息子が、庭先で呼んでいます。
行ってみると、何かを両手に包んでいます。
「ぼく、これを育ててみたい。」
それは、松の小さな苗でした。
苗というのか、若芽というのか。
息子は、大切そうに、松を鉢植えにしました。
水をやり、慈しむように見つめています。
その様子を見ていたら、突然、心が震えるような感動をおぼえました。
小さな松が、息子に見いだされ、愛を注がれ、どんなに嬉しく感じているか、突然、伝わってきたのです。
大げさに感じすぎているかもしれません。
でも、その感動は、あまりにも強く、大きく、
しかも、わたしが生み出したものではないため、
松が教えてくれたとしか思えませんでした。
土を変えられ、移されたことは、松にとってよいことではなかったと思いますが、
松にとって、ちいさな子どもが注ぐ愛情は、土や光にも勝る重要なものではないでしょうか。
わたしには、どうしても、そう思えるのです。
「どうしたら、元気に育ってくれるの?」
息子は尋ねました。
「そんな風に、言葉や想いを送ってもらうことが、松は一番嬉しいんじゃないかしら。」
わたしは応えました。
「うん。」
息子は、それからしばらくの間、松と二人きりで過ごしました。
松は生きるでしょう。
息子の想いに応えようと、強く大きく育つでしょう。
今もきっと、慈しみに満ちた想いを、息子に送っているでしょう。
この先、息子に何か起ころうとした時、息子を助けようとするでしょう。
想いの力によって。
息子によきことが起こるなら、その全身を喜びに震わせるでしょう。
植物とは、そういうもの。
人の想いを受けた植物とは、そういうもの。
わたしは、息子に教えられながら、人と植物との素晴らしい交流を、見守っています。