ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

暮らしの中に、サプライズを*日々のつれづれ*

2015年07月27日 | Weblog

子どもを喜ばせることは、楽しいですね。

わたしも、大好きです。



チャンスを見つけては、サプライズを考えます。

なんでもない日常にも、サプライズのチャンスはたくさんあります。


ささやかなことばかりですが、いくつか、御紹介しますね。




*おやつは、そのまま差し出すのでなく、どこかに隠し、手掛かりになる地図や暗号などを書いて、息子に渡します。

息子は、目を輝かせ、探検に取りかかる、というわけです。




*「タンスの一段目の引き出しの中」
というメモを、息子に渡します。
引き出しを開けてみると、「国語辞典のどこか」という紙が出てきます。

こんな風に、延々と指示をおいかけていくと、最後におやつを見つける、という仕掛けをします。

楽しんでくれているのでしょう、嬉々として走り回る足音、歓声や笑い声が、聴こえてきますから。




*わざわざ切手を貼って、投函して、息子に手紙を出すこともあります。

はやめに出せば翌日には届くので、郵便やさんのバイクが来たら、息子に取りに行ってもらいます。

宛名に自分の名前がある手紙を受けとるのは、嬉しいですよね。




*暑い夏には、家の前の桜の木に、『アイスクリームあります』という旗を結わえておきます。

(まわりに家がないから、できることですけれどね。)

息子から、すぐに注文が入ります。





*ポスターを描いて、壁に貼ります。

内容は、現実的なものから奇想天外なものまで、さまざま。


“お手伝いさん募集中”のポスターを貼ると、必ず応募してくれます。

“なくなった靴下の謎”のポスターを貼ると、面白がって捜索してくれます。

“じゃがいも料理コンテスト”のポスターを貼ると、ユニークなレシピを考えてくれます。

“このヒグマを探しています”の似顔絵ポスターを貼ると、「これはないでしょー」と笑い転げます。




全て、目的は、息子を面白がらせることと、暮らしを楽しくすることです。

お金もかかりませんしね。



わたしのところに生まれてきてくれたことに、感謝をこめて。

いつか、息子が振り返る思い出が、うんと楽しくあるように。












『はなのすきなうし』*わたしの本棚*

2015年07月26日 | Weblog

数年前のことでした。

息子は、悩んでいました。



人と違う自分に。

それを生きる難しさに。





子どもが苦しむことは、母にも同じように苦しいことでした。

しかも、代わることはできません。



ですが、そうではありながら、素晴らしいことだとも感じていました。


必ずいつかは、向き合い、越えていかなければならない壁。

それを越えられた時、息子は真に自分らしく生きていけるようになる、

そんな予感がしていました。






わたしにできたことは、ほんのささやかなことばかりでした。


息子の想いを、いつでも、どんなものでも聴くこと。

どんな姿も受け入れ続けること。

表現したいのにできなくて苦しい時に、筆談をして、時間をかけて引き出すこと。

この困難は、いつかは必ず息子の力になる、と信じていること。






本当に苦しい時、言葉は、それがどんなに想いのこもったものでも、通り過ぎていってしまうように思います。

受け入れ、咀嚼するだけのエネルギーが、とてもとても、持てないからです。

北風のように感じられるかもしれません。



言葉は、その人が困難を越えようと歩き始めた時に、役に立てるかもしれません。

その人に必要なだけの時間をかけてから、歩き出す、その時に。



それを見極めるのは、なかなか難しいのですが、

その人を愛する人ならば、わかるものなのですよね。





“今かしら”と思った時、わたしは、息子に本を贈りました。

何冊か、贈りました。


『はなのすきなうし』は、そのうちのひとつです。





スペインに生まれた、ある牛の物語です。

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ふぇるじなんど という名前の牛がいました。

ほかの牛たちは、たいへん活発に動き回っていましたが、ふぇるじなんど は違いました。

木陰に座り、花のにおいをかいでいることが大好きだったのです。

それも、一日中。



ふぇるじなんど のお母さんは、心配になりました。

「どうして、おまえは ほかのこどもたちといっしょに、とんだりはねたりして あそばないの?」


ふぇるじなんど は、頭をふって、こたえました。

「ぼくは こうしてひとり、はなのにおいを かいでいるほうが すきなんです。」



お母さんには、ふぇるじなんど が淋しくないことが、よくわかりました。

もののわかったお母さんでしたから、ふぇるじなんど を好きなようにさせておいてあげることにしたのです。




ふぇるじなんど も牛。

どんどん大きな体になっていきます。

他の牛たちは、荒っぽくなり、闘いの練習をするようになります。

一番強い牛になりたいのです。


でも、ふぇるじなんど だけは、やはり、花のにおいをかいでいるのが好きでした。




ある日、人間の男たちがやってきて、一番大きくて乱暴な牛を探しに来ました。

闘牛にするのです。


牛たちは、みな、自分が一番強いことを見せたくて、猛烈に暴れまわります。

ふぇるじなんど は、木陰に座り、花のにおいをかいでいるだけ。

ふぇるじなんど にとっては、どうでもいいことでしたから。



ところが、ふぇるじなんど が座ったところには、クマンバチがいたのです。

クマンバチは怒って、ふぇるじなんどをいやというほど刺しました。


ふぇるじなんど は、びっくりして、うなり、気違いのように大暴れしました。

これをみた男たちは、大喜び。

これこそ、探していた牛だ!


ふぇるじなんど は、マドリードに連れていかれました。




いよいよ大闘牛の日。

大きな大きなふぇるじなんどの登場に、会場は沸き、闘牛士たちはおののきます。


さあ、闘いのはじまりです。



でも、ふぇるじなんどは、会場の真ん中に座り込みました。

そして、見物人の女の人たちが帽子に載せている花のにおいを、うっとりと、かぎはじめたのです。

闘牛士たちがどんなにけしかけても、ふぇるじなんど は、まったく動きません。



当然、ふぇるじなんどは、ふるさとの牧場に連れ戻されました。


ふぇるじなんどは、再び、大好きな木陰に座り、静かに、花のにおいをかいで暮らしたのです。


物語は、こう終わっています。


「ふぇるじなんど は 、とてもしあわせでした。」



*****************



わたしは、何も言わずに、この本を渡しました。


読んだ息子も、何も言いませんでした。



ただ、読み終えてから、本を閉じて、

小さく、頷きました。















たっくん *日々のつれづれ*

2015年07月25日 | Weblog

四才の“たっくん”に出逢ったのは、絵本の家「ゆきぼうし」に行った時のこと。

お母さんとおねえちゃんと三人で、来ていました。




こどもたちは、裏の森を駆け回ります。

息子とたっくんのお姉ちゃんは、年齢が近く、同じスピードで遊べますが、小さなたっくんは、そうはいきません。

なかなかついて行けない様子。



でも、たっくんは、ちゃんと、同じスピードで遊べそうな人を見つけました。

それは、わたし。





たっくんは、わたしに言いました。

“ついておいで。”

どうやら、仲間にしてくれるようです。




たっくんは、森をどんどん進みます。

どこに何があるか、ちゃんと知っているような、知らないような。


時々立ち止まり、口元に人差し指を当て、“静かに”という合図を送ってきます。

どうやら、探検のようです。




わたしが静かにしていると、たっくんは、“進んでよい”と手で合図。

どうやら、敵はいないようです。






分かれ道にさしかかりました。

たっくんは、指でそれぞれの道を差します。

そして“こっちだ”と、ひとつの道を示しました。

どうやら、勘のようです。







時間はかかりましたが、やっと、絵本の家が見えてきました。

たっくん、さすが。

ちゃんと着ける、とわかったたっくんは、嬉しそうに言いました。

“もう一回行こう。”




その日、たっくんと、三回、森を探検することができました。





たっくんは、きっと、帰りの車の中でぐっすり眠ったことでしょう。

うんと、探検しましたもの。



世界が、どれほど不思議で素敵なところであるか、小さなたっくんは、その存在全部で教えてくれました。

子どもと同じ目の高さになり、そこから見上げる世界は、とても素敵なのですよね。

子どもが指し示してくれるものは、驚くべきものばかり。

そして、初対面のわたしを、すっかり信頼してくれました。

もしかしたら、わたしを守り、面倒を見てくれていたのかもしれませんね。


幼い子どもがくれる、素晴らしいプレゼントです。

ありがとう、たっくん。




次に会えたときには、もしかしたら、あなたはうんと成長して、あんな風な遊び方は卒業しているかもしれないね。


だから、ありがとう。

こんなに楽しい思い出をくれて。












再会*日々のつれづれ*

2015年07月23日 | Weblog

つい先日のことです。

その日はお休みで、家でゆっくりしようと思っていました。

掃除をして、それから、書きたい手紙がありました。




ところが、どうも、一軒の古本屋さんのことが気になり出しました。

家からは車で一時間のところです。

用事はありませんでしたし、ちょっと遠い距離。

ためらいました。





洗濯を済ませ、お茶を飲んでみました。

やはり、古本屋さんのことが気になります。


これはもう、行くしかありません。


わたしは、すぐに出かけました。







見るところは決まっています。

絵本と児童書のコーナーです。




その日も、さらりと眺めていました。





突然、あまりにも懐かしい背表紙が目に入ってきました。


手にしてみたら、まあまあ、ほんとうに懐かしい。

この本が、まだ、あったなんて・・・。








一年生の頃、クリスマスプレゼントだったでしょうか、

わたしに贈られた本。

『作文がすきになる本』




本が大好きだったけれど、裕福ではなかったので、滅多に買ってもらうことはありませんでした。

だから、ほんの少しの本が、とても貴重で、宝物でした。

この本も、いつも持ち歩き、切れてしまうほど読み込んでいました。





そして、わたしは、本当に、作文が好きになりました。

その前から好きだったかもしれませんが、より好きになったことは間違いありません。

想いを言葉で表現することが好きだったわたしに、それをさらに磨くように、“サンタさん”が、プレゼントしてくれたのですね。



懐かしい懐かしい本を手にしていたら、目頭が熱くなってきました。






決して幸福な家庭で育ったわけではない、わたしでした。

感受性が強かったため、自分でさらに、悲しみを深くしていました。




でも、こんな本を贈ってもらっていたのです。

わたしの本質や好きなことをしっかりと見定め、それを伸ばすようにと願って、贈ってくれたのでしょう。



両親は、それぞれに困難な人生を生きながら、たぶん、精一杯、子どもたちを想っていたのでしょうね。

うまくできなかったとしても、想っていたのです。





わたしは、再会できたこの本を、抱きしめました。





お父さん、お母さん、ありがとう。

わたしのことを、ちゃんと、わかっていてくれたのね。



わたしは、この次の人生の時も、お父さんとお母さんに逢いたい。


不器用なままでいいからね。

わたしもそうだから。

また一生懸命、生きようね。




帰りの車は、タチアオイの並ぶ田舎道を、ゆっくり走っていきました。











“読むのがもったいなくて”*日々のつれづれ*

2015年07月22日 | Weblog


ある日、一冊の本を手に、息子がやってきて、言いました。


“なんだか、読むのが、もったいなくて・・・。”





幸せなため息のように。

少し困ったように。


顔は、輝いていて。

読みかけらしきページに、指をはさみつつ。






ああ、わたしもそうだった。


素敵な本にめぐりあい、少し読み進めて、

ああやっぱり素敵な本だ、と思ったとき、

本を閉じて、ため息をついてしまう。



読むのがもったいなくて。

素晴らしい本に出会えたことが嬉しくて。

いつかは必ず読み終えてしまうことがせつなくて。







その日、息子が持ってきた一冊は、佐藤さとるさんの名作、『だれもしらない小さな国』。

コロボックルという、小人たちの物語です。





少女の頃、わたしを魅了した、この物語。

読み終えてから、幾度も、蕗の大きな葉の下に、小人を探したものでした。

もしかしたら身の回りにいるかしら、と、お部屋やポケットを見たことも。






あんなふうなドキドキやワクワクを、息子にも感じてほしい・・・

そう願って、本棚にそっと並べておいた一冊でした。





息子は、それを手に取り、開いてみて、そして心ひかれたのね。


ああ、嬉しいこと。







いま、たいていの書店や図書館には、あまりにもたくさんの本があり、選ぶことは容易ではありませんね。

子どもたちが手に取るものは、背表紙や表紙が目立つものや、可愛いものだったりして、

素晴らしい内容の本に出逢う可能性は、低いかもしれません。




何が素晴らしくて、何がそうではないのか、そのような線引きはできないのかもしれませんが、

できることなら、

いつまでも心に残るような本、

心豊かになれるような本、

よい方へと導いてくれるような本に、出会ってほしい。




そう願って、時々、こっそりと、息子の本棚に新しい本を並べている、わたしです。










蝉のこえを聴きながら、

青空の見える窓の下で、

息子は、コロボックルの世界へと。



忘れられない夏の始まりです。












続・新しい時代へ*日々のつれづれ*

2015年07月21日 | Weblog

長野県伊那市で、今年の春たいへんユニークな学校を開いた人を、訪ねてきました。

自然遊びができる広い丘に、大きなまあるいテント。

ネイティブの人々が暮らす家のよう。

中には、本がぎっしり。

大きなちゃぶ台もあります。





四角ではなく、丸がいい。

そんな想いから、建物も、机も、関係も、まるく作られています。



近年とても増えてきた、サドベリースクールという、完全に個々の子どもたちの意思に任せて一日が進んでいく学校とは異なり、教科学習がしっかりとできるようになっています。

でも、半日は、個々のやりたいことができるようにプログラムされています。

窓ぎわのトットちゃんに出てくる、電車の学校に近いと思います。

電車の学校では、みんな、思い思いに、でもしっかり勉強していましたね。




この学校を立ち上げたのは、ひとりの若者。

信念に生きる、元小学校の先生です。


教員時代の苦い経験や挫折を経て、心に湧いた疑問を抑え込むことをしないで、自分の理想の学校を作ろうと、立ち上がったのです。


勇気が必要だったでしょうね。

想いが強かったのでしょうね。



彼は、自分のことを「先生」とは言いません。

大人も子どもも、彼をニックネームで呼んでいます。

それも、大切な信念なのでしょう。


初対面のわたしも、ニックネームで呼ばせていただきましたが、

自然にそうさせてくれる彼は、素晴らしい人だと思いました。



想いのままに立ち上げて、がむしゃらに頑張ってきたけれど、課題や困難は山積しているようでした。

(素直で嘘のない彼は、全てありのままを話してくれました。)


けれど、それらはみな、この人に必要な学びや経験であり、

ここを越えていくことで、きっと、より素晴らしい学校になっていく。

わたしはそう感じました。



厳しい厳しい道でしょう。

理解されることも少ないでしょう。

学ばなくてはならないことも、膨大でしょう。

立ちはだかる壁はあまりにも高いでしょう。



でも、彼がつくる学校を必要とする子どもたちは、たくさんいる。

必ず、素晴らしい学校ができる。


そのために、いま、育てられているのでしょう。





どうか頑張って。

諦めないで。


弟のような年頃の彼に、わたしは、心の中で、大きな声で、声援を送っていました。




一緒に行った息子は、丘にあるブランコに乗って遊んでいました。

丘の斜面に作られているので、こぎ出すと、空を飛んでいるような気持ちになるので、最高のよう。


やりたいことが明確な上、独自の学び方がある息子には、もう少し自由度の高いスクールの方が合っていますが、

いざ本格的に勉強をしたくなった時、彼のつくる学校は理想的です。

そして、素晴らしい味方、そして師になってくれるはずです。




息子を見ていて思うのは、師や先生とは、子ども自身が見いだすもの、ということです。

“この人がぼくの先生だ”



そして、師とは、実は、身の回りにたくさんいるのですね。

年齢が下のこともあります。



自分が師と認める人に、教え導いてもらう。

とても幸せなことです。

とてもシンプルなことです。






新しい時代の足音が、うんと速く、たくましく、聴こえてきます。

様々なものが変わっていきます。




信じる道を行きましょう。

開拓者の心持ちで。


輝く瞳をシグナルに。

心の願いを指針として。






また、訪ねて行こう。

彼のところへ。

全国の、素敵な学校へ。














絵本の家「ゆきぼうし」*日々のつれづれ*

2015年07月17日 | Weblog

わたしの故郷、新潟県魚沼市の山奥に、絵本の家「ゆきぼうし」はあります。

木造の、大きなあたたかい雰囲気の家には、たくさんの絵本。

9000冊ほど、と聞きました。



窓から見えるのは、森。

深く豊かな、森。



その森には、入り込み、遊ぶことができます。

心地のいい日だまり、

木のテーブルと椅子、

ブランコ、

迷路のような道。





絵本の家を開き、長い間守ってこられたのは、みんなが親しみをこめて「絵本のおばさん」と呼ぶ、ひとりのおばあさま。

いつもゆったりと、来る人を待っていてくれました。

その大きさと優しさに包まれると、

子育て中のお母さんは疲れを忘れ、安心し、

子どもたちは嬉しくて生き生きし、

一人訪ねる人は、ゆっくりと休み、深呼吸できます。





わたしが訪ねる時は、いつもたまたま、他にどなたもいらしていなくて、

静かに絵本を読んでいたり、

おばさんとお話ししていたり、

窓から森を眺めることができました。



息子を連れていく時は、

森で遊んでいたり、

絵本の家の階段の上り降りを繰り返してみたり、

一緒に絵本を読んでいたり。




いつもにこにこ、おばさんが見守っていてくれました。






去年の暮れに、おばさんは病気になり、入院しました。

絵本の家館長の退任も決まっていましたので、新体制のみなさんが、頑張って後を継いでおられます。

開館日は、ぐんと減りましたけれど。




行きたい気持ちはいつもありましたが、おばさんの居ない「ゆきぼうし」に行くのは、あまりにも寂しくて、行くことができませんでした。


ですが、先日、里帰りした時に、

朝、急に、「今日行こう」と思ったのです。

息子を連れて、懐かしい田舎道を。






着いてみたら、

ああ、なにも変わらない。

ゆきぼうしは、変わらずにいてくれました。





スタッフさんに、恐る恐る、尋ねてみました。

おばさんのお加減は、いかがでしょうか?




そしたら、

「退院されたんですよ。

今日、こちらにおられますよ。」

とのこと。




まあ!






お忙しいかもしれないから、絵本をみて、あとでおばさんを訪ねてみましょう。

そう決めて、息子と絵本の家に行きました。

(おばさんの家は、絵本の家の隣にあります。)





しばらくすると、聴こえてくるではありませんか、懐かしい声が。


“まあ、まあ、おひさしぶりだったわねえー、ひろみさんでしょう?”



おばさんが、絵本の家にみえました。






懐かしい懐かしいおばさん。

みんなの大好きなおばさん。




わたしの名前を忘れずにいてくれました。



でも・・・

少し、小さくなられました。

それに、少し、遠い人に、感じられました。

ときおり、さまようような目をしています。



それが、寂しくて、尊くて、

わたしは、おばさんを抱きしめたいような気持ちになりました。






常に、おばさんが居なくても、

絵本の家には、おばさんのぬくもりが満ちていました。

これからもずっと、そうでしょう。







8月8日9日と、イベントを開催するそうです。

絵本を囲む、ちいさなあたたかいお祭りです。





イベントではない時に、一人静かに来てみることも、おすすめします。



その時に、おばさんに、お会いできるといいです。

でも、いらっしゃらないとしても、包まれていますからね。

おばさんの想いに。










新しい時代へ*日々のつれづれ*

2015年07月16日 | Weblog

個性的な子どもは、個性的に生きてよいのだと思います。

その子らしい生き方、学び方があるからです。






それは、一般的な学び方とは逆だったりします。


例えば、息子の学びには、目的が必要です。

心の中に湧いた疑問やインスピレーションが、学びをリードしていきます。

それがなければ、学びは空虚になってしまい、喜びも伴わないようです。





教科の枠はありません。

全て、繋がりあっているからです。

心の目的に従って、どこまでもどこまでも、広げていきます。





その子によって、さまざまに広げ、さまざまに突き抜けて行くでしょう。


爽快です。





子どもたちはみんな、地図のようなものを持って生まれてくるように思います。

ぼく、わたしは、こう生きて、こんなことを成し遂げたい。

魂の地図、のようなもの。





個性的な子どもほど、その地図の道は、個性的。

思いがけない道が描かれています。





どこで、どう生きても、

それがどんなに変わっていても、

その子の瞳が輝いているなら、

それは、その子の道を歩いているという証しだから、大丈夫。





せっかく生まれてきたいのち。


“今日も素晴らしい一日だった”

“生まれてきてよかった”



一日の終わりに、そんな風に思って、眠りについてほしい。






その喜びは、誰かが与えるようなものではなく、

子どもたち自らの内に秘められているもの。


わたしたちにできることは、子どもの生まれ持った喜びを存分に発揮できる環境に導いて行くこと。






これから、どんどん、ユニークな学びの場が増えていくと思います。


そして、より個性的な子どもたちが、自分に一番相応しい学校を選べるような時代が来るでしょう。






生きづらさを抱え、悩んでいる、子どもたち、ご両親は、新しい時代をつくっていくために選ばれた選手です。

全ての子どもたちが、その子らしく、生き生きと育ち、その子にしかできないことを成し遂げていける、そんな世界を描いてみたら・・・、

嬉しくて、涙が溢れてきました。
















新潟県長岡市での朗読会、もうすぐです*お知らせ*

2015年07月14日 | Weblog

今週の土曜日は、長岡市での朗読会です。

会場は、ひだまり整骨院さん。

子育て支援センターのようなあたたかみのある内装にびっくりします。

昨年は、何度も朗読会を開いていただきました。




今日は、ひだまりのみなさんを、ご紹介しましょう。


医院長の内山さんは、わたしよりお若い男性ですが、落ち着いた賢人のような雰囲気の人。

志も大きく、頼りになる人です。

朗読会を、隣の部屋から、いつも静かに見守っておられます。





内山さんのお姉さん、麗子さんが、朗読会を主催して下さっています。

幼稚園の先生でもあり、体操の先生でもあります。

普段は、整骨院へ来られる小さなお子さんを見守っていたり、お母さんのお話しに耳を傾けたり。

体操の先生として、教室を開いていたり。

全国各地での勉強会に出かけていたり。

とにかくパワフル。

ゆったりとした雰囲気があり、一緒にいると落ち着きます。

よく笑い、美味しいものも大好き。

大きな夢を持っていて、それに向かって頑張っています。




お二人のお母さまも、整骨院にいらっしゃいます。

小さなお子さんを見守っていらしたり、お手伝いをされています。

ゆったりとした微笑みで、迎えてくださいます。




あたたかく、素敵なご家族。

仲良しで、よく一緒に出かけるそうです。





朗読会は、整骨院にいらしたことのない方も、お子さんのいらっしゃらない方も、どなたでも、ご参加いただけます。

どうぞ、お気軽にいらしてくださいね。

そして、ひだまりのみなさんや、わたしや、ご参加者のみなさんと、仲良しになりましょうね。

お待ちしています。





日時:7月18日(土) 14:00~15:30
場所:ひだまり整骨院(長岡市新保)
定員:10名さま(要申込み)
参加費:500円

*お申し込み・お問い合わせ先
0258-25-2525 (内山麗子さん)














ぼくのマラソン*日々のつれづれ*

2015年07月13日 | Weblog

先日、息子が話してくれたことです。




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いまね

ぼくの心の中は

マラソンなんだ




選手は四人


「歴史」と

「物語」と

「動物」と

「工作」






「歴史」は

知ること

調べること




「動物」は

いろんな動物たちの暮らしを

感じること

描くこと




「物語」は

湧いてくるもの

書き留めるもの





「工作」は

浮かんだものを

すぐに形にすること







「歴史」と「物語」が

いつも先頭を走っているけど

たまにね

「動物」が追い抜いていくの



「工作」はね

いつも同じはやさで

走り続けているの






朝起きて

木とか空とか見ていると

一位の選手が見えてきて

やりたいことが決まるんだ





忙しいし

面白い





まだ

いまのぼくには

どれが勝つかは

わからない





だって

全部

素晴らしいんだ





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