたのが,時の明治政府です。
明治政府の最大の政策が,植民地化を避ける為に,鹿鳴館などの欧米文化を背伸びして真似ながら,日本も文明国化して欧米と対等に成るよう努力していたところです。

そして憲法を作り,新たな家族制度,婚姻制度を改正します。
・婚姻制度は,「一対婚制度」です。これまでの若集宿,娘宿を強制的に廃止し,さらに夜這い婚の禁止令を何度も出します。

また市場社会が急速に広がり農村が貧困に成った結果,多くの娘たちは都市に働きに出ました。明治政府の規制と,実質的に村に娘がいなくなったので急速に夜這い婚(≒村での「性」共有)の文化は衰退しました。

註)一部の田舎では,夜這い文化は戦後まで残っていたとの話もあります。

・憲法にて「家族制度」は,家長制が採用されます。当初は最先端のフランスの憲法(家族形態すら無くして全くバラバラの個人)を採用しようとしました(フランス学者ボアソナード)。
しかし,強い反対に合い,支配者層の儒教(=武士)文化に近いドイツ形式の「家長制」が採用されました。
妻は夫の支配下にあり,子供の婚姻は父親の許可が必要といった内容です。明治の頑固親父,亭主関白の元となった文化かもしれません。

しかし,ここで注目すべきは,それまでの農村は「運命共同体」だったのですが消滅してしまい,「家族」がそれに代わる「運命共同体」となったと言うことです。市場化の波に飲まれて,村落からは娘だけでなく働き手の多くの若者も都会に流出してしまい,「惣村」(=運命共同体)が崩壊していったのです。

大衆の期待は,村の共同体が崩壊して不安定な経済状況下において,共同体「家族」や親戚一族だけでは不安定です。だから,流出された若者は都会で「家族」を作るだけでなく,擬似の共同体として町会など(=地域コミュニティー)を作ったのです。

そして結婚も,この地域コミュニケーション内の関係ネットワークで,お互いの家同士の家長が決める相手との見合がなされ結婚が行われたのです。

m005 大正ロマンでは,「自由恋愛」が憧れに
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※竹久夢二は岡山県に生まれ、新聞・雑誌の挿絵(さしえ)を描いて世に出ました。夢二が描く、郷愁(きょうしゅう)と憧憬(しょうけい)を感じさせる、愁い(うれい)を帯びた女性像は『夢二式美人』と呼ばれ、絶大な人気を誇りました。

日本は欧米に追いつくべく,日清日露戦争の勝利,第一次世界大戦も勝利側に付いて,国力も急上昇中した。大衆は欧米に倣って,一気に豊かさや自由に開かれて,その可能性を求めだしたのが「大正ロマン」です。

文化人は欧米文化をいち早く取り入れて欧米文化の普及させ,男女同権~恋愛文化が金持ち層に広がり憧れと成っていった。(夏目漱石 竹久夢二 平塚らいてう 谷崎潤一郎 志賀直哉 北原白秋など,昔の教科書の登場人物たち)

日本でも市場社会が拡大し始め,性市場の開放も皆の期待となり始めました。しかし,まだまだ現実は家長の決める相手との見合~結婚でした。が,小説などで「恋愛」が憧れとして,観念的に定着し始めた時代です。

m005 大正ロマンが急停止して,禁欲的な「良妻賢母」に

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※良妻賢母 「ささやかな日々」高橋まゆみさんの人形http://suzu-na.cocolog-nifty.com/blog/写真をお借りしました。

大衆の恋愛文化が普及するには,もう少し時間が掛かります。

江戸時代の,おおらかな夜這い婚の「性」文化は,明治維新後の欧米化政策で,「一対婚」制度と「家長制度」で欧米文化に押し込められました。その後,日清・日露等の戦勝で,好景気の日本では「大正ロマン」が花咲き,欧米の「恋愛」文化を文化人や金持ち層が取り入れ始めました。

そこに「恋愛文化」の普及に冷や水を掛けたのが,本格的な戦争体制です。

日本は欧米(特にアメリカ)に追い詰められて,第二次世界大戦・太平洋戦争が始まります。

軍国主義の国家体制の中で人手不足になり,国力増強として「産めよ増やせよ」と出産が賞賛されたりもしました。しかし,その後戦況が悪化していく中で,多くの人が戦死し食料の確保に窮する状況になり,国民の期待は,どう生き延びるかと言う限界でした。

軍部は,生存を掛けた戦いだと非常事態宣言して,天皇崇拝~厳格主義に走ります。
また儒教的文化の教育勅語の普及,良妻賢母の家庭での妻の役割に型がはめられます。

m005 太平洋戦争の敗戦後は,アメリカ文化が多量に流入。

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「奥様は魔女」アメリカのファミリードラマ。一戸建ての住まいで各自に個室,車,リッチなキッチン,ダイニングルームなど洋風の「豊かな生活」を憧れた

日本国憲法が策定されて「民主主義」「自由」「平等」「博愛」などの,アメリカの観念が多量に流入してきます。「家長制度」が廃止され,婚姻は二人の自由となります。

日本経済が奇跡の復興~経済成長の中,「自由」「市場」に可能性がどんどん開かれていくので,若者中心に社会は,その可能性に向って疾走します。

戦前の結婚は,結婚は親が決めた見合い相手と結婚するのが当たり前でした。(=家長の許可無しに法的には結婚は出来なかった)

そして戦前の儒教文化や「家長制度」を引きずる大正の頑固親父を「封建的」と,踏み越えて「自由恋愛」を切り開いたのが,団塊の世代(現在の60歳前後)です。


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※かぐや姫が歌い大ヒットを記録した「神田川」。人形劇サークルに所属する大学生とひとりの少女との「同棲生活」を描く内容が映画化された。

当時の若者の期待は,開かれてゆく市場社会の可能性を,勝ち取りたいという思いです。そして,その障害を取り払うことが社会改革と信じていました。婚姻でも「自由」な「恋愛」を謳歌する「権利」を有すると考えて,以降は「恋愛」文化に傾斜していきます。

m005 「見合い結婚」<「恋愛結婚」
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※新婚さんいらっしゃい 1971年から続く長寿番組。当初は,必ず「見合ですか? 恋愛ですか?」と質問していた。

そして,1967年にはその数が 見合結婚<恋愛結婚 となります。それ以降は,見合結婚は激減して恋愛至上主義となります。

今でも結婚式では,「○○家」と「△△家」と書かれて,家と家の結婚式の形態を残したりしていますが,昔の結婚は個人の結婚ではなく集団の物であったのです。集団の責任において,期待すべき若者に結婚をさせる文化でした。

1967年を境に,結婚は若者二人の「個人」の「自由」における「恋愛」でなされるように変わったのです。

集団の結婚へ期待の下で集団が決定権 ⇒ 個人の自由な恋愛がありその後に結婚する

集団から切り離された結婚は,個人の自由となって恋愛が前提となったのですが,その実態は異性の獲得合戦です。観念で幻想化していますが,その実態は私権獲得競争なのです。つまり美人・男前獲得競争と金持ち相手の獲得競争です。日本はバブル期に,この私権獲得競争の男女関係が全開します。

しかしその後,物充足時代に育った私権意識の衰弱した若者達は,「恋愛」,「結婚」さらには,「性」さえも見向きをしないようにな男女が増えて,晩婚,非婚,セックスレスが急増して現在に至ります。

◆こうしてみると,日本では江戸時代までは「集団」を中心とした皆の期待による役割としての「婚姻」であったのが,明治~大正~昭和~平成と欧米文化の輸入で,「恋愛」にて「個人」が「自由」結婚を決める形態に,急変してきた事が分かります。

そして,現在の男女関係の混迷です。

◆現代日本の男女関係をどう捉えればよいのでしょうか?
 世界の婚姻歴史から見ると,どのように見えるのでしょうか?
 さらに,今後の男女関係は,どうなるべきなのでしょうか?

 次の最終回に,扱ってみたいと思います。御期待ください。

<転載終わり>

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 半年ほど前にこのブログで、昔の日本は、夜這いが普通にある社会だったと書いたところ、かなりの反響がありました。私たちは一夫一婦制が普通だと考えていますし、今後もそれが変わるということはあり得ないと思っています。私もそう思います。ところが、昔の日本では夜這いは普通にあったそうですし、夫婦間以外の交渉も大目に見られていたようです。今では不倫ということになりますが、昔の人はおおらかだったということです。おおらかというと聞こえはいいですが、現代の思想から言えば、貞操観念が無いということになります。

 性を共有するという概念は今の私たちには理解できません。実際に夜這いや、夫婦以外の交渉が大目に見られている社会を経験してみないと分からないと思います。

 また、性の問題を従来とは180度違った角度で書いてある著書が、「ガイアの法則Ⅱ」です。これもなかなか理解できない内容です。

 今の世の中は、性の問題はタブーなので、皆で話し合うということはほとんどありません。ひふみ仲間とも、性の問題は語り合ったことはありませんし、そもそもあまり関心がありません。ただ、この記事などを読んだり、「ガイアの法則Ⅱ」や「タオコード」などを読むと、性の問題というのは、人間にとって大事な問題ではないかと思うようになりました。

 日月神示にも性のことは書かれていませんので、あまり参考になりませんが、「神界の乱れは、色からぞ」とありますので、やはり夫婦間以外の交渉はよくないと取れるのかもしれません。(普通は当然不倫になります) 神様にとっても、性というのはタブーということなのでしょうか。よく分かりません。

 

・人類婚姻史


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「過去は変わる」 エクボ 清水美裕氏

2012-02-14 07:07:31 | 日月神示関連の情報

 <船井幸雄.comより転載>

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船井幸雄注目の “本物”に携わる人たち

 

このページでは、船井幸雄が注目している、医療、経営、農業、未来予測、占星術などあらゆる分野で活躍する“本物”と言っていい方々を紹介します。それぞれの方に毎月1回、3回ずつコラムを書いていただき、順番にいろいろな方を紹介させていただきます。

 
2012.2.10(第14回)
★今回の執筆者★
エクボ株式会社 代表取締役 清水 美裕さん(2回目)
(清水さんの詳しいプロフィールはページ下にあります。)
過去は変わると知っていますか?

日本の過去…『人種差別撤廃』…を世界最初に提案した国は『日本』!
 1919年、第一次大戦後のパリ講和会議で、米国ウッドロー・ウィルソン大統領は、永続的な平和の基礎として、国家の平等、権利の平等を提唱しました。
 「日本」は、これこそ…人種平等の原則を確立する絶好の機会であると…真剣に考えました。

人種平等条項提案
 「2月13日の国際連盟委員会」において、日本は新しい国際連盟の規約に次の条項を加えることを提案しました。
 『(前略)…如何なる点についても均等公正の待遇を与え、人種あるいは国籍の如何により、法律上あるいは事実上何ら差別を設けざる事…(後略)』…

 イギリスのセシル卿は、これを受け「極度に深刻な難題」を生む、討議をいっさい延期すべきだと語りました。中国代表の顧維鈞(こいきん)は、「深い関心」がある、日本提案に「全幅の同情」を表明すると述べました。

国民平等の原則を
 日本代表団は、先の原案は採択の見込みなしと…考え、「人種」という言葉を削除し、「国家平等の原則と国民の公正な処遇」を求める修正案を新たに作成しました。提案の最終決議は、4月11日の国際連盟委員会で、ワシントンから戻ったウィルソン大統領を議長として行われました。

 この提案を拒否することは、「連盟加盟国の平等が認められないこと」を示すと主張したのです。これを聞いた各国の代表は、「説得力があり」「威厳に富み」「賞賛に値し」と…記録を残しました。

 フランス代表のレオン・ブルジョワ上院議員は「正義という論争の余地のない原則」を具現するこの案を拒否することは不可能であろうと言い、中国、ギリシア、チェコスロバキアの代表が強力な賛成演説を行ってくれました。

葬られた賛成決議
 日本の要求で「投票」が行われました。…結果は「16票中11票」で「圧倒的」な賛成でした。

 しかし、議長席のウィルソンは、全会一致の賛成が得られなかったので採択されない、と宣言し、参加者を驚かせました。過去2回の票決は全会一致の規則は適用されなかったとフランスの代表団は抗議しましたが…。

 ウィルソンは、「われわれの一部にとってはあまりにも障害があるので、規約にそれを挿入する事はできない」と言ったのです。
 そして、急いで次の議題に進もうとした議長の言葉を、日本の牧野男爵はさえぎって…「大いに遺憾であるが、この会議で過半数の賛成票があったことを議事録に明確に記述するよう」に要求しました。

 国際連盟の憲章には「ついに」人種平等は追記されませんでした。しかし、今日の人種差別の撤廃の口火を切ったのが日本であることに変わりはありません。
 国際連盟設立の提案者「アメリカ合衆国」は結局、国際連盟には、最後まで加盟しませんでした。

想いを伝える技術を求めて…
 (株)エクボが開発中の技術に『想念センサー』と社内で呼ぶ「システム」があります。

 もし、あなたが、ある日「大けが」をしたと仮定しましょう。それは、口もきけない手も動かせない…まるで植物人間のように意志を伝える手段を持たなくなったとしましょう。医師が、『ご家族の皆さん、もう回復の見込みはありません。呼吸器を外すか否かのご判断を…』などと言われたと想像してみてください。
 あなたは、声を出して「やめて!」と言いたい!でも声は出ない!手足でサインも送れない!目も開けない…でも「意識」はあるのです。

 さあ、どうしますか。このままでは「呼吸器」は止められてしまいます。
自分が「生きているんだよ~」と何とか伝えたいですよね!
 脳波でもなく、身体も動かせず、あなたはどうやって意志を家族に伝えますか?

 もしこんなとき、あなたの「想い」を受信して「スイッチ」を「カチッ」と入れてくれる仕組みがあったら…「酸素を切らないで!」というメッセージを電球のON/OFFなどで伝えられたら!
 …そんなことを考えたことはありませんか?

 東日本大震災の被災のように、自分の子が、どこかに生き埋めになり、壁の下敷きになって声も出ない…でも救助隊は近くにいる。…そんな、状況で「生きているんだ!…ここにいるよ!」そう伝えてほしい!…肺が圧迫され声が出せない…非情にも足音は遠ざかっていく!…さあ、あなたはどうしますか?

 もしこんなとき「救助隊」が壁の下敷きになっている「子ども」の想いをキャッチする装置を装備していたら、生存者の存在はきっと容易に判別されることでしょう!
 …「おい、この方向に誰かいる!人がSOSを出しているぞ!」と。
 そんなことできるもんか・・・。 できないと思いますか?

 実は、海外「アメリカ・ロシア」ではずいぶん前から軍事用に研究されていたのです。
「乱数発生器を用いた実験」
 ボーイング社の物理学者ヘルムート・シュミット氏は1969年にこの研究に着手しました。やがて研究はプリンストン大学の研究室に引き継がれました。残念なことに同研究室はもう存在しません。
 今では研究室で働いていた人々が「マインドランプ」という実験装置を細々と販売しているだけです。

 エクボでは、約20年前から、同大学と同じ原理の装置を実験し、現在は米国で研究成果を論文発表しています。
          
 皆さんにだけに反応して開く「ドア」、自分にしか運転できない「車」
 …そんな技術も遠からぬ未来に実現するでしょう。
 でも、そんな事は驚きの序の口なのです。

まさかの実験結果…過去が変わる?
 エクボでは、「想念センサー」の実験中に「おかしな」ことに気がつきました。過去に無人で実験して記録媒体にデータを記録しておいたものが、今行っている実験によって過去に記録した記憶媒体の中身が変わってしまう!という…あり得ない事が起きたのです。

 これは、例えるなら、過去にあなたが書いた「ラブレター」を、机にちゃんとしまっておき、ある日開封して中身を「見たら」今の想いを反映して「文面」が変わっていた…と言えば解るでしょうか?
 そんなことあり得ない!…おそらく皆さんはそう想うでしょう。

 しかし、私達の発見は、先輩である先のボーイング社の「シュミット」氏も同様の現象を経験していたのです。
 この実験の結果、わかったことは…

 私も、過去にたくさんの失敗があります。両親を泣かせ、喧嘩して、親しかった友人と二度と会えないような心のキズもたくさんあります。
 皆さんは、今の努力が、未来を変えることは疑いを持たないと想います。

 では、今を一生懸命生きて、今を頑張って、今に感謝して[今]を変えることで…その作用が時空を超えて、今と繋がっている「過去」が、変わりはじめる…としたら…どうでしょう。
 過去の失敗や、過去の復帰不能だと想っていた事象のいくつかが「若干」ではあっても「今の行動」で変わるのだとしたら…

 今の努力を続けていると、ある日急に運が向いてきて大成功する…などはよくあることです。このメカニズムが、実は、今の努力が未来を動かしただけでなく、同時に「過去」にも作用して過去が若干変化したために、「今と未来」が加速し始めた…としたら…

 どうです?
 今の行動って「とても」大切だと想いませんか?
 過去は、全部ではありませんが…若干[変化する]…それを[想念センサー]の実験は示しています。
 日本はもう21世紀の中にいるのです。皆さんも21世紀に生きています。
 人種差別撤廃を訴えた日本の過去!私は、素晴らしいと想います。
 過去はもう過去です。…でも今を生きる皆さんの行動でその思いで、より良い過去がさらに良くなるのなら…日本の未来は明るい…。
 私には、そう想えてならないのです。

 …こんなこといいな・・・できたらいいな! そう、「ドラえもん」も日本で生まれた夢でしたね。
                                          (続く)

 
Profile:清水 美裕(しみず よしひろ)

エクボ株式会社
清水 美裕さん
1958年浜生まれ。
慶應義塾大学通信課程法学部法律学科。日本電子工学院電子工学科。日本のフリーエネルギー技術開発の草分けの一人。トッパンムーアオペレーションズ、日本IBM、私学塾フレンド学院、株式会社アマダ特許部を経て、2000年に神奈川県厚木市に「エクボ株式会社」を設立。世界初のDNA光回復酵素活性化蛍光光源「nano400」を開発。2006年にはドイツの難病の女性からのSOSを受け「自律神経バランス回復装置「暖ぼ~る(DANBALL2008)」を開発した。更に2010年には、可視光線による体内酵素の活性化光源「ブレスライト」を製品化し現在に至っている。
★エクボ株式会社HP: http://www.ekbo.co.jp/column.html 
★エクボの社長のブログ: http://ameblo.jp/huc/
 
 
<転載終わり>
------------------------------
 
 過去は変えられるとは、「たまゆら」でおなじみのジュード・カリヴァン博士も言われていますが、清水社長が実験でそれを再現したのはすごいと思います。
 日月神示でも過去は今でも変わっているとありますので、もしかしたら過去は変えられるのかも知れません。
 
 2月11日の建国記念の日に、日本弥栄の会主催のイベントが開催されました。清水美裕社長と中矢代表のトークライブです。今回はひふみ友の会会員限定でしたので、30名くらいの小規模なイベントでした。
 お二人はぶっつけ本番での対談ですので、普段の講演会では聴けないような内容が多かったです。ここでは敢えて書きませんが、びっくりしたり、感心することばかりでした。
 懇親会では清水社長のお話しを隣の席で聞くことができましたが、本当にいい方だと思いました。また、近々発売されるブレスライトは圧倒的に素晴らしい技術ですので、びっくりしますよ。私は自分の目を疑いましたから。ご期待ください。
 
 
 
 
 
 
 

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テネモスの焼き塩への飯山氏の意見

2012-01-11 07:17:47 | 日月神示関連の情報

<飯山一郎氏のブログより転載>

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2012/01/08(日) 詐欺師どもの騙しの手口 (1)

昨日、私がアップした『空気清浄機などは不要!』という記事。
これには電話での問い合わせが殺到した。
驚いたのは…、
「買おうと思ってました…。E情報でした。買いません!」
というのは、ほんの3~4割。
残りが…、
「買ってしまいました。どーしたらEでしょう?」
というもの。
“騙しの手口”に騙されて、詐欺商品を買わされたシトが如何に多いことか!

そこで本日は…、
“騙しの手口”について解説をし、続いて、完璧な空気清浄法を公開したい。

さて…、
詐欺師どもの騙しの手口は、先ず、講演会とか展示会の名目でヒトを集める。
ここで、いかにも不可思議で神秘的な驚きの“実例”を見せる。
たとえば、ホバリング(空中停止)する飛行機の動画などは、「神秘の技術!」を
信じさせるには充分だ。これが “洗脳” の第一段階である。
そうして、いかにも健康にE!とか、病気が治った!とかいう事例を説明し、
「わたしは、実際に、コレで長年悩んできたビョーキが治りました!」
と、感謝の気持ちを満面に表し、トツトツとしゃべる“証人”を登場させる。
最近は…、
「このやり方で、茨城や福島の野菜の放射能も無害化されます!」
などという小道具も出てきた。
その一つが、いま大流行の “焼き塩” である。

断言するが、“焼き塩”で放射能が無害化するなんてことは 絶対にない!

焼き塩でウマ味を出したり、水分を吸わないサラサラ塩にする位ならE。
しかし、いま流行っている方法は、塩にアルコールを入れての激しい燃焼だ。
これは、塩をフライパンで炒るのと違い、直火で激しく燃やしてつくる。
すると、塩のなかの塩化マグネシウムが、野菜の葉をシャキッ!とさせたり、
弱った金魚を元気にする酸化マグネシウム(MgO)に変化する。いい事だ。
しかし、人間にとって、酸化マグネシウム(MgO)は、体内に蓄積される毒!
だからね。

それより何より…、
アルコールを使って、塩(しお)を直火(じかび)で燃やす! なんて馬鹿なことを、
やってると、あんた、猛毒のダイオキシンが出てくるぞ! Eのかい?

ダイオキシンは塩素を含む物質の不完全燃焼や、薬品類の合成の際、意図しない副合成物として生成する。

こんな危険性を全く考慮せずに、「テネモス信者」や「新時代の覚醒信者」は、
「塩は二度焼きがE!」の、「その都度焼いて下さい!」のとハシャいでいる…。

その上、二度焼いた塩は、PHもこんなに変わります!などと写真付きで説明。
しかし、その写真データは、まるでウソ・デタラメ・インチキの類。
それが下の写真だ。
おっと、長くなりすぎた。『完璧な空気清浄法の公開』は、次回。

<転載終わり>

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  飯山一郎氏が焼き塩について批判していました。私も昨年の6月13日の船井メディアさん主催のテネモスセミナーに参加し、ホバーリングするラジコン飛行機や微生物で処理する汚水施設、浄水器、空気清浄器などのビデオと実物を見せていただきました。

 自宅に戻り、すぐに焼き塩を作ってみました。飯山氏は詐欺商品を買わされたと言っていますが、焼き塩はテネモスさんでは販売していません。自分でスーパーから適当な粗塩を買ってきて、無水エタノールをかけて燃焼させれば出来上がりです。その焼き塩を水で希釈して20分間野菜を浸けておけば、シャキッとします。これは地球(テラ)サイエンスの「地球(テラ)の源」でも同じようにシャキッとします。

 私はセミナー終了後浄水器と空気清浄器を購入しましたが、7万円と3万円くらいでしたので、それほど高いとは思いませんでした。浄水器はメンテナンスフリーですので、便利です。空気清浄器の効果については今のところ判りません。

 テネモスの飯島代表は儲け主義とは対極におられる方だと私は思います。セミナーの内容も日月神示と同じようなことを言われていますので、とても納得できました。また、飯山氏も結構いいことを言われていますので、どんなことがきっかけで批判をしたのか判りませんが、飯山氏はテネモスの哲学については知らないのかも知れません。当ブログを読まれている方々の中には、飯山氏のサイトを見ている方もいますので、参考までに掲載しました。

*神社巡りサークルチーム関東のリーダーの中野のSさんより一斉同報のご連絡をいただきました。今回の神社巡りは、2月4日に熱海の隣の来宮(きのみや)神社に参拝させていただく予定です。熱海ですので、静岡の方も参加しやすいと思いますので、是非一緒にひふみ祝詞を奏上しましょう。チーム関西135のリーダーの皆さんには、来宮神社参拝について今日ご案内しますので、もし都合がよろしければお越しください。

  

 

 

 

・飯山一郎氏のサイト


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「日本語が生み出す思いやり社会」 国際派日本人養成講座より

2011-11-27 06:39:50 | 日月神示関連の情報

<国際派日本人養成講座より記事転載>

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         国柄探訪: 日本語が生み出す思いやり社会

  日本語では子供が親に向かって「あなた」とは言わないのはなぜか。
■転送歓迎■ H22.10.17 ■ 38,747 Copies ■ 3,345,977Views■
無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/
携帯向けブログ → http://japan-on-the-globe.at.webry.info/


■1.グローバル化と「日本語放棄論」

 オンラインショッピングで有名な「楽天」が、社内の公用語を英語にすると発表して、話題を呼んでいる。「世界27カ国・地域への進出」「海外取扱高比率70%」といった大胆な国際戦略の一環だが、まず役員会議の英語化から始め、段階的に英語化を進めて、2012(平成14)年度までに楽天グループの公用語を英語にするという。

 グローバル化の波が押し寄せると、必ず「日本語でやっていてはダメだ」という議論が出てくる。言語社会学を専門とする鈴木孝夫・慶應義塾大学名誉教授は、これを「日本語放棄論」として、その系譜を紹介している。[1,p15]

 明治初期、初代の文部大臣になった森有礼(ありのり)は、遅れた日本語では、進んだ西洋文明を取り入れて国を進歩発展させることは難しいから、英語を国語にするべきだと主張した。そんな声は黙殺して、我が国は日本語を国語としたまま急速に科学技術、経済を発展させ、世界5大国の一つへと飛躍した。

 敗戦の翌年昭和21年には、文豪の志賀直哉が、愚かな戦争をして敗れた原因として、日本語の持つ不完全さ不便さ、漢字学習の効率の悪さを挙げ、フランス語を国語にすべきだと主張した。しかし我が国は、やはり日本語のまま急速な高度成長を続け、世界の経済大国となった。

 現在のグローバル化は3度目の波と言えるが、やはり「日本語放棄論」が出てきたわけである。どうもグローバル化というと、すぐに「日本語を捨てよう」という声が出てくるのが、我が民族の習性のようだ。


■2.絶望の中で母語への信頼を謳ったツルゲーネフ

 鈴木教授は、数多くの民族や国民が、自分たちの母語に対してどのような態度をもっているのか調べたところ、どの国民でも自分たちの母語に対しては絶大の信頼と愛情を寄せ、国語の持つ美しさ素晴らしさを歌い上げる詩人文学者に事欠かないという事がわかった、という。

 その好例として引用されているのが、帝政ロシアの混乱期に、ロシア社会の惨状に深い絶望を感じながらも、ロシア語の持つ根源的な力がやがてロシアを救う、と信じていた文豪ツルゲーネフの散文詩「ロシア語」である。

__________
 疑いの日にあっても、祖国の運命を思い悩む日々においても・・・・お前だけが私の杖であり、私の支えである。おお偉大にして力強く、真実にして自由なるロシア語よ、もしお前が無ければ、国内で行われているあらゆることを見るたびに、どうして絶望に陥らないでいられようか。私にはこのような言語が偉大なる民族に与えられないとはどうしても信じられないのだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 前節で、志賀直哉の「悲惨な敗戦は不完全で不便な日本語が原因だ」とする日本語放棄論を紹介したが、深い絶望の中で母語への信頼を歌い上げたツルゲーネフと対比すると、文学者としての深みの違いを感ずる。


■3.2千年もの間、死語であったヘブライ語を復活させたユダヤ人

 もう一つ、日本人の母国語に対する劣等感と対照的な例が、ユダヤ人であると鈴木教授は指摘する。[1,p49]

__________
 第2次大戦後、無理に無理を重ねて自分たちの国を作ったユダヤ人は2千年もの間死語であった母語を、苦心して復活させるという奇跡に近いことまでやってのけたのです。そしてその文字として何と古代のヘブライ語を使うことにしたのです。

 そしてその文字として何と古代のヘブライ文字を使うことにしたのです。この文字が世界のどの文字とも違う独特なものであるのにもかかわらず、あえてこの文字を採用して国際性など微塵も考慮しないこの態度は、自分たちの便利を犠牲にしてまで<国際標準>に近づくことを望む日本人が、深く反省してみるに値する人間の生き方だと思います。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 言語を単なるコミュニケーションの手段だと割り切ってしまえば、それは国際的に広く通用し、学習が容易なものほど良い、ということになってしまう。日本語放棄論の前提となっているのは、こういう考え方なのだが、ユダヤ人の場合はまったく別である。

 国際性や学習の容易性などとは関係なく、ヘブライ語こそ、自分たちの生き様の核をなすものだ、という見事なまでの覚悟である。イスラエルは政治や科学技術の面で、英語を駆使して、国際社会で存在感を発揮しているが、その活力の源となっているのは、自らの言語、文化に対する誇りなのではないか。


■4.日本語では子供が親に向かって「あなた」とは言わない

 我々日本人は、理由もなく日本語に関して劣等感を持つ前に、日本語の個性をもっとよく知るべきではないだろうか。言語社会学という学問を通じて、鈴木氏は日本語の個性が日本社会の個性を形作っている様子を解き明かしている。

 その興味深い例に人称代名詞がある。一人称は「自分」を差し、英語では「I」、日本語では「私」、二人称は話の相手を指し「You」、「あなた」、三人称は第3者を指す「He、She」、「彼、彼女」と文法書は教える。

 しかし、小さな子供が自分の母親に向かって「I love you, mammy!」と英語では言えるが、日本語で「お母さん、私はあなたが好きです」と言ったら変だ。言うとしたら、たとえば「花子はお母さんが大好き!」だろう。この場合は、「花子」は自分のことを指しているので一人称代名詞「I」に相当し、「お母さん」は話の相手なので二人称代名詞「You」に相当する。

 同様に、親が子供に向かって英語では「You must come with me」とは言うが、日本語では「お前は私と一緒に来なさい」とは言わない。例えば「太郎はお父さんと一緒に来なさい」だろう。この場合、「太郎」は二人称の「You」にあたり、「お父さん」は自分のことを指す一人称として使われている。

 このように、英語では誰が誰に対して話していても、一人称は「I」、二人称は「You」の一点張りだ。しかし、日本語ではそれほど人称代名詞は使われず、「あなた」の代わりに「お母さん」を使ったり、「私」の代わりに「お父さん」と呼んだりする。


■5.「私」対「あなた」という対立関係を避ける

 日本語では、そもそも自分を「私」、相手を「あなた」というように人称代名詞で呼ぶことがほとんどない。「私」対「あなた」とは、自分と相手とを一種の対立関係に置くことで、日本人は心理的にそのような対立関係を避けようとする。

「花子はお母さんが大好き!」とか、「太郎はお父さんと一緒に来なさい」と言うのは、文法的には三人称を使って「私」対「あなた」という対立関係を避けているのである。

 息子が父親にキレて「あんたなんか嫌いだ」などと、ことさら人称代名詞を使う場合は、すでに親族関係が破綻している事を意味している。

 そもそも「あなた、あんた」とは「彼方(あなた)」という離れた場所を指す言葉であった。「そなた」とか「その方」も同じく場所を指す。「おまえ」は「御前」で、「自分の前」に「御」をつけて敬った言葉。相手を直接呼ばずに、相手のいる場所を示すことで、間接的に相手を指す語法である。

 英語でもごく一部このような語法があり、たとえば国王陛下に対しては、直接 "You"と話しかけるのではなく、"Your Majesty"(あなたの尊厳)に対して呼びかけるのが、礼儀である。さすがに国王に対しては、「I」対「You」という対等な関係に置くことが憚られるからであろう。日本語ではこの語法が高度に発達しているのである。

 興味深いことに、「御前」や「貴様」はかつては敬意のこもった呼び方であったが、頻繁に使われていると、だんだん敬意がすり減ってくるようで、現代では若者の仲間内や喧嘩の際にも使われるようになる。そのかわりに「あなた」という新たな言葉を使って、敬意を回復させようとする。しかし、喧嘩の時ですら、「貴っ様~」などと「元敬語」が使われる事を知れば、我が母国語のゆかしさに思い至るだろう。


■6.「お母さん」とは呼べても「娘さん」とは呼べない

 しかし、同じく人称代名詞を使わないとは言え、子供が「花子はお母さんが大好き!」とは言えても、親が自分の娘に向かって「私も娘が好き!」とは言えないのはなぜか。親族内での呼び方に関して、鈴木教授が解明した日本語のルールとは、こうだ。

 まず目上の人に対しては人称代名詞を使えない。父母、祖父母、おじおば、兄姉に対しては、「あなた」ではなく、お父さん、お祖父さん、叔父さん、兄さん、などと親族用語を使う。また、兄が複数いる場合は、「太郎兄さん」「次郎兄さん」と名前をつけて区別するが、「太郎さん」などと直接名前で呼ぶことはしない。

 逆に目下のものには人称代名詞は使えるが、親族用語は使わない。子、孫、弟妹、年下のいとこに対して、「おい、子供」とか、「お孫ちゃん」などとは言わない。レストランで親が子供に向かって「お前は何にする?」などと人称代名詞を使うことはできるが、それよりも「太郎は何にする?」などと、名前を直接使う方が親しみが籠もっている感じがする。

 こうして見ると、親族間では目上に対しては、人称代名詞は使えずに親族用語を使い、目下に対しては人称代名詞を使うことができるが、名前を直接使う方が多い。

 人称代名詞を避けるのは、前述のように対立的な関係をなるべく避けたいと言う意識が働いているからである。

 目上の人に対して、「お父さん」「お祖母さん」「お兄さん」などと親族用語を使うのは、それ自体に敬意が籠もっているので好ましい。逆に目下のものに対して「子供」「孫」などと親族用語を直接使ったら、相手を見下した態度となるので忌避される。


■7.なぜ自分の息子を「お兄ちゃん」と呼ぶのか?

 前述のように親が「太郎は何にする」などと名前を直接使うことはできるが、たとえば太郎に弟がいたら、「お兄ちゃんは何にする」と親族用語を使うことができる。親が自分の子供を「お兄ちゃん」などと呼ぶのは、外国人には理解不能な言い方であろう。

 この言い回しを鈴木氏は「親族用語の原点移動」という概念で説明している。家族のうちの最も目下の者(この場合は弟)に原点を移し、その弟から見て「お兄ちゃん」と呼ぶのである。これなら親族用語を使った親しみと共に、兄としての敬意も込められている。

 子供を持った夫婦が、互いを「お父さん」「お母さん」と呼ぶのも、子供に原点を移した「親族用語の原点移動」の例である。

 目上の人に対して、敬意の籠もった親族名称を使うという原則は、職場や学校でも拡張されて適用される。職場では「部長、お電話です」、学校では「校長先生、おはようございます」などと職名をそのまま使うのが、丁寧な用法である。

 知らない人に呼びかける時はどうだろうか。子供が、通りがかりの中年の婦人に「おばちゃん。ハンカチ落としたよ」などと言う。甥-叔母の関係でもないのに「叔母さん」という親族用語を使うのは、よく考えるとおかしい。しかし、これは相手を疑似親族と見なして、相手に親しみと敬意を込めた呼びかけ方なのである。

 逆に、中年の婦人が子供に声を掛けるときは、目下だから親族用語を使えない。だから、「親族用語の原点移動」を適用して、「そこのお兄ちゃん、ハンカチを落としたわよ」などと言う。相手の子に弟を想定し、それを原点として「お兄ちゃん」と呼ぶのである。

 親子の間でも、職場でも、通りがかりの人に対しても、「I」「You」の一本やりで通す英語に比べれば、相手への呼びかけ一つとっても、親しみや敬意など細やかな思いやりが我が国語には込められているのである。


■8.日本語が生み出す思いやり社会

 外国人が自然な日本語を話そうとすれば、自ずからこうした「人称代名詞による対立関係を避ける」「目上・目下に対する親族用語を使い分ける」「他人にも疑似親族用語を使う」といった語法を身につけなければならない。それによって、日本語社会におけるこまやかな人間関係のありようを理解し、身につけていく。

 逆に日本人が英語社会で暮らしていると、「I」対「You」の一本やりで、個人どうしの対立関係に慣れていく。相手との目上・目下関係、疑似親族関係など一切気にしなくてもよいので、知らない人にでも気軽に声をかけられるようになる。

 職場で英語が公用語になり、日常会話も英語で行われるようになると、日本企業では「部長からご指示頂いた件ですが」と言う所を、英語で「あなたから指示された件ですが」などと言うようになるだろう。

 それはそれで、外国人社員には働きやすい職場にはなるだろうが、日本語が生み出すこまやかな人間関係は失われていくだろう。たとえば、先輩が後輩を自分の弟のように手取り足取り仕事を教えたり、社内で家族のように力を合わせるという、目上・目下関係、疑似家族関係の中でこそ生まれる思いやりの世界は薄れていく。

 アメリカ企業のようになってグローバル競争社会を勝ち抜いていこうというのも立派な志ではあるが、二流の英語と二番煎じのアメリカ的経営では、だいぶハンディがある事は否めない。

 逆に、長期安定雇用のもとで、日本語社会の思いやりに満ちた人間関係を作り、その中で人を伸ばし、チームワークを発揮していく、という方向もある。外国人社員にも日本語を学ばせ、その関係の中に組み込んでいく、という事もできる。このような「人作り」と「人の和」こそ我が国の強味であった。

 明治以来、二度のグローバル化の波に際して、二度とも「日本語放棄論」が現れたが、そんな声は黙殺して、我が国は日本語が生み出す「人作り」と「人の和」によって乗り越えてきた。今が3度目の勝負である。
(文責:伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(553)  国語の品格
 品格ある国語は、品格ある国民を作る。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h20/jog553.html

b.JOG(240) 日本語が作る脳
 虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、西洋人は右脳で聞く!?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog240.html

c. JOG(559) 大和言葉の世界観
 「鼻」は「花」、「目」は「芽」。大和言葉には古代日本人の世界観が息づいている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html

d. JOG(221) 漢字と格闘した古代日本人
 外来語を自在に取り込める開かれた国際派言語・日本語は漢字との国際的格闘を通じて作られた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html

e. JOG(514) 「ある」日本語と「する」英語
 なぜ日本人は「私はあなたを愛します」と言わないのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/jog514.html

<転載終わり>

----------------------------

 この記事を読むと、言語というものは、長い歴史の中の人間関係の中から生まれてきたものだということが判ります。英語では上司に向かって、「あなた」と言いますが、以前からそれには違和感がありました。尤も、外人からみれば、日本語は面倒くさいと感じると思います。以前、大塚で日本語講師をやっていたことがありますが、世界で一番習得が難しい言語は日本語だということでした。漢字、平仮名、カタカナ、外来語、尊敬語が混じっている上に、この記事にあるように人間関係で言い方を変えますので、一朝一夕には習得できないはずです。

  日本語学校の学生では、女性は概ね3ヶ月で日常会話なら覚えてしまいます。男性は1年経ってもあまり覚えない人もいます。女性はアルバイトで夜の仕事をやる人がいますので、すぐに日本語を覚えてしまいます(笑)。最近は男性もコンビニでアルバイトをしていますので、以前より早く習得できるようです。やはり生きた環境が一番なようですね。

  

・国際派日本人養成講座


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「龍」を見た時、時が止まった!?(2)~

2011-11-15 07:19:01 | 日月神示関連の情報

 

 

 

2011年11月14日

宇宙人はいるのか?パート2~「龍」を見た時、時が止まった!?(2)~

前々回からスタートした、「宇宙人はいるのか?パート2」シリーズ Very Happy
     
詳しくはこちら m118
■宇宙人はいるのか?パート2~大事なことは、目に見えるものだけじゃない~」
■宇宙人はいるのか?パート2~「龍」を見た時、時が止まった!?(1)~
    
    
龍をみたことがある、リンゴ栽培の木村さん。
なぜ、そういった現象が起きたのか、検証の続きを行いたいと思います。
    
以下の様な仮説の元、検証を行います。
     
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龍はものすごいスピードで動いて、通常の人間の感覚では感知できないけど、この時木村さんは、それを感知できたのではないか?つまり、スローモーションの状態になっていたのではないだろうか?
かなりスローで捉えていたからこそ、向かってくるおじさんは、止まっている様に見えたのではないか?

     
この状況認識で見てみると、いくつか現象が起きていた可能性があるので、検証してみたいと思います tikara
   
    
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<可能性②:スローモーション現象> 可能性①はこちら→リンク
      
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みなさん、自分が交通事故に遭遇する時、危機に瀕している時、「スローモーション」になったことはありませんか?
例えば、高い所から落下するとき、スローモーションになり、周りの風景が鮮明かつ詳細に見えたります。すごいスピードで落ちてくので、通常ではその風景を鮮明に捉えることは難しいのに、なぜかはっきりと見ることができるのです。
今回、「時が止まった」ように感じたのは、この現象が起きていた可能性はないでしょうか?
     

「スローモーション現象」とは?
    
これは別名を「タキサイキア現象」と呼ばれています。ギリシャ語で「頭の中の速度」を意味しています。通常、脳は、外界からたくさんの情報を受取っていますが、実際に処理している情報は限られています。
しかし、危機状況に直面すると、危機を回避するために、脳は通常より高速かつ大量に情報を処理します。(受取っている情報量は通常と同じです。)そのため、いつもより周りの風景は鮮明かつスローモーションになります。

      
この状態になるポイントは、「危機状況」に面すること。
      
これに、木村さんの状況を照らし合わせてみると・・・
       
木村さんは、ぼんやりと自転車をこいでいただけです。実際、龍を見終わった後、木村さんには何の外傷もありません。従って、危機状況に陥ったことはなさそうですね。
スローモーション現象は、「危機状況」に陥った時に起こるので、木村さんには当てはまらなそうですね。う~む Rolling Eyes
では、次の可能性を探っていきましょう。
   
    
<可能性③:ゾーン現象>
     
●通常では認識できない早さで動いている龍を見ることが出来た、りんごの木村さん。
●300キロで走っているときでもコース脇の看板が読めた、レーサーの片山右京さん。

   
この事象なんだか似ていませんか?
    
一流のスポーツ選手の中には、競技中に、じばしば、こういった通常では認識できないはずの状態を認識できたりすることがあります。それを「ゾーン体験」と言います。
   
   
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「ゾーン体験」とは?
ゾーン体験には、こんな事例があります。

■野球の川上哲治(打撃の神様)さん。かなり早い球なのに、「ボールが止まって」見えた。

■スピードスケートの清水宏保さん。(長野オリンピック500Mで)、スタートラインに立った時、「周りのすべての音が消えて自分の滑るコースが光って見えた」。

■一流のテニス選手。試合中、全てが流れるように進み、相手の選手の動きも面白いように分かった。風の動きや観客の声、審判の姿…。試合に100%集中しているにも関わらず、いろんなものが目に飛び込んできた。どこか別の場所から会場全体を見降ろし、自分の動きをコントロールしているかのような錯覚さえあった。

    
これらに共通しているのが、この時、競技者たちの心理には、全く不安や緊張などのストレス感情がないということなのです。
   
    
いったいどんなメカニズムで起こっているのでしょうか?
   
    
「ゾーン現象」のメカニズム
    
その秘密を解く鍵は「無意識の情報処理」にあります。
私たちは通常、いろんな情報をキャッチしています。さまざまな情報が常に五感を刺激しています。
しかし、全ての情報を「意識的」に処理できているわけではありません。私たちが意識的に処理できる情報には限界があり、多くの情報は、無意識的に処理されています。
この無意識の処理を瞬時に行い、体の動きと連動させると、通常以上の身体能力が生起します。
   
例えば、スポーツをしている時は、ボールの高さや速度、チームメイトの動き、風や湿度の状態、力の入れ加減、走る速度etc、自分の内部と外部の状況など、大量の情報を感じ取っています。
しかし、この時、不安や緊張などのストレス感情があると、その情報を処理することに脳は支配され、身体能力に結びつく情報の処理が少ししかできなくなってしまいます。
逆に、ストレス感情がひき起こす余計な情報処理を少なくし、身体感覚に極度に集中できると、体が直感的に動くことができ、的確で素早い「いい動き」が現れます。これが「ゾーンです。まさに、心と体が究極的に統一した状態なのです。
   
その時、体の状態は、どうなっているのでしょうか?
     
不安・緊張などのストレス感情を感じている時は、心拍数は速くなったり、遅くなったりして、心拍リズムが不規則になります。
反対に、ストレス感情から解放されて、集中できているときには、心拍数は、速くなったり、遅くなったりを安定的に繰り返し、心拍リズムは非常に規則的な波を描きます。この状態は、レゾナンス(resonance)と呼ばれています。
心拍数が上昇するということは、自律神経系の交感神経が高まり、体が緊張することであり、心拍数が下降するということは、副交感神経が高まり、体が弛緩(リラックス)するということです。
つまり、レゾナンスは、「体」を緊張させる交感神経の働きと、「体」をリラックスさせる副交感神経の働きが、交互に一定のリズムで繰り返している状態といえます。言ってみれば、アクセルとブレーキの動きがコントロールされ、一定のスピードを保っている、というような状態です。
    
レゾナンスとは「共鳴・同調」という意味ですが、レゾナンスに入ると、心拍リズムだけでなく、自律神経、循環器、脳神経など、私たちの生理機能の多くが、同じリズム(約0.1Hz=10秒)で同調することがわかっています。そして、この状態では、集中力・注意力・判断力・反応力が高まります。
参考:(http://www.zone-training.jp/zone-mechanism.html)
   
つまり、「ゾーン現象」とは、不安や緊張といったストレス感情を少なくすることで、身体感覚を高度化し、集中力・注意力・判断力・反応力を高めることなのですね Very Happy
この「ゾーン現象」が起こるかどうかは、どれだけ「リラックス状態」を作り出せるかにかかっていますね Shocked m051
   
    
これを木村さんの場合に、当てはめてみると・・・
     
木村さんの場合、ボーっとしながら自転車をこぐという単純な動きの中で、かなりリラックス状態になっていたというのは、考えられないでしょうか?
かなり、リラックス状態になっていたからこそ、身体感覚が開かれ、通常では認識できない早さで動く龍を目撃することができた。
そういった仮説が成立しそうかなと思いました。

 

あくまで、まだまだ仮説なので、他にも「この説は、どうか?」というのがありましたら教えて下さい Very Happy

<転載終わり>

---------------------------

 木村秋則さんの著書を読みますと、龍を間近に見たことが何度かあるそうです。木村さんは巨大なワニのようだったと言ってます。その他にも木村さんは、交通事故に発展するような危機を避けたり、見えない世界を見たりと、かなり不思議な体験をされています。

「木村さんの場合、ボーっとしながら自転車をこぐという単純な動きの中で、かなりリラックス状態になっていたというのは、考えられないでしょうか?
かなり、リラックス状態になっていたからこそ、身体感覚が開かれ、通常では認識できない早さで動く龍を目撃することができた。
そういった仮説が成立しそうかなと思いました。」 

 草取りや種蒔き、間引き、土寄せなどの農作業をしていますと、確かに単純な作業の中で、とてもリラックスできていることが判ります。まるで修行僧のように、黙々と作業をしている自分たちにふと気が付きます。集中しているような、ぼーっとしているような、面白い感覚です。ただ、とても気持ちよく感じることが判ります。これは誰にでも体験したことのある感覚かと思います。

 私たちは木村さんのように龍は見たことはありませんが、龍神雲はよく赤城農園に出ます。先日の収穫祭の時にも、虹色に光輝く雲が二つ出たそうです。神社巡りで、麻賀多神社を参拝した帰りにも、レインボーに輝く雲が出ていました。とても不思議な光景に一同は釘付けになったものでした。不思議なことはたくさんありますが、こうした仮説を読むのは、とてもワクワクするものです。

 

・生物史から自然の摂理を読み解く

コメント (1)
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昔の日本はエロかった。 学校やマスコミが絶対に教えてくれない『裏・日本民俗史』

2011-10-24 08:06:15 | 日月神示関連の情報

<阿修羅より転載>

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昔の日本はエロかった。 学校やマスコミが絶対に教えてくれない『裏・日本民俗史』
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/611.html
投稿者 エテ公 日時 2011 年 10 月 23 日 22:15:23: .XQ.mNI0RTQBI


その国の文化を構成するのは衣・食・住だが“性”もまた同じくらい重要だと考えている。

信じられないことだが、日本ではつい100年ほど前まで「夜這い」が公然と行われていた。しかも10歳前後のウブな少年少女を、近所のおっちゃんおばちゃんが筆下し・水揚げしていたというのだから衝撃的である。

アグネス・チャンさんが聞けば卒倒して、サルケダモノ野蛮人エテ公とあらん限り罵倒してくれるはずだ。


これから紹介するのは知る人ぞ知る名著、赤松啓介氏の『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(ちくま学芸文庫)である。読まれた方はご存じかと思われるが、いやはやすごい本だ。なにがすごいかというと、解説の上野千鶴子氏も評するように「わしが実際に体験した」という語り口だろう。赤松氏は明治末期の生まれで、ぎりぎり日本に残っていた「夜這い」文化に触れることができた。いわば“生き証人”であり、その関西弁から繰り出されるオ○コ、チ○コの話は極めて卑猥・・・失礼、生き生きとしており、読む者を引きこませる。スケベじじいの武勇伝が学術的資料になるなど、まったく長生きはしてみるものだ。

この本はバラバラに発表した文章をまとめたものなので、重複も多くやや冗長でもある。ここではいくつかのテーマに分けて短くまとめてみたい。またオリジナルを尊重したいので、ボカシ・モザイクいっさいなしの無修正とする(笑)


では古き良き(?)エロチック・ジャパンにみなさんを案内しましょう。

========================


●「夜這い」とは?

夜這いとはなにか、これがなかなか難しい問題である。一般には夜這いを、古代に男が女の家へ通った「よばう」民俗の残存という考え方が多い。国文学関係の研究者に多い考えだが、それでは古代から中世、近世をどのように経過してたどってきたのか、それがわからない。古代から、中世、近世を飛び越して、近代に復活したと考えるには無理がある。今の資料で見ると徳川時代には広く夜這いが行われていた。しかし中世の情況が明らかでない。戦国時代にも行われていたようだが、その実況は明らかでない。

徳川時代の法令、藩法、郷村規約などでは、しばしば夜遊びや夜這いの禁令を出しているが、それは婚姻制的な強制ではなく、風俗的な取締りというべきものにとどまっていた。

明治政府は、一方で富国強兵策として国民道徳向上を目的に一夫一妻制の確立、純潔思想の普及を強行し、夜這い弾圧の法的基盤を整えていった。そして、他方では資本主義体制の普及と発達のため、農村、とくに貧農民を農村から離脱、都市に吸収して安価な労働力として提供し、農村では小作農として定着、地主の封建的地代の収奪を強行させ、地主対小作の対抗を先鋭化させた。こうして都市や新興の工業地帯の性的欲求のために遊郭、三業地、淫売街などの創設、繁栄をはからざるをえない。そうした資本主義的性機構の発達によって巨大な収益を期待した。

これに対して農村地帯で慣行されている夜這いその他の性民俗は、非登録、無償を原則としたから、国家財政に対しては一文の寄与もしなかった。
(p74―p75)


日本の農業は、戦後の一九五〇年代に完結した機械化、化学化によって第一次産業としての様相を激変させてしまい、それ以前のように宗教や信仰との密接な関係を失ってしまった。
(中略)
特に、田植え前後は肉体的な作業が集中した。苛酷であっただけにまた一面では極めて娯楽的な要素が盛り込まれていた。大田植え、花田植えのように歌舞音曲を伴奏させながら作業することもあったが、一方で手軽に求められることとなると、男と女の肉体の相互交換、利用ということにならざるをえない。
(中略)
共同田植えになると、手甲脚絆の早乙女が一列に並んで作業をはじめるから、お互いに競争心理もあるし、一人だけ休止するわけにもいかないので、疲れをまぎらわせるために、いろいろなワイ談をしたりして笑わせて元気を出す。殆どは夜這い話や若衆たちの評判、イチモツの品定めである。あげくのはては、若衆の取り合いにからんで泥水をかけ合ったり、水田に苗を投げ入れる十二、三のナエモチの男の子が可愛ければ、田の中に引き入れてマタに手を入れたり入れさせたりして相手がびっくりするのを楽しんだ。
(p20―p21)


夜這いによっていろいろの女と交渉が生まれるけれども、お互いに好きになるのにはアジワイが合わねばならぬ。モノの大小というだけでは永続性がなかろう。そこで昔の夜這いでは、年上の娘、嬶、後家などがそのアジワイを若衆に教育し、壮年の男たちは水揚げした娘たちを訓練したのである。それほど完全な性教育が行われ、かつ成功したかどうかは疑問だが、夜這いを介して父兄や母姉たちが自分の娘や息子、弟姉の筆下しや水揚げを依頼する場合があり、そんなときはただ単に性的技巧が上手だからというだけで相手を選別せず、人間的にも信頼できる人物に頼んだのは事実であった。
(p22)


僕のムラでは、数えの十五になると男はみんな若衆宿に加わった。季節は正月の八日から十日で、小さいムラなら二、三人、大きいムラでも五、六人という数だった。
若衆宿というのは、いわばムラの現役兵で、成員は人口が多ければ十五歳から二十五歳、結婚すれば卒業となったが、小さいムラだと十三歳から三十歳、四十歳の既婚の男が加わることになる。ムラの共同作業に出て力仕事をしたりするわけだけれども、夜になると小さい寺のお堂や店屋の前に集まって遊ぶ。
(中略)
夜這いはだいたいこの若衆入りと同時にはじまり、若衆入りの際の相手はどこでも後家さんが主体だった。後家さんが足りないと四十以上の嬶が相手をしてくれることになる。相手を選ぶクジをして、年長者がいろいろ教え、一緒に同行したり一人で行かせたりするのだが、ムラによってはすぐには夜這いをさせないところもあり、年長者について行って、ゾウリを持たされて外でじっと待たされる期間が続いたりする。運が悪いと一年たっても下足持ちという者もいて、親が他の若い衆たちに早くさせてやって、と頼むことになる。
(p23―p24)


さあ夜這いとなると、すでに経験済みの者は、どんなオバハンに当たるやろかと楽しみだろうし、未経験者は、さてどんなことやらと嬉し、恥ずかしで胸ワクワクである。年長者の方は、あの後家ハンに当たったら怖いぞ、気に入なんだらハジキ飛ばすぞ、などと脅した。
(中略)
若衆入りの晩や、その二、三日前ぐらいからヘンズリもやめて精を溜めとかんとあかんというのと、その前に出しておかんとあかんという両説があって、僕たちは先輩の「口伝」に頼るしかなく、どっちしようかと迷ったものだが、だいたい精を溜めるという方が有力だった。素人判断で溜めておく方が長持ちするだろうというだけのことであった。
小学校や中学校の修学旅行のように、とにかくガヤガヤ、ワアワアとするうちに一夜が明けると、なんやこんなもんであったのかという不満派、こんなにええことやったんかという歓喜派が生まれた。どっちにしてもタコ、キンチャクの美味、快悦を求めて一生放浪しなければならんこととなる。
(p25)


かくして、だいたい若衆入りから夜這いははじめるのであるが、やり方、相手などは字ごとに実に多様である。
後家や嬶だけじゃなくムラ全体の女を開放しているところもあるし、また、娘と後家、女中とかだけを開放しているムラもある。
(中略)
娘が気に入っている男が当然のことながらいたわけで、昼間、娘の方から松葉を紙に包んで相手に渡して誘うこともあった。
(中略)
その一方で、気に入らない男の足音がすると、きっちり戸を閉めてしまう。男の方は、戸に小便をかけて開けようとするが、どないしても開かない。スゴスゴと帰るしかなかった。
(p29―p31)


夜這いにもいろいろの方法や型があり、ムラ、ムラで違う。
(中略)
若衆仲間と娘仲間との相談で、一年間をクジその他で組合わせるムラがあり、また盆、祭りなどに組合わせるムラもある。こうしたムラではクジで決めると絶対に変更しないムラと、一か月とか、三か月すんで変えられるムラもある。そのときに酒一升とか、二升つけるムラもある。また若衆と娘とが相談して順廻りにするムラもある。これであると娘に通う男は一夜、一夜で変わるわけだ。病気や他出で行けないと、次の男が行き、行けるようになれば、次の晩から入る。ムラの女なら娘はもとより婆、嬶、嫁でも夜這いしてよいというムラでは、嫁、嬶など旦那のある者は、旦那の留守に限るというムラが多く、その日の夜から夜這いに行ってもよいムラ、三日留守、五日留守したら行ってもよいムラとがある。
(p80―p81)


さて、ムラによっては若衆仲間と娘組が相談し、あの子は気が弱いから、この娘がよかろうとか、あの子が気が強いから、あの姉さんがよかろうなどと親切に組合せを考えたり、夜這いの夜を定めたりして、筆下しさせた。こうしたムラでは初めて夜這いしたとき、娘さんに誰の息子の某ですと挨拶して手拭いを差出すのもある。そうして十分に教育がすむと他の娘の家へも夜這いさせたり、馴れてくると勝手に好きな娘へ自分の好みで夜這いするようになる。
(p83)


しかし、すべての男と女とが慣習通りにメデタシ。メデタシになるわけではない。とくにいろいろの障害者の人たちにとっては、昔のムラも、生きるのに難しかったと思う。
(中略)
障害者たちに肉親の人たちが性教育をして一方が妊娠したというハナシは多い。
(中略)
ハンセン病者では旅へ出た人が多い。知能障害などの場合は都市へ出ていくものが多いようで、スラム街などで夫婦同様の生活をすることもある。
(中略)
このような人たちにも、生きて、結婚もできるという社会にし、性教育もするのが、われわれの作業だろう。そうした社会への展望も持たないようでは「性教育」などムリだ。「性知識教育」など、いくらやったところで、こうした基本的な問題には触れないだろう。
(p83―p84)


● ムラの仲間組織

ムラの子供は宮参りすると子供組に入り、だいたい十三か、十五で若衆組に編入された。したがって十二か、十四の子供が子供組のカシラになった。十二か、十四の子供が三、四人も居ると、お互いに選挙して「子供大将」を決めた。子供組としては共同の遊び場所を決めたり、ムラの行事や祭りに参加し、いろいろとカネを集めたりして運営の費用にした。女の子は女児組を作るムラもあるし、男の子と共同するムラもある。子供組は子供大将に指揮されて行動する。ムラのオトナたちは子供組の自治には干渉せず、殆ど子供の自由にまかされる。これが現代と違う大きな特色である。

ムラによって多少の違いはあるが、だいたい男は生まれて十二か、十四までが子供組。それからだいたい二十五か、結婚するまでが若衆仲間。若衆仲間はムラの行事、祭り、水喧嘩などには中心となって活動する現役兵であるから、大きいムラでは二十五か、結婚すると仲間から出るが、小さいムラであると三十五、四十ぐらいになっても出られないムラもある。
(中略)
女は十三ぐらいで初潮があると「娘仲間」に入る。娘仲間は「姉さん」を頭にして若衆仲間と交渉したり、共同作業をする。だいたい初潮があると夜這いの相手にされるが、ムラによると十五、十六になって陰毛が生えるまでは許されないのもある。
(p44―p45)


● 男の「筆下し」

ムラでは十三歳にフンドシ祝い。初めて白布またはアカネのフンドシをする。このときオバとか、年上の娘から性交を教えてもらう。十五歳になると若衆入りで、すべての男が年上の女や娘から性交を教えてもらう。いまの若い男どもは、夜這いですらウソなどと教えられ、結婚まで童貞が理想と教えられかわいそうだ。

つまり、ムラでは十三か、十五になると公式に性交教育を受け、後は夜這いで鍛錬した。ただ十三、十五というのは公式の儀礼で、その人たちによって違うからが十にもなると女や娘たちが性交を教えるのもある。私は十から教えられ、十一で射精、十二、十三ぐらいになってフロや泳ぎで他の同年の仲間と比較、太くて大きいのにびっくりした。
(p54)


夜這いの盛んな時代ではオトコもオンナも初交が早い者も多かった。もう共同風呂をやっている家の子供であると、フロから出てくると次に入るオバハンが待っていて、お前もうチンポ大けなったやいか、見せてみい、とつかまえて、つかんでしごいてくれた。チンポむかれて、痛い、痛いと泣くと、ようむかんと嫁はんもらわれへんぜえ、とまたむいて、しごいてくれた。
(p58)


若衆入りすると一人前の村人として認め、土木工事や農作業などに出ても一人前の賃金を払った。また女との交際、女遊び、夜這いも公認された。また結婚もできる。悪いことをすれば大人なみに処罰されるし、責任もとらされる。
(中略)
ムラにはたいてい神社、寺院があり、他に仏堂や庵寺(尼寺)のあるのも多い。この独立の仏堂や庵寺はムラ境とか、墓地の端に多く、ムラの住居地域からは離れている。
新入りの若衆を多くの地方では「日の出」という。その日の出たちを夜、六時頃から仏堂に集める。ムラでは人数だけの後家を集めるが、足りないと四十ぐらいの嬶がクジとか、順廻りで出る。
(中略)
だいたい夕食が終ってから堂へ集まり、人数が揃うと堂を閉めてしまう。冬だから堂内は真っ暗くなり、僅かに本尊の前の大ろうそくだけが輝く。その前で後家さんたち五名、若衆五名がクジを引く。クジの決め方はいろいろでムラによっても、その年の人数でも変わる。
(中略)
ただし当たった女と若衆が一年間、ずっと関係するかどうかは、お互いの好みによるわけで、決められていない。人数が少ないとジャンケンやヒモを引いたりして決める。しかし、これだと母子を避けたり、好きな子をとったり、インチキできるそうだ。イヤ、そんなことは絶対にしないと堅い後家さんもある。しかし、だいたい後家さんも、新入りの若衆もわかっているのだから、あの後家さんならええとか、あの若い衆が欲しいなどと思うのは当然だろう。
(中略)
とにかく堂が閉められ、組合せが決まるとならんで般若心経を二回唱える。後家さんたちが当たった若衆に暗唱できるよう教育する。
(中略)
御詠歌がすむと、お前らは外で小便して来い、ようしぼって出すんやぞ、と若衆たちを追い出す。
(中略)
若衆を追い出すと女たちは掃除をして、フトンを敷く。五組ぐらいで満員である。すむと若衆たちを呼び入れて組になってネヤに入る。たいてい南、無、阿、弥、陀の順にするようだ。入ると女が男を抱きよせてやる。オバハンのとこ、柿の木ありまっか。あるぜ。この間に女は帯をといて下半身を裸になる。よう実なりまっか。よう、なるぜ。サア、見てんか。いうてもなかなか手を出さないそうだ。そこで男の手をひっぱってお乳をにぎらせたり、さすらせたり、吸わせたり、女は教育に忙しい。すでに女の経験があるかどうかすぐわかる。男はわしが上がってちぎってもええか。サア、はよ上がってちぎってと、チンポをにぎって上がらせ、内へ入れさせる。

書くとこんなになるが、初めての男だと、いろいろ手間がかかるらしい。女の方も初めての男を喜ぶのもあるし、イヤがあるのもあるそうで、なかなかうまいこと当たらんらしい。隣は激しくピストンしているのに一向に、立たんのもあって、こんなのに当たると困るそうだ。お隣の情況に気をとられるのもあり、アホ、横見てんと気入れんか、と叱ったり、大変らしい。
(中略)
ともかく第一工程が終わると一休みして、お茶になる。それから第二工程に入り、いろいろと高級技術の伝授になった。だいたい後家さんだからチャンスをやるらしい。最も困るのはインポで、後から自宅へ通わせたのもあるそうだ。マジメな子供だと、母親が心配していろいろ試験管に頼むのもあり、うまくすむとヤレヤレというのもあるらしい。
(p63―66)


● 女の「水揚げ」

女の月経は、つまり初潮はだんだん早くなり、もう九つ、十になるとあるらしいが、徳川時代から明治頃はまだ「秘蔵娘も、はや十三や豆がはじけて月を見る」といい、十三ぐらいであったらしい。古くは初潮があって行事をしたのだが、十三の誕生日とか、ヒナの節句などにやるムラもあった。初潮があってからだと個人的になり、その家の行事になるが、一定の日に限ると、ムラの女の子は、その日になれば自動的に娘になる。これは娘宿の残っているムラに多かった。
(p69)


初潮があってしばらくすると母が娘を連れて水揚げの依頼に行く。だいたい午後に、ムラでも水揚げが上手で人柄もよい人とか、他所のムラの親類の長老などへ相談の上、訪ねていく。酒一升とか、白布一反とかいろいろ決められている。巧者で、末長く相談相手になれるような人を選ぶ。若い道楽者はダメだ。
(p71)


ムラの若衆たちが夜這いにくるムラもあるが、娘仲間が管理しているムラであると「十三と十六 ただの年でなし」「十六の 春からひえを 蒔いたよう」というわけで初潮だけでは一人前と見ない。ひえを蒔いた状況、つまり陰毛の生育状況を検査して合、不合を決めるという合理的なムラもあった。こうしたムラでは若衆頭が娘の希望を聞いて好きな者や熟練者に水揚げさせる。

しかし断っておくがこんなムラばかりではなく、若衆たちがクジビキその他で決めたり、早い者勝ちというのもある。
(p72)


● 結婚

したがって結婚生活というものを固定的なものとは考えず、男か女かどちらかが別れるといえば、多少のいざこざがあったとしてもあまり騒がないでわかれる。
(中略)
同棲したからといっても必ずしも双方が、相手を性的に独占したわけでも、できたわけでもなかった。

また別れるのも簡単で、離婚のなんのと騒ぐことではなかったから、古い記録を見ても三婚、四婚は珍しくない。めんどうな記録でもそれほどたくさんあるのだから、記録にならない別れや出会いは更にたくさんあったのだ。コドモが生まれたとしても、必ずしも現に同棲している男のタネとは断言できない。しかし同棲している期間中に生まれたコドモは、その男の子として育てられる。

大正の初めには東播あたりのムラでも、膝にコドモをのせたオヤジが「この子の顔、俺に似とらんだろう」と笑わせるのもおった。夜這いや雑魚寝、オコモリの自由なムラでは当たり前のことで、だからといって深刻に考えるバカはいない。
(p215―p216)


● 柳田国男について

日本民俗学の泰斗といわれ、「郷土研究」や「婚姻の話」を著している柳田國男は、僕の郷里から目と鼻の先の出身で、子供のころから夜這いがおおっぴらに行われているのを見聞きしながら育ったはずだが、彼の後継者同様に、その現実に触れようとしなかった。彼らはこの国の民俗学の主流を形成してきたが、かつてはムラでは普通であった性習俗を、民俗資料として採取することを拒否しただけでなく、それらの性習俗を淫風陋習であるとする側に間接的かもしれないが協力したといえよう。そればかりか、故意に古い宗教思想の残存などとして歪め、正確な資料としての価値を奪った。そのために、戦前はもとより、戦後ものそ影響が根強く残り、一夫一妻制、処女・童貞を崇拝する純潔・清純主義というみせかけの理念に日本人は振り回されることになる。

自分たちの倫理観や、政治思想に反するものの存在を否定するなら、そうした現実を抹殺するしかない。農政官僚だった柳田が夜這いをはじめとする性習俗を無視したのも、彼の倫理観、政治思想がその実在を欲しなかったからであろう。
(p33―p34)

ムラの生活では男も、女も比較的早くから性交の経験をするので、いわば初交など道で転んでスネをすりむいたぐらいの感覚であり、貞操を失ったとか犯されたなどと大騒ぎするほどのことでない。
都市育ちや都市化した民俗研究者にはこのへんがわからないので、筆下し、水揚げを大事件だと思い、そういうことを結婚以外で経験するのは国民道徳に反し、君に不忠、親に不孝の最大の罪悪と宣伝する政治屋にだまされ、チンドン屋となって手先にされた。柳田國男はチンドン屋の親方をつとめたが、彼自身はそれを信用するほどバカでなかっただろう。
(p144―p145)


● 教育勅語、キリスト教価値観の浸透

要するに明治二十年から三十年頃に生まれた女性の殆どはマチなら幕末、ムラなら村落共同体の思考感覚で生活しており、明治時代の近代教育ですら殆ど受けていない。家父長制とか、一夫一妻制などの思考方法がなじまないのが当たり前で、夜這いにしてもマチの付き合いにしても、性的交渉を淫風陋習などと感じるはずがなく、お互いに解放する機会があって当然だと思っている。

教育勅語的な思考、処世方法が一般の女性にまで浸透してくるのは、大正も第一次大戦以後であって、明治時代に初等教育を受け、あるいは受けなかった一般の女たち、すなわち「教育勅語」によって汚染されなかった女たちと、「教育勅語」によって汚染された女たちとの間には、明確な人生観、世界観の差ができてきた。同じ明治時代でも、女学校など中等教育、あるいはキリスト教的な教育を受けた女たちは「教育勅語」的汚染に早くから侵され、それをもって新しい女だと勘違いしていたのでその落差は大きく、殆んどのムラではスソナガ、スソヒキなどとよばれ、ムラの女の世界から孤立させられ、僅かに愛国婦人会的組織を通じて連帯するほかなかったのである。
(p213)


● 夜這いの終焉

他の条件としては、都市で店と住との分裂が起こり、店では通勤の女店員に転換、丁稚、手代なども通勤の店員・社員が主力となり、もはやごく僅かな女中、店主が私用のみの昔の女中が残るだけとなり、事実として「夜這い」民俗の基礎が消滅したのだ。ムラでも、女工、女給など都市へ出稼ぎに行く傾向が激しくなり、半季・年季の女中・子守奉公より有利であったから、同じく「夜這い」民俗の基礎が急速に崩れ始めたのである。

山村や辺境のムラに、遅くまで「夜這い」民俗が残ったのは、昭和経済恐慌で辺境や山村まで近代化が浸透しなかったからだ。
(p314)

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赤松氏は「夜這い」を、共同体維持のための知恵だとした。古き日本の共同体では男女の肉体でさえ「共有すべきもの」と考えたのである。
などと難しいことを書いたが、要は赤松氏も言うように、娯楽の少なかった時代、手軽に楽しめるのがセックスだったわけで、それを仲間内で交換しあったのが「夜這い」ということになる。

ムラによってはクジで相手を決めたそうだ。なんとも日本的である。これならハゲでもデブでも、ブス・ブ男でも仲間外れが起きない。現代的な人権思想からすればトンデモない話だが、争い避けるための知恵だと言われればそうも思える(ムラによっては女性から嫌われると戸を閉められたそうだが・・・)

そんな「夜這い」文化も、近代経済システムの浸透によって根底から粉砕されていく。「地租改正」によって多くの自営農民が土地を失い、彼らはムラから都市へと流れ“近代的”賃金労働者となっていった。しばらくはマチでも夜這い文化は残ったそうだが、丁稚・女中といった住みこみの勤務形態から現在のような通勤形態にシフトしていくことで、やがて勢いを失っていった。

こうした物理的条件の喪失と、学校教育による西欧(キリスト教)価値観の刷りこみが決定的要因となり、大正時代あたりから急速に姿を消していったそうだ。戦後も山村などではしぶとく生き残っていたそうだが、高度成長期にもなるとついに日本から消滅した。

このことを知識人と呼ばれる層ほど、天然痘やポリオ撲滅と同じように“文明の勝利”とか“日本人の進歩”などと誇りそうだが、同じ口で「共同体の崩壊」を叫ばれたら、おいおいと言いたくなる。

いわゆる日本の“保守”を自認する人たちのデタラメさもわかったはずだ。彼らはせいぜい、明治以降の『近代日本』の制度・価値観を保守しているにすぎない“進歩派”なのだ。
読売ポダム新聞のナベツネと仲よしの三宅某がうさん臭いのも、たった一世紀前に支配層によって導入された価値観を、さも“日本の伝統”と喧伝し、ほぼ同時期に輸入されたリベラルな価値観と闘うアホくさい三文劇をやるからだ。

これは資本主義と社会主義にも言えることだが、どちらも『近代主義』である。どっちに転んでも利益を得られるように、彼ら(近代国家で利益を得る人たち)は自分たちの都合のいい“選択肢”を用意する。そして国民にその枠内で思考させ、無自覚な隷属状態に置く。

日本の小賢しい官僚機構もこの支配方法を踏襲している。原発推進に自然エネルギー発電という対立軸を“用意”することで、将来の原発再稼働を確かなものにしようという算段である(火力発電と違い、高コストかつ非効率な自然エネルギー利用では原発の代わりとなりえない)


ちょっと脱線したが、私たちは『共同体の崩壊』を憂う前に、ほんの100年前までうまく共同体を維持してきた先人たちの知恵にもっと目を向けてもいいはずだろう。奔放なセックスが解決のカギとは言わないが(笑)、なんかしらヒントを与えてくれるはずだ。


でもいいよなあ、夜這いって・・・
 

<転載終わり>

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 夜這いという言葉は知っていましたが、内容を知って驚きました。この内容が全て正しいかどうかは判りませんが、ある程度は事実だと思います。とにかくこういう性の話しは表には出て来ない内容ですし、議論しにくい内容です。

 昨日は中矢代表の単独講演会が新宿で開催され、400名くらいの方々が全国から集まりました。コルマン・インデックスや太陽活動の異変、世界中でのデモ、日月神示最後の一厘、半霊半物質、東北から良くなる、自給自活型「ジャパンモデル」、放射能問題など幅広い内容についてご講演くださいました。個人的には、ひふみ農園を担当する者として、自給自活型の「ジャパンモデル」のご説明と展望についてのお話しが、特に心に残りました。一緒にやっているAさんやSさんと共に、とても励みになるお話しでした。しっかりやっていきたいと改めて思いました。

 その後29人の有志で、懇親会を行うことになりました。甲州街道沿いのさくら水産に入ったところ、丁度29人が座れる部屋が空いていました。大阪のIさんや神戸のKさんも懇親会に参加してくださいました。また、135度線ツアーに参加された方々も8名おられ、再会を喜んでいました。全国にどんどん仲間が増えていくのが実感として判り、心強くまた嬉しく思いました。座るやいなや各テーブルで一斉に話しが始まりました。特に女性陣は初対面でも竹馬の友のように話しているので、とてもびっくりしました(笑)。

 日月神示の話しやら講演会、ツアーなどの話しで5分もしない内に盛り上がりました。その中で、千賀一生先生の「タオ・コード」や「タオの法則」の話題になりました。この本の中では、性のことを正面から扱っているとのことでした。日月仲間と、性の問題について話したのは初めてです。ただ、性の問題は人が生きる上では、とても大きなことですので、今後色々と話し合うのは面白いと思いました。この夜這いの記事は衝撃的な内容なので、消化できていませんが、100年くらい前までは、結構当たり前にあった事実なのかも知れません。これから自給自足共同体が各地にできてくると思います。自給自足共同体に、この記事のような夜這いという風習が復活するとは思えませんが、100年後の性の考え方は今とはかなり違うように感じます。また、縄文人の性がどのようなものであったかも、知りたいところです。

 

 

・阿修羅

 

 


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