ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

かなしみの向こう

2018年07月30日 | Weblog
いつも見る夢があった。

とてもかなしい夢。

胸が痛くなるような夢。

それは、わたしの人生に本当に起きた出来事。



あの、心が壊れるようなかなしみを、わたしは、本当には乗り越えていないのではないか・・

ただ時が流れたというだけで・・。


あの痛みをなぞるように、あの深いかなしみを呼び覚ますように、幾度も幾度も夢にあらわれる。

もう遠い昔のことなのに。



夢は、かなしみの場面を繰り返すばかりで終わる。

その先はない。


あともう少し・・、あともう少しで、違った展開になるかもしれない・・

そうなることなく、必ず終わる。



過ぎたこと、夢でしかなくても、

目覚めた朝から、立ち直りの努力をしなくてはならない。

その夢ごとに、その朝ごとに。


でも、通いなれた道だから、その痛みも道のりも、懐かしい友だちだった。




今朝のこと。

いつもの夢は、違う道を行った。

かなしみで終わるはずの夢が、その先へ行った。



違う道の先にあったのは、大きな安堵のような幸福。



うれしくて、うれしくて、わたしは泣いていた。

遠く懐かしい人を、しっかりと抱きしめて、

声をあげて泣いた。




自分の声で目が覚め、時空がわからなくなった。


わたしは、自分の声で、夢を胸に刻み、同時に、その夢を破ってしまった。

もう、かなしいあの夢を見ることは、ないかもしれない。


わたしは、古びた痛みの向こう側に、行ってしまったのか。




夢の終わりには、静かな夏の朝が残された。


まだ白い空は、まっしぐらに、青へと走り出していた。

ひかり

2018年07月28日 | Weblog
忘れな草色の空を見ていた。

ついさっきまで輝いていたサーモン色の雲は色を失い、

なにもない無垢な一瞬を経て、

空は、見る者の心が付いていけない速さで、深い藍へと移っていく。



讃美歌を聴いていたい。

この頃、そんな気持ちになることが増えた。

この世界にはたくさんの音楽がある。

たくさんの楽器があり音色がある。


ごく限られたものしか聴いてこなかったが、

それは、わたしの聴覚に堪えられるものが少なかったことが大きい。



静かに奏でられるピアノや竪琴

鳥や木の葉や水の音


そんなものしか聴かないわたしが、いま唯一聴く歌、人の声が、讃美歌だった。




讃美歌との出会いは、高校三年の音楽の授業だった。

ミュージカル映画『サウンドオブミュージック』を、先生は小間切れに数回に分けて見せてくれた。


内容も歌も素晴らしかったが、わたしの心をナイアガラの滝のように打ちのめしたのは、讃美歌だった。


修道院に響く、荘厳で神聖で繊細な声。

その響き、その声の行き先は、この世界で最も美しく善良な場所であると感じた。



それは、信仰心や宗教的な憧れのようなものとは少し違っていたと思う。

最も美しいであろう世界を、そのまま音にしたような歌があることに、驚いたことと、

「あなたは何を目指して歩いていくのですか」

そう問われた気がしたのだ。


修道女たちは、目指すものを明確に掲げ、静かに真っ直ぐに歩んでいた。

美しいと思った。




マザーテレサの伝記を読み、カルカッタに飛んでいきたくなったのも、この頃だった。

マザーが行っていることも素晴らしかったが、何より惹かれたのは、

「最も美しい場所」に近づいていく、明確な道に見えたことだった。


家族の反対に、その道は閉ざされたが、

父の言葉が胸に刺さり、やがてそれが灯台になった。

「困っている人は日本にも近所にもいる」




やがて、わたしは知るようになる。

最も美しい場所は、どこか遠い高みにあるのではなく、自分の心の中に育むものだと、

どこで何をしていても、美しい場所を指して生きることができると、

長い時間と痛みを経て、やっと、知るようになる。   




空が藍に変わっても、蜩は鳴き続けている。


意識しなければ聴こえなくなるようなその歌は、讃美歌とまじりあい、やさしい手のひらとなって、わたしをいざなう。


美しい音の舞いのなかで、小さな光が見えた。


混沌とした、喧騒のようなこの世界のただ中にこそ、最も美しい場所、最も美しい思いを、拓くこと・・


それは、わたしの灯台。


それは、あの日に父がくれた、思いだった。

矢車草

2018年07月26日 | Weblog
「矢車草、わたしの大好きな花」

その人は、遠い何かを懐かしむように言った。


もう、20年も前の夏に聞いた言葉が、この花の季節ごとに、よみがえる。



「あの、青い青い矢車草が好きでね、

あなたのご実家の庭にあるでしょう?

時々、通ることがあって、その度に、眺めていたの。」



それは、わたしの亡き祖母が育てていた花で、

今はもう、木々や野花の中に埋まっている。



実家を離れ、暮らすわたしは、小さな小さな庭に、種を蒔こうと思った。

整然とした庭も素敵だけれど、野草や野花の居場所もあるような、庭と呼ぶには野原に近い、そんな風にしたかった。


夏野菜をほんの少し、

それから、野花をほんの少し。

それだけでいいと思った。



花と野菜の苗が楽しげに並ぶ園芸店を、半ば途方に暮れながら歩いていたら、

どこにでもあるような、花の種の棚が目に入った。

袋入りの、花の種。



わたしの目は、ひとつの袋に止まった。


ああ、これだ。

これがいい。

この種を蒔こう。

この種を蒔きたかった。


「矢車草」

そう書かれた袋を手に取り、駆け出すような足取りでレジへ向かった。




種蒔きからしばらく経ち、美しい花が開いた。

白と、紫がかった青と、淡く気品あるピンクの花。

少女の頃の夢そのもののような、小さなドレスが何枚も広がるような花に、時を忘れて見とれた。

その花の中に、娘だったわたしの全てがあるように感じた。




矢車草が好きだと言った人は、わたしの初めての恋人のお母さまだった。


恋が壊れてしまった後も、

「わたしはずっとあなたの友だちよ」

と、時々、お手紙をくださった。


隣町に住んでいたから、お母さまがわたしの実家のそばを通ることもあり、

庭の矢車草を、いつも見ていたという。


なぜ、わたしに、矢車草の話をしたのだろう・・


お母さまの親切や想いを、どう受けたらよいのかわからぬまま、わたしは実家を離れ、進学し、就職をした。


懐かしく、お会いしたかったし、お話ししたいこともたくさんあった。


二度ほど、実際に会ったこともあった。

挨拶だけの、短い時間だけ。


でも、それが精一杯だった。

わたしが、とても長いこと、壊れてしまった恋を、忘れられずにいたから。



風のたよりに、彼が結婚をしたと聞いたのは、こんな夏の日だった。

宵の空が薄紫に染まり、蜩がいつまでもいつまでも鳴いていた。


わたしは、ずっと動けずにいた後、夜空に向かい、心のなかで、お母さまにお別れと感謝を告げた。



ずいぶん時が流れ、いま、わたしは母を生きている。

楽しい夫と、可愛い息子が、そばにいる。


あのお母さまがお元気かどうか、もう、わからない。



それでも、

矢車草、わたしの大好きな花。

飛翔

2018年07月24日 | Weblog
そのセミのサナギは、郵便局の塀のコンクリートブロックに飛翔の場を定めていた。

やがて脱け殻となるその体から、セミが抜け出そうとしている。



あんなに小さな脱け殻から、普通のサイズの、もう立派なセミが出てくる。


どうやって入っていたの?というくらい、殻は小さく、セミは大きい。

脱け出しながら大きく膨らんでいくようにしか見えない。

そうでないとしたら、この作業は、大きな痛みを伴うのではないかしら・・

それくらい、大変な大変なことに見える。



初めに出てきたセミの頭には、小さなビーズのような目。

念願の脱出だというのに、その目はまだ輝いていないし、何かを見ている風でもない。

生まれでる痛みに耐えている、そんな目。


あとどれくらい時間をかけたら脱出できるのか、わからないくらいゆっくり、セミは頑張っていた。

虫たちは、あまり得意でないが、そのセミは美しかった。

美しくて尊くて、胸が痛くなった。



塀を離れながら、わたしは、わたしの何があんなに懸命だろうかと、考えた。


いくつかの答えがよぎるうち、ひとつの、とても大切な想いが、しずかにわたしの心に留まった。


そこには、息子の姿があった。

笑い、泣き、悩み、怒り、一生懸命に生きる息子の姿があった。


(一見、)あれほどの痛みを伴いながらも生まれようとするセミに匹敵するものが、わたしにもあるとしたら、

それは、息子の母を生きること、

その痛みと大きなよろこび以外、ないと思った。


そのひとつがあるだけで、わたしの生涯は、素晴らしい。

そう、わかった。




明日、その塀を訪ねても、そこには脱け殻が、かろうじて付いているか、どこかに落ちてしまったか。


そして、来週の今ごろには、飛翔したあのセミは、その生涯を終える。

全てが、堂々たる道

2018年07月20日 | Weblog
「息子が、ものすごく苦しみながら学校に行っていて・・

私は、どうしてあげたらいいのか、全然わからなくて・・

苦しい時は休んでいいんだから、と、休ませてあげるようにしているんですが、

ますます勉強がわからなくなっていって・・

苦しそうで、苦しそうで・・


もう、なにがよくて、なにがいけないのか、わからなくなりました

どうしたらいいのかわからないまま、ずっとそんな感じで・・」



あるお母さんが、涙をにじませながら、話してくださいました。

息子さんは、中学一年生。

小学生の頃から、ずっと頑張ってきた子どもさんです。



お話しをききながら、わたしが思っていたことは、こういうことでした。



息子さん、偉かったね、こんなに長い間、踏ん張ってきて

お母さんも、偉かったね、こんなに長い間、一緒に悩み続けてきて


わたしはそのことを、ささやかでも優しい花束を差し上げるような気持ちで、労りたいのです



正しいことも、間違っていることも、本当は、ないように思います

息子さんとお母さんが、たくさんたくさん悩んで考えて、歩いてきた一歩一歩に、どうして間違いなんてあるでしょう

全てが、堂々たる道です

その道を歩く意義があったのです


いつか、ずっと先に、振り返って眺めてみたら、

たくさん曲がりくねった、でも立派な一本道が、見えるでしょう

息子さんとお母さんの、いとおしいような道が



わたしも、まさに、息子と一緒に、不思議な道を歩いているところです

その一歩一歩は、わからなくて、自信がなくて、こわいような時もあるのですが、

そう思いながらも、どこかで、この道とこの日々を、いとおしんでいる私がいます


そして、このお母さんに会えたことも、不思議な道を進んできたお陰だと、うれしく思っているのです