ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

『土の学校』*私の本棚*

2017年07月30日 | Weblog
木村秋則さんが好きです。

考え方や生命観、お人柄、そして、純粋な純粋な笑顔。


木村さんは、わたしの父に、顔が似ているんです。

特に、笑った顔が。


だから余計、好きなのかもしれません。



木村さんご本人や、木村さんに関する本はたくさん出ていますが、中でも特に好きものが、こちらです。



『土の学校』

中身はもちろん、装丁が素晴らしい。



土には何にも加えない方がいいこと、

害虫とわたしたちが呼んでいる虫は、意味と役目があって現れていて、よく見ると、とても優しい顔をしていること、

など、真実が、木村さんのわかりやすい言葉で、綴られています。



時々、開いてみる本です。


農や自然について学ぶために、

そして、木村さんのように、易しい言葉で、ものごとを伝えることを学ぶために。



文章には、人柄が、どうしようもなく表れてしまいます。


木村さんの文章は、どこまでも純真で、どこまでもあたたかい。

だから、読むと、優しい気持ち、穏やかな気持ちになります。



わたしにも、そんな風にできたらいいな、と思います。

わたしの文章から伝わるものが、やわらかで、あたたかくて、しなやかであったらいいな、と。


木村さんは、そういった意味でも、わたしの大好きな、師匠です。












『おばあちゃんがいるから』*私の本棚*

2017年07月26日 | Weblog

『かぜはどこへいくの』という絵本を読んだ時に、

“わたしも、こんなお母さんでありたい”

と、思いました。

わたしの理想のお母さん像が、そこにあったのです。



そしてわたしは、理想のおばあちゃん像も、見つけてしまいました。

やっぱり、本の中に。



『おばあちゃんがいるから』
(岩波書店)
ボーゲル 作
掛川恭子 訳

1984年に出版された本です。

古本屋さんで、たまたま見つけたものですが、恐らく、滅多に手に入らない本だと思います。


「岩波ようねんぶんこ」とあるように、小学校低学年向きに、大きな文字で、やさしいことばで、書かれたお話しです。

それはそれは、素敵なお話しで、どのようにご紹介したらいいか、迷いました。


そして、作者が、本文や目次の前に書いたメッセージを、ここに抜粋することにしました。

きっと、この本の素敵さが伝わると思うのです。


もしかしたら、どこかの図書館にあるかもしれません。

心惹かれるものを感じた方は、どうぞ探してみてくださいね。


“ドドというのは、わたしがだいすきだった祖母のことです。

(中略)

わたしは、ドドのことが、だいすきでした。

大人になってからも、だいすきでした。

なくなったあとも、だいすきでした。

そして、いまも、おなじように、だいすきです。

この本を、わたしのドドにささげます。”



ドドは、主人公の女の子の心に、いつも優しく寄り添いました。

そして、少しの無理もなく、とても自然に、女の子の心を、より美しい方へと導くことができました。


“ドドには、わたしのきもちが、わかっていたのです。”



子育てをしてみると、わかるものですが、

自分の子どもに対しては、客観的になることが難しく、

ついつい感情的になってしまったり、狭い視野で物事を見てしまったりします。


でも、祖父母になると、うんとゆるやかに、子どもをみることができるようです。



本当は、息子にとっての“ドドのような人”になりたいけど、

とてもとても、程遠い。



だから、いつか、おばあちゃんになれたら・・・。

ううん、姪っ子や、甥っ子にならば、ドドのような眼差しの人に、なれるかもしれない・・・。



またひとつ、美しい夢、美しい未来への切符を、見つけました。












詩人の文章*日々のつれづれ*

2017年07月25日 | Weblog

わたしは、言葉を綴ることが好きです。

想いを、詩というかたちに絞りこむことも好きですが、

より自由な、そのまんまの姿をあらわす文章も、好きです。



本はたくさん読んでいる方だと思いますが、その中でも、詩人の書く文章って、素敵だなあ、と思います。

どこか、とても自由なのです。

独特な方向に想いを広げていて。


最近は、そんな本を、読んでいます。


先日、上田市「NABO」で求めた本も、詩人の書いた文章でした。



『プラテーロとわたし』(理論社)
J.R ヒメネス 著
伊藤武好 ・伊藤百合子 訳
長新太 絵


プラテーロというのは、愛するロバのこと。

ヒメネスは、愛するプラテーロに語りかけるように、日々を生きました。

そのひとつひとつを文章にし、まとめたのが、この本です。


感じやすく繊細な詩人には、生きることは大変なものです。

まわりの人にはわからないような、精神的な大きな困難に満ちているから。

だからこそ、描き出すことばが、希少で、輝きを放つのでしょう。



例えば、ヒメネスは、教会の鐘の音が響いてきた時のことを、こんな風に語るのです。


“ ごらん、プラテーロ。

ほら、こんなにバラの花びらが降っているよ。

青いバラ、白いバラ、何色ともいえないバラ・・・

まるで、空がくだけて、バラになってしまったようだ。

(中略)

おまえには、このやさしい花が、どこからくるのかわかっているんだろうね。

私には、わからないんだよ。

(中略)

プラテーロよ、お告げの鐘が鳴り響いている間に、私たちの生活は、日々その力を失っていくように見えるが、

他方では、もっと崇高な、もっと不変な、もっと純粋な、内からわきでる力が、

めぐみの噴水のようにすべてのものを、バラの間できらめきはじめた星のもとへ、とどかせてくれるように思われる。

もっとバラを・・・

おまえには、自分のその目が見えないのだろうがね、プラテーロ。

おだやかに空を仰いでいるおまえの目も、まるで二つの美しいバラの花だよ。”



美しい、ほんとうに美しい文章です。


ヒメネスの、この本に、1956年、ノーベル文学賞が贈られました。

およそ100年前、スペインの詩人、ヒメネスの、この本に。












明日は長岡市でワークショップ*お知らせ*

2017年07月25日 | Weblog

これまで、あちこちで開かせていただいてきた、シンボルツリーワークショップや講座ですが、今後はわたしの自宅で開催する方向で考えています。


また、ワークショップや講座は、シンボルツリーの全体像を学んでいただくものですが、

もっと個人的なこと、ご本人やご家族のことをじっくり詳しく学びたい、という方のために、

『シンボルツリーcafe』を開くことにいたしました。


お茶を飲みながら、ゆっくりと、おしゃべりをするように。

人に言えないことや、悩んでいることも、安心して話していただけるように。

時間を気にしないで、まわりも気にしないで、ゆっくり、のんびり。

もちろん、お子さまもご一緒に。


日時は、ご一緒に相談して、決めます。



そんなわけで、明日の長岡市「ひだまり整骨院」さんで行う「シンボルツリーワークショップ」は、外でのワークショップの仕上げとなりそうです。

楽しみに、行ってきたいと思います。




*個人的にシンボルツリーを知りたい、という方も、全体をじっくり学びたい、という方も、どうぞご連絡くださいね。

もし、わたしの家でよかったら。


himawari.bless-you@ezweb.ne.jp
(にしだひろみ)












素敵なお店、ふたつ*日々のつれづれ*

2017年07月24日 | Weblog

素敵なお店って、

そこに居る間ずっと幸せで、

そこを去った後にも、幸せが続くんですよね。



生きててよかったな、

巡りあえてよかったな、

またこんな時間が持てるように暮らしていきたいな、

そう思うものです。



今日は、そんなお店をふたつ、ご紹介します。


ひとつは、主人が「日本一素敵な古本屋さんだよ」と言っていた、長野県上田市の「NABO」。

古本と、パンと、コーヒーのお店。

ずっと行きたかったお店。



そんなに大きくはない、この古本屋さんの最大の魅力は、選び抜かれた本だけが大切に並べられていること。

どの本も魅力的で、すごい引力を持っています。

小さなお店なのに、何時間いても足りないくらいの充実感。


新刊を買うよりも、ここで古本を買いたい、

だって、この本がこんなに素敵に見えるお店は、他にないもの、

そんな気持ちになりました。



わたしは、迷いに迷い、泣く泣く絞りこみ、二冊の本を買いました。

それらは、わたしの本棚の最重要コーナーに、即、収まりました。



“今度は泊まりがけでゆっくり来ようよ、ここを目的地に。”

主人が話しています。


そんな日を楽しみに暮らしていく、この毎日も、お店がくれた幸せです。




ふたつめのお店は、わたしのふるさと、新潟県魚沼市にある小さなパン屋さん、「Peek-a-Boo(ピーカブー)」。


小さなお店で、品数も少ないのですが、

そこには、素敵な願いがあるんです。


それは、いつも焼きたての美味しいパンを食べてほしいから。


店長さんは、お店をちょこちょこ覗きながら、パンの売れ行きをチェックし、すぐに新しいパンを焼きます。

(これは、お店の方に聞いたわけではなくて、わたしが勝手に観察して感じたことです。)

だから、いつも、パンが一番美味しい状態。

それなのに、トレイにパンをのせてレジに向かうと、同じパンで焼きたてホヤホヤのものがあれば、交換してくれるんです。


なんという心意気!

まさにそれは、パンを最高に美味しくする魔法です。

美味しくないはずがありません。


しかもこのお店、さらにすごいことに、無添加なんです。



わたしは、帰省のたびに、ちょこちょこ伺っているのですが、

どのパンも、本当に本当に美味しい。

びっくりするほど美味しいです。



また行けるかな、寄れるといいな、

そう思いながら暮らす。


このお店がくれた、幸せです。
















雨のことば*日々のつれづれ*

2017年07月23日 | Weblog

雨雲は、日本列島をゆっくりと辿り、いたるところに足跡を残していきました。


わたしの実家である魚沼市にも、雨雲が留まり、家の周りが湖のようになりました。

川も、田も、みんな消えて、畑は沼になりした。

母屋は床下浸水で済みましたが、作業所や小屋に置いていたものは、みな濡れました。

隣の集落では、床上まで水が上がったところもあったようです。


また、後で知ったことですが、実家のお墓が倒れ、中のお骨まで流されてしまっていました。


ああ、これは、大きなことだわ・・・、そう思いました。

もう少しで、お盆というところで・・・。


そして、雨は、今朝も、降り続いています。




雨のことばは、なんと言っているのでしょう、

天のおしえは、なんと言っているのでしょう、



わたしには、まだ、わかりません。

わかることもありますが、わからないことが殆どです。

きっとそうです。



ただもう、

両親が無事であれ、

親戚のみんなが無事であれ、

もう誰も悲しまないように、

乗り越えられるようにと、

思うばかりです。












塩浴のおはなし②*日々のつれづれ*

2017年07月14日 | Weblog
塩浴、つまり、塩で体の全てを洗う、ということを続けて、二ヶ月近くになりました。

髪も、顔も、体も、全て、塩ひとつで。

髪は、塩によって毛穴が開き、皮脂が出やすくなるために、ギトギトして大変だったのですが、

だんだん落ち着いてきて、ふんわりするようになってきました。



自らに備わる脂は、リンスの役割も、トリートメントの役割も、整髪料の役割も、みんなこなしてくれるんです。

薬品は、なんにも必要ないのだということが、よくわかりました。



塩浴については、いくつか方法があるようですが、わたしはこちらの方法に落ち着きました。


①塩を水で湿らせる

②皮膚に塗る(頭頂~足裏の順に)

③お湯で流す

④冷水をかける



全身に使うの塩は、片手で大きく一掴み、くらいです。

慣れると、本当に気持ちがいいです。



塩浴の本を読んでいたら、塩は、お風呂だけでなく、キッチンにも、お洗濯にも、歯磨きにも、何にでも使えて、

しかも、人も地球も害さない、ということを知りました。

物凄く嬉しくなりました。

そして、わたしの家から、ひとつ、またひとつと、洗剤が消えていきました。




このblogを読まれる方は、どうぞ、参考までにとどめていてくださいね。

わたしは、自分の心地よさや喜びを追い求めています。

そのひとつひとつが、嬉しくて、驚きで、ついついお伝えしたくなるのです。

“あら、またまた不思議なことを…”

という感じで、受け止めてくださいね。














わたしのこころ*日々のつれづれ*

2017年07月13日 | Weblog
“わたしって、どこかおかしいのかもしれないなあ”

幼い頃から、そう感じていたのですが、

わたしは、ゲームや競争が好きではありませんでした。



ゲーム、というのは、テレビゲームも含め、トランプやカルタやボードゲームのことです。

それから、鬼ごっこや、かけっこや、あらゆる球技、スポーツ全般。



「競う」「順位をつける」
ということの価値が見つけられなかったのだと思います。


みんなが「勝ち」を目指してスタートする、ということに心が付いていきません。

そして、勝つ人がいれば、負ける人がいて、ビリの人がいる、ということも、その意義がわかりませんでした。

ごく稀に、自分が勝者になることがあっても、全く喜びがありません。



どうしてかしら…

軽い気持ちで楽しめたらいいのに…

深く考えすぎるんだろうな…

わたしって、なにか変なんだろうな…

と、感じながら。




正直にお話ししますが、

わたしは、今でもそうなんです。


ゲームが楽しくないのです。

勝負や競争を前にすると、心がすうーっと引いてしまいます。

何かの大会や、オリンピックですらも、

“すごいな”

“努力したんだろうな”

“美しいな”

とは思いますが、必ず採点や判定が伴うので、その段階で興味を失います。


応援することは素敵なこと、頑張る人たちも素敵。

それなのに、どうして、虚しさを感じてしまうのでしょう。




つい、数日前、その答えに出会いました。

それは、古書店で見つけた一冊の本。

ずっと読みたかった本。

その中に、書いてありました。



『ミュータント メッセージ』
(角川書店)
マルロ・モーガン 著
小沢瑞穂 訳


不思議ないきさつで、先住民 アボリジニ 「真実の人族」と旅をしたアメリカ人女性の体験記。


「真実の人族」に、スポーツや試合について説明しようと、みんなでかけっこをしようと提案した著者。

一番速い人が勝つ、と説明した時、彼らは驚きました。


「だけど、ひとりが勝ったら残りはみんな負けるんだろう。それは楽しいのか?ゲームは楽しむためにあるんだよ。どうしてみんなでそんな競争をするんだろう?それで勝者が本当に強いと思うんだろうか?その習慣はよくわからないよ。あなたの国ではうまくいくのか?」


彼らも、遊ぶこと、ゲームも大好きだが、それは、勝者も敗者も出さず全員が楽しめるものだけだという。




ここを読み、わたしは、思いました。


わたしは、たぶん、原始的なのです。


生き方は現代人だけど、感覚が原始的なのです。

アボリジニの人たちの歴史は5万年と言われていますが、

わたしの中には、その時代からの感覚が、ほんの少しでも残っているのでしょうか。

現代人にはとてもなりきれない、そんな存在なのでしょうか。



そんな観点で見回すと、まわりの人々は、この現代に、この文明に、ちゃんと適応して生きています。

凄い、と思うんです。



その上で。


その上で、わたしは、自分のこの感覚を生きようと思います。

抑えることも、誤魔化すこともしないで、

わたしはこうなのだから、と、受け入れたい。


もしかしたら、この感覚は、わたしの軸なのかもしれません。



わたしを許すことの天才である息子は、

わたしがゲームに消極的なことも許してくれていて、

「いいんだよ、ママはママなんだから。」

と言ってくれます。

そして、一緒に、勝者や敗者のないルールを考えて、遊びます。


(ごめんなさいね、本当は、普通のルールで遊びたいのにね、やりたいゲームもいっぱいあるのにね。)



月に一度、帰省した時に、息子のゲームに付き合ってくれる主人に、感謝しています。

息子とチャンバラや将棋をしてくれる祖父に、感謝しています。

いいえ、もっともっと、感謝したい。


そのお蔭で、この心を持ったわたしが、生きていられるんだもの。














会えました…*日々のつれづれ*

2017年07月12日 | Weblog
今日は、いくつも“ドンピシャ”が重なった、不思議な一日でした。


みんなそれぞれ凄かったのですが、一番大きかったことは、

ずっと会いたいと思っていた人、もしかしたらもう会えないのでは?と心配していた人に、会えたこと。

これはもう、とってもとっても嬉しくて、ずっと“うわぁ…”と言い続けるばかりでした。



その人は、昨年秋に大きな困難に見舞われ、とても苦しい思いをしたのです。

でも、前と少しも変わらず、お元気でした。

魂の強い人、そんな印象を持っていましたが、こんなに強く在ることができるなんて。



その人は、笑いながら、言いました。

「わたしは、いつも楽観できるから、絶対に大丈夫。」

「信じていたら・・・、それは、神さま、ということなんだと思うけど、信じていたら、道が開けるから。」



ああ、わかる、その感じ、とてもよくわかります。


何を願い、何を描くか。

それが道を呼び込むのですよね。


何かを恐れると、その恐れていることを、呼び込んでしまうのですよね。



明るい笑顔と、それから、苦労の跡を少しだけ残した横顔を見つめながら、わたしは、決めました。


その人の望み、願いの、ほんの一部しか、わたしは知らないのですが、

その一部でいいから、描くお手伝いを、呼び込むお手伝いをする。

その人の夢は、わたしの願いでもあるから。




・・・あ!

違いました。

そうではなかった。


わたしは、わたしの道を描いていかなくては!


そのことを、最近ちょっと忘れていたから、

だからこそ、その人に再会し、この言葉を聞いたのだわ。

教えに来てくれたんだ。



ありがとう。

ほんとうに、ありがとう。



まずは、自分。

自分が定まったら、その時こそ本当に人を支えられる。





今日は、素晴らしい一日でした。


大切なことを思い出させてくれた、素晴らしい一日でした。










明日はうんまんまさんで朗読会*お知らせ*

2017年07月11日 | Weblog

蒸し暑い、この日々が明けたら、

カラリとした真夏。

世の子どもたちが楽しみにしている、夏休みが来ますね。

母は、どう過ごしましょうか。



明日は、うんまんまさんで朗読会です。(10:30から)


テーマについて、考えてきましたが、

お母さんたちが夏休みを乗りきる(楽しむ)ための作戦会議、みたいな内容に定まりました。

また、シンボルツリーのお話しもしたいな、と、あれこれ考えているところです。



明日も暑いでしょうか、

お母さんたち、スタッフさんたちも、気をつけていらしてくださいね。