腰を痛めて、横になる日々は、
やさしいものを、たくさん見つける日々でした。
幾度も枕元にやってきて、様子をうかがう息子の、そうっとした気配。
賑やかにご飯を作る夫の、張り切った気配。
慣れない洗い物に丁寧に取り組む、息子の、真剣な気配。
玄関を訪ねてくださる方々の、声、ことば、笑顔。
いちばん低い場所からの眺め。
それは、当たり前のようだった日常のひとつひとつを、見つめ直してみる体験でした。
わたしは、なんて、やさしいものに包まれていたのでしょう。
もしかしたら、普段の暮らしの早さは、そういうものを感じにくくしてしまうのかもしれない。
だから、こんなに大切なひとつひとつを、大事に大事に感じることができて、
わたしは、嬉しかったのです。
今回もやはり、里芋、生姜、梅干し、大根などで、腰だけでなく体ぜんたいを、癒すことができました。
そして、心のほうも、しっかりゆっくり感じた愛しいものたちが、わたしを教え、諭し、癒してくれました。
やさしいものを、たくさん見つける日々でした。
幾度も枕元にやってきて、様子をうかがう息子の、そうっとした気配。
賑やかにご飯を作る夫の、張り切った気配。
慣れない洗い物に丁寧に取り組む、息子の、真剣な気配。
玄関を訪ねてくださる方々の、声、ことば、笑顔。
いちばん低い場所からの眺め。
それは、当たり前のようだった日常のひとつひとつを、見つめ直してみる体験でした。
わたしは、なんて、やさしいものに包まれていたのでしょう。
もしかしたら、普段の暮らしの早さは、そういうものを感じにくくしてしまうのかもしれない。
だから、こんなに大切なひとつひとつを、大事に大事に感じることができて、
わたしは、嬉しかったのです。
今回もやはり、里芋、生姜、梅干し、大根などで、腰だけでなく体ぜんたいを、癒すことができました。
そして、心のほうも、しっかりゆっくり感じた愛しいものたちが、わたしを教え、諭し、癒してくれました。