ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

明日は養成講座最終日*日々のつれづれ*

2017年06月30日 | Weblog
長野市で開催中の「シンボルツリー育み人養成講座」。

明日は最終日です。


ボランティアさんに支えていただきながら、お子さん連れのお母さんたちを中心に、怒濤の勢いで学びを進めてきました。

みなさん、本当に頑張られました。

毎回お出ししている宿題も、一生懸命こなしてくれて。


さっきまで、講座の準備に邁進していましたが、

ふと、明日が最後の日なんだ、と思い、さみしい気持ちになりました。


楽しかったな、長野往復の電車旅。

有りがたかったな、企画、運営、ボランティアさんの手配、送迎までしてくれたトモミさん。

嬉しかったな、参加してくださったお母さんたち。

わたしは、幸せだな。



明日はまた、始発の電車に乗って、向かいます。

心をこめて、全てをお伝えできますように。

わたしの役割を、全うできますように。










おっちょこちょいな日の、心の置き所*日々のつれづれ*

2017年06月30日 | Weblog

わたしは、本当に、おっちょこちょい。

正真正銘の、おっちょこちょい。

息子の折り紙付き。

小まめに、小さな事件を引き起こしています。

(時々、大きなことも。)


先日も、『森のいえ』さんでの朗読会で、お借りした名札を胸に付けたまま帰ろうとして、スタッフさんに呼び止められました。

(でも、同じように名札を付けたまま帰りかけたお母さんがいて、なんだか嬉しくなりました。)



さて、昨日は、そのおっちょこちょいが、もう頻繁で頻繁で、

わたし、とうとう故障したかな?

という具合でした。




こんな時に、どう考えるか。


「わたしはやっぱりダメなんだわ」

これは、×。



「どうかなっちゃったのかな?」

これは、○。

体が冷えて、血の巡りが悪くなっている可能性があるのです。

判断力や注意力が落ちてしまっているのですね。



「何かのお知らせかな?」

これも、○。

もしかしたら、◎。


何かのサイン、メッセージが来ている可能性。

“stop”かもしれないし、

“no”かもしれないし、

“attention please!”かもしれないし。



また、何かのバランスを取っている、という考え方。

①すごくいいことが起こる前触れ。

…何だか楽しみになってきます。

②逆に、以前やりすぎちゃったことの埋め合わせ。

…この場合は、「この程度で済んでよかったなあー」ということになるのですね。

もっと大事に至る可能性もあったわけですからね。



こんな風に考えると、元気が出てくるんです。

さんざんな日だったとしてもね。



それから、できそうなことを実行してみます。

体の冷えについては、進藤義晴さんや、服部みれいさんの本に詳しく書かれています。

すごく面白いのでおすすめです。

体の冷えを取っていくと、心も落ち着いてくるのですよね。

人生まで変わり始めます。



そして、自分へのメッセージがわかるようになりたいな、という時は、

瞑想やヨガをはじめてみることも素敵ですし、

どんなことでも、自分の好きなことを通して無心になれる時間を持つといいのではないかと思います。

自分らしい方法で、神さまとか、愛とか、大いなるものと呼ばれる力と繋がるのです。



こんな風にお話ししていますけれど、わたしはまだまだ、これからなんです。

一歩一歩、楽しみながら歩いているところです。


息子に、

「わたし、そのうち、とってもしっかりした人になるかも。」

と言ったら、

「え!・・・ママが?」

と、ニヤニヤ。


それから、

「面白いことがなくなっちゃうから、ちょっと残念。」

と、言いました。














森の朗読会、心に残ったこと*日々のつれづれ*

2017年06月29日 | Weblog

あきはの森は、緑が輝き、涼やかでした。

楽しみにしていた、森の中での朗読会。

顔馴染みのお母さんがたくさんいらして、本当に嬉しかったです。


この日は、子どもや家族と向き合う時に、わたしが大切にしていること、大切にしたいなあと思っていることを、お話ししました。

最初に、みなさんから自己紹介と、“いま、心にあること”を何でもお話ししていただくのですが、

みんなみんな、それはもう素敵なお話しで、胸がいっぱいになりました。


*ずっと学校に行けずにいたお子さんが、三年生になって急に行けるようになったこと。“それはわたしが変わったからではないか”“娘がわたしを変えてくれたのかな、そう思えるわたしになれてよかった”と、話してくださったお母さん。

*ほとんど言葉を話せない8才の息子さんが、スーパーで、魂の発言をしたこと。涙が溢れた、というお母さん。(思いきりお祝いしたいですね!)

*成長と共に、だんだん母から離れていくお子さん。その寂しさ。そして、幼い時にもっとこうしてあげればよかった…という後悔で胸が苦しくなる気持ち。(わかります、とってもわかります。)

*おなかに新しいいのちが宿り、まだ幼い娘さんが、寂しさと闘っている。娘さんの気持ちを思い、涙ぐむお母さん。(お姉ちゃんになるって、大きな、大きな、ことなんですね。いとおしいですね。うんと抱きしめてあげたいですね。)

*長い子育ての時期が終わりに近づき、これから自分の時間ができるけれど、これまてもらってきたものを、どんな風にかえしていったらいいかと考えています、と話してくださったお母さん。(すてき…)



わたしは、みなさんが話してくださったことを心に置いて、それから朗読やお話しをしました。

みなさん、熱心に、共感をこめて聴いてくださっていました。



想いは様々、感情が吹き荒れる日もあるけれど、

自分らしい場所に心を定め、

今日という日の、輝き、かけがえないものという真実を、繰り返し繰り返し思いだしながら、

今日をうんと大事に生きるお母さんで、いたいですね。



お母さんたち、ほんとうに、ありがとうございました。

スタッフさんも、細やかな心配りを、いつもいつも、ありがとうございます。

しあわせでした。

















『はっぴーママ』最新号*お知らせ*

2017年06月28日 | Weblog
『はっぴーママ』最新号が届きました。


ランチやスイーツのお店特集ということで、素敵なお店がたくさん紹介されています。

クーポン券も付いています。(お得)

図書館やデパート、ドラッグストア、銀行などに置かれていますので、よかったらご覧になってみてくださいね。


わたしの小さな絵本コーナーもございます。


今回の絵本は『くんちゃんとにじ』。

わたしが特に好きな絵本です。


梅雨の季節にこそ開きたい、夢と勇気といとおしさに溢れた、気持ちのよい絵本です。

読むと、いつも幸せな気持ちになる、わたしです。




『はっぴーママ』編集長の早見さん、編集部のみなさま、印刷会社さん、ありがとうございました。











『すてきなあなたに 6』*私の本棚*

2017年06月27日 | Weblog

大橋鎮子さんの、ささやかでも凛とした語り口が大好きで、ずっと大切にしている本、『すてきなあなたに』。

その第6巻におさめられたお話し。

だーい好き!なんです。



鎮子さんがバスに乗っていたとき。

普通は、降りたい時にブザーを鳴らすものですが、

あるおばあさん、荷物が大きくて立ち上がりにくく、ブザーに手が届かなかったようで、ブザーを押す代わりに、

“ピンポン ピンポン ピンポーン”

と、歌うような声で言ったのです。

バスの中は楽しい雰囲気になりました。


すると、同じところで降りる人も、ブザーを押さず、

“ピンポーン”。

みんなの笑い声が響きます。


おばあさんが降りる時、みんなが声をかけて見送りました。

運転手さんも、

“いい声でしたね”のひとこと。


その後からも、誰もブザーを押さず、

みんなが“ピンポーン”の声で、降りていったそうです。


もちろん、鎮子さんも。





ね、素敵でしょう?


『すてきなあなたに』は、こんな本です。


“あなたがすてきだから、

すてきなあなただから、

でなければつい見落としてしまいそうな、ささやかな、

それでいて心にしみてくる、いくつかのことが、

わかっていただける、

そんなエッセイ集です。”




わたしが憧れる、二人の語り手さん。

一人が、大橋鎮子さん。

もう一人は、星野道夫さん。



お二人のような、

それでいて、わたしらしい、

そんな語り手さんに、なれたら・・・


わたしの、大切な、夢。








みんな先生*日々のつれづれ*

2017年06月26日 | Weblog
雑貨屋さんで、贈り物を探していました。

とてもしあわせな時間です。

相手の人のことを想い、その人が喜ぶ姿を想い、似合うものを選んでいく。

とてもしあわせな時間です。


そんな中で、ふたつ、心に残る出来事がありました。



ある店員さんに、声をかけられました。

その人は、紅茶の試飲サービスをしていました。

以前、購入して飲んだことがあるものだったのですが、熱心にすすめてくださるので、有り難く、いただくことにしました。


その人は、一生懸命だったのでしょうけれど、何やら不思議な感じでした。


わたしに紙コップを渡しながら、

“飲んだことないでしょう?”と言いました。


わたしは、どう答えようかと迷ってから、「購入して飲んだことがあるんですよ」と、そっとお返事しました。


ビスケットの袋を手にしていた息子には、

“甘いもの好きなんだー”と。


息子は、どう返事をしたらいいかわからないなあ、という顔でわたしを見ました。

そのビスケットを買うのは半年ぶりくらいで、普段は食べないものだからです。


初対面だったことと、そのお店の雰囲気やモットーにそぐわない感じだったので、ちょっと戸惑いました。



わたしは、二つのことを思いました。

ひとつは、自分もそういうことがある、ということ。

無意識な場合もあるし、頑張りすぎて裏目に出たりすることも。

どうしてあんな風に言ってしまったのかしら?と、切ない気持ちになることもありますし、いつまでも胸が痛かったりします。

相手の人も、戸惑い、違和感を抱いたり、気分を害してしまったり、するのですよね。


気をつけよう、というよりも、そんなふうに力まないわたし、気持ちがいつも落ち着いているわたしになりたいな、と思いました。

そうすると、自然に、過不足ないようになっていくから。

まずは、そのことに気づかせてくれたことに、感謝しました。



次に思ったことは、この店員さんも一生懸命である、ということ。

気持ちを和ませようとしてくれたのかもしれないし、商品を紹介することに一生懸命、任務を全うしようと一生懸命だったのかもしれないし。

息子への言葉には、愛情も込めらていたように思います。


わたしがよく行くお店なので、初対面のこの方は、まだ新しい方なのでしょうか、

もしそうなら、お店に馴染んでいくことにも、時間が必要です。

やがては、うんと素敵な店員さんになっていかれるのかもしれません。


でも、もしかしたら、この方のお客さんへの親しみ方は、もっと違うお店の方が生かせるのかもしれません。

お客さんとお店の人が、もっとうんと近いところ。

威勢も元気もいいところ。

八百屋さんとか、食堂とか。

そしたら、きっと、楽しいお店になりそう、人気者さんになりそう。


自分らしい生き方をするって、大切だな、と思いました。

選ぶもの、することが、みんな自然で、自分らしい。

自分が心地よくいられると、まわりの人もきっと、心地いい。


わたしは、調整する必要のあること、まだ片のついていないことが、いろいろありますから、

ひとつひとつ、調和させていきたいな。


そんなことを、高速回転で思い、

最後に、紙コップを返しながら、

「ごちそうさまでした」

と、心から言うことができました。


みんなみんな、先生です。




さて、ぴったりの贈り物を選んだわたしは、包装が仕上がるのを待っていました。

しばらくして、呼ばれたので、受け取りに行きました。


手渡してくれたのは、時々お見かけする、とても素敵な店員さんでした。

その人は、笑顔でそっと、こう言いました。

“外はまだ、雨が降っていましたか?”

まだポツポツ降っているようですね、とおこたえしました。


すると、包装した紙袋の上から透明の袋をかけてくださいました。

贈り物が濡れないように、という配慮なのですね。

感激しました。


大事に持って帰ろう、心をこめて贈り物を渡そう、

そう思いました。


店員さんにお礼をいって、お店を後にしました。



車の中で、「今日もいろんな先生に、いろんなことを教えてもらったね」と、息子に話しかけました。


「そのようですなあ」

と、息子の返事。


のんびりしてて、客観的で、可笑しくなって、

二人でたくさん笑いながら、家路についたのです。










素敵なかたづけ①*日々のつれづれ*

2017年06月23日 | Weblog

本を処分したいな、と思うとき、古本屋さんに引き取ってもらう、という方も多いですね。

本は、多少古くなっても、読むことができれば、古本屋さんを巡りながら長く活躍しますね。

時間を経るごとに価値が増していくような本もあります。

できれば、棄てずに、次の活躍の場に送り出してあげたいですね。感謝をしながら。



わたしの本の巡り先は、いつもここです。

長野県上田市にある“バリューブックス”さん。

主人がこちらの店長さんとお付き合いがあることは、後で知ったのですが、

お電話の応対が気持ちよく、ここならお任せできそう、と直感したことから始まります。



バリューブックスさんでは、古書を買い取ってもくれますし、もうひとつ、とても素敵な選択があります。

『こどものみらい古本募金』

古本の買い取り金額を、貧困状況にある子供たちを支援するNPO当の団体に寄付する、というものです。

とても素敵な仕組み、と思います。

自分に役に立ってくれた本が、次に必要としている人のところへ行けることもステキだし、

それだけでなく、どこかで辛い思いをしている子供たちの力にもなれるなんて。

わたしが本なら、もう、ワクワクして、張り切って、飛び立っていくでしょう。



本は、五冊から送料無料で引き取ってもらえます。

申込書などもありますので、詳しいことはバリューブックスさんホームページでご確認くださいね。



世界の誰かを幸せにするかたづけ。

…ちょっと大袈裟かしら?

でも、そんな気持ちでかたづけに臨むと、

なんだか、豊かです。










塩浴のおはなし①*日々のつれづれ*

2017年06月22日 | Weblog
わたしが試みていることのひとつに、「シャンプーリンスをやめてみる」というものがあります。


シャンプー、リンスって、使わなくてはならないものだと思っていました。

もともと、人工的なあの香りが苦手でしたので、植物成分が多く無添加に近いものを使うようにしていたのですが、

それでも、“太古の人たちは、このようなものは勿論使っていなくとも健やかだったはずだから、本当は使わなくてもいいのでは…”とか、

“でも、現代人のわたしたちの食生活では、こういうものを使わなくては落とせないものがあるのかもね”などど考えていました。



でも!

そうではないようです。


『塩浴』なるものが存在するんです。


それは、お塩で全身を洗ってしまう、というもの。

顔も頭もです。


簡単にご説明しますと、

洗面器に、溶けきれずに少し残るくらいの塩を入れ、塩湯を作ります。

それを、上から順に身体にかけていき、マッサージをするように洗います。

そして、お湯で流します。

これだけ、なんです。



マッサージは手で撫でるようにしますが、絹の布でこするのもいいようです。

塩は、身体の汚れを落とすのではなく、毛穴を開いてくれるのだそうです。

塩湯でマッサージをするうちに、毛穴が開いてきて、汚れやいらないものが自然に出てくるのですね。
(そのサインとして、肌がぬるぬるしてきます)

それを、お湯で流すわけです。

なんてシンプルなんでしょう。



わたしは、このシンプルさに惹かれました。

やってみたくてたまらなくなり、早速実行の日々です。



やってみて、驚いたことがいくつもあるのですが、

髪がアブラっぽくなること。(困ったことに!)

それは、毛穴にたまっていた汚れが、どんどん出てくるのですって。

ゴワゴワするような、脂気があるような。

ちょうど、ワックスをつけたような感じ。

この感じが、しばらくの間続くのです。

これまでためてきた汚れが出てしまうまで。


この、アブラっぽさに耐えられず、挫折してしまう人も多いようです。

わたしは、2週間以上続けているのですが、続けられる理由があるんです。


それはね、塩湯で洗っていると、寝癖がつかないんです。

乾かしても、髪がしなやかなんですよね。

潤っている、という。

中途半端な乾かしかたでも、寝汗をかいても、翌朝の髪はしっとりと落ち着いています。

普通のシャンプーでは、もしかしたら、落とさなくてもいいものも落としてしまっているのかもしれないなあ…と思いました。


それから、整髪料の必要がない、ということ。

潤っているんです。

リンスがいらないわけですね。


ちなみに、塩湯で洗顔もしているのですが、そのあと何もしなくても肌が潤うようになりました。

化粧水もクリームも、必要なくなりました。


ずっと続けていくと、アブラっぽさがなくなり、しなやかなきれいな髪になるそうです。

なってみたいな。



それから、お風呂場が汚れなくなりました。

塩水が流れていくだけなので、いつもきれい。

お塩がパイプ掃除をしながら流れていきます。



わたしが何かを選ぶ動機は、“よりシンプルに、太古の人たちのように”というところ。

それが「正しい」のではなくて、あくまでも、「わたし」が喜ぶから、なのです。

自分の声をきき、自分の願いを充たしてあげるって、素敵なことですものね。

ひとつひとつ、そんな風に、暮らしを作っていきたいです。

何より、お塩だけ、なんて、本当にシンプルで面白いです。



ただ、周囲との調和も大切。

共に暮らすご家族に迷惑をかけないことも大切なことですよね。

ストレスを作ってしまったら、心地よいこともマイナスになってしまいます。

できる範囲で、のんびり、楽しく、がいいですね。



ご興味のある方は、『塩浴』などのタイトルで本が出ていますので、ぜひ読んでみてくださいね。

また、使うお塩は、昔ながらの製法のものがよいそうです。

ピンキリですが、わたしは『伯方の塩』を愛用しています。











「森のいえ」さんで朗読会*お知らせ*

2017年06月20日 | Weblog
今年も、秋葉区森のようちえん支援センターさんに、朗読に伺います。

6月28日(水)10時半からです。

(お申し込み、詳細は、森のいえホームページから)

森の木陰での朗読会、本当にいい気持ちです。


今年は、どんなお話しをしようかな、どんな贈り物ができるかな、と考えています。

よいもの、素敵なものを、巡らせることができますように。









イチゴの正しい食べ方*日々のつれづれ*

2017年06月20日 | Weblog

“ああ、美味しいなあ”と、からだも、心も喜んだ、そんな食べ物。


山の畑で、採ってすぐに食べたイチゴ。

プツン、と採って、洗わず、フーッと吹いて、そのまんま口に。

なんてなんて、美味しいのでしょう。


“採ってすぐ”の状態って、

なんというか、いのちが残っている、という感じがして、

本来ならば、すぐに消えてしまう、そのいのちが、わたしに入ってくるのです。


イチゴのいのち、それは、

イチゴそのもののいのちであり、

畑の土の歴史も、山の歴史も、

風のたよりも、雪のことも雨のことも、お日さまのことも、

舞い降り、通りすぎっていった蜂や蝶たちのこと、

イチゴを見守ってきた父や母のことも、

その時々に考えていたことや、思っていたことが、

みんなみんな、入っているんですね。


ぜーんぶの味がする!

そんな感じで、

心溢れるものがありました。


こういうものを食べる(いただく)ことは、間違いなく、人を健やかに、幸せにするのでしょうね。



息子は、四つん這いになってイチゴを次々と口に入れています。

振りかえると、父も、母も、そうしていました。

可笑しくなって、そして、なんだか納得。

“イチゴの正しい食べ方”は、こうかも、と思って。


そこで、わたしも、そうしました。

熊の一族みたいに。



そんなわけで、今日のわたしは、とっても元気です。