ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

魔法ひとつ

2017年09月30日 | Weblog
わたしには、魔法があります。

自分の心を穏やかに保つ魔法。


なにか、ふと、嫌なことがあった時、
理不尽な思いに囚われてしまいそうな時、
この魔法を使うのです。


『勝手前世』

わたしがこう呼んでいる魔法。

わたしが考えたものなので、聞いたことない言葉ですね。


いろいろ学び、経験を重ね、辿り着いたこたえ、
それが『勝手前世』でした。

人はみな、数えきれないほど転生を繰り返し、何かを学ぼうと(あるいは見つけようと)しています。

誰もがどこかの人生で、誰かを傷つけ、迷惑をかけ、時には殺めています。

また、別の人生では、誰かに傷つけられ、いのちを奪われたことでしょう。

悲惨な人生もありましたし、つらい人生もありましたし、華やかな人生もあったでしょう。

誰かにゆるされ、助けられたこともあるでしょう。

様々に生きる難しさを抱えた人生もあったでしょうし、これから挑む人もいるでしょう。


わたしは、思ったのです。

今生でご縁のある全ての人が、わたしの恩人だと。


あの人は、いつかの生で、わたしをゆるしてくれた人かもしれない。

あの人は、いつかの生で、わたしを助けてくれた人かもしれない。

あの人は、いつかの生で、わたしに痛みを教えてくれた人かもしれない。

あの人は、いつかの生で、わたしが苦しめた人かもしれない。


そんなこと、知らなくていいし、見当違いでもいいのです。

ただ、ご縁ある存在とは幾度も出会い学びあっているのだと、それだけは真実だと感じているので、
もうそれだけわかっていれば十分なのです。



例えば、どこかのお店の駐車場で、マナーの悪い車に嫌な思いをしたら、

“どなたかわからないけど、いつかの時にわたしが迷惑をかけたことがあるかもしれないから、今それがフェアになって解消されたのね、よかった”

と思います。

文字通り、勝手な前世を描いてしまうのです。


違っていたとしても、誰にも迷惑はかからないし、わたしの心が穏やかでいられるので、構わないわけです。

穏やかをこえて、感謝の気持ちが溢れてきたりします。


ね、素敵な魔法でしょ。

誰でも使える魔法です。



この次の人生では、どこに、どんな姿で、どんな境遇を選んで、どんな挑戦をすることになるのでしょう。

時々ふと、考えてみます。

間違いないことは、その時もたくさんの人に出会い、様々な思いをするのだということ。

そのお陰で、何かを学び、掴むことができるのです。

今からもう、有りがたくなってしまいます。


また、わたしと出会ってくれる人たちが、たくさんいるのです。

わたしに付き合い、教えてくれる人たちが。

そこにはもう、愛しかないんだと思います。


嬉しいし、有りがたいし、申し訳ないような気もするけど、

わたしは、また、会いたいです。

何度でも、会いたいです。


大好きなみんなに。

熊避け鈴を持っていて

2017年09月29日 | Weblog
心が痛む話を聞きました。

今年は、熊の大好きなブナの実、ドングリが不作なのだそうです。(新潟県)

特に、魚沼市では凶作なんですって。

熊はどんなに苦しい思いをするかしら…。


人間で言えば飢饉でお米が取れないようなもの。

熊は人間のように蓄えなど持たないから、その年の気候ままに、飢えたり潤ったりするのですね。

できるだけの努力をした上で。


母グマは、我が子に食べさせようと必死になるでしょう。

探して探して、里にも下りるでしょう。

危険を感じれば、身を守ろうとするでしょう。

何としてでも生きて、子熊の元に帰らなくてはなりませんもの。


太古、野生動物と人との暗黙の境界は、どこにあったのでしょう。

それはいま、どう変わってしまったのでしょう。

熊たちは、どんなことを思いながら、里に下りて来るのでしょう

人のにおいをヒシヒシと感じながら、それでも下りなくてはならない熊たち。

生きたい、生きるしかない、
なんて人間と変わらぬ存在か。



わたしが好きだと思う森は、熊がいそうなところばかり。

人工的なものがほとんどないようなところばかり。


息子に言われました。

「ママ、お願いだから、いつも熊避け鈴を持っていてね。」


そうしようと思います。

わたしはこれからも、熊の息吹を感じるような森を、訪ねずにはいられないだろうから。

住所録

2017年09月28日 | Weblog
これまで使ってきたスマートフォンが水没した時に、データの大半が失われました。

写真はもちろん、アドレスや電話番号も。

でも、よくご連絡する方の番号は、小さなアドレス帳に書いておいたので、それだけは本当に有り難かったです。


これもきっと何かの計らい。

私が願ったことへの答えなのでしょう。

今後は、通話とショートメールのみにしようと思います。

わたしには、お手紙というものがあるから。


そして、この機会に、『住所録』を作ることにしました。

素敵なノートを買ってきて、大切な人たちの住所や電話番号を書いておくのです。

携帯電話に何かあっても、慌てなくてすむように。

頼りにしすぎぬよう、暮らしの助っ人として丁度よく居てもらいたいから。


“がまくんとかえるくん”みたいに、ゆっくりゆっくり便りを待つような暮らしは、豊かでしょうね。

届いたかしら、
読んでくれたかしら、
喜んでくれたかしら、
そのうちお返事が届くかしら、

そうやってソワソワドキドキしている時間は、宝物のよう。


インターネットに関しても、便利だけれど、適度の距離を持っていたいと思うのです。

知らなくても構わないこと、分からないままでいいことは、たくさんあるような気がします。

何でもすぐに答えを手にできる時代。

不安や、迷いの答えは、それはもう一時も早く知りたいものですが・・

不安も、
迷いも、
心配も、
それらは、祈りという大切な行為につながるものだから、

もしかしたら、人にとって大事なものなのかもしれない。

その人の精神を育ててくれるような。


わたしらしい心地を、こうしてひとつひとつ、拾い上げていく日々です。

ご無沙汰いたしました、近況です

2017年09月28日 | Weblog
さまざまなことがありました。

大きな変化のあった夏でした。

暮らしはさほど変わりませんが、わたしの内面が、変わったというか、急に静かになったのです。

そして、いつの間にやら、心が満たされていることに気づきました。

これまでの人生の全てに、すっかり満足していたのです。

嬉しいことや素敵なことばかりでなく、悲しいこと苦しいことにも、全部、

ああ、経験できてよかった、全てがわたしの願った出来事だったから、

そう思えたのです。


ご縁あって出会った全てのみなさんへ、感謝の想いが溢れました。

例え淋しい関係や悲しい関係であっても、きっと何かの約束が奥にあってのこと。

ちゃんと果たしてくれた、あの人、あの人。

ありがとう・・・

みんなに伝えたくなりました。

できるなら、時を越えて。


これから先の生き方が、自ずと定まりました。

わたしのための旅のような、これまでの生き方は、おしまい。

何かを探したり、どこかへ急いだり、ということはもう十分だから、

ゆっくりゆっくり、この世界を噛みしめるように生きたい。

身の回りのご縁を大切にして。

日々、恩返しをしていくような気持ちで。

それは、自分にも。



いま、新しい生き方への準備を進めています。

これまでわたしの回りにいてくれた、物、こと、想いをひとつひとつ見直していきます。

もうわたしへの役割を全うしてくれたものは、次の誰かのために巡らせたり、手放していく作業。

あまりにもたくさんあって果てしないように思える作業ですが、始めたからにはいつか終わりが来るのでしょう。

日々をシンプルに生きるために。


わたしがそのように心を決めてから三日の間、毎日、階段をたくさん上る神社に、いざなわれるようにお参りしてきました。

全て別の神社だったのですが、みな高いところにあり、あまりに急で足が震えるようなところもありました。

毎日偶然のような参拝でしたが、何かを確認されているのだと感じ、心に抱いた想いをお伝えしてきました。


戻ってきた日の夜、スマートフォンが水没しました。

どうしてそうなったのかわからない不思議な経緯だったのですが、自然なことのように思えました。

お店にいき、新たに携帯電話(ガラケー)に変えました。

お店の方に、「本当にいいのですか?」と言われながら。

もちろんいいのです。

通話ができれば、わたしには十分。

急ぐことはお電話で、ゆっくりでもいいことや大切な想いはお手紙で。

かつて暮らしの脇役としてそっと置かれていた黒電話のように、この小さな機械とお付き合いしていきたいと思います。


長くなりましたが、近況でした。

書きたいことはまだまだたくさんありますが、ひとつひとつ、ゆっくりと綴りたいと思います。


おかげさまで、わたしはとても元気です。