ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

きれいな目 *日々のつれづれ*

2015年06月30日 | Weblog

海に来ていました。



夕日を見たくて。

今日の空は、どんな風に暮れていくかしら、と。





浜辺に行くと、走って行くと、こんなふう。







歓声をあげて見とれます。


遠くにかすかに見えるのは、佐渡島です。





ふと気がつくと、わたしより先に、浜辺に立つ人がいます。

姿勢のよい男性。

ひとまわり上くらいの方でしょうか。

夕日を見つめています。





ふと、目が合い、会釈。

こちらに歩いてこられます。





その方は、笑顔で言いました。


“今日は、雲に沈まない、きれいな夕日が見えますよ”




“はい、きっとそうですね。”

わたしも、笑顔でこたえながら、その方に、見とれてしまいました。


それはそれは、とてもきれいな目をしていたのです。






わたしは、夕日に視線を戻し、ひとり納得していました。


この方は、きっと、とても頻繁に夕日を見に来ているのだわ。

夕日に限らず、きれいなものを、美しいものを、たくさん見て暮らしているのだわ。

この夕日のように、ほんとうに美しいもの素晴らしいものは、人の心をきれいにするから。

だからあんなに、目がきれいなんだわ。



わたしは、夕日に、その人に、二重に感動していました。







生きていけば、心曇ることも、瞳が曇ることも、あります。

二度と笑顔になれないような気がすることも。




そこを、なんとか生き抜いていくのが、たぶん、その人の挑戦。

成し遂げたいこと、見つけたいものが、待っている。




つまづき、歩けなかったことのある人こそ、ある日、突然、大自然の本当の美しさがわかるのではないかしら。



空はこんなに蒼かったかしら・・・

花はこんなにきれいな色だったのね・・・

木々の緑に、こんなに心安らぐなんて・・・

日の出を眺めていたら、涙が出ちゃった・・・




苦悩や困難を経て、きよめられ高められた心の、美しさ。


そういうものが、目には全部、現れる。







夕日が沈むのを見届け、駐車場に戻ると、たくさんの車、たくさんの人。

みんな、外に出て、空を見ています。


チラッと見ただけですが、みんな、いい顔。






今日、海にきて、ほんとうによかった。


嬉しい気持ちで、帰ってきました。










銅鏡 *日々のつれづれ*

2015年06月29日 | Weblog

銅鏡を作ってきました。

銅鏡、古代に使われていた鏡です。






わたしが作ったものは、直径5センチくらいのもので、素材も銅ではないですが、

なんとも素敵な模様です。

この模様は、伝来の銅鏡を真似て日本で作られたもので、わたしの暮らす村の近くで見つかったものだそうです。

ちなみに、本物は直径23センチほどだそうです。



取っ手のようなものが付いていますが、これは、型に流し込む時に残る部分で、本来ならば切断してしまいます。

でも、手鏡のようで可愛い、と思ったので、そのまま残すことにしました。



裏側は、磨けばとても滑らかになり、顔が映るほどになりました。

ただし、これにはとても時間がかかりました。

裏面全体を、紙ヤスリで均等に磨き、より細かい紙ヤスリでさらに丁寧に磨いていきます。

磨けども磨けども光らず映らず、なかなか大変。

一時間半ほど磨いていたようです。



それは、時を忘れ、太古に思いを馳せることのできる、とても豊かな時間でした。







この鏡を、わたしは普段用に使うつもりです。

小さな巾着に入れて、持ち歩きます。


鞄の中に、銅鏡が入っているなんて、ワクワクしますもの。













*こちらの銅鏡の他に、勾玉や和同開珎、土器なども手作り体験できます。
新潟市文化財センターです。

蛍 *日々のつれづれ*

2015年06月28日 | Weblog

友だち一家と、蛍を見に行きました。

わたしの暮らす村の小川に、蛍がたくさん舞うのです。





でも、昨夜は物凄い風でした。


木々はみな傾き、たくさんの木の葉が飛んでいきます。

空は灰色の雲が覆い、早送りのような速さで流れていきます。





小さな男の子は、お母さんに「抱っこ」とせがみ、顔を埋め、耳をふさいでいます。

尋ねてみると、こわいのだそうです。

風がおこす、大きな音が。




その「こわい」という気持ちが、いとしくて、お母さんと微笑みました。




わたしたちも、そうだったわね。

夜のこんなに暗い世界も、さまざまなものの影も、轟音のような風も、

あの頃、とてもこわかったわね。



こわい、でいいの。

おそろしくて、いいの。

大自然や、人の力を超えたものは、畏れ多いものだから。






強風に、蛍に逢うことをあきらめかけた時、男の子たちが叫びました。

「いた!」

「あそこ!」

「光った!」




雲間から月がおぼろに見えた、まさにその時。

蛍たちが、いくつもいくつも、光り出しました。



大人も子どもも、歓声と、歓声と、ため息。

なんて美しい・・・。





子どもたちは、蛍を追います。

そっと近寄ってみます。




10才の男の子が、蛍をそっと手にのせました。

そして、ひとりごとのように、言いました。

「感触がない・・・。感触が全然ない・・・。」



あまりの軽さ、ささやかな感触に、驚いています。

まわりは、しん、としています。





蛍が先だったでしょうか、

それとも月が先だったでしょうか、

空は晴れ渡り、月星が輝き、

地上は蛍の光に溢れ出しました。




子どもたちは地上の光とたわむれ、

大人たちは、その風景の全てに魅せられていました。







わたしたちは、こんな風景を、忘れないものです。

色鮮やかではなくても、

からだと心いっぱいに、なにかを感じた、こんな風景を。







晴れ渡った空の月は、

清らかに、透明に、

今日の日に、やがては思い出の中に、そっと架かっているでしょう。














みちしるべ *日々のつれづれ*

2015年06月27日 | Weblog

雨降り前の灰色の空の下、図書館へ。


入ってみると、何やら、引力のある棚があります。


もちろん近寄ってみます。



すると、一冊の本が、輝いているように見えます。


もちろん、手にとってみます。




『海辺の宝もの』
ヘレン・ブッシュ著



児童書で、物語風の伝記のようです。



わあ・・・。

この中には、わたしを満たすものが描いてあるような気がする。


迷わず、借りることに。

家に帰ってから、じっくり読みましょう。







じっくり読めたのは、夜更けになってから。


外は、雨。

風があっても真っ直ぐに降る、強い雨です。

その音を、心地よく聴きながら、わたしは本を開きました。





*****************

メアリー・アニングという少女がいました。

1800年の初め、イギリスです。


メアリーは、海辺の小さな家に暮らしていました。

両親と兄の四人家族。

貧しく慎ましい生活でしたが、メアリーは幸せでした。

大好きなお父さんと化石発掘に出かけられるから。



メアリーは、海辺で化石(変わり石、と呼んでいました)を探すのが大好きでした。

海辺にいるのも大好きでしたし、化石を見つけだすことも得意でした。

どうしてこんなに美しいのか、どうしてこんな風になるのか、不思議でたまりませんでした。



メアリーの暮らす浜は、化石がたくさん出ることで有名でした。

ちょっと歩くだけで、アンモナイトがいくつも見つかります。



毎日こうしていられたらいいのに・・・

メアリーは願いましたが、出かけられるのは、父の大工仕事とメアリーの学校が休みになる日曜日だけ。

その日曜日も、教会での礼拝に出なくてはならないので、短い時間に限られます。

また、満ち潮になると隠れてしまう断崖で探すので、常に沖を気にしていなくてはなりません。




お父さんは、化石を見つけだすのが上手で、たくさん持ち帰るときれいに洗って戸外のテーブルに並べ、街のお金持ちの人や観光客に売りました。

きれいで珍しいので、とても人気がありました。

家族が暮らしていくためには大工仕事をやめることはできなかったのですが、本当は、大好きな化石だけで暮らしていきたかったでしょうね。

しかもお父さんには持病があり、体がとても弱っていました。






お父さんは、息子と娘に、化石発掘の技術を伝えます。

そして、満ち潮の恐ろしさを教えます。

満ち潮を経験させることで、教えます。

満ち潮に帰り道を塞がれてしまった三人は、崖をのぼりながら必死で帰ります。

でも、その無理がたたって、お父さんは亡くなってしまいました。





悲嘆に暮れてはいられません。

どうやって暮らしていったらいいのでしょう。

お兄さんは、家具職人の手伝いに出ていましたから、それを続けますが、収入は僅かです。

お母さんは、大きな悲しみと不安で、ぼんやりしたまま。




メアリーは、悲しみにくれ、海辺をさまよっていました。



そこで、思いつきます。

そうだわ、わたしが化石を見つけて、売ればいいんだわ!

お父さんのお仕事を、わたしがするの!




お母さんは心配しましたが、メアリーの言う通りに、させてみることにしました。

メアリーは、もって生まれた才能と喜びに導かれ、珍しく美しい化石を次々に見つけていきます。

メアリーが並べる化石は、飛ぶように売れました。

やがては、お兄さんもそれを手伝い、化石だけで生活していけるようになりました。


そしてついに、未知の化石を発見します。

それは、その時代にはまだ知られていなかった、恐竜の骨だったのです。

その時、メアリーはまだ12才でした。

そのことがきっかけで、メアリーは大英博物館の科学者の助手になるのです。

そして、それからも次々に、新しい恐竜の骨を発見していきます。






メアリーは、幸せでした。

大好きな海辺で、大好きなお父さんが教えてくれた発掘をして、家族が暮らしていくことができて、科学者の先生をはじめ、多くの人たちが喜んでくれる。




メアリーは、47才に病気で亡くなるまで、発掘に生涯を捧げました。



*****************





本を閉じても、わたしの耳に、潮騒が聴こえてきます。

(それは、窓の外の、雨だったのですが。)



気持ちのいい読書でした。

子どもたちに、こんな本を贈りたい。




そして、願います。

子どもたちが、ちいさい人たちが、生まれ持った喜びを忘れませんようにと。



必ずあるのです。

その子どもの瞳が、特別輝く時が。

時間を忘れ、夢中になれるものが。

嬉しくてたまらないようなものが。

やがてそれは、本人とまわりの人々を幸せにしていく最良のものになるはずです。



見逃してしまいそうなささやかなことかもしれませんし、とても変わっていることかもしれません。

百人百様、子どもによって違うものです。



だんだん、それに充てる時間がなくなっていって、多くの子どもは、それが何であったか、忘れてしまいます。


思春期を過ぎ、進路を決めなくてはならなくなった時、探してみるのですが、一度失うと、見つけることは大変です。






子どもたちよ、どうか忘れないでね。

おぼえていて。

あなたの魂がよろこぶことを。





大人たちよ、育んでいってください。

子どもの魂のよろこびを。

ささやかでも、続けさせてあげてください。




そして、できれば、大人であるあなたも、

魂がよろこぶことを、思い出せるように・・・。













『ひなた日和』はじまります*お知らせ*

2015年06月26日 | Weblog

今年も、長岡市新保にある「ひだまり整骨院」さんで、朗読会を開いていただきます。

スタッフであり保育士さんであり体操のトレーナーさんでもある、内山麗子さんが、この朗読会に素敵な名前をくれました。


『ひなた日和』


のんびり、ひなたぼっこをするように、

お茶をのみながら、おしゃべりをしたり、詩の世界を感じたり、できるように・・・。

子育て中のママだけでなく、どなたでも気軽に来て、ゆっくりできる場所を作りたい。麗子さんの願いです。



どうぞ、いらしてください。

ひだまり整骨院さんをご存知ない方でも、独身の方でも、お父さまでも、どなたでも。


以下、第一回の詳細です。


*****************


『ひなた日和』
~にしだひろみ朗読おはなし会~


自分らしく生きたいと願う全ての人のための、ちいさなお茶の時間です。
心にある喜びも悲しみも痛みもそのままに、いらしてください。

また、お一人お一人の夢、生まれてきた目的や役割についても、思いを馳せてみたいと思います。(お誕生日の木からのメッセージもご紹介します)

みなさんの心の隣に、そっと並ぶことのできる詩がありますように。
今日の日があってよかった、と、みんなで、思うことができますように。


日時:7月18日(土) 14:00~15:30
場所:ひだまり整骨院(長岡市新保)
定員:10名さま(要申込み)
参加費:500円

*お申し込み・お問い合わせ先
0258-25-2525 (内山麗子さん)




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わたしの聖者*日々のつれづれ*

2015年06月25日 | Weblog


“毎日が楽しくて楽しくて”


“人が喜ぶことをするのは嬉しいね”



これは、わたしの仲良しのおじさまの口ぐせです。



少年のように澄みきった目をして、いつもニコニコしながら素敵なことを教えてくれる人。

最も尊敬している人の一人です。




親切な彼のところには、頼まれごとがどんどん舞い込みます。

人づてに、彼を知った人たちは、出会うとすぐにファンになります。

親切で、頼りになり、気持ちが明るく澄んでいるから。

そして、友だちになります。



おじさまには、友だちがたくさんいます。






おじさまの秘密。

それは、大きな挫折を味わったこと。

そして、大きな病気をしたこと。

そのことが、おじさまを変えました。



自分本意とまったく逆の、人と一緒に喜んでいくような生き方に、転向したのです。

それは、とても大変なことだったに違いありません。








おじさまに会った後、ひとりになると、わたしはいつも静かにしています。

考えさせられるからです。



わたしはどうあるべき?

わたしの方向性は、間違っていないかしら?





素晴らしい人やものに出逢うと、自分の善い部分が激しく共鳴し、生き方の転換が起こります。

おじさまは、それがとても強い。

明るい笑顔と善良な人柄だけで、人を変えてしまう。



偉そうなことは何一つ言わないのに、

いいえ、何一つ言わないから、

こちらが自ずと感じとるのでしょうか。







息子は、おじさまに出会うと、嬉しそうにニコニコしています。

おじさまとわたしがおしゃべりしている間は、そのへんを走り回っています。

おじさまとお別れした後は、前よりいっそう元気です。




共鳴ですね。

不協和音が一切ない、感じ。

憧れます。







大きな悲しみや痛みを知ったからこそ、輝いている人。


すぐ近くにいて導いてくれる、わたしの聖者です。














『あめが ふるとき ちょうちょうは どこへ』*わたしの本棚*

2015年06月24日 | Weblog

一冊の絵本があります。


『あめが ふるとき ちょうちょうは
どこへ』



サファイアブルーのうっすらとした絵と、穏やかで優しい言葉が少し。

本全体が、霧雨そのもののよう。







雨が降るとき蝶々はどこへ?


読者への問いかけではじまります。





次に、ほかの動物や虫たちが、雨が降ったらどうするのか、その行動を振り返ります。


なるほど、なるほど、

見たことはないけれど、想像ができるものばかり。






でも、蝶々は・・・?

わたしにも、わかりません。




興味をひかれ、読み進めていくと、



“でも、ちょうちょうは
どこへいけば みつかるのかしら。
わたしは、あめのとき
そとで ちょうちょうをみたことが
ないのですもの。

みなさんは どうかしら。”



本は、終わってしまうのです。

こたえのないままで。









作者の目的は、雨が降るときの蝶々の様子を伝えることではないのですね。

作者の願いは、終わりから2ページ前の、この言葉にこめられています。




“あめが こぶりになったら すぐに、
わたしは そぉーっと きのところへ
いってみようと おもうの。

きっと きにとまっている
ことりが みつかって、
あめのとき、ことりが どうしているのか わかるのではないかしら。

それに、たぶん ちょうちょうも
みつかると おもうの。
そうすれば ちょうちょうが
あめのとき どうしているのか
わかるのではないかしら。”






自然へと、そっと、子どもたちをいざなう美しい本。

絵も素敵ですし、文章も、翻訳も本当に素敵です。





先日も、雨の日に開いていたら、

わたしが本を閉じるのを待って、息子が言いました。


“ぼく、しってるよ。
雨の日の蝶のこと。”




その後わたしは、わからないままだったこの謎を、息子から教えてもらいました。


わからないままでもよかったかもしれませんが・・・

わかってみると、心打たれるものですね。






あめがふるとき、ちょうちょうはどこへ?


長い雨の日に、こんな問いに心委ねてみるのも、素敵です。













夢中*日々のつれづれ*

2015年06月23日 | Weblog

息子の机は、いつも賑やか。


今朝も、こんなふう。






愛読書『秘密基地の作り方』は、彼のバイブル。

熱心に読み返しては、自分の「建築ノート」に描いた秘密基地の設計図を、更新(改良)しています。



たこ糸も必需品。

工作好きの息子には、なくてはならないもの。




三角定規も、このごろ活躍。

初めは漠然としていてファンタジックだった秘密基地の設計図、

このごろ具体的、精密になってきました。

おじいちゃんに“坪、ってなあに?どういうこと?”と、気になる単位について質問していました。



青い鉛筆は、愛用のステッドラー。

図面をよく描く彼には、最適な筆記具。





昨夜も、寝る直前まで何か作業をしていました。

この机の様子をみると、きっと、いい時間を過ごしたのでしょう。

(写真には写っていませんが、消ゴムのカスも散乱していますし、ボンドの固まりもくっついていますし、セロハンテープの切れはしもありますし、とにかく賑やか。)







母というのは、なんでも片付けたがるもの。

特に、自分のスペース以外のところが気になったりしてね。


息子の机の散乱ぶりも、穏やかに見られず、片付けるように話したことがありました。

二年前くらいだったかしら。



そしたら、息子が、こう言いました。



“ちらかっているところがいいんだ。
そのすきまから、まほうのはつめいが でてくるんだよ。”



・・・まあ。

でも、そう言われると、そうかもしれないわ、と、思えてきます。





机も、秘密基地のようなもの。

息子の大事な、夢の方舟。

だから、そうっとしておきましょう。


そう思いました。

(もちろん、机以外のところは、片付けてもらうようにしましたけれどね。)





そしたら、だんだん、その散乱ぶりが美しく見えるようになってきました。

夢中、そのものだから。




夢中になれるって、いいなあ。

時間を忘れ、空腹も忘れ、眠いのも忘れ、とにかく形にしたいものがあるって。




それはたぶん、生まれながらに持ってきたもの。

その人の道を示す、大事な指針。

見失わず、歩いていけたら、(分かれ道や行き止まりもありますが、それらも全て道として)、

これほど幸せな人生は、ないでしょうね。







息子よ、おはよう。


今日も、素晴らしい時を。











小さな図書館へ*日々のつれづれ*

2015年06月22日 | Weblog

図書館へ行ってきました。

息子と二人で。






いつも行く図書館とは、別のところです。

いつも行くところは、とても大きくて広くて、きれいです。

児童書コーナーがとても充実しています。

週に1回、2回と通っています。





ですが、時々、どうしても行きたくなる図書館があります。

それは、人里離れた丘の上にあります。

静かで、ひっそりとしていて、しかも、とても小さいのです。

本も、とても少ない。


それが、なんだか、ホッとするのです。



多すぎる本の中では、途方に暮れてしまうようなわたし。

でも、少ないと、のんびりしていられます。

興味のある分野以外の本にも出会いやすい。

“この部屋にある本のことは、だいたいわかるわ”というような、安心感。





図書館へ行くのには、いくつかの動機があります。


本そのものが目的の時。

その空間で何か作業をしたい時。

単に本に囲まれていたい時。





ですが、昨日、気づきました。

わたしが小さな図書館に行くのは、上の三つのどれにも当てはまらない。

わたしが小さな図書館に行くのは、懐かしいから。

そう気づきました。






ずうっと昔、

わたしが小学生だった頃、

学校の図書館が大好きでした。



賑やかな昼休みは苦手でしたが、放課後、まばらに人がいるだけの静かな図書館が大好きでした。

木造の古い図書館。

小さな図書館だけど、一冊一冊の本の中には無限の宇宙がひろがっている。

わたしは、どこでも自由に旅をしました。


校庭から聞こえてくる、子どもたちの歓声。

傾きかけるお日さまの光。

木のにおい、本のにおい。


そういうものが、みんな、大好きでした。






だから、たぶん今も、あんまり広くてきれいな図書館よりも、小さな古びた図書館の方が落ち着くのですね。


そして、息子もやはり、小さな図書館が好きなようです。

“本が多すぎると疲れちゃう”と言います。

わたしに似てしまいましたね。







そんな、小さな図書館で、三時間ほど、

わたしは、懐かしさに包まれながら、文章を書きました。

息子は、素晴らしい本の世界を、いくつもいくつも自由に、旅していました。




とても静かでした。

とても豊かでした。












長野市での朗読会 詳細*お知らせ*

2015年06月20日 | Weblog

長野市での朗読会は、このように計画いたしました。


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『いのちへ』にしだひろみ朗読会
in朝陽館
~ 幸せな母であるために ~


第1回 7月10日(金)
“ぼくはママに会いにきたの”

第2回 9月25日(金)
“この次もあなたに逢いたくて”

第3回 11月6日(金)
“あなたらしく、わたしらしく”


会場:朝陽館荻原書店(長野市新田町1532)
時間:10:00 ~ 11:30
参加費:500円(お茶とお菓子つき)
定員:先着10名(要申し込み)

*お申し込み、お問い合わせは荻原書店さんへ
026-234-2059


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3回の朗読会を通じて、お母さまたちが、前より少し自分のことを好きになり、元気に生きていけるように・・・

すぐそばにある小さな幸せをご一緒に見つけていけたら、と思っています。

3回連続で参加していただけたら一番嬉しいですが、1回だけでも、もちろん大歓迎です。



そんな方のために、テーマについて少し触れてみますと、


第1回は、子どもはどんな風に母を想いそばにいるのか、そして子どもたちの本当の願いは何か、子どもたちの言葉や眼差しをヒントに考えていきます。

第2回は、前回に引き続き、母への子どもたちの想いを見つめていきます。また、様々な事情から天にかえっていった子どもたち(と、その他のご家族)の想いにも、触れていきたいと思います。

第3回は、子どもたちが自分らしく生きていけるように母はどうあったらよいか、考えていきます。お子さまのお誕生日の木についてもお話ししたいと思っています。個性的なお子さまとの人生を歩くお母さまにも、ぜひ参加していただきたいです。


最後の日、みなさんのお顔が、やわらかに美しく、輝いていますように。



*お問い合わせはこちらへもどうぞ
inochinokotonoha@gmail.com
(にしだひろみ)