ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

原初*日々のつれづれ*

2014年11月29日 | Weblog

部屋から部屋への移動が大変。

いま、息子による、大きな秘密基地が造られているのです。

二部屋、使われています。



好奇心に輝く目には、家にある、あらゆるものが、建築材料になります。

あんなものも、こんなものも、母がギョッとするものも、建設現場に集められています。




設計図は、心の中に。

それに基づいて造り上げていきますが、変更自由、常に最善を選択していきます。




“秘密”なので、本人以外は“見ちゃだめ”なわけです。

わたしは、目を閉じ気味にして、いろんなものをまたぎながら、建設現場を横切ります。




建設中は“とても忙しい”そうですが、食料は“大歓迎”とのこと、

飲み物とおやつを配達してきました。








望むものを鮮やかに描き、それを形にしていく。

宇宙も、もしかしたら、こんな風に、つくられたのかもしれません。

いちばん初めの、たったひとつの、何かによって。


そして、その片鱗が、わたしたちにも残されているのかもしれない。


片鱗、ではなくて、もしかしたら、全てが・・・。

























ひだまり連続朗読会フィナーレへ *日々のつれづれ*

2014年11月23日 | Weblog

12月3日(水) 、ひだまり整骨院 連続朗読会の最終回に向けて、いま、詩を編んでいます。

この日に、参加してくださったみなさんに、詩をお贈りしようと思っています。



みなさんのお顔、話してくださった言葉と心を辿っていると、ひとつの大きなイメージが現れてきます。

それを、言葉に変換していきます。





ひだまり朗読会に集まってくださったみなさんと、ご一緒した時間は、胸が痛むほど いとおしいものでした。

その、いとおしさを、言葉として編んでいます。



どんなものができるかな・・・





みなさん、ご一緒してくださって、本当に、ありがとうございました。

県外から来てくださった方々へは、詩をカードにして、お送りしますね。




必ず、お渡ししたい。



そのためにも、毎日を、わたしらしく、生きていこう。























長野のみんなへ

2014年11月23日 | Weblog

昨夜の大きな地震・・・

一番震度が大きかったところに、わたしの大事な人たちが暮らしています。

ハッとしました。






次の瞬間、目をつむりました。



そしたら、みんなの顔が見えました。

無事であることを確信しました。






でも、あんな時間でしたけれど、メールを送りました。

無事はわかっていたのです。




どうしても伝えたくて。

あなたはわたしの、大切な人、と。









そのなかの、一人の友達のメールに、こんな言葉があったのです。


“新潟じゃなくて よかった”

“津波にならなくて よかった”



なんだか、どうしようもなく、涙が溢れました。







わたしも、同じくらいの震度を、中越地震の時に経験しました。

その前には、水害で、その時着ていた服以外の全てを、失いました。


大地が波打って揺れる轟音と恐怖、川が押し寄せる恐怖、それは、想像を絶します。




たまたま、わたしの大切な人たちは無事であったけれど、大ケガをされた方も、住まいが崩れた方も、大変な恐怖に眠れない方も、いらっしゃるでしょう。







長野のみんな・・・


戸隠のみんな、飯綱のお母さんたち、

お子さんたちは大丈夫かな、

倒れたものの片付けをしているかな・・・



また会いたいと、絶対に会いたいと、思っているから、

生きていようね、

お互いにね。



きっとね。




















子どもというもの *日々のつれづれ*

2014年11月22日 | Weblog

しばらく前の、出来事です。

その日は、自分の想いの至らなさに気づいて、ちょっとしんみりしていました。

息子に微笑みかけていても、心がしっかり入りません。




息子は、絵本を置くと、そばに来て、

“どうしたの?”

と、聞きました。



わたしは、息子には、話してもよいことは、出来るだけ素直に伝えることにしています。

今日ね、こんなことがあってね、こんな風に感じたの、

もう少し、深い心で、考えることができていたらよかった・・・

そう、伝えました。





息子は、小さな両手で、わたしの手を包み、背中を撫でてくれました。

長いこと、そうしてくれました。






しばらくして、息子が、こんなことを言いました。

“人はね、みんな、その人に一番似合うもので、できているんだよ。”




たしかに、

そうかもしれない。

わたしに備わっているものは、よいものも、困ったところも、みんな、わたしらしく、わたしに似合っている。

ほんとね。



あなたもそうね。

あなたの全てが、あなたに似合っている。

そしてわたしは、あなたの全てが、大好き。





息子は続けます。

“ついてない日は、ぼくにもあるの。うまくできない日、はかどらない日、失敗する日。

でもね、その次の日は、いつも、いいことがあったよ。

ついてない日は、続かないから、大丈夫。”

息子は、何かを思いだし、少し、涙ぐんでいます。





まだ小さくても、あなたは、あなたといういのちを、一生懸命、生きてきたのね。

嬉しい日も、苦しい日も。

そして、そのことを見つけたのね。





ありがとう・・・

わたし、わかったわ。




全てがわたしの道。

これでいい。


わたしの道で、起こったことは、みんな、必要なこと。

何かを見つけたら、そのことによって、より素敵な人になろうとすればいい。

そうしてまた、歩き出すのね。






小さな身体と心につまった、真実と、勇気と、愛情。


子どもというのは、なんてなんて、素晴らしいものでできているのかしら・・・

















かえせるもの *日々のつれづれ*

2014年11月20日 | Weblog

昨日出逢えた、あるお母さんが、おっしゃっていました。


“わたしは子どもに、何をかえしてあげられるかな・・・”




ああ、ほんとうに、

何をかえしてあげられるでしょう。

無条件の愛をくれる子どもに。

思い出をたくさんくれる子どもに。

母をゆるし続けてくれる子どもに。





でも、きっと、

お母さん、その存在そのものが、

子どもたちの生涯にわたっての、支えとなり、ぬくもりとなっていくのでしょう。




してあげられることは、ほんとうに小さなことばかり。

ごはん、洗濯、お掃除、

絵本をよむ、おしゃべり、お散歩、

だっこ、おんぶ

・・・・・・・




そんな、ささやかなものごとを、

子どもたちは、何よりも喜んでくれるのですよね。

一緒にいる、

一緒に生きる、

それだけで。






もうすぐ起きてくる、お子さんと、

今日も、生きていきましょう。

何気ない、ささやかな、ひとつひとつを、

贈り物のようにして。
















ありがとう、森のお母さんたち*日々のつれづれ*

2014年11月19日 | Weblog

森のいえ での朗読会を終え、さまざまな想いを心をいっぱいに、帰ってきました。




土になろうと柔らかに横たわる落葉をたどり、森のいえ を尋ねると



想いのこもった、お出迎え。



そして会場には、素敵なお母さんと、子どもたち。


今日のテーマは「子どもたちからの贈り物」として、進めさせていただきました。

子どもが母にくれるもの、それは、そのお母さんやお子さんによって、さまざまですが、

間違いなく共通するものは、

揺るぎない愛情

豊かな発想

かわいらしい夢

そして、母の人生観を改めさせてくれること

そのようなものであると、思います。



今日は、わたしが息子からもらった贈り物のいくつかを、エピソードを交え、聞いていただきました。

子どもがくれる贈り物は、受けとることに痛みを伴うものもあります。

受けとることができるまで、長い時間がかかるものも。


それまでの間は、とても苦しくて、毎日のように泣いておられるお母さんも、たくさんいらっしゃると思います。

けれどわたしは、その時間にも、大きな意味と重みがあり、時間をかけるだけの価値があるものだと、信じています。



お子さんからの贈り物が、見えないとしても、いまは、それでいいのです。

そのままのあなたで。


いつか必ず、見つけられるから。




そして、見えていても、わかっていても、優しくしてあげられない、心のゆとりが持てない、と、苦しむあなたも、いまはこれでよいのだ、と、考えていてくださいね。

真っ只中にいる時は、ただただ必死で、疲れちゃって、苦しくなっちゃって、自分が嫌いになっちゃって・・・

そういうものですよね。




旅、

そんな風にとらえて、歩いていきましょう。



わたしはいま、母という、旅をしている。

ひとつひとつ、感じながら、考えながら、悩みながら、乗り越えていきながら、歩いていけばいい。




あなたは、決して、悪いお母さんではない。

お子さんの幸せを想い、悩み、涙を流す、ひとりの素晴らしいお母さん。


どうか、そのままのあなたで、歩いていってくださいね。

子どもたちは、いつの日も、あなたの挑戦をわかり、愛していってくれるでしょう。






スタッフのみなさん、そして、子どもたちを見守っていてくださった、ボランティアのお母さんたち、ほんとうに、ありがとうございました。

お母さんをここへ導き、時間をくれて、待っていてくれた子どもたち、ありがとうね。





















小林宗作先生 *日々のつれづれ*

2014年11月18日 | Weblog

わたしが小学三年生の頃だったと思います。

母が、そっと手渡してくれたもの。

黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』でした。



ものを買ってもらえることは、滅多にない家でしたので、どうしたことだろうかと、不思議でした。

しかもそれが、大好きな、本だったので、嬉しくて嬉しくて、胸に抱き締めて、本に顔を埋めたりしていました。




いわさきちひろさんの、淡く優しい絵、黒柳徹子さんの、読みやすくわかりやすい文章。

そして、内容の素晴らしさ。

すぐに夢中になり、その日のうちに読み終えました。






わたしの胸に焼きついて離れなかった、一番の人は、トットちゃんが出会った校長先生、小林宗作先生でした。

あたたかな眼差し、子どもたちへの限りない愛情、教育への情熱。

こんな先生に逢いたい・・・

小学生のわたしでしたが、強い憧れに、胸が苦しくなるほどでした。






それからその本は、わたしの座右の書になり、長い間そばにいてくれたのですが、成人後、水害に遭い、大切なものと共に失いました。


しばらしくて、母になり、とても個性的な子どもを授かり、ユニークな毎日を過ごすうち、また、遭いたくなったのです。

小林宗作先生に。



改めて『窓ぎわのトットちゃん』を買い求め、懐かしさと先生への恋しさを噛み締めながら、一気に読みました。





あの頃とは違い、いまは、いろんな学校ができて、多様な学びができるようになってきています。

それらは、小林宗作先生の理想に近いもの、ではないかもしれませんが、

個性的な子ども、理解されにくい子ども、生きる難しさを抱えている子どもたちが、少しでものびのびと学んでいくことのできる、選択肢が増えてきたことは、有り難いことです。




でも、学校の体勢と同じくらい、いいえ、それ以上に大切なものは、そこにいる大人たちの眼差しだろうと思います。

小林宗作先生の、限りない愛の眼差しの奥には、高い理想と、教育者としての厳しさ、自身や他の先生たちへの厳しさがありました。

それがあったから、先生の学校では、心身ともに個性的な子どもの、誰も傷つかず、全員が自分に自信を持てる人に、育っていったのでしょう。




本当に、あったらいいな、電車の学校。

いつか、出会えたらいいな、小林宗作先生のような方に。





すべての子どもたちが、いきいきと、自信を持って、豊かな夢と愛を育みながら、生きていってほしい。

小林先生への憧れを抱きながら、

いま、ひとりの母として、小さな歩みを、進めています。





















*おしらせ* 水曜日は森の朗読会

2014年11月17日 | Weblog

19日(水) 10時から、Akiha 森のようちえん支援センター「森のいえ」での朗読会です。

会場は、ぬくもり溢れる木のおうち。

原園長が想いをこめて建てた家です。





朗読会のテーマは「子どもたちからの贈り物」にしよう、と思っています。

ちいさな子どもとの暮らしは、それはそれは大変ですが、

それ以上に、多くのものを親に与えてくれるように思います。




まっすぐな愛情

豊かな発想

かわいらしい夢

かけがえのない思い出


そして、子どもたちは、親 ( 特にお母さん ) が抱えてきたものを乗り越えるお手伝いしようとしている、と、わたしは感じています。

“ママを助けにきたんだよ”
と、多くの子どもが語っているように。



子どもの気持ちがわからない時、

手がつけられないと感じて辛い時、

いい母になれない、と苦しんでしまう時、


この子はわたしに、何を伝えたいのだろう・・・

そう、想いを馳せてみることができたらいいな、と思います。



子どもたちは、とても素敵な贈り物を抱え、親が見つけてくれるのを待っています。

ずっと、ずっと。








寒いなか、お子さんと一緒に参加してくださるお母さんたち、

みなさんの心が、帰りの時には、より一層、あたたかくなっていますよう、

みなさんのお顔が、より一層、素敵になっていますよう。










「サンタさんへ」*日々のつれづれ*

2014年11月16日 | Weblog

「サンタさんへ」
そう書かれた手紙が、玄関に置いてありました。

それを見て、わたしは、懐かしい日のことを、思い出しました。




息子が七才になりたての頃でした。

夕方、泣いて帰ってきたことがありました。


サンタさんはいないんだって、みんなが言ってたの、

でもぼくは、いると思うの、

そう言って、泣いていました。




いると思うのね、
そのほうが嬉しいのね、
と尋ねると、

そうなの、
サンタさんは、ぼくには本当にいるの、
と涙をぽろぽろ。



わたしもね、サンタさんはいると思うのよ、

そして、
あなたがいると思うなら、サンタさんは、きっと、いるよ、

そう伝えると、

よかったあ、

と言って、涙を光らせたまま、嬉しそうに、笑いました。




その夜、息子の枕元に置かれていた本は、大好きな『サンタクロースと小人たち』でした。

ご存知の方も多いでしょうね、
それはそれは素敵な絵本。



この本によれば、毎年秋頃になると、サンタクロースの村から、小人たちが、全世界の子どもたちの様子を、調べにでかけます。

こっそり、見つからないように、調べるのです。

子どもたちがよい子であれば、サンタクロースに報告し、サンタさんは、とても喜ぶ、のだそうです。


(息子は、いつも優しい子どもですが、秋頃になると、お手伝いがうんと増えるのですよ。)




また、この本によると、

サンタさんへのお手紙は、全世界から届き、サンタさんはその全てを読み、小人たちが本に記録しておくことになっています。

これは、大変そうですね。

サンタさんは、全ての子どもと、その願いを、けっして忘れない、と書いてあります。

これは、わたしたち親への、メッセージでもありますね。




「サンタさんへ」のお手紙は、小人たちが来て、こっそり持っていくことに、我が家ではなっています。

ですから、今夜あたり、きっと、なくなっているでしょう。




わたしには、この手紙の存在と、息子の心が、いつも一番の、クリスマスプレゼントです。

やはり、きっと、サンタさんは、いるのです。












虹 *日々のつれづれ*

2014年11月14日 | Weblog

昨日、三つ、虹を見ました。

出掛ける先、出掛ける先に、架かっていました。

あまりの美しさ、鮮やかさに、息をのみました。




虹を見たら、いいことがある。




幼い頃から、わたしには、本当に、いいことがあります。

昨日、とても嬉しいことが、やはり三つ、ありました。

いいえ、もっとたくさんあったかもしれません。





わたしより、うんと若いお友達が、長い時間をかけて書いたお手紙を、届けてくれました。

わたしの、母のような姉のようなお歳の、素敵なお友達が、いい本に出会った感動を伝えに、会いにきてくださいました。

わたしより、うんと年上の、白髪のおじいさまが、お友達になってくださいました。( お友達、とお呼びするのは失礼なのですが、そう言ってくださったので、わたしも、尊敬と親しみをこめて…。)




虹を見たら、いいことがある。





虹のない日も、いいことがあるけれど。


それでもやっぱり、虹を見た日は、素敵です。