ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

森からの贈り物*日々のつれづれ*

2015年05月31日 | Weblog

わたしの家では、食べ物の一部と、医療のほとんどを、野草(薬草)でまかなっています。



春の、やわらかな若芽のころは、そっと摘んで、最小限の調理をして、食卓へ。

そのまま食べられるお花は、サラダにして。

野いちごは、籠に摘んで、デザートに。



夏の、生命力溢れる緑のころは、刈り取って、干して、お茶にして。




今は、へびいちごの実を摘むころ。

焼酎に漬けておくと、虫刺されなどのかゆみ止めのお薬になります。


蚊に刺されたわ、と思ったら、掻かずにすぐにこのお薬を、チョイと付けます。

そうすると、あれあれ不思議、

かゆみが消えてなくなってしまうのです。








森はいつも、先手先手で、わたしたちに必要なものを生み出して、差し出してくれます。



冬の間の毒下しをして春を元気に生きていくために、フキノトウを。

蚊がたくさんになる時期の前に、へびいちごの実を。

喘息の人に辛い梅雨の前には、オオバコの種を。(煎じて飲む、咳止めのお薬です。)





知れば知るほど、わたしたちをめぐる大きなものの存在を感じます。

こんなに、守られ、育まれている・・・。









身体に必要なサポートを感じたら、野に出でて、心を澄まして問いかけてみます。

書物で学んだことを基本に、心で感じたことを応用に。






植物と、人。

計り知れない繋がり。



小瓶の中のへびいちごの実は、マリモのように、ころころ、ゆらゆら。










宝石 *日々のつれづれ*

2015年05月30日 | Weblog




午後の海、光の帯ができる頃。

この美しさが大好きで、このごろよく、訪ねます。



わたしの家は、森のそばにあり、海へも車で10分ほど。

いつでも、どちらへも、行けます。





わたしは、夏の森へは、あまり入りません。

森は、冬から春にかけての間が、いちばん好きです。



冬の森は、飾り気がなく、みんなが素顔で、ひたすらに祈っています。

春の森は、勢いに溢れ、願いに溢れ、希望に輝いています。



夏の森は、植物と動物たちのいのちが満ちていて、わたしは、入ることに躊躇いを感じます。





そのかわり、夏は、海に行きます。


たいていは、黄昏のころ。

少しだけ風が涼しくなる、夕暮れ前のころ。

光の帯が生まれるころ。



光の帯は、ダイヤモンドのような小さな輝きから始まります。

それが、だんだんに増えていき、やがては壮大な帯になります。


そこへ至る、一秒一秒は、目を見張る美しさです。







お日さまが描く、光の帯。

そこを渡っていけるのは、誰でしょう。



軽やかで神秘的で美しい、何か。




でも、こんなに心惹かれるのなら、わたしの心のどこかにも、その神秘的な何かが、息づいているのでしょうか。







ふと、我にかえると、潮騒のおと。

波は、砂にレースの模様を、幾重にも残していきます。






持ち帰ることのできないものばかりだけど・・・

たぶん、それらを見た人の心には、

数えきれないほどのダイヤモンドが輝き、細やかないくつものレースが、その輝きを縁取っているのです。



もしかしたら、それは、宝石よりも素晴らしいアクセサリーになっているのかもしれません。



その人の心によみがえるたびに、外からではなく、内から、輝くものだから。














“幸せな母であるために”*お知らせ*

2015年05月29日 | Weblog

来週の朗読会のテーマが決まりました。


『幸せな母であるために』




どんな状況のなかにも、幸せの種は、散りばめられています。

でも、その多くは、目に見えないものだから、見つけることが難しいかもしれません。

それなのに、悲しみの種、不安の種は、すぐに見つけられたりします。





でも、大丈夫。

子どもたちがいるから。


子どもたちには、幸せの種が、よく見えるのです。

そして、母にいつも、教えようとしています。



過去へと心を戻さずに、先へと心を走らせずに、ふんわりと“今”に居ることができたら、

一日の、ほんの一時でも、そんな気持ちで過ごせたら、

子どもたちが教えてくれる、たくさんの幸せに、包まれることになるでしょう。







息子がわたしに教えてくれた、すばらしい幸せの種、

そのことを書いた詩を、お持ちしたいと思います。

それから、“今”にふんわりと居られるような、わたしの大好きな絵本も、ご紹介したいと思います。








*6月4日(木) 10:30~
Akiha 森のようちえん 子育て支援センター「森のいえ」 木漏れ日の中です。











長岡市で、朗読会*お知らせ*

2015年05月28日 | Weblog

昨年、たくさんお世話になった、長岡市の「ひだまり整骨院」さんで、今年も朗読会を開いていただきます。


第1回は、7月18日(土) 14:00~の予定です。



テーマは、これからイメージしていきますが、

冬から春にかけて、森からもらったたくさんの素晴らしいものを、かご一杯に詰めて、お伺いします。

ホッとして、元気になれるような時間をつくっていけたらいいな、と思っています。


ご予約の受け付けが始まりましたら、お知らせいたします。












長野市で、朗読会*お知らせ*

2015年05月27日 | Weblog

7月9日
7月10日
9月25日
11日6日

長野市での朗読会を予定しています。


今回は、長野市内にある本屋さん「朝陽館 荻原書店」での三回完結の朗読会を計画しています。

また、昨年もお世話になった、NPO 法人 大地さん でのミニ朗読会も、計画中です。




今年は、二つの大きなテーマを考えています。

一つは、お母さまたちのための朗読会。
“幸せな母であるために”


もう一つは、自分らしく生きたいと願う、全ての人たちのための朗読会。
“あなたらしく わたしらしく”



昨年のように、今年も、みなさんとたくさんおしゃべりをしながら、そばにある小さな幸せを見つけていきたいと思います。

みなさんが、元気になれますように。


詳細は、随時お知らせいたしますね。











朗読会、スタートです

2015年05月23日 | Weblog

いよいよ来月から、朗読会が始まります。


まずは、6月4日(木曜日) 10:30~12:00
Akiha森のようちえん支援センター「森のいえ」さんです。(新潟市秋葉区)

去年に引き続き、お伺いいたします。




Akihaの森は今、若葉が、やわらかな天蓋のように幾重にも折り重なっているでしょうね。

風は、豊かな大地と花の香りを運んでくるでしょう。

鳥たちは、それぞれに、歌ったり、呼びかけたり、おしゃべりしたり、しているでしょう。



天候がよければ、そんな素晴らしい天蓋の下(木陰)で、朗読会を開いていただきます。


雨であれば、木の家の中で、その音を聴きながら。

葉っぱが雨を受ける音は、(どしゃ降りでさえなければ)、よろこびに満ちています。

根っこはそれを、どのようによろこんで飲み干すでしょう。





大好きな森に囲まれての朗読会。

うれしい、うれしいことです。



スタッフのみなさん、森のお母さん、森の子どもたち、どうぞよろしくお願いします。








『ウォールデン』*わたしの本棚*

2015年05月21日 | Weblog

ヘンリー・デイビット・ソロー の『ウォールデン ~森の生活~ 』を初めて手にしたのは、二十歳の頃でした。

大型書店で見つけたその本は、やや大判の単行本で、かなりの厚さ。

お値段も、一般的な単行本が何冊も買えるほど。

貧しい学生には、簡単に手を出せるものではありません。




・・・ここで少し、読んでいこう。

ほんの、少しだけでも。





わたしは、その重たい本を、傷めないように、そうっと開きました。




その瞬間、そこは、書店ではなくなりした。


人も音も、みんな消えて、

わたしは、深く静かな森にいました。


わたしは、魂が震えるようなよろこびに、全てを忘れました。






数十ページ、読み進んだ頃、わたしは、ハッとして、慌てて本を閉じました。


これ以上読み進めば、戻れなくなる。

この本を知らなかったわたしに、それまでのわたしには、戻れなくなる。


こんな高価な本を買うことは、とても無理。

それなのに、この本を知ってしまうことは、わたしにとって、とても不幸なことに違いない。

だから、ここまでにしなくては。



わたしは、本を棚に戻すと、お店を後にしました。






けれども、翌日、わたしは再び、その本の前に立っていました。


もう、戻れないわたしに、なっていたから。

わたしの魂のよろこび、秘められた願いに背を向けることは、できなかった。


わたしは、当面の倹約生活を覚悟し、その本を抱え、レジに進みました。





あれから、とても長い年月が過ぎました。

一度は失ったその本、今は、新しい翻訳のものが、わたしの本棚にあります。(小学館)






ナチュラリストである今泉吉晴さんの翻訳は、いきいきとして瑞々しく、とても読みやすい。

デザインも素敵です。




あの日、わたしを、大自然へといざなった、一冊の本。

ソローのようにどっぷりと、森の奥に家を建てるところから自給まで、とはいきませんが、

森のそばに生き、森を感じながら、わたしらしい生き方を(森との繋がり方を)見つけようとしています。



人は、自然から離れて生きることは、できないのだと思います。

どんなに細くとも、ささやかでも、繋がっていなくては・・・

自然とは、人の、いのちの素ではないでしょうか。


目がよろこび、
鼻がよろこび、
耳がよろこび、
身体がよろこび、
心がよろこび、
魂がよろこび。




学生時代、知らぬ間に自然から遠ざかろうとしていたわたしを、違うものを目指して進まなくてはならないと思い込んでいたわたしを、一冊の本が引きとめてくれました。

そうして今、森のそばで生きています。

さらに、今もまた、新たな力をわたしに及ぼしつつあります。





最近、『ウォールデン』を読み直したわたしは、日数をかけて、本棚を整理したくなりました。

好きなもの、大切なもの、わたしをよい方へ導いてくれるもの、そんな本だけの本棚にしましょう。


蔵書はかなり減らしていましたが、ちょこちょこ勢いで買ってしまうものもあります。

中には、それほど必要でもなく、愛着を感じない本もあります。




ソローが、小さな家を建て、ごく限られたものを大切に暮らしたように、

わたしも、できるだけシンプルに暮らしたい。





そうすると、本棚だけに留まりません。

衣類も、かばんも、食器も、履き物も、外の物置の中も、と、どんどん拡大していきます。

端から見たら滑稽なくらい、この一週間は、よく動き回るわたしでした。



ようやく一段落しましたが、もうしばらくは続けてみるつもりです。

とてもとても、素晴らしい気持ちです。






野うさぎ *日々のつれづれ*

2015年05月20日 | Weblog

玄関を開けたら、野うさぎがいました。

つい先程のことです。





玄関の向こう、道を挟んだ繁みのところに、小さな野うさぎ。

小さくて、枯れ葉色。

こちらの方を見ています。

無邪気な、きれいな目をして。






わたしは、時が止まったようになって、

どうしたらいいのか、わからなくなりました。






そのままそうっと、その場を去るのがよい、と思いました。

でも、あんまり可愛らしくて、その場を去ることができないのです。





わたしは、静かに、そばに寄ってみました。


怖がらせてしまうかしら?

逃げていってしまうかしら?







うさぎは、ちっとも動きません。


硬直しているわけでもなく、呼吸が乱れているようでもなく、

ただただこの世界を見ている、そんな風なのです。






わたしは、うさぎから30センチほどのところまで近づきました。

そこで、静かにして、見つめていました。







なんて小さいのでしょう!

うずくまった姿、全長10センチもないように見えます。



あたたかそうな灰茶色の身体は、ゆったりと上下し、鼻をしきりに動かしています。




そして、目!

焦げ茶色の、小さな、きれいな目。

幼いこの子は、きっと、小さな冒険に出たのでしょう。



見たいものが、たくさん。

巣穴とお母さんだけだった世界から飛び出して、自分が生きる森を知ろうと、好奇心に燃えて。





わたしを怖がるふうでもなく、じっと見ています。


“これはなにかしら?”

などと思って、不思議に思っているのかもしれません。





少しでも触れて、抱きしめることができたら・・・

そう思わずにはいられませんでした。

あんまりあんまり小さくて、あんまりあんまり可愛らしくて。



でも、それは、いけない。

強くわたしを止めるものがありました。





お母さんうさぎが、きっと心配しているでしょう。

どこかで固唾を飲んで見守っているかもしれない。

巣穴に戻ったら、お母さんに叱られるかもしれません。





だから、お戻りなさい、子うさぎさん。

冒険は、うんとうんと、気をつけるのよ。

こわいものと、そうでないものを、しっかり、覚えてね。

美味しいものと、口にしてはいけないものも、しっかり、覚えてね。
(それは、生まれながらにわかるものかもしれないけれど。)


どうか無事に、お帰りなさい。




また逢いたいけれど・・・、

もう姿を見せてはだめ。


わたしたちに見つからないように、上手に、生きてね。

この森で、楽しく、幸せにね。






しばらく、子うさぎのそばにいて、心のなかで語りかけました。

そして、後ろ髪引かれる思いで、その場を去りました。








まだ、胸がドキドキしています。


叶わぬ恋をしてしまった時のように。













魔法の手 *日々のつれづれ*

2015年05月15日 | Weblog

5月9日のことです。


息子が、嬉しそうにやってきて、わたしにこう訊ねました。


「ママ、好きな動物はなあに?」



「オオカミと熊。」

すぐに答えられました。



オオカミと熊は、わたしがどうしようもなく惹かれる動物です。

シートン動物記や、星野道夫さんの本を幾度も読み、抑えようのない憧れを感じてきました。



熊にもオオカミにも、家畜や人を襲う残虐さがあります。

逆にまた、熊やオオカミが、人間の子どもを育てたという事実もありました。




わたしが憧れてやまないのは、遥か昔にあった、太古にはあったはずの、人と動物との繋がりです。

今よりも、ずっと強く深い関係があったに違いない・・・

そんな、確信に近いものが、わたしの魂にあるのです。





息子がまた、尋ねます。

「どっちが、一番好き?」


「うーん、そうね、選ぶのはとても難しいけど・・・、そうね、熊かしら。」


「熊にもいろいろいるでしょう?
どの熊が一番好き?」


「そうねえ、みんな素晴らしいと思うから・・・。
それでは、月の輪グマにしようかな。」


「わかった!!」


息子は飛び跳ねるようにして、自分の机のところに走っていきました。

何やら、始めたようです。




数分後、楽しそうな声が飛んできました。

「ぼくが“いいよ”って言うまで、見ちゃだめだよ?」


「うん、見ないね。」




さあ、何をしているのでしょう。

少し、想像がつきますが、

楽しみに待っていることにしましょう。






30分ほど経ったでしょうか。

息子が飛んできました。


「ママ、明日見るのがいい?それとも、今日見るのがいい?」


何のことだか、わかるような、わからないような。


「そうねえ、明日まで待つのもいいかもしれないね。」



すると、息子は残念そう。

問いを重ねます。


「明日にするの?」


おやおや、今日の方がいいようですね。


「やっぱり、今日にしようかな。」


そう答えると、目を輝かせて、部屋に走って行きました。



慌ただしく戻ってくると、両手を後ろに隠したまま、


「目を閉じてね。いいよ、って言うまで。」

と言います。




「いいよ!」

息子の声に、目を開くと、

わたしの手のひらに、手紙と、手作りの熊の工作が載せられていました。



黒い画用紙で作られている熊、立体的で、四本の足でちゃんと立ちます。

耳も鼻も、尻尾も、立体的。

顎には可愛い三日月模様が。

おまけに、優しい顔をしています。




手紙を広げると、

“ママへ

母の日、おめでとう。

これはぼくからのプレゼントだよ。”

と書かれていました。




なんて素敵な贈り物でしょう。

息子は、嬉しそうに、わたしを見守っています。








子どもの手は、魔法の手。

どんなものでも創造できる。

それは、“できる”と、思うから。



そして子どもは、人を喜ばせることが大好き。

何かをもらった時よりも、何かを贈る時の方が、幸せそう。

我慢できなくて、飛び跳ねているのだから。







どこにも売っていない、素敵な素敵な、熊さん。

何にも代えることのできない、素敵な素敵な、贈り物。


今日も、優しい顔で、わたしを見上げています。