ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

“いただきます”*日々のつれづれ*

2016年01月31日 | Weblog

再び、『野性の実践』から。


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世界はただ見ているだけではない、耳を澄ましてもいる。

(中略)

人間以外の存在は、自分たちが殺され食料として食べられるのを気にしてはいない。

だがそのさい彼らは、喜びと感謝の言葉が人間の口から聞かれることを期待しており、

自分たちが粗末に扱われることをひどく嫌う。

(中略)

アイヌの人々は、「シカ、サケ、そしてクマは我々の音楽が好きで、人間の言葉に魅せられるのだ」と言う。

だから彼らは、狩りの獲物に歌を贈り、感謝の言葉を口にする。

ときに彼らのために踊り、それなりのお返しをする。


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これは、「祭り」の本当の意義ではないかと思います。

たくさんの恵みをありがとう、と、感謝をこめて、

歌、踊りを捧げる。



神社の神さまは、すべてのいのちの代表者だと、わたしは考えます。


神社の神さまから、伝えてもらうのです。

わたしたちの糧となってくれた、たくさんのいのちたちよ、本当にありがとう、と。

あなた方の好きな歌を歌い、踊るから、どうか楽しんでください、と。



アイヌの人たちや、世界の先住民の人たちは、大自然との対話を大切にしながら暮らしていたのですね。

とても理想的な在り方だったと思います。




現代のわたしたちにも、「祭り」が残されています。

そして、こんなに素晴らしい言葉を受け継いでいます。


“いただきます”

“ごちそうさまでした”




大切に、言おう。

みんなが耳を澄ましている、それを感じとりながら。

みんなの心に届くように。

そっと。









『大草原のおくりもの』*私の本棚*

2016年01月30日 | Weblog

インガルス一家のシリーズを読み終えたら、こちらの本も読みたくなり、図書館から借りてきました。


『大草原のおくりもの』

ローラ・インガルス・ワイルダー
ローズ・ワイルダー・レイン 著
ウィリアム・T・アンダーソン 編
谷口由美子 訳
角川書店 刊

ローラと娘のローズによるエッセイ。

ずっしりと厚い本です。


心に響く言葉はいくつもありましたが、

今日、この言葉を心に置いて過ごそう、と思ったところを、おひとつ。


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(「野草の花束」 から引用)

今朝、うちの人が、野草の花束を持ってきてくれました。

うちの人は、もう何年もこうして花束を持ってきてくれるのです。

決して人が育てた花は持ってこず、いつも野原や森に咲いている野性の花を摘んでくるのです。

わたしは、その方がずっと美しいと思います。

(中略)

わたしたちは、ともすれば、カラスが光る石ころを集めて積み上げるように、いりもしないものをやたらに集めてしまっています。

オウムのようにべちゃくちゃと話しているうちに、ほんとうの意味がわからなくなっています。

新しい考えを次から次へと追い回しています。

昔の思想を、余計な新しい言葉で飾りたて、本来の意味をどこかへやってしまっています。

(中略)

「この世の中に、全く新しいものなど、一つもない」ということわざがあります。

わたしが思うに、これは、人生にはおびただしい真実と法があり、たとえわたしたちがいかに進んだ考えを持ったと思っても、それらの真実や法を越えたものではないという意味なのです。

いかに複雑な生活を送っていても、結局はこれらの真実に戻ることになるのであって、わたしたちは、同じ輪の中をぐるぐる回っていたことに気づくのです。

(中略)

わたしたちは、それぞれの生活の中で、自分自身を磨き、より簡素な生活に戻り、もっと素直な考え方をすることによって、もっと幸福になれるのではないでしょうか。

人生を価値あるものにするのは、生活の中にある素朴なもの、つまり、愛と責任、仕事と安息、自然によりそって生きることなのです。

温室で育てた花が、野原で摘んだ、美しく、かぐわしい花にかなうはずがありません。


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簡素に、

素直に、

自然とともに、生きる時、

その人のまわりには、真実が、満天の星のように輝くのでしょうね。



小さな木箱ひとつが、少女であったローラの持ち物、宝物の全てであり、
それだけで満ち足りて暮らしていたように、

わたしも、

わたしと自然とを切り離すようなものは求めず、

少しの大切なものだけに囲まれて、

そして、まわりの人を大切に、

優しい気持ちで、

暮らしたい。


わたしが探しているものは、たぶん、そんな暮らしの中から見いだせる、真実なのでしょう。










世界は見ている*日々のつれづれ*

2016年01月28日 | Weblog

森が恋しい。

どっかりと積もった雪により、森への道が閉ざされてしまいました。



こういう時は、「待つ」。

大切な時間です。




森に入れない時には、この本を開きます。

ゲーリー・スナイダー『野性の実践』。



“歩くことは、

素晴らしい冒険、

第一の瞑想”


とあります。

そう、そう、わかる、わかる。



“世界が見ている。

草原や森を歩いていると、

必ず我々の足元から

噂のさざ波が広がってゆく。

ツグミが掠め飛び、

カササギが大きな声を上げ、

草のなかでは甲虫がガザゴソ動き、

それにつれてシグナルも移動する。

生き物はすべて、

タカがいつ上空を旋回するのか、

ヒトがいつあたりを徘徊するのかを知る。”



そうそう、そうなの。

森に行くと、わたしもいつもそう感じます。


みんな、ちゃんと知ってる、と。

わたしが来ることも知っていたし、

森のみんなが、みんなのことを知っている。

特別な信号で。



そんな高度な感覚世界を、わたしは訪ねているのだわ、と。


それは、素晴らしい贅沢です。

よろこびと、生きる力に溢れてくるのです。

どんな物も、食べ物も、これほど人の心を満たすことはできないように思います。




昨日からの雨により、

雪解け水の小さな川が、美しい道を拓いてくれているでしょう。


今朝の空は、雲間から光が射し、

雲の流れが速度をゆるめてきました。

もう少しで、森へ入れそうです。




一緒に歩きたい人のことを想いながら、

心で呼びかけながら、

その日を待ちわびています。












約束*日々のつれづれ*

2016年01月26日 | Weblog

とても大切なお友だちから、大作のメールをいただきました。

年上の女性で、母のような姉のような存在の人です。


メールを受け取った時、ちょうど、除雪を終えて部屋に戻り、手をあたためていました。

嬉しい気持ちで、読んでみました。

そこには、とても尊く、素晴らしいことが書かれていました。

ボロボロと涙がこぼれました。



胸がいっぱいで、今はまだ、言葉に表現することができません。

けれど、人生も、出逢いも、全て約束であることを、強く強く感じたのです。




二通目のメールの中に、特別にひかり輝いている言葉がありました。

光だけでなく、高音のハープのような音楽まで、感じました。

祝福のような音です。



“今世に思い残すことはないよ、私。
○○(息子さんの名前)に会えた、
それだけで十分”



しっかりとこう言える、この人は、なんて素敵な人、なんて素敵なお母さんだろう。

現実にしっかりと生きながら、もっと大きく広い視野を持ち、心を開いているからこそ、言えること。




そう、

わたしもおんなじ、

おんなじ。


息子に会えた、

ちゃんと会えた、

これ以上嬉しいことは、ない。



わたしが、この人生で成し遂げたいものは、たぶん、

誰かと競争することでも、どこかの高みを目指すことでも、何かを溜め込むことでもない。



大切な人たちに、ちゃんと逢い、

支えあい、気づきあいながら、深く大きな心の人に、なっていくこと。




わたし(の魂)にとって、最大の師が、息子であるのだと思います。

わたしを、一番大きく変えてくれた人だから。


その人に、ちゃんと出逢えた。



この人生で、どれくらいの年月、そばにいられるのかは、わかりません。

願うよりも、ずっと短いのかもしれないし、けっこう長いのかもしれない。

それは、わからないからこそ、意味があるのでしょう。




大切にしていきたい。

共に生きている、一日一日を。

息子が教えてくれること、注いでくれる想いを、大事に大事に受け取りながら。



それが、きっと、わたしと息子の、約束だから。










厳しいけれど*日々のつれづれ*

2016年01月25日 | Weblog

昨日は、三度の除雪をしました。

公道から我が家への広い私道に、どっさりと雪が降り積もります。

近くに川がないので、掻いた雪を積み上げなくてはなりません。



主人が単身赴任で離れて暮らしていて、今は息子と二人。

頑張らなくては、

そう思うわたしです。


(でも、いつも息子が助けてくれます。)





大量の積雪は大変。

有無を言わせぬ厳しさ。

事故や災害にもつながります。



それでも、わたしは、真っ白なこの世界が好きです。

一年で最も静かで、清らかで。




除雪に疲れると、手を休め、景色に見とれます。

なんて美しいのかと。

この真っ白な雪は、春になったら清らかな水となり、

森を潤し、すべてのいのちの源となるのだと。




そうしていたら、お隣の紳士がやってきました。

元気よく除雪をしていたようで、薄着になっています。

ご一緒に、ちょっと一休み。




“すごい雪ですね。でも、きれい。”

と、わたし。

“本当にきれい。言葉にならないくらい。”

と、お隣さん。


一人で眺めてもきれいですが、同じように美しさを感じる人と一緒に眺める景色は、感動的でした。


“こういう所で冬を過ごすコツは、スコップと仲良くすることですね。”

と笑う、お隣さん。

わたしも、スコップを抱きしめて笑いました。



“さあ、頑張りましょう”と、また、それぞれの作業に戻りました。


わたしは、嬉しい、嬉しい気持ちで、うんと張りきって、スコップと仲良くしたのです。









勇気を出す*日々のつれづれ*

2016年01月22日 | Weblog

息子の今年の夢のひとつ、“勇気を出す”が、ずっと心に響いていました。


そして、その響きが、わたしの身体に染み込み、わたしの心に染み込み、

やがて、わたしのものになりました。




わたしも、決めました。

勇気を出そう。



何か、大きなことをするわけではありません。

ただ、これまで躊躇してきたこと、自分ができるとは考えてもいなかったようなことに、挑戦してみたくなりました。


とにかく、決めてみました。

勇気を出そう、と。




そうしたら、あらあら不思議、

新たな道が見えてきたのです。


これまで道ではないと思っていた場所に、きれいな小路を発見したような感じ。

ここにも、あそこにも。


こんなに、道ってこんなに、あったのね!




人の目って、不思議なものです。

道はないと思えば見えないし、

必ずあると思えば、ちゃんと見えるのです。



目でなく、心ですね。

心が全てを決めている。

それにより、目に映る現実が、いかようにも変化する。





わたしは、開けた小路に目を見張りました。

なんて美しいのでしょう。

明るく、清らかです。


これまで毎日、ここを通ってきたのに、見えなかった。

自分にとって大切な何かを決める、この、なんと強い力。

人が持つ、最も偉大な力ではないかしら。




さあ、わたしは進んでみましょう。

この可愛い小路を。


どんな出会いがあるかしら。

どんな発見があるかしら。



わたしは今、トトロの眠る木への、秘密のトンネルを走っていく、メイちゃんのような気持ちです。











『大きな森の小さな家』*私の本棚*

2016年01月20日 | Weblog

『大草原の小さな家』を読んだら、やはり『大きな森の小さな家』も読みたくなりました。

ローラ・インガルス・ワイルダーシリーズ、



福音館書店から出ているハードカバー全五巻です。

(岩波書店から続編が出ていますし、新訳による全シリーズが他の出版社から出ているようです。)




わたしは、福音館書店版のハードカバーが好きです。

挿絵が素晴らしいのです。

画家のガース・ウィリアムズは、まだ健在であったワイルダー夫人を訪ね、詳しく話を聞き、舞台となった現地を訪れた上で、まるで共に暮らしていたかのような正確で詳細なイラストをたくさん描きました。

ですから、話の内容とイラストが、違和感なく共存しています。


また、訳者の恩地三保子さんの文章が素晴らしい。

やや古風かもしれませんが、読みやすく、香り高い感じがします。

古きよき、この時代の空気を表すには、訳もこうでなくては、という感じです。





わたしは、特に冬、この物語を開きたくなります。

それはきっと、物語に描かれる冬ごもりの心地よさが、とても印象的だからでしょう。


丸太の家に、暖炉の火があたたかく燃え、

屋根裏には、かぼちゃなどの野菜や薬草、保存食が満ち溢れ、

床下にも、ジャガイモなどの野菜が十分に蓄えられています。



吹雪いても、積もっても、あたたかく心地よい木の家。

母さんが作ってくれる、質素でも美味しいご馳走。

何でも手作りして、大切にする。

物は少なく、片付いた気持ちのよい部屋。

楽しみは、父さんのお話しと、父さんのヴァイオリン。



森にはオオカミがいて、クマがいて、ヒョウもいて、

時には人の命を取ることもある。

でも、父さんがいて、丈夫なこの家があれば、大丈夫。



この感じが、とても好きです。

とても懐かしく、また、わたしが描く本来の暮らし方に、とても近い。





現代の冬は、もう、こんな風ではないけど、

できるだけ静かに、

できるだけシンプルに、

そして、

不足を不足とせず、生きる楽しさに変えて、

大自然の息吹と共に、暮らしていきたいと思っています。



そんな、わたしの原点をいつも思い出させてくれるこの本が、大好き。













言付け*日々のつれづれ*

2016年01月17日 | Weblog

わたしの友人を介して、『いのちへ』を注文してくださった方がいます。

ご自分と、ご友人への贈り物にと、二冊。

ご友人は、女性で、息子さんを事故で亡くされたのだそうです。




母として、我が子を亡くすこと以上に辛いことはありません。

どんなお気持ちでいらっしゃるでしょう・・・。




わたしは、ひとつの詩を添えることにしました。

大切なご家族を亡くされた方へ、お贈りした詩です。



何人かの方のお話しをお聴きして、書いた詩なのですが、

いつも、とても不思議なことに、

お話しをしてくださる方の、ずっと上の空に、亡くなられたご家族の、笑顔が浮かぶのです。


わたしには霊感もありませんし、何かが見えるというわけでもありません。

ただ、浮かぶのです。

とても鮮やかに。



そして、同時に、“想い”のようなものも、降りてきます。

わたしはそれを、できるだけそのまんま、言葉にあらわしていきます。

できるだけ、丁寧に。

いくらでも、時間をかけて。




もしかしたら、全てが、わたしの想像かもしれません。


でも、感じるから、浮かぶから、

やはり、言葉にしていきたい。


尊いもの、素敵なもの、素晴らしいものを言葉にすることが、わたしの生きるよろこびです。





この度も、感じるままに、この詩をお届けしようと思います。


わたしが感じた息子さんの想いのまま、少し詩を修正して。

大切な言付けを、お伝えするような気持ちで。














ぼくのマラソン(3)

2016年01月16日 | Weblog


工作は

本当の自由


自分で決めて

自分で作る




時々

壁にぶつかる




考えれば越えられるものもあるし

もう少し大人になってから

越えられるものもある




でも

誰かのために作る時は

壁があってもいつの間にか

飛び越えてしまうよ



たぶん

心をこめるから


そして

楽しいから










冬の森*日々のつれづれ*

2016年01月13日 | Weblog

昨日の午後、森に飛び出しました。



前夜から降り続いていた雪は、すこしゆるみ、

ゆっくりゆっくり、宙にあそぶように、

これ以上はないというくらいゆっくり、

降りるようになっていました。




こんな時にこそ、森を歩きたい。

嬉しくて、飛び出しました。





森の全てが、まったく変わっていました。

どこもかしこも綿帽子。

やわらかに降りる雪が、か細い枝にも止まっています。

森全体が、大きなレース編みをまとったよう。

ほんとうとは思えない、まぼろしの世界を歩いている気持ちでした。




木々に思いを寄せていたら、深い安堵を感じました。


ようやく、雪に覆われたこと。

やっと、布団をかけてもらえたような。

そんな、安堵を。




やっと、ほんとの冬になったね。

雪によって、折れてしまう枝や木もあるけど、

それもきっと、必要なことなのでしょうね。


わたしも、やっと、冬の気持ちになれたから、

じっくり、じっくり、深めていくね、わたしの思いを。

森のみんなのように。




心のなかで語りかけながら、歩きました。


雪のひとひらが、わたしの手袋にも止まりました。

二度とない美しい結晶は、微笑むように、消えました。