ヒロシの日記

たくさんの人たちの幸福を願いつつ、常に自然な生き方を望む私の日記です。

レビュー 映画“Pan's Labyrinth”(パンズ・ラビリンス)

2010-09-23 15:40:25 | 絵本
ファンタジーの本質は、その中の主人公や読者である私たちの辛い現実からの逃避であることは、誰でもが認めるところではないかと思います。

多くのファンタジー作品の主人公が、その世界の中で試練を乗り越えることはファンタジーのお約束ですが、しかしこの作品の主人公である少女(オフェリア)は、その世界の中でいくつもの試練を受けながらも尚、現実の中でも生きるための闘いを強いられていたのです。

主人公の現実での死(に等しいことも含む)がファンタジー世界での復活となるのは、映画“アバター”のラストシーンである魂の樹の聖なる力を借りてナヴィ族として転生した主人公(ジェイク)に重なると思いました。

しかしアバターの主人公が、戦傷による不自由な体も人間としての過去も捨て、強健な肉体と愛する家族を得たナヴィとして転生した姿は私たちに癒しを与えてくれますが、少女の生み出したファンタジー世界の王女としての復活は、誰でもが彼女の息絶えるまでの幻想だと疑わないでしょう。

果たして彼女は、消えゆく命の現実を前にして彼女がいつも携えていた本の中にある“永遠の命”を手に入れたのでしょうか?


この映画は、ラストシーンでもある血を流し今まさに息絶えようとしている少女の姿から始まりました。
これは映画の作り手による意図であり、少女には現実からの逃避であっても読者である私たちには“現実から目をそらすな”とのメッセージだったのでしょう。


さて、この映画の現実には第二次世界大戦を背景にしたスペイン内戦があります。

主人公である少女の現実での闘いは、少女の義理の父親(母親の再婚相手)となる“大尉”との闘いですが、この大尉はファシズムの権化のような人物でした。


少女の置かれた現実は、この強烈な独裁的権力と暴力があったからこそ、よりリアルに描かれていたのだと思います。


本当のファンタジーは、主人公の置かれた現実も手を抜くことなく描いたものであり、もうひとつはファンタジーを渇望する私たちの現実・現状をよく理解してのものでこそと思います。


少女の義理の父親となる“大尉”は、この作品の登場人物の中では際立っていましたが、この男の暴力は相手の暴力に対しても寛容であるが故にカリスマ性を感じるのだと思います。

それは、反乱軍のゲリラのスパイと分かった侍女“メルセデス”を問い詰めた際に彼女に反撃されて切り裂かれてしまった頬を自分で縫うシーンが象徴していますし、森の中で少女を撃った後にゲリラに囲まれても命乞いなど一切せず、自分の息子(赤ん坊)に自分が親であったことを伝えて欲しいと乞う姿などは、悪役とは言えあまりにも格好良すぎです!

与えられた権力にあぐらをかいているだけの人間に、これほどの魅力はありません。


私にとっての映画“Pan's Labyrinth”は、少女趣味的なファンタジーではなく、自分の求めるカリスマ性を再確認する映画なのかも知れません。


と書いちゃったけど、ああ“反撃”が怖い。。。ビッグバン爆


パンズ・ラビリンス/PAN'S LABYRINTH劇場予告編 (YouTube)

Wikipedia“パンズ・ラビリンス”


You Tube画像“Pan's Labyrinth”検索結果-  

コメント
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