ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

風花 *日々のつれづれ*

2014年12月26日 | Weblog

厚い雲の固まりが、いくつもいくつも、空を渡っていきます。

遥か上にある青空が時々顔を覗かせ、

北風に運ばれた雪は、大地に舞い上がります。


このような雪は、手紙のよう。




椿のように、山茶花のように、凛として、この手紙を受け取れたらいいのに、

あまりにも冷たく、そして儚く、
簡単に読むことはできません。



佇んでいる間に、手紙たちは、どこかしらへと消えていきます。






そこへ、呼びかけるような声が響きました。

白鳥です。

ずっと向こうの田んぼで、白鳥の群れが、上を向いていました。






なにかに呼ばれ、呼びかけて、生きている鳥たち。

彼らにはきっと、雨も風も雪も手紙であり、受け取ることも、正しく読むことも、できるのでしょう。


そういう様の全てが、美しい。








けれども、わたしにも、呼ぶこえが聴こえる。

宇宙の果てから、

心の奥深くから、

わたしのいのちの源から。




鳥たちのように、呼んで、呼ばれて、

それは、まだそれほど、上手ではないけど、

こえがやってくることと、聴くことを知っているから、

大丈夫。








舞いなさい、手紙たち。

わたしも、わたしの一葉を、そっと放ってみせるから。












ともだち*日々のつれづれ*

2014年12月24日 | Weblog

わたしの、一番ちいさなお友達は、二歳。

チワワのメスです。





お友達の愛犬。

名前は、エルモちゃん。

家族の一員として、とても大切にされています。

時々、わたしのところへも遊びに来てくれます。






エルモちゃんと仲良くなってから、驚いたことがあります。

エルモちゃんは、人間のように、いいえ、もしかしたら人間よりも、感受性が強く、感情表現が豊かなのです。

わたしも、実家で犬と暮らしていましたので、犬の天真爛漫さや、愛情深さ、忠誠心など、ひととおりわかっていたつもりでしたが、

エルモちゃんの感情表現は、わたしの認識を超えるものでした。




エルモちゃんと戯れながら、わたしと飼い主さんとがおしゃべりをします。

それが、エルモちゃんのお家での姿や、ちょっと恥ずかしいような様子の話題になると、このエルモちゃんは、尻尾を落とし、しょんぼりして、わたしと目を合わせないで、うつむいているのです。

“その話題は困るわ。体面がたもてなくなるじゃないの。”
とでも、言いたそうです。




久しぶりに会えた時、エルモちゃんは、わたしの胸に飛び込んできて、鯉のように跳ね回り、やがて落ち着いて、わたしの膝の上で丸くなります。

しばらく撫でていると、そのちいさな目から、涙がポロポロとこぼれ落ちます。

“うれし涙だね。”

飼い主さんが言うのです。





つい先日も、久しぶりにエルモちゃんが来てくれて、飼い主さんたちと、わたしの転居のことを話していました。

そうしたら、エルモちゃんは、それまでは嬉しそうに動き廻っていたのですが、急に静かになり、わたしの膝のところに来て、下を向いて額をこすりつけました。

そのままじっとしています。

全く動きません。

みんなでエルモちゃんの顔をのぞきこむと、ちいさな目から、涙がこぼれています。

しばらくの間、そうしていました。








エルモちゃんは、赤ちゃんの頃から、ほとんど声を出さない犬でした。

よほどでないと吠えませんし、吠えたとしても、その声は、とても小さいのです。

そして、体が弱く、とても敏感でした。


そんな風に生まれたエルモちゃんだからこそ、とても豊かで激しいほどの感情表現を備えていたのでしょう。







エルモちゃんが、わたしのためにこぼしてくれた涙は、ゴマ粒ほどの小さなものでしたが、

なんという尊さ、美しさでしょう。

言葉よりも声よりも、強く強く、想いが伝わってきました。



地面におちて、もう見えなくなってしまった、小さな小さな涙。

小さな体いっぱいに、感じてくれた気持ち。

忘れないわ。








わたしの、一番小さなともだち。

エルモちゃんのくれた愛情ほどのものを、わたしは何にもあげられていない。

でも、あのきれいな涙に恥ずかしくないように、これからのわたしを、生きていきたい。

















ちいさな詩人 (2) *日々のつれづれ*

2014年12月23日 | Weblog

我が家のちいさな詩人は、あれからも、詩を書き続けています。

書き上げるたびに、読んでくれたり、見せてくれたりするので、わたしはワクワクしています。





子どもの感性というのは、なんて、豊かで自由なんでしょう。

奇想天外な展開もあり、けれどもそこには、真実が息づいています。

そして、周りのものへの優しい眼差し。

植物も、動物も、ともだちです。







一昨日、少し長い詩を書いたと、見せてくれました。

タイトルは「木の実」。

この世界にはない、想像上の木の実だそうです。

それは、こんな内容でした。



*****************

こどもが、不思議な木の実を見つけました。

食べてみたり、ジュースにしてみたり。

そうするうちに、木の実が回りだしました。

気がついたら、こどもは、木の実の中に入ってしまったのです。

こどもは、木の実の世界を楽しみます。

そうして、再び木の実が回りだし、いつの間にか、こどもは元の世界に戻るのです。

木の実は、ちゃんと、元のまま、そこにありました。


*****************




あらすじをこんな風に書いてしまっては、原文のよさは全く伝わらないのですが、

“ママの朗読会の時に読んでもいいよ。ぼくが一緒に行くときは、ぼくが読むかもしれない。”

と言っていましたので、ご披露できる機会があるかもしれません。





こどもの詩は、自分のだけの世界観、自分だけの感じかた、自分らしい表現、に、満ち満ちています。

絵でも粘土でも工作でも、同じですね。

画用紙からはみ出して机にまで書いてしまったような絵や、話しかけても聞こえないで夢中になって作った作品、そんなものが大好き。

やはり、憧れてしまいます。




わたしも、いつか、おばあさんになる頃には、何かのサイクルがぐるっと廻って、こどものような詩を、書けるようになるかしら。

純粋で、瑞々しい、短い詩を。





ふと見ると、ちいさな詩人は、家の裏に横たわる、折れた竹を見つめています。

やがて、意を決したように、細い小枝を斬りとると、ガラスのコップに生けました。

それを部屋にもってきて、机に置くと、ノートを広げました。

詩のノートでした。





閉じかけていた竹の葉は、ゆっくりとひろがり、ちいさな詩人を見つめています。


















本棚 *日々のつれづれ*

2014年12月23日 | Weblog

読書が大好きです。

読むスピードもはやい方だと思いますし、興味は尽きません。

読みたい本をすべて購入できるようならいいのでしょうけれど、転居の多い我が家ですから、本が多すぎるのも困りもの。



そんなある時、決めたことがありました。

お財布のためにも、身軽でいるためにも、読みたい本があったら、まず、図書館で借りて読んでみることにしたのです。


その図書館に置いていない本でも、置いてある図書館から、それが県外の図書館であることもしばしばですが、取り寄せてくださるのですね。

ほんとうに有り難いことです。



まずはじっくり読んでみて、それから、どうしても手元に置きたい本である、と判断したら、購入します。

このお陰で、随分本棚がすっきりしました。




いま、ぜひとも手元に置きたい、そう感じる本たちが、わたしの小さな本棚に並んでいます。

それらを眺めていたら、みんな、なにか共通点がある、と、気がつきました。




年月をどれほど重ねても、読む度に、味わいが増していきます。

開くたびに、新しい発見があります。

そして、開くたびに、胸が熱くなったり、心があたたかくなったり、やさしい光が灯ったり、するのです。




ともだちのような本。

親友のような本。

母のような本。

憧れの師匠のような本。


そこに、わたしの目指す在り方が、浮かび上がってきます。

この本棚を見てもらえたら、わたしがどんな人であるか、みんな、わかってしまうでしょう。





昨年知り合った、とても素敵なご婦人がいらっしゃるのですが、

ある日、わたしを、書斎に通してくださいました。

お家をきれいに整頓され、心豊かに暮らしておられる方らしく、重みのある大きな本棚の中に、選りすぐり、とすぐにわかるような本が並んでいました。

“本当に大切な本だけ、残したの”
そうおっしゃいました。



感嘆の声が漏れかかった時、それが、小さな歓声に変わりました。

わたしの本棚にある本が、たくさんあるのです。

10冊や20冊ではありません。

もっとたくさんあるのです。


そのことをお伝えすると、目を見開かれ、ご一緒に手を取り合って、喜びました。




同じ本を大切に読み続けている・・・

そのことだけで、多くの会話を経なくても、互いのことがわかるように思います。

それが、何冊も、何十冊もとなれば、劇的なことです。





その方の本棚は、言いました。

“わたしの主人は、このような人で、このような思い出を抱え、このような夢を抱いて、今日を生きています。”

わたしも、心のなかで、言いました。

“ありがとう、わたしも、同じ本をたくさん大切にしているの。あなたのお陰で、かけがえのない人に出逢えたのだということを確信できました。”

本棚は、ちゃんと受け取ってくれたと思います。

胸をはっているように、見えたから。





今日、少し時間があったので、久しぶりに、本棚の前に立ちました。

少し迷ってから、大橋鎮子さんの『すてきなあなたに 5 』を選び、コーヒーを淹れました。

あの方の本棚にも、嬉しそうに並んでいたわ・・・。

そう思い、何倍も嬉しい気持ちで、ページを繰りました。



窓の外は、雪、時々青空、でした。












出逢い*日々のつれづれ*

2014年12月21日 | Weblog



この、素敵なもの。

わたしのお友達の、手作りです。

先日、プレゼントしてくれました。



紫陽花の本物の花びら、手縫いの小鳥。

しおりになるし、バッグの飾りにしたり・・・

お友達は、“ひろみさんの本にとても似合うの”と言ってくれたので、そのように使わせてもらおうかな・・・

でも、もったいなくて。。。




とてもうすい紫と、やわらかな黄色。

わたしの大好きな組合わせです。





イメージのままに小物を手作りすることが大好きな人。

時を忘れ、よろこびに溢れ、やさしい気持ちに満たされながら作ってくれたことが、てのひらに載せた時すぐにわかりました。

いつ、開封できるか、使えるようになるのか、わからないけど(もったいなくて)、いつもそばに置いて、大切にしたいと思いました。




この日、わたしもこのお友達に、贈り物をしました。

『くまとやまねこ』という絵本です。

以前から大切にしている絵本ですが、

このお友達に出逢えた時に、くまとやまねこの、かけがえのない出逢いの瞬間が重なり、

どうしてもプレゼントしたくなりました。




この美しい絵本には、見開きいっぱいに描かれているのです。

小箱の棺に横たわる小鳥と、そのまわりに優しく添えられた野花が。






わたしとお友達との不思議な繋がりは、知っている限りでもたくさんあり、これからも多くの不思議と感動を発見し続けていくのだと思います。



わたしも、この方も、あまり容易ではない道を歩いてきました。

けれど、険しい道の先に、このような出逢いが待っていてくれたから。。。

強く思うことが、あるのです。






もしも、いま、

とても険しい道で、途方にくれている人がいたら、

ひとりぼっちだと感じて、震えている人がいたら、

あなたは、ぜったいに、ひとりではない。



見えないだけで、多くの友達が、それぞれの道を進んでいる。

そして、そのうちの誰かの道と交わるところが、必ずある。





歩いていこう。

あなたを待っている誰かのために。

その人と、手を取り合って、お祝いをするために。


そうしていつか、同じ痛みを持つ誰かを、支えていくために。



















ちいさな詩人 *日々のつれづれ*

2014年12月20日 | Weblog

わたしと息子は、ホームスクールをしています。

スクール、というほどのものではありませんが、一緒に、いろいろなことを学んだり体験したりしています。

先生は、出会う全ての人。

本もそうですし、

内なる直感であることもあります。





ある日、息子が、言いました。

「ぼく、詩を書いてみたい。」



早速、詩の時間の始まりです。




「お題をちょうだい。」

と、息子。


そうねえ、それでは、『お母さん』というのはどう?



「うん、書けるよ。」

息子は、すぐに、スラスラと書き始めました。



とても驚きました。

わたしは、このようには、詩を書くことができないからです。



心のなかに、想いやイメージが溢れた時に、ようやく言葉が生まれてきます。

それは、わたしの意思とは別に、もたらされてくるもの、と感じています。

あまりに急激に、それがやってくることもよくあって、真夜中に目がさめて(起こされる感じです)、あわてて書き留めることもあります。





こんなにすぐに、息子は、なにを思いついたのでしょう?

なにを感じ、なにを表しているのでしょう?


しげしげと、見つめてしまいます。





「できたよ。」

ノートをわたしに差し出しました。

それは、数行の、短い詩でした。

ですが、読んで驚きました。

あまりにも、瑞々しくて、真っ直ぐで。

こんなに短いのに、真実がうたわれています。




感動で、ぼんやりしているわたしに、息子は言います。

「次のお題は?ぼくどんどん書けるよ。」





その日、息子は、いくつもいくつも、スラスラと、詩を書きました。

詩の時間、ということですが、添削や指導的なことは一切しません。

わからない漢字や言葉を一緒に調べることは、ありますが。



それよりも、素敵なところ、ぐっときたところを、そのまま伝えます。



自分が感じたままを、

自分の“ほんとう”を表現できていたら、素晴らしい。



実際には、わたしが教えられることの方が多いから、

息子のほうが、先生だけれど・・・。





息子の詩のうちのひとつを、ここに紹介させてください。




*****************

「ちきゅう」

ぼくたちのちきゅう

川のおと
はっぱのおとが
きこえる

みみをすましてごらん

そして
どうぶつたち

そして
ぼくたち

さあ
みみをすましてごらん


*****************





ちいさいけれど、大きな詩人。

子どもたちは、生まれながらの詩人。

こうして言葉に表さなくとも、子どもたちの姿には、詩が溢れている。



わたしは、子どもたちが、大好き。

とてもとても、憧れているのです。


















やさしい音 *日々のつれづれ*

2014年12月18日 | Weblog

“コトン”

ポストに、お便りが届けられる音。

大自然という音楽の次に、好きな音。

雨垂れの音と同じように、
風の音と同じように、
わたしの心を満たす音。




この頃、どなたからのお便りが届いたか、音でわかることがあります。

お手紙が届く日の朝に、予感がすることもあります。





“コトン”

昨日も、お手紙が届きました。


あ、これは、とても大切な内容。
きっと、あの方からのお手紙。

そう感じたので、やりかけの事を終えて、机を片付けてから、ポストに走っていきました。




雪白色の封筒。

やはり、思った方からのものでした。



とても丁寧な文字。

手にした時の感じから、大切な想いが書かれていることが、わかりました。

雪で濡れてしまわないよう、カーディガンの胸にしまい、部屋に戻りました。






紙に文字をのせる。

それだけで、その人柄も、想いも、書かれていないことも、あらわれる。


このお手紙からも、書いてくださった方の想いが、強く強く、伝わってきて、わたしを包みこみました。



真心

素直な気持ち

よろこび

痛み

希望

感謝

・・・


この、封筒というものには、たくさん、たくさん、尊いものが入るのですね。





わたしも、お返事を書きましょう。

わたしにある、よいものを、たくさんたくさん、封筒に詰めましょう。

そうして、この方のポストに、“コトン”と、届けられる。




ご本人は、働きに出ておられるので、その音を聴くことはないけど、

受け取ってくれた時に、

あたたかなものが、この方を包み込みますように。






郵便やさん、

いつも、いつも、やさしい音を、ありがとう。
















泉 *日々のつれづれ*

2014年12月14日 | Weblog

心の奥の、とても静かなところに、小さな森があります。

その森の真ん中に、泉があります。



いつも、少しずつ、水が湧き出しています。

その水は、生きていて、さまざまなものの命になっていきます。

その水は、鏡のように、まわりに溢れるメッセージの全てを映しとります。




水は、どこからやってくるのでしょう。


水は、わたしの“想い”からやってくるのかもしれません。

水は、わたしの“いのち”からやってくるのかもしれません。

そして、“想い”や“いのち”は、“かみさま”からやってくるのかもしれません。






時折、泉の水が、勢いよく溢れ出すことがあります。


それは、こんな時であると、わかりました。


とても素敵な人やものに触れたとき。

とても尊いものごとに触れたとき。






泉が勢いよく溢れ出すとき、

それは、涙となって現れることもありますし、

想いや言葉となって現れることもあります。



わたしには、その現象が、“かみさま”からの祝福、“かみさま”のよろこびのサイン、に思えてならないのです。

(わたしの思う かみさま は、全てのはじまり、この宇宙を生み出した最初の意識、のことです。)





今日も静かに、水が湧き出していました。

今日も、大切な人たちを想う時、水は勢いよく溢れ出していました。




明日も、心の森が、心の泉が、豊かであるように。

明日も、小さくても大きな、大きなよろこびを、

わたしのものであって、わたしだけのものではない、ほんとうのよろこびを、感じることができますように。






















2015年*日々のつれづれ*

2014年12月11日 | Weblog

今年は、色々なところで朗読会を開いていただき、たくさんの出会いに恵まれました。

月刊誌、季刊誌に詩が掲載され、多くの方に読んでいただくこともできました。

それらは全て、想いをもつ方々が動いてくださったお蔭でした。

出版社のみなさん、問屋さん、書店さん、わたしの家族、友人、お世話になっている方、そして、わたしの知らないところでも、きっと。




お手紙やメールも、たくさんいただきました。

朗読会で直接お会いできたお母さんたちの言葉は、書き留めておくことはできませんでしたが、

みなさんへの想いは、いくつもの詩になっていきました。





生きることは、旅のようなものですね。

みんな、唯一無二の旅をしている。

そして、どの旅が素晴らしいか、などと、比べることはできない。

みんな、同じだけの価値があり、深い深い意義がある。




その人だけが見てきたもの、感じたことを、聞かせてもらうのが、わたしは好きです。

腰を下ろして、一緒に、休みながら。



朗読会が、そんな機会になるように・・・

それがわたしの夢であり、原動力でした。

みなさんの笑顔や涙が、いつも、わたしに力をくれました。





来年も、お一人でも、二人でも、出会うことができますように。



声にならない想いも、

表現できない気持ちも、

秘めながら苦しかった想いも、

そのままで、

わたしに会いに来てください。




春から拠点は変わりますが、新潟市へも長岡市へも参ります。

新潟市は5月頃を予定しています。
(もっと早まるかもしれませんが*)

長野市では、1月から朗読会が計画されています。

東京へも四国へも、関西へも行きたいと思っています。




お問い合わせ先は、こちらです。
inochinokotonoha@gmail.com
*にしだひろみ*

お気軽に、ご連絡ください。
















うんまんまのみなさんへ *

2014年12月10日 | Weblog



これは、今日わたしがいただいた、プレゼントです。

全部、うんまんまのスタッフさんの手作りです。

嬉しかったです・・・


大切にしますね。

ちゃんと使いたいと思います。

しまっておかないで、身につけて。


そしたらいつも、みなさんのこと、思い出せるもの。





うんまんま朗読会の最終回を、無事、終えました。

集まってくださったみなさんと、とても濃い時間を過ごせた、と感じています。

生後一ヶ月にも満たない赤ちゃんを連れて参加してくださったお母さんもいて、大感激でした。

初めての参加の方もいらっしゃいました。






今朝、会場へ向けて出発する間際に、ひとつの詩が降りてきて、車の中で書き留めました。

それは、今日、みなさんにお伝えしたいことの、結晶のような詩でした。

『プレゼント』という題をつけました。





今日いらしたみなさんに、そのまんまコピーしたものをお渡ししましたが、

みなさんがお帰りになった後に、スタッフさんたちが、それを、小さな素敵な紙にコピーしてくだり、カードのような仕上がりになりました。

たくさんコピーしてくださったものを、うんまんまのお部屋に用意してありますので、ぜひ、受け取ってくださいね。






みなさん、ありがとうございました。

みなさんにお会いできて、本当によかった。



みんな、みんな、いいお母さんです。

うまくできないことがあっても、あなたはあなたの何かに挑戦しているのだから、

誰とも比べないで、そのまんま、歩いていってくださいね。

子どもたちがお母さんに用意してきたプレゼントが、きっとあなたを導いてくれる。






朗読会の常連さんだった、ヒデコさん、ヨウコさん、コウタさん、マイコさん、メールくださいね*
わたし、待っていますよ~***

お名前を書ききれないですが、たくさんのお母さんたち、もしblogを読まれたら、ぜひメールを送ってくださいね*

にしだひろみ
inochinokotonoha@gmail.com





スタッフのみなさん、本当にお世話になりました。

わたしは、話すことも朗読も、上手ではありませんでした。

でも、得難い経験をさせていただいて、素敵な出会いをたくさんいただいて、とても嬉しかったです。

うんまんま、という居場所をつくり、守り続けてくださって、本当にありがとうございます。







わたしは、来年の3月頃から、新潟を離れることになりました。

今後は、今までのようには、みなさんを訪ねることができないのですが、

年に一度くらいは、きっと、行きます。



その時、再会できるお母さんがいたら、

いいお顔をされていますよう、小さくても揺るぎない幸せを感じていてくださいますよう・・・


スタッフのみなさんが、おかわりなく、笑顔でいらっしゃいますように・・・