憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

今年最後のヘイケボタル

2007年07月20日 08時57分32秒 | イベント
7/20(金)22℃

 おはようございます。
 九州地方は数日前に梅雨明けをしたんでしたっけ?
 長期的な天気予報では、空梅雨のような予報がされてましたが、太平洋側では十分な雨量があり、広島・湯来でも農業用水には困らない程度の水量があります。今日も、雲行きが悪いようで、午後からは下り坂の予報になってます。ブログの壁紙のようにカラッと晴れてくれる日が待ち遠しい今日この頃です。(梅雨明けまだかな~)
 お出かけの際は、傘を忘れずに。

 昨夜も、蒸し暑かったですね。
 夕飯時に缶ビール350mlを1本飲んで、星座でも見てみようかと外に出たんですが、自宅庭先を今年最後(かな?)のホタルが弱弱しく飛んでるのを目撃しました。ホント、「最後の力を振り絞って飛んでる」っていう表現がピッタリの飛び方でした。しばらく目で追いかけてたんですが、だんだん自分のほうへ近寄ってきて、紫陽花の花に軟着陸。止まったところをそっと両手で掬い取り、ホタル籠に入れて鑑賞することにしました。
 体長7mmのちっちゃな雄だったんですが、しっかり光を放ってました。他にもいないかと辺りを見回したんですが見つけることができませんでした。ホタルの生息期間は7~10日前後と言われているようですが、1匹だけ飛んでいたホタルはさぞかし心細かったんではないでしょうか。

 ホタルのことを色々と考えているとアニメの「火垂るの墓」を思い出してしまいました。皆さんの「ホタル」にまつわるエピソードがあればコメントをお願いします。
(湯来で作られているホタル籠に入れておいて実際に逃げ出せるかどうかを試してみたんですが、今朝、ホタル籠に入れていたホタルは自力で籠から脱出してました。湯来で作っているこだわりのホタル籠は脱出できるんだぁ~
 今年最後の目撃であろうあのホタル、逃げ出した後どうしたでしょうね。気になってます。

 「火垂るの墓」が気になったということで、ご存知ない方は下記をお読みください。
※文面はHP内の映画紹介記事を引用させて頂きました。

 原作:野坂昭如(のさかあきゆき)
 (今は亡きあの、大島渚監督を殴った事でも有名??な監督)。
 舞台は昭和20年の神戸。空襲の日から、主人公である兄妹が死に至るまでを描いた作品である。高畑勲監督による(他にホルスの大冒険、じゃりん子チエ、おもひでぽろぽろなどの作品がある)劇場作品、併映は「となりのトトロ」。1988年作品である。
 まずは「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というモノローグと共に、主人公・清太の餓死シーンが描かれる。駅の柱にもたれかかって倒れている主人公・清太。もはや動くことも出来ないまま、下痢の痕跡がそのまま残っている。・・・そして、死。その清太が唯一大事に持っていたドロップの缶の中には、先に逝った幼い妹・節子の遺骨が入っていた・・・。
 戦時中としては恐らく裕福な家庭に育った清太と節子。神戸の空襲から命からがら逃げ延びた二人の兄妹。だがその時に母が大火傷を負ってしまい、翌日衰弱して死亡する。二人だけになった兄妹は叔母の家に身を寄せるが、行くべき学校も焼けてしまったことでぶらぶらと毎日を過ごす(この時、二人で海へ行ったりと美しい思い出も描かれるのだが)。叔母から邪険にされる兄妹は、二人だけで暮らそうと家を出て、使われなくなった近くの防空壕に身を寄せる。
 わずかな間、楽しい生活が続いたが・・・食糧不足の時代、身寄りのない(断ち切った)二人が生きていくにはあまりに難しいものがあった。せめて妹の節子にだけはいいものを食べさせてあげようと、清太は空襲にまぎれて民家へ盗みに入ったり、畑の野菜を盗んだり・・・。しかし、それすらもままならなくなった中で清太は日本が戦争に負けたことを知る(同時に、出征していた父親が戦死していたことも)。絶望の中、二人の衰弱はより激しくなり・・・ついに節子が餓死する。その亡骸を荼毘に付した清太はどこへとも知れず消えていく。
 この作品のタイトルにもなっている「火垂る(ほたる、蛍)」は、劇中に登場するホタル達を埋めた墓であり、また二人の兄妹のあまりにはかない生き様を表現したものである。防空壕で暮らし始めた頃、池からつかまえてきたホタルを、壕の中に吊った蚊帳に放つ。そこに見えるのは、満天の星・・・あまりに美しいその様に、兄妹は自分達の楽しい暮らしを重ね合わせる。しかし次の朝、ホタル達は一匹残らず死んでしまう。これを節子が壕の前に埋めながら、「なんでホタルすぐ死んでしまうん?」と涙ながらに清太に問う。それは、二人の行く末を暗示する問い。幼い節子が思わず口にした言葉、それはあまりに悲しい「予感」でもあった。
 「ドロップ缶」の存在もこの作品では欠かせない。食糧不足の中、二人の兄妹が唯一持っていた「お菓子」は、冒頭のシーンで節子の遺骨を入れた缶として登場する。これは、ドロップが大好きだった節子を思っての、清太の配慮だろう(他に入れ物が無かったという解釈も出来るが、それではあまりに味気ない)。節子が亡くなる少し前、清太に抱きかかえられて氷の削りカスを口に含む場面・・・衰弱しきった節子は、「何が食べたい?」と清太にたずねられると、ほんの少しだけ元気な顔を見せて(!!)「またドロップなめたい」と告げる。 まるで屍のような節子が、その一瞬だけ血の通った表情を見せるこのシーンは、全編を通した中でも屈指の名シーンといえる。
 人物描写の細やかさもこの作品の大きな魅力。特に作品中で「悪役」として描かれる叔母の描写は見事といえる。立派な親を持つ二人の兄妹を優しい顔で迎え入れるが、親が死んだことを知ると徐々に兄妹に対する態度は冷たくなっていく。二人の母にとって形見となる着物を物々交換に出すことを勧め、もらった米の多くを「預かって」しまう。そのクセ、叔母が家族には出す「白いお米」は、二人は滅多にお目にかかれない。さらに実際には映像として登場しないが、叔母は清太に口止めされていたのにもかかわらず、幼い節子に母親の死を告げてしまう。これ以外にも、夕食の後片付けをしながら、お釜のおこげをペロリと味見するといった日常的な描写も、この叔母に関しては非常に細やかである。
 劇中では非常に冷酷に描かれている叔母。しかし、この叔母は決して特別な存在ではなく、どこにでも居るような普通の女性である。ある家族の中にいきなり他人が居候すれば、よほど気が合わない限り居心地は悪くなってくる。二人の米を「預かって」しまったのも、二人を世話する当然の報酬として彼女は考えたのだろう。そして節子に母の死を告げたという行為は・・・恐らく、「つい口からはずみで」出た言葉だったのだろう。これは非常に冷酷な行為にも思えるが、裏を返せば「心無い言葉が、いかに人を深く傷つけるか」という事でもある。本人が意識していないだけで、ちょっとした言葉一つで他人を深く、深く傷つけてしまう・・・。そう、たとえ常に笑顔を絶やさずにいるような人ですら、「誰だってナイフになれる」のだ(中島みゆき 夜会Vol.8より引用)。
 この叔母は、決して悪人ではない。どこにでも居る、普通のオバサンである。この映画を観て、どんなにこの叔母が悪く見えても・・・他人から見れば、自分自身がこういう風に映っていないと断言出来ようか??
 一方、主人公の清太は・・・とても戦時中の子供とは思えない、いわゆるお坊ちゃん育ちである。海軍将校を父に持ち、美しい母のもとで育った清太。別荘地(?)で「そうめん」や「カルピス」を食するなど、戦争当時では考えられないような贅沢をしていたようだ(劇中では終戦間近なので、もっと質素な暮らしに変わってはいたが)。そのためか、「学校が焼けた」という理由で何をすることもなく、居候する叔母の家でブラブラする始末。恐らくは、何かをする時には母親がほとんど決めてくれたのだろう。そして、たった一人の妹・節子を守るために、具体的に何をどうすべきだったのか・・・母親を亡くした清太には、そのために自分が何をすべきかもわからなかったのだ。二人だけで暮らし始めてから、ようやく自分達の周りの世界がどうなっていたのかを知る清太。その中で絶望し、悩み、そして自分なりの判断で、がむしゃらに奔走する。しかしその甲斐もなく、結局は節子を餓死に至らしめてしまう・・・罪悪感と喪失感に苛まれた清太が、その後積極的に生きようとするはずもなかった(叔母の家に再び身を寄せれば、最低限の生活は保障されたはずなのに)。
 作者の野坂昭如も、やはりこの時代に妹を亡くしたという。作者は同じような体験から生き抜くことを選び、劇中の清太は死に至った。これは、「本当なら妹に死んで詫びたかった。けれど、生き抜きたいという人間の本質的な欲求の方がその気持ちに勝った」という理由からかも知れない。だからこそ、亡き妹への謝罪の気持ち=”清太の死”という形に繋がっていったのだろう。作者はまた、「妹に対してこんな風に優しく出来ていたなら」という想いも持っていたようである。だからこそ、劇中の清太と節子はこれ以上ないという程に仲が良いし、その生き様を観る人達に涙を誘うのだろう。
 しかしこれだけは言っておかなければならない。清太が餓死へと至るケースはあくまで現実をモチーフにした「フィクション」である。現実は、もっともっと過酷で、惨めで醜いものであったのだ、と。 身寄りがあるのにもかかわらず頼ろうとしなかった劇中の清太とは違い、現実に戦後間もなく餓死に至った子供達のほとんどは、身寄りがこの世から「消滅」してしまったのだから・・・。戦争という時代に追い詰められた人間は、どんなことをしてでも生き延びようとするのが自然だ。そして、そうした自然な心を無理矢理封じ込めて、「お国のため」と言って殉じていった人達の気持ちは・・・もはや現代の私達の想像を絶する、あまりに大きな苦しみであったに違いない。
 物語の最後、誰もいなくなった防空壕。それは二人の兄妹にとってまさしく「Home Sweet Home」(はにゅうの宿)だったのかも知れない。 蓄音機から優しく流れ出す「はにゅうの宿」と共に、清太と節子の楽しかった記憶が蘇る。節子の作ったホタルの墓、節子が最後に口にしたスイカ、清太が置いていってしまった七輪。こんな悲惨な時代でなければ、二人だけでもささやかながら楽しい生活が出来ただろうに・・・このシーンでの節子の幻は、あまりにも無邪気で、微笑ましい。それ故に、哀しみはさらに深まっていく。
 声優陣の演技の見事さにも注目して欲しい。特に節子役は当時5歳であった事を考えると、まさに天才的と言える。そして日常生活のアニメーションの丁寧な描写。美しくも哀しい音楽による効果も絶大である。
 今の私達の裕福な時代は、半世紀以上前のこの悲劇の上に成り立っているのである。決して、忘れてはならない。ラストシーンの清太と節子が現在の神戸の夜景を見つめているのは、そんな事を伝えたかったからではなかったか。
コメント (3)
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