ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

サンタクロースが、わたしにも*日々のつれづれ*

2016年12月29日 | Weblog
もう過ぎてしまったクリスマスですが、

わたしにとって、本当に本当に素晴らしい日となり、

あんまり嬉しくて、表現することができずにいました。



年の瀬の、慌ただしい日々ですが、

今年最後に、クリスマスのことを、お話ししようと思います。




クリスマスイブの夜中のこと。

息子が、こんな寝言を言いました。


“ママ、ゆっくり寝ていてね…”


わたしの聴いた範囲では、二度。



さあ、なんでしょうね。

わかるような、わからないような。



部屋の隅に、黒い布で覆われている、何か大きな物も、

わかるような、わからないような。



さて、クリスマスの朝、わたしは息子に起こされました。


“ママ、おきて、見てごらん!”


見ると、わたしの枕元に、すごいものが置かれていました。



手作りの、薪ストーブ!

段ボールや画用紙などで作られた、大作。

煙突もいれると、わたしの背丈ほどの大きさです。



小物も充実しています。

まずは、マッチ。

たくさん入っています。


薪ストーブには欠かせない、道具類。


それから、フイゴ。

空気を送る道具です。


実物と同じように開閉できますし、先端からは、ちゃんと空気が出るように作られています。

暖炉には、ちゃんと赤い炎が灯るようになっています。


ストーブの上には、やかん。

ついき銅器(一枚の銅板を細かく叩きながら形を整えていったもの)を表現したのだそうです。


びっくりするわたしを、息子がニコニコ眺めています。




そう、思い出しました。

秋ごろのこと。

息子に聞かれたことがありました。

“ママ、一番ほしいものはなに?”


最初は、

“あなたの幸せ”とか、

“あなたが楽しそうに生きてること”

とか答えていたのですが、全て却下され、

“自分のことにして”

と言われました。


しばらく考えてから、

“そうねー。薪ストーブ!

火のある暮らしがしたいの。”

と答えました。



それを受けて、息子は、作ってくれたのでしょう。

何とも素敵な薪ストーブ。

本物よりも、嬉しいくらいです。


だって、どこにも売っていませんし、

世界でひとつしか、ありませんものね。




クリスマスの朝。

わたしは、世界一あたたかいストーブにあたり、

世界一幸せな時を、過ごしたのでした。




応援してくださるみなさま、見守ってくださるみなさま、

一年間、ほんとうに、ありがとうございました。


どうぞよい年をお迎えください。








知りたい時こそ学ぶ時*日々のつれづれ*

2016年12月26日 | Weblog

“ピタゴラスの定理、本で見てもよくわからないんだけど、ママ、教えて?”

調べものをしていた息子が言いました。

工作をする中で、疑問に思ったことがあり、本で調べていたようです。



ピタゴラスの定理・・・。

なんのことだったかしら・・・。

まずは、わたしが復習しなくては。



図鑑によると、図形の面積に関する決まり、のこと。

思い出した、思い出した。

ピタゴラスの定理を説明しながら、三角形の名前や面積の求め方も、ついでに話してみました。


息子は、一生懸命に聞いています。

そして、自分で図形を書いて、あれこれ実証していました。

“すごいねえ、すごいねえ”

と驚きながら。



“じゃあ、どんな形の三角形も、面積の求め方は同じなの?”

と聞いてきました。


どうだったかしら・・・?


見てみると、ちょうど、五年生の算数の教科書に載っています。

わたしも、復習をしながら、一緒に学びます。


三角形の面積は、同じ底辺と高さの四角形の面積をまず求め、その半分、と考えて計算するんですね。

でも、息子は、ちょっと違う方法で面積を計算していました。

それが、正解だったので、大喜び。

嬉しくてジャンプしています。


少し時間のかかる求め方だったのですが、本人が一番納得できる方法のようで、

それがまた、とてもユニークな思考回路。


三角形も、四角形も、息子はどんどん面積を出していきます。

平行四辺形も、台形も。

ひし形も、教科書にはない方法で面積を計算し、見事正解。

“おもしろいねえ”

と、嬉しそう。



“じゃあ、どの辺も平行じゃない形は、どうやって面積を出すんだろう。いくつかの三角形に分ければ簡単だけど。”

“円は、どうやって面積を出すの?辺じゃなくて丸だから、その丸いところは、どう計算するの?”

興味が尽きない様子です。



ここ数日、こんな風に、息子と一緒に学んできました。

面白くて知りたくて、眠るのも惜しく、翌日が待ちきれない、といった様子です。

少数や、分数の勉強も紛れ込み、(正確には、わたしが紛れ込ませたのですが。)

五年生の算数は、2週間も経たずに終わりそうです。

教科学習としては数年ぶりですが、息子には自分なりの知識と思考回路が育まれていたようで、理解も早く、発想はとても自由でした。



求める時こそ学ぶ時。

本当に、その通りでした。



息子は、自分のやりたいこと(工作)の中から、学びを進めていきます。

工作には、様々な教科が混じりこんでいます。


知りたいと思う時、強く求める時、学ぶことは喜びです。

吸収力も、すごいもの。


わたしがお手伝いできる範囲は、うんと狭いので、色々な人に協力していただけるような環境を、作っていきたいです。


わたしにできることは、だんだん減り、内容も変わってきています。

上手にできているとは、とても言えませんが、

できることがあることが、嬉しいです。



たくさん書き込まれた教科書と、芯が丸くなった鉛筆。

まだ少しあどけない寝顔を眺めている夜。


明日も、どうか、息子の学びが、人生が、よろこびに包まれていますように。









再び『サンタクロースの部屋』*私の本棚*

2016年12月24日 | Weblog
ふと聴いていたラジオで、松岡享子さんの『サンタクロースの部屋』のことが紹介されていました。

わたしも、こちらのblogに、去年の冬に書いた記憶があります。


サンタクロースはいつか、子どもの心を去る日がくる、

でも、サンタクロースがいた部屋は、心にずっと残る。

そして、その部屋には、年齢とともに、成長とともに、様々なものが宿る。

見えないものを信じる力、

何か大きなものに祈る心、

誰かのために祈る心、

想像力、

創造力・・・。



わたしの解釈ですが、そんな内容でした。


サンタクロースを信じられる時期は、かけがえなく、子どもにとって、本当に心の踊る素晴らしい時です。

サンタクロースの秘密を知った子どもは、(知り方にもよりますが)、その多くが、大きなショックを受け、涙を流します。

世界が壊れてしまったかのように感じるのでしょう。

そんな子どもたちを、心から愛しく、素晴らしく思います。



どうか、少しでも長く、信じていられるといい。

そして、いつか、それが壊れてしまう日には、その悲しみをわかり、抱きしめてくれるお母さんが、そばにいてほしい。


そして、ずっと先でいいから、“サンタクロース”の名を借りて、子どもたちへ愛を贈り続けた両親(またはそれに代わる人)の心を、感じてほしい。



明日の朝には、

どこで、どんな風に暮らしている子どもたちにも、

全ての子どもたちに、

驚きと、喜びが、舞い降りますように・・・。







みんなサンタ*日々のつれづれ*

2016年12月23日 | Weblog
先日の朗読会の時、馴染みのお母さんからお聞きしたことが、印象深く心に残っています。

こんな、お話しでした。


*****************

クリスマス。

小さな娘たちに、お菓子の贈り物を。

靴下の中に入れて、枕元に置こう。


・・・上の娘たちも、大きくなったけど、やはり、

お菓子の贈り物をあげよう。

靴下に入れて、枕元へ。


・・・ダンナにも、何もないのは、かわいそうだから、

お菓子の贈り物をあげよう。

靴下に入れて、枕元へ。


・・・自分だけないのも寂しいから、お菓子の贈り物を用意しよう。

靴下に入れて、枕元へ。


なんだか、楽しみです。


*****************


ね、素敵なお話しでしょう?


小さな人ではなくなっても、贈り物が届くって、素敵です。

それが、どんなものであっても、嬉しいでしょうね。



わたしの息子も、先日、こんなことを言いました。

“これまで10年間、もらってばかりだったから、今年はぼくが、あげる人になるんだ。”


もしかしたら息子は、サンタクロースというものを、その名にこめられた想いや秘密に、気づいたのかもしれません。

わたしへも、何か手作りの贈り物を準備してくれているようですから・・・。



人はみんな、生きているだけで、誰かのサンタクロース。

存在そのものが、贈り物。


クリスマスは、それを伝える、とっておきのチャンスなのですね。



わたしも、主人に何か用意してみようかな。

ささやかでも、感謝をこめて。



素敵なお話しをしてくださった、お馴染みのお母さん、

本当に、ありがとうございます。


どうぞ、あたたかいクリスマスを。







やはり、森をあるく*日々のつれづれ*

2016年12月22日 | Weblog
よく晴れた日の夕方、息子と、お気に入りの森を歩きました。


常緑の赤松が、お日さまの光を嬉しそうに受け、高く高く、輝いていました。

同じく常緑の、杉やモミは、暗い場所も静かに威厳をもって、そびえ立っていました。



“わあ!素敵なお部屋!”

わたしが興奮して口走ります。

こんな可愛いウロ(木にあいた空洞)を見つけたのです。


小さな動物のお家かもしれないので、

そうっとそうっと、通りすぎます。



この日は、いくつか、とってもパワフルな場所に出会い、息子と大喜びや感謝をしました。


そのうちのひとつが、赤松の、大きな大きな切り株。

樹齢千年クラスの切り株でした。


わたしは、そこにしゃがみこみ、切り株を撫でながら、松の想いを感じていました。


息子は、少し離れたところにそびえる、大きな杉の元に行き、何か質問をしていました。

すると、杉が教えてくれたそうです。


“ずっと、この切り株の松が、ここのオサだった、

その後は、わたし(杉)が引き継いだのだよ、

もう一本、隣の山に、わたしの仲間のオサがいるよ”

ということでした。


隣の山に、捜しに行ってみようね!と約束。

今日はもう、日が傾いてきたから、また次の時にね。


心を開いてくれた木々に感謝をして、また来るね、と約束をして、山をおりました。

木々の想いに包まれている心地で。









うんまんまのみなさま、今年もお世話になりました*日々のつれづれ*

2016年12月21日 | Weblog
うんまんまさんでの朗読会、無事に終えることができました。


快晴。

素晴らしい青空でした。


小さなひとを抱っこして、手を引いて、会いにきてくれたお母さんたち。

朗読と、それから、今回はおしゃべりをたくさんできました。

シンボルツリーのことや、育み方や、ご家族とのことや、いろいろ、いろいろ。


まずはお母さんが、自分らしくいましょうね、

そうお伝えしました。


どんなお母さんでもよいのです。

赤ちゃんは、お母さんの全てを受け入れて、そばにいます。


臆病でも、悩んでしまっても、不器用でも、何か上手くできないことがあっても。

その人らしくて、いいのです。


落ち込んでしまう日は、何かを学ぶチャンスです。

きっと何か発見があるはず。


誰かに迷惑をかけてしまったら、心をこめて謝ればいいのです。

お子さんにも、ご主人にも。

素直になるチャンス。



自分をゆるしてあげられるといいですね。

そうすると、お子さんのことも、まわりの人のことも、受け入れやすくなるから。



それほど力になれないかもしれませんが、

まずはわたしが、わたしをゆるし、

そして、朗読会で出会えるお母さんたちを、こころのなかで、抱きしめます。


・・・でも、

いつもそうなんですが、

“にしださんに会いたくて来ました”

と言って来てくださるお母さんたちに、

わたしの方が、ゆるされ、受け入れてもらっているのですよね。


お母さんたち、みんなみんな、大好きです。



“夜、寝る前に、にしださんのblogを読みます”

と話してくださるお母さんが、時々いらっしゃいます。

お子さんとの時間を頑張り、家事も何とか片付けて、もう遅い時間だけど、ようやく静かになって、それから、読んでくださっているのですね。


眠いでしょう、疲れているでしょう。

悩んだり落ち込んだり、されていることもあるでしょう。


頑張ったご自分を、いたわってね。

本当に頑張ったのだから。


お子さんとのことで、後悔に苦しんでしまっていたら、明日、素直な気持ちを伝えられるといいですね。

どんなに小さくても、子どもは、お母さんの気持ちも言葉も、ちゃんとわかりますから。

そして、きっと、ゆるしてくれます。

小さな手で、お母さんを抱きしめるでしょう。


その幸せを、噛みしめてね。



話が飛んでしまいましたが、

うんまんまのみなさん、お母さんたち、

今年もたくさん、ありがとうございました。


来年も、雪が溶けるころに、またお伺いします。(3月15日(水)を予定しています。)

どうぞ、よいお年を。









今年最後の朗読会*お知らせ*

2016年12月20日 | Weblog
明日、21日(水)10:30から、うんまんまさんでの朗読会です。

今年最後の朗読会。

一年の感謝をこめて、お話ししたいと思います。


わたしは、春まで、朗読会などをお休みしますので、しばらくのご無沙汰となります。

お母さんたちが、気持ちを楽に、元気に毎日を過ごせるように、

明日の朗読会は、労りと希望を詰めこんだ贈り物をお渡しするつもりで、臨みます。


お近くのお母さん、どうぞいらしてくださいね。

どなたでもいらしていただける場所です。


また、お時間がありましたら、是非、お昼を挟んでおしゃべりしましょうね。

うんまんまさんでは、みんなでお弁当の出前を取ることが多いです。

お手頃なお値段ですが、家庭的で、美味しいです。

お子さんの食べ物だけはご用意されて、あとはそのままで、いらしてくださいね。


お待ちしています。

素敵な一日になりますように。











嬉しかったことは*日々のつれづれ*

2016年12月19日 | Weblog
日曜日、久しぶりに、ゆっくりとした午後を過ごしていました。

片付けてしまいたいこと、取り組んでおきたいことなど、いくつもあったのですが、

ずっと忙しくて、わたしらしい時間を持たなくては、と思っていました。

そこで、みーんな脇に置きました。



ああ、どう過ごそうかな、と、胸が踊りました。

そして、やってみたことは、こんなこと。



空を見上げ、

雲の流れをたどり、

少しだけ片付けをして、

好きな飲み物を用意して、

静かなピアノの音楽を流し(教会で録音した、とても美しい音楽です)、

お手紙を書きました。


ずうっとやりたかったことの一つは、手紙を書くことでしたから。



手紙は、心が静まらなくては書けません。

やるべきことが心に渦巻いている間は、便箋に向かう気持ちになれません。

ひとつひとつ、取り組んで、手放して、心を空けていかないと、書けないのです。


だから、嬉しかった。

ずっと書きたかったのです。

気になっていたのです。



何通か、ようやくお返事を書いたり、お礼を書いたりすることができました。

想いを綴ることも嬉しく、切手を選ぶことも楽しく、心が軽やかでした。



ふと見ると、息子は、針と糸を手にしています。

懐紙を重ね、それで和綴じの小さな本を作ろうとしているようです。

素敵。



なんて豊かな時間だったことでしょう。

お手紙を書かせてくれた友だちやお世話になった方に、ありがとうの想いが溢れます。


嬉しい嬉しい休日に、なりました。








素敵な素敵な同窓生*日々のつれづれ*

2016年12月18日 | Weblog
先日の「育み人同窓会」において、わたしは、深い感慨に包まれていました。



育み人さんたちは、講座の学びを通して、まずは、自分らしさ、というものについて考えます。


次に、ご家族との関係を、森としてとらえ直してみます。

どんな森に暮らしているのか。


そして、森全体がより生き生きとするには、どうしたらよいか、考えてみます。

わたしはこの木で、隣にはあの木とあの木があるから、こう伸びていこうかな、とか、

この小さな木(お子さん)は、こう育んでいきたいな、とか、

この木はちょっと弱っているから、こんな風にサポートしようかな、とか。



新しい価値観、生命観を持たれた育み人さんたち。

同窓会では、みなさんの近況報告が楽しくて、それだけで一時間を越えるほどでした。

(他に、シンボルツリーの最新情報と、ミニ講座とがあったので、後半は駆け足でしたが。)



わたしが驚いたのは、

みなさんが、ご自分の森をよく知り、新しい場所に枝を伸ばしはじめていたことです。

これまでとは違う方向へ。

みんなが生かし合える方向へ。


新しい夢へと歩みを進めた方もいらっしゃいました。


わたしは今のままでいいんだ、と、心からすっきりとした笑顔でおっしゃる方もいました。



みなさん、元々、素敵な方たちでしたが、

講座を終えられ、時が過ぎて、ますます素敵になっていました。

それも、“自分らしく”。

一番理想的なことです。



木は、光を求め、あらゆる工夫を重ねます。

環境が変わるのをじっと待つこともあります。

少しのチャンスを逃さず、いつでも自分らしく生きようとしています。


人も、同じなのですね。




素敵な同窓生たち。

嬉しい、楽しい時間を、本当にありがとうございました。


同窓会、また開きましょうね。

きっとね。








木の上に立って見ている*日々のつれづれ*

2016年12月16日 | Weblog
このところ、慌ただしく動き回っています。

とっても現実的な用事のため。


現実的な用事、というのも変な表現ですね。

世俗的な用事、というと、もっとおかしいですね。


でも、まさにそんな用事に、取り組んでいる日々です。


あまり現実的でも世俗的でもないわたしですから、息子が心配して、

背中を撫でてくれたり、手紙を書いてくれたり、手伝ってくれたりしています。

どちらが親なのかわかりませんね。


親って、どういうことなのかしら?

などと思ってみたりします。


保護者、と言いかえてみても、

わたしが守るよりもずっと大きく、息子に守られているように感じます。



“木の上に立って見ている”

親という漢字を解きながら、そのように説明されますね。


わたしも、そうありたいのですが、

木に登って見渡すと、

わたしよりも更に高い木から、息子がこちらを見守っている、と思えてなりません。


・・・まあ、それでもいい、のかも。


わたしはわたし、息子は息子。

どちらも、世界でただ一人、なんですものね。


わたしはわたしにできることをすればよい。


まず第一に、理解者でありたい。

第二に、夢(やりたいこと)のお手伝い。

第三に、わたしがわたしらしく在ること。


そのくらいでしょうか。

すべて、主人や両親、まわりのみなさんの力や優しさがあってはじめてできることですから、

わたしにできること、というのも、違うのかもしれません。



クリスマス、年末年始、

大切な人たちが揃い、一緒に過ごす時間が増えますね。


感謝の気持ちを伝える機会にできたらいいな、と思います。

言葉よりも、行いで。



まずはクリスマス。

息子は今年もワクワクと、サンタクロースを待っています。


また、胸をドキドキさせながら包みを開く、あの顔を、見せてくれるでしょうか。