ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

大切なお土産

2017年10月27日 | Weblog
昨日の追記です。


森のいえでは、講座参加者さん用のアンケート用紙があります。

講座の後にみなさんが記入され、スタッフさんがわたしに渡してくれます。

帰宅してからゆっくり読ませていただく、大事な大事な宝物です。

お子さんが書いたであろう線や絵も、お子さんをなだめながら慌ただしく書いたであろう文字も、大切に感じる。


あるお母さんが、こんな風に書いてくれました。

「どうしたら子どもに対して穏やかな気持ちになれるか、怒らずにいられるか、子育てセミナーに行って質問もするけど答えが見つからず・・」


ここまで読んだ時、申し訳ない気持ちになりました。

わたしは何の専門家でもなく、ただの母だから。

このお母さんの問いに応えられるようなものは、なかったかもしれない。

せっかく来てくれたのに・・。


でも、続きがありました。

「今日から急にできるかどうかわかりませんが、気の持ち方を変えられるような気がしました。」


うわあー(T-T)、ありがとう・・。

わたしがお話ししたことは、ささやかなことばかりです。

自分が体験して発見した、ちょっとした魔法みたいなもの。

効き目は、わたしにはかなりあるので、よかったら試してみてね、という気持ちでお話ししています。

わたしにできることは、そのくらいなんです。

むしろ、わたしがお母さんたちから教えていただくこともたくさんあるんですよね。

だってみなさん、おひとりおひとり、素晴らしいんだもの。


アンケートには、他にも素敵なメッセージをたくさんいただいたのですが、

わたしの大事な秘密として、心に仕舞っておくことにします。

秋の森の朗読会

2017年10月25日 | Weblog
今日は、秋葉区の森のいえさんで朗読会でした。

寒いなか集まってくださったお母さんたちには、もう、感謝が止まりませんでした。

また、お仕事をされているお母さんが、貴重なお休みなのに参加して下さって、嬉しくてたまりませんでした。

みなさん、本当にありがとうございました。



わたしの隣のお母さんが、ものすごく涙していらして、

もらい泣きするお母さんがいたり、

静かに涙をぬぐうお母さんがいたり、

目を閉じて鼻を真っ赤にしているお母さんがいたり。


みんなみんな、大切に感じて、わたしの妹みたいに感じて、

この思いをどうしたらいいのかしら。


みんな、お子さんのことを浮かべているのよね。

ああ、なんて素敵なお母さんたちだろう。

疲れていて休みたいだろうに足を運んでこられたのは、お子さんたちを大切に思うから。

ちゃんと愛を伝えられるお母さんに、少しでも優しいお母さんになりたいのよね。


でも、わたしから見たら、全員、花丸です。

お子さんを愛する、素晴らしいお母さんたち。

そうでなかったら、涙は出ないもの。



森のいえさんでは、朗読会の中頃に、スタッフさんがお茶とおやつを出してくださいます。

わたしは、たくさんお話ししたり、終わってからもお母さんたちとおしゃべりするので、じっくりいただく、とはいかないのですが、

いつも心があたたかくなり、本当に嬉しいです。


今日も、帰宅してからゆっくり、クッキーをご馳走になりました。

あたたかいコーヒーをいれて。


本当を言うと、会場ではいつも胸がいっぱいで、あまり食べられないのです。

だから、何も食べなくても大丈夫ですし、その分、お母さんたちとたくさんおしゃべりをしてきたいのです。

心配事や不安が少しでも和らぐといいな、

楽しみや希望が見つかるといいな、

そんな気持ち。

みんな、わたしの妹だから。


だからね、わたしに話しかけくださるお母さん、打ち明けてくださるお母さん、ありがとうね。

ホッとしたり、安心したり、元気が出てくれたら、わたしはとーっても嬉しいです。


スタッフさん、特に森崎さん、お世話になりました。

今日もお会いできてよかった。

大事な大事な今日という日。

みなさん本当にありがとう。

いたわり

2017年10月23日 | Weblog
小さなケーキをひとつ。

今日は、自分にご褒美を。

任されていた事を終えたので。



わたしは、それはそれは大雑把なところがあります。

(息子が、“まったくだ”と重々しく頷きそう。)

細かいことが苦手で、ものごとはいつもどんぶり勘定。

自分でよくわかっているので、仕事や任された役割には、細心の注意を払うようにしています。

みんなに迷惑をかけないように。


細心の注意を。

それなのに、うっかりやオッチョコチョイが絶えません。

自分が一番びっくりしている始末です。


でも、最近気づいたのですが、

心をこめて、誰かのお役にたてる喜びを感じながら物事に取り組むと、どんなことでも嬉しいし、

例え失敗しても、その時の気づきが有り難かったり、

誰かに迷惑をかけてしまっても、誠意をこめて謝ったり行動に示す経験を有り難いものだと感じます。

素直な気持ちが伝わる喜び、ゆるしという大きな優しさをいただいたり。

後になって、ああ全てはわたしに必要な体験だった、としみじみ思うのです。


そしたら、オッチョコチョイの自分でもいいな、と思えてきました。

なかなか頑張っているじゃない、心をこめてしたことだから大丈夫、

そう言ってあげたくなります。



自分を労ることって、大切ですね。

まわりの人を大切にするのと同じように、自分も大切にしたいです。

そうしていいのだと思います。

むしろ、自分を大切にできる分だけ、人を大切にできるんではないかしら。



だから、小さなケーキをひとつ。

ほんのささやかなことだけど、なんて嬉しいんでしょう。


ありがとう、わたし。

頑張ったね、わたし。

みんなのお蔭だね。

だから、また明日も、心をこめて生きよう。

おばあちゃん

2017年10月22日 | Weblog
わたしの村の、仲良しのおばあちゃんに用があり、訪ねた時のこと。


柿と熱いコーヒーを囲み、近況や村の様子など、あれもこれもとおしゃべり。

どんな話も、おばあちゃんの過去の体験に繋がり、絵巻物を広げていくようなたのしさ。

おしゃべりしながらも、コーヒーのお代わりはいらんか、柿をもっと食べなさいと、世話を焼いてくれるおばあちゃん。

優しいひだまりのような時間です。



おばあちゃんに出会ってから6年が過ぎました。

気持ちはお元気なままだけど、ゆっくり耳が遠くなり、足腰が動かしにくくなり、眠くなることが増えたようです。

寂しいけれど、尊厳ある美しい姿だと思います。

可能な限りこうして、大好きな家でおばあちゃんらしく暮らしてほしい。

わたしは最後まで、おばあちゃんに教えられたり叱られたり世話を焼いてもらいたい。

おばあちゃんは、どこまでも、わたしの大先輩。

尊敬する、大好きな女性。

おばあちゃんの姿がどんなに変わっていっても、おばあちゃんがわたしを忘れてしまったとしても、

わたしの心に映るおばあちゃんの本質は、ずっと変わらないと思うのです。



さて、この日わたしは、はたと気づいてしまいました。

いつかはお見送りしなくてはならないと。

野辺に立ち、黒い車に手を合わせる日が来ると。

お話ししたいことがあって駆けていっても、そこにおばあちゃんはいない。

このような時間があと何回持てるのかわからないのだと。


そしてまた、ハッとしました。

いいえ、それはわたしも同じこと。

わたしが先になることもある。

その時おばあちゃんは、きっと泣いてしまう。


このことは、全ての人に漏れなく言えることなのでした。



わたしは、しあわせだな。


おばあちゃんに会えたこと。

親しくしてくださったこと。

一緒に柿をいただいたこと。

何杯も淹れてくれるコーヒーのこと。


ひとつひとつが、素晴らしい贈り物。

思い出という名の贈り物です。


大切に、心に包んでいこう。

それが、このご縁に対するわたしの感謝だ。

そう思いました。



「おばあちゃん、ご馳走さまになりました。すごく楽しかった。また寄せてくださいね」

帰り際、想いをこめてお辞儀をしました。


玄関で見送るおばあちゃんは、

「また来てね」

「また来てね」

「また来てね」


3回も、そう言ってくれました。

ご縁のしあわせ

2017年10月21日 | Weblog
そのパン屋さんは、三角屋根の小さな小さなお店です。

映画『魔女の宅急便』に出てくるパン屋さんをイメージして作ったというお店。


初めてこちらのパンを食べた時に、思いました。

このパンを作った人は、正直で誠実で真っ直ぐな人だ。

流行りには決して流されず、信じる道を進む人だ。

見栄や驕りはひとつもない。

そういう味がしたのです。


わたしはご飯が好きで、パンはほんの時々買うくらいですが、

あちこち寄ってみると、実に様々なお店があるなあと思います。

賑やかなお店、
おしゃれなお店、
庶民的な(身近な)お店、

あたたかいお店、
楽しいお店、
ちょっと緊張するお店。


お店の雰囲気にも、パンの味にも、作った人の思いが全面に出ています。

気持ち、心意気、お店の人同士の関係なども。

お店に入った瞬間に、みんなわかってしまう感じがします。

入った瞬間にすぐに帰りたくなったお店もありました。


店長さんが楽しい人なら、楽しいお店、楽しいパンになります。

店長さんが真っ直ぐな人なら、真っ直ぐなお店、真っ直ぐなパンになります。

店長さんがあたたかい人なら、あたたかいお店、あたたかいパンになります

きっと、店長さんが幸せなら、幸せなお店になり、食べた人を幸せにするパンができるのです。


わたしにとっての幸せなパン屋さんは、いくつかあります。

中でも、大好きなパン屋さんは、ひとつだけです。


だってそのパンは、しっかりしていて美味しいだけでなく、わたしに言ってくれるのだから。

“自分を生きればよいのだ”と。



パン屋さんだけでなく、ガソリンスタンドも、郵便局も、和菓子屋さんも、お肉屋さんも、大好きな行きつけのお店。

顔見知りで、仲良しで、時間がある時にはおしゃべりをする。

近況を聞き合い、互いに元気でいるとホッとする。

訪ねるのが嬉しくて、お店の方も喜んでくださる。

こんなお店(ご縁)に囲まれているのは、しあわせだなあ・・と思います。


ちいさな半径で十分見つけられるものなのでしょうね、しあわせや、豊かさは。

心を開いて、ちょっとだけ勇気を出せたら。



そうそう、わたしの大好きなパン屋さんは、岩室にある『ぱんぷきん』さんです。

新生活と本のはなし

2017年10月19日 | Weblog
本を入れた段ボール箱が山積み。

わたしは今、引っ越し準備をしています。


引っ越し、といっても、ほんの近所。

隣のお家なんです。


空き家だったその家を買い取られ、自らの手で丁寧にリフォームされた家主さん。

ご縁あって、わたしたちがお借りすることになりました。

家主さんの真心溢れる、小さくても素敵なお家です。


初夏の頃から思いきって整理していた本を、再点検。

もう少し、減らしたい。

わたしの新しい暮らしに似合うものだけを残して。


子どもの頃から本が大好きでした。

いつもたくさんの本が傍らにある人生。

いろんな分野に親しんできました。


今は、植物に関する本と、“いまを味わって生きるための本”と、お気に入りの児童文学と絵本が少し。

それだけで十分幸せなわたしになりました。

自分でもびっくりするくらい、たくさんの本を手放しました。


植物に関する本は、わたしにとって最も大切な分野で、

とりわけ、樹木の図鑑や専門書がたくさんあります。

少しずつ学んでいくことが、生涯の楽しみとなるような気がします。


お気に入りの児童文学、それは、『秘密の花園』『モモ』『みどりのゆび』『大きな森の小さな家』などの名作たち。

「森」や「秘密」が、わたしのツボです。

絵本も同様に、『ぶたばあちゃん』『あなただけのちいさないえ』『ルピナスさん』『しずかなおはなし』『おんなのことあめ』など、森の奥の密やかな泉のようなものが好き。


“いまを味わって生きるための本”は、

心を過去や未来に飛ばさず、いま、ここ、に落ち着けてくれるようなもの。

何かを変えようと(サポート)するような本にはたくさんお世話になってきましたが、

恩返しの人生を歩いていきたいと思うと、自分のことはもう十分、な感じです。

わたしというものを、ついに、すとん、と、受け入れることができたのでしょうか、

このままのわたしがいい、と思うようになりました。


『春の数えかた』『旅をする木』『すてきなあなたに』『森の生活』など、随分古びてきた、いとおしい宝物。

繰り返し繰り返し読むほどに好きになっていくもの、

常に新しい発見をくれるもの。

これからもずっとそばにいてほしい、そんな本です。


こちらのblogにも、ひとつひとつ、ご紹介していきますが、

できたら、実際に遊びに来ていただけたらいいな・・と思います。


本のことや、生きること、子育てのこと、家族のこと、植物のこと・・

たくさんたくさん、お聞きしたい、お話ししたい。

いいえ、本当を言えば、巡り会えた不思議を、ご縁を、心いっぱい感じたいのです。



『屋根ひとつ お茶一杯』という本がありましたが、そんな、小さくてシンプルであたたかい家を目指して。

さあ、どんな本を並べよう・・。

楽しく悩む日々です。


新居での生活は、11月から始まります。

朗読会

2017年10月18日 | Weblog
冬ごもりをするわたしです。

呼んでいただいている朗読会も、あと少しになりました。

世界が真っ白に染まる頃、わたしは静かに心を深めて暮らします。


朗読会では、いつも、その時の最良のものを差し出すような気持ちで、お話しや朗読をしています。

当日の朝は、背筋がピーンと伸びます。

今日のわたしに、よいものはあるかしら?と考えます。

どんなお母さんが集まってくださるかな?とイメージします。

・・すると、心に浮かんできます。

集まってくださる方たちの想いが。


それに応えられるようなものがあるかな?と、わたしの心を眺めます。

ひとつ、ふたつ、ドングリを拾うように、これかな?と感じるものを選んでいきます。


ホッとしたり、元気になってくださるといいな・・。

出会うお母さんたちは、みんな、わたしの妹のように、友だちのように、姉のように大切に思えるから。



さて、今日は「うんまんま」さんに伺います。

海沿いの道を、ゆっくりゆっくりと。


ささやかな恩返しの気持ちで。

きっと、よいことが

2017年10月17日 | Weblog
行きつけの郵便局があります。

ちいさな局で、職員さんは二人。

みないい方で親しくしてくださるので、ついつい長居してしまいます。 


こちらの局には時々、臨時の職員さんがいらっしゃいます。

局長さんが出張や外回りなどで空けられる時に。

臨時さんは何人かおられて交代でいらっしゃるのですが、みなさんやはりいい方で、ついついおしゃべりしてしまいます。


昨日寄ってみたら、とても久しぶりの臨時さん。

その方は夏に足を怪我され、今日が復帰初日とのこと。

まあ、それはそれは、ご大変だったことでしょう・・。

お聞きすると、ご主人さまもご病気で大変だったそうで・・、

でも重症にならずに済んで本当に幸いだったそうで・・。


臨時さん「思いもよらないことが起こるものですよね」

わたし「本当にそうですね」

臨時さん「わたしってボーッとしているので、よくこんなことがあるんです」

わたし「わたしもそうなんです。普通に生きてるつもりなのに、なにか事件が起きてびっくりするんですよねぇ」

局長さん「俺もおんなじ」

みんなで笑いあいました。



霊的には、トラブルは良いこととバランスをとるもの、と考えます。

何かすごく良いことが起きた後か、その前触れか。

ですから、例えばお財布を落としてしまったりすると、何かすごいことが起きるぞ、とワクワクしたり、

軽い怪我をした時には、このくらいで済んで(バランスがとれて)本当によかった、と喜ぶのです。


臨時さんは、とっても大変な思いをされたので、きっといいことがある。

わたしはひとり、そう思いました。


どうぞお大事に・・。

そしてまた、柔らかな笑顔を見せてくださいね。

2017年10月13日 | Weblog
“岩手に行ってきたの”

お手紙に、そう書いてありました。


“たまたま寄った美術館で見つけたんだけどね”

花森安治さんの素敵なノートが同封されていて。


とってもお世話になっている、わたしの母のような姉のような人。

長野県で元気に快活に、体操トレーナーや子育てママの応援や地域活性や、いろんなことに飛び回っている人です。

わたしのことも、ずっとずっと応援してきてくれました。

お手紙だけでも十分嬉しいのに、旅先で、または戻ってから、わたしのことを思ってくれたなんて、本当に嬉しい。



手紙が届く嬉しさを、十分にわかっていたつもりでした。

でも、この頃それが、より大きくなってきています。


お手紙をくださる人はみな、離れて暮らしている人たち。

遠くにいてもなお、わたしに心を向けてくれている。

何年も会っていない人、10年以上会っていない人もいるけれど、変わらずに持っていてくれる想い。



人と人とを繋ぐ、見えない糸。

あるものは、儚く消えてしまうし、

あるものは、どんなに遠くまでも伸び、時を経ても変わらない。

日ごとに強くなっていくものさえある。


その強さ、確かさは、どうやって決まるのでしょう。

そして、いつ、どうやってもたらされるのでしょう。



「約束を交わしていたから」

それに尽きるのではないかしら。

遥か前の、いのちといのちの約束を。


お手紙って、この糸を伝って、やってくるみたい。



さて、わたしは、お手紙をくれた大好きな人に、何を書こうかな。

この糸を大切にしてくれる人に。

ご縁

2017年10月12日 | Weblog
(昨日の夜に書きました。)


一生の中で、人は、どれくらいの人と出会うのかな。

個人差がとても大きいのだろうけど。

それでも、地球の全人口からみたら、ほんの僅かなんだろうな。


今日、会釈をしただけの人も、挨拶を交わしてすれ違っただけの人も、すごい確率での出会い。

美しい紅葉や、澄んだ空気や高い空を、同じ時間に同じ場所で、一緒に感じて喜ぶことができて、よかったな。


今日、一緒に過ごした友だちと、深いことやささやかなこと、たくさんたくさん語り合えた。

こんな友だちとは、深い繋がりがあって、きっと何度も転生を重ねながら出会い続けているんだろうな。

そうであればなおさら、こうしてちゃんと出会えたことが奇跡のようで、嬉しくて、ただただお礼を言いたいと思う。


今日も、わたしの家族でいてくれたみんなには、ありがたくて、お礼の言葉も見つからない。

わたしを迎え、育んでくれた両親は、幾つになってもずっと両親のまま、わたしを心配し続け、わたしの幸せを願い続けている。

いま、この時も。

わたしに出会い、共に生きようと決めてくれた主人は、信じる道を歩きながら、ずっと支えてきてくれた。

わたしのもとにやってきてくれた息子は、わたしにたくさんのことを教え導いてきてくれた。

今日も、わたしを信じ、愛し、喜びをたくさんくれた。

「恩人」以外に表現がない。



ひとつひとつのことが、みんな輝いて見える。

目まぐるしく過ぎる世の中も、急ぐように生きる人々も、いとおしく見える。


わたしはいつも、ここにいて、

すぐそばにあるものを大切にしていこう。

深いご縁も、ささやかに見えるご縁も。


それだけでもう毎日が、おなかいっぱいです。