ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

『 てがみ 』

2013年04月30日 | Weblog




頑張って生きたね

つらくてこわくて
険しい道だったよね

それでも
精一杯の時間を
あなたは生きてくれたね


あなたは教えていってくれたのね

人には
気持ちをわかってくれる人が
必要なんだと

気持ちをわかってもらえたら
それだけで
押し殺していた悲しみを
涙にできること

気持ちをわかってもらえたら
それだけで
明日も生きてみようかなと
思えることを


お母さんには
言えないことも
見せられないことも
あったよね

わかりあえなかったとしても
愛していたから

あなたはわかっていたんだよね
お母さんも苦しみ
たたかっていたことを

だからこそ
逢いにきたんだよね
伝えたいことが
あったんだよね


あなたからの手紙は
お母さんにちゃんと
届いたよ

長い時間をかけて
お母さんは
大切に読んでいくよ


あなたが慕ったあの人は
あなたの気持ちをわかってくれた
あの人はいま
新しい出発をしようとしているよ

あなたが何より必要としていた空間を
つくっていこうとしている

あなたのお母さんの肩を
しっかりと支えながら


あなたはきっと
見守っていてくれるよね

喜んでいてくれるよね













あなたの道

2013年04月27日 | Weblog

その山に登るためには、いくつもの道があります。

なだらかで易しい道
ちょっとだけ険しい道
大変険しい道

歩かずともロープウェイで山頂に行ってしまうこともできます。

どの道も、それぞれに意義があり、素晴らしさがありました。

みんな、思い思いの道を選んでいきました。


山を前に、あなたは考えました。

あなたは、自分の足で歩いて登っていきたいと思いました。

そのほうが山頂にたどり着いた時の喜びが大きい、と考えました。

そしてあなたは、一番険しい道を行くことにしました。


その道は大変険しいけれど、一番景色が美しい道と言われていました。

その道でしか咲いていない花があるとも聞いていました。

あなたはそれを見たいと思いました。

そしてあなたは、登り始めました。








ほんとうに険しい道でした。

一歩登るたびに息が切れました。

急斜面を越えると、また急斜面が立ちはだかりました。

あなたは、もう登ることはできないかもしれない、と何度も思いました。

なぜこの道を選んでしまったのだろう、と悔やみました。


崩れるようにたどり着いた木陰で、あなたは呆然としていました。

そよ風が、疲れた身体を吹き抜けていきました。







その時、目の前に、見たこともない美しい花が咲いていることに気がつきました。

清らかな、でも凛とした花でした。

美しい、
そう感じました。

あなたは、不意に微笑みました。

目には、涙が溢れました。


そしてあなたは思い出しました。

この道を行く意味を。


あなたは、その花をしばらく見つめていました。

摘むことはしませんでした。

そうしてはならないし、その必要はないとわかっていたから。


あなたは、思ったのです。

また誰かがきっとここへたどり着き、この花に巡りあう。

そしてきっと、登ってきてよかったと、微笑むだろうと。


さらに、思いました。

いつか、頂上にたどり着くことができたら・・・

この花が心にあることを、きっと嬉しく思うだろう。

誰よりもよれよれになっているだろう。

怪我もたくさんしているだろう。

でも、頂上へたどり着いた喜びは、どんなに大きなものだろう。

それを感じたい、思いきり。


あなたは再び、歩き出しました。







あなたは、待たれています。

その先に広がる絶景に。

やがて訪れる素敵な人との出会いに。

この道でしか出逢えない、さまざまなことに。


そして、登りきったあなたが、どんなに素敵な人になっているか!


今はまだ、内緒にしておくことにいたしましょう。









魔法

2013年04月25日 | Weblog

バーネット作『秘密の花園』

わたしの大好きな物語のひとつです。

初めて読んだのは小学生の時でした。

既に『赤毛のアン』や『若草物語』が愛読書になっていました。
どれもみな、あたたかな、しみいるような感動があります。

『秘密の花園』は、穏やかな他の作品とは少し趣が違い、ラストの感動へ向けて、心が大きく揺さぶられます。

そこにあらわれる奇跡には、何回読んでも涙したものでした。


最近になって、改めて読み返してみました。
そして、大変驚きました。





わがままで無感動な心だった少女メリーは、大自然のなかで、ゆっくりゆっくり、生き生きとした心と体を獲得していきます。

虚弱で心は固く閉ざされ、死を待つように暮らしていた少年コリンは、メリーらに連れていかれた庭で過ごすうち、生命力と自信を取り戻します。

二人を導いたのは、動物植物たちと心を通わせ、友達のように接して生きる、心優しい少年ディッコンでした。

二人はディッコンを師のように慕います。


お庭でのコリンの言葉です。

「太陽が輝いている、太陽が輝いている。これは魔法だ。
花は咲く、根はのびる、これも魔法だ。
生きているのも魔法だ。強くなるのも魔法だ。
魔法はぼくのなかにある、ぼくのなかに。みんなのなかにある。」


バーネットは言います。

“人の考えというものは、電気のように強力なものである。”

“悲しい考えや悪い考えが心のなかに生まれると、体に病原菌が入り込んだと同じように危険なのです。”

“いやな考えだの、がっかりするようなことが心のなかに入り込んできたとき、そのかわりに何か気持ちのいい、勇気のわいてくるようなことを思い出したり考えたりしてみさえすれば、もっと驚くようなことがだれにでもできるのです。”

“ひとつの場所にふたつのものはおさまらないのですから”


このことは、近年ようやく物理的にも証明できるようになってきた、想いの力そのものです。

大自然と信頼できる人たちのサポートにより、想いの力を発動させ、心身の健康と生きる喜びを取り戻した少女たち。

本当に、魔法であり、奇跡です。
しかもその力は、自分のなかにもあるというのですから。

これほどに力強い物語だったとは。



魔法を使いこなすには、ちょっとコツが要るようです。

でも、いつか必ず上手に使えるようになっていくでしょう。

そして、使ううちに、野生の植物たちがわたしたちの先生であることに、気づくかもしれません。
彼らがどんなに上手に生き、しかも幸福であるかということに。


わたしも、あなたも、魔法を持っています。

どんなことがあったとしても、その力はなくならない。

いつでも、使い始めることができるから。


さあ、何を描いていこう・・・









逢いにきたの

2013年04月23日 | Weblog

息子が五歳の、ある日のことでした。

息子が急に、こう言いました。

「ママは知らないでしょう?
ぼくは、ママに逢いにきたんだよ」


びっくりしました。

胎内記憶や生前記憶については、本も読み、知っていました。
息子も、わたしを選び、やってきてくれたのだと感じていました。

驚いたのは、息子がそのことを記憶していて、変わらぬ気持ちで生きている、ということでした。

驚くわたしを見ながら、息子の大きなきれいな瞳は、楽しそうに揺れています。


それから息子が教えてくれた話しは、あんまり素敵だったので、詩にかえて大切にしてあります。

二冊目の詩集を作ることができたら、載せたい、そう思っています。


息子は、とても長い時間、わたしを見守り、逢える時を待ち続けていたそうです。

わたしが独身の頃からです。


逢いたかったの。
助けたかったの。
大好きだから。

息子は、そう言いました。


あの日から、わたしにとって、子育て、という言葉は、一緒に生きる、というものに変わりました。

母は、子供が必要とするお手伝いを、必要なだけ続けていきます。

そして子供は、見えない手で母を守り、愛し、いとおしい思い出を残してくれて、やがては自分の役割を生きていきます。

それほど長いわけではない時間を、逢いにきてくれたあなたと、一緒に生きる。
毎日、そう思いながら暮らしています。





時々、空を見上げながら思うのです。

今、どれだけの子供たち(赤ちゃん)が、あそこから、大好きなお母さんを見つめているのだろう、と。


実際に逢えない、逢わないことになっている子供もいるのでしょう。
逢えたとしても、とても短い時間の子供もいるでしょう。
逢えるまでに長い時間待たなければならない子供もいるでしょう。

おそらく子供たちは、そのことも全て、ちゃんと知っているのだと思います。

お母さん(となる人)が、そのことを、やがては受け入れ、越えていける力があることも。
そのことにより、お母さんが、人の痛みのわかる、強く優しい人になっていくことも。


そして、伝えたいメッセージは、どの子供もおんなじなのでしょう。
今そばにいる子供も、
これから出逢える子供も、
先に光になった子供も。


“あなたのことが大好き”


あなたは、大切な人。
あなたは、愛されている。
だから、どうか、幸せに。


それを感じ取ってもらえていたら、子供たちは、どんなに嬉しいでしょう。

そばにいる子供たちも、
空にいる子供たちも。










嬉しいことを

2013年04月21日 | Weblog


このことが、いつか、何かになるかしら?
何かの役にたつのかしら?
わたしには何も才能がないような気がするの・・・。

あなたは不安なのね。

わかるの、わたし。
どうしてわかるかというとね、わたしもそう思っていたから。

だからこそ、見つけたことがあるの。


自分が嬉しいことをしていると、まわりの人を幸せにするみたい。


嬉しいことって、不思議なことに、みーんな違うのね。

嬉しいことって、だらだらしたり、誰かを出し抜いたりすることとは違うのよね。
そういう時には心は決して嬉しくならないから、すぐにわかる。
なんか、もやもやした気持ちになる。

嬉しいことって、心がすがすがしくなること。
魂が喜んでる感じがすること。

それが、その人に与えられた才能であり役割かな、と思うの。

イコールお仕事、とは限らない、もっと大きな、ライフワークみたいなものと考えてね。


どんな場所でも、何をしていても、輝いている人って、いるでしょう?

家庭のお母さんだったり、駐車場のおじさんだったり、畑で農作業をする若者かもしれない。

そういう人たちは、本人が幸せを感じているから、自然とまわりの人も幸せにするのね。
幸せは、包むから。


いま、あなたが描いていることや、どうしても諦められなかったことがあったらね、まず、そういうものがあること自体すごいことだ、と考えるの。

降りてきたようなものでしょう?

だから、大切にしていてね。

そして、どんなささやかなことでもいい、あなたが嬉しくなることを始めてね。

続けていくと、ほんとに不思議なんだけど、あなたが幸せになっていくばかりか、まわりにも広がっていくよ。


その頃に、きっと、わかるよ。

その“嬉しいこと”は、天からあなたへの贈り物であったと。
みんなを幸せにするために、あなただけに与えられた方法であったと。
自分だけじゃない、みんなを幸せにするからこそ“嬉しい”と感じたのだと。


嬉しいこと、続けてみてよかった、
諦めないでよかった、
大切にしてきてよかった、

そう微笑んでいるあなたが、少し先の未来に、見える気がします。






2013年04月21日 | Weblog


あなたは、大切にあたためてきた夢を、話してくれました。
瞳が輝いていたね。

素敵な夢。

どうか、その夢に、ワクワクしていてね。
思うたびに、嬉しくなっていてね。
夢を遠くに感じてしまうことに、苦しまないでいてね。


夢は、今を幸せに生きるためにもある、という気がする。
描いて嬉しくなるために。

その“嬉しい”が、あなたの一日を彩り、未来に映し出されていきます。
今日の過ごし方(気持ち)が未来を作っていく、という感じ。
喜びの貯金。

だから、今日あなたが笑った、その少女のような素敵な笑顔は、きっと未来にもあるよ。

さらに、あなたのその笑顔は、回りの人を幸せにするよ。

一緒に笑えて、嬉しかった。

また、会おうね。


あなたが差し出してくれた、優しい色の花束、その色の花を選んでくれたあなたの気持ちを、わたしはずっと、覚えていたい。
そう思っているよ。






木陰

2013年04月20日 | Weblog



わたしがその木陰にたどり着いた日のことは、鮮明におぼえています。

青空がきれいな日のことでした。

わたしは両手にたくさんの荷物を持ち、大きなリュックも背負っていました。

その道を行くには、必要な荷物ではなかったのです。
でも、それらがあることによって、歩いてこられたような、わたしでした。

とても疲れていました。
やっとの思いでたどり着きました。


気持ちのよさそうなその木陰は小さな場所でしたが、見晴らしがよく、そよ風が吹きわたっていました。

休んでいこう、そう思いました。

荷物を下ろしたのは久しぶりでした。

なんてたくさんのものを集め背負ってきたのでしょう。
使い道のなさそうなものや、持ち歩くには重すぎるようなものばかり入っています。
やれやれ、そんな気持ちでした。


そこへ、息を切らしながら、誰かがやってきました。

その人は、なんとまあ、わたしと同じかそれ以上の荷物を抱えていたのです。

ゼイゼイと、その人はこちらへやってきました。

わたしは少し、場所を空けました。

そして、目が合いました。

わたしの脇にある荷を見て、その人は目を見開きました。

わたしたちは、笑い合ったのです。

それが、あなたとの出会いでした。


何も話さなくても、荷物を見ただけで、互いのことがわかるような気がしました。
それでもわたしたちはたくさん話しました。
なんて楽しかったことか。

道々集めてきたものを、荷物を広げ、見せあいっこをしました。
あんなものや、こんなもの…

お腹を抱えて笑いあいました。
ユニークなものばかりでしたから。
そして、同じものを持っていたことも!

そしてあなたが、険しい崖で命からがら助かった時に見つけたきれいな石を見せてくれた時、二人とも、泣きましたね。


あなたに会えたことで、わたしのそれまでの不器用な旅を、これでよかった、と初めて思うことができました。

不必要に思えていた荷物も、あなたと笑いあうために持ってきてよかった、と思うことができました。

ここに来て、ほんとによかった。
歩いてきて、ほんとによかった。


その先は、違う道を行かなければならなかったけど、最後に行きつく場所は同じだと知っているので、元気よく手を振ってわかれました。

もう、荷物を重く感じませんでした。
あなたが笑ってくれた宝物だから。
お揃いのものもあるし。

この先は、これまでよりもゆっくり、いろんなものを見て感じながら行こう、と思いました。
この花の美しさを、この鳥のこえを、この景色を、いつかあなたに伝えられるように。


いまも、一歩一歩、大切に歩んでいます。

あなたもきっとそんな風に歩いている、そう信じながら。












心はすべてのものに

2013年04月19日 | Weblog



こんな話をきいたことがあります。
ホピという先住民族の、ちょっと昔の話です。

彼らは、雨の降らない広大な砂漠に暮らしていました。
彼らの主食はトウモロコシ。
砂漠でとうやって育てるのでしょう?

ホピの長老が一人、トウモロコシ畑に向かいました。
彼はその真ん中に座ると、不思議な歌を歌い始めました。
そして、帰っていきました。

彼は、古来から伝えられてきた歌を、トウモロコシにの種に聞かせていたのです。
それは、トウモロコシの種が喜ぶ特殊な旋律、だというのです。

かくして、雨のない砂漠の中で、トウモロコシは鈴なりに実ります。


種には光と水、これが私たちの常識でした。
でも、ホピの話はそれを覆します。

他にも、日当たりの悪い場所に生える植物に、片方から光を当て、片方から鳥のさえずりの録音を聞かせたら、どちらに向かって植物は伸びるのか、という実験をした人がいます。

答えは、鳥のさえずりのほう、でした。

植物には、光や水に劣らないほど必要なものがある、ということになります。
もっと言えば、彼らも意志や感情を持っている、ということになります。


わたしたち人間が植物について知っていることは、もしかしたら、ごく僅かなのかもしれません。
わたしたちが想像もできないような凄いことが、身の回りで毎日繰り広げられているような気がします。

そのことを、私たちを遥かにさかのぼる先人たちは、たぶん、知っていたのです。


人の手の入らない森の中に居る時、わたしはそう思いました。



椿

2013年04月14日 | Weblog



今日、わたしの足を止めた花がありました。

散って間もない椿でした。

鮮やかに凛と咲くその姿も美しいですが、その散り際の潔さといったら。

はらり

花びらではなく花ごとそっくり、美しいままで、散るのですから。


幹を離れたその身にはもう、鮮やかな紅(くれない)は注がれません。

やがては周りの落ち葉同様、枯れ葉色になるでしょう。

そして大地に溶けていき、新たないのちの糧となります。

落ち葉に埋もれるように静かに退色していくその姿を、美しい、と思いました。


あの日落としたいくつもの涙が、どんなに人知れないものであっても、
その涙はいつか、あなたを豊かにするものに変わるでしょう。

やがてその体験は、後に続くいのちにも何かを伝え、遺していくでしょう。

美しい涙が力に変わる、そんな奇跡のような瞬間を重ねながら、人は素敵になっていくのかもしれません。




待ちわびて

2013年04月13日 | Weblog



すんなりと与えられるものもあれば、
願っても願っても手の届かないものも、あります。

もしかしたら、与えられない、そのこと自体が、天からの手紙であるかもしれません。

待ち続けるその間に、知らずに人は変わっていきます。
願い事そのものの角度や照準が変わっていくことも、あるでしょう。

さまざまな人に出会い、さまざまな体験を重ねます。

そうして、ふとした時に、待ちわびるその時間の意味を知るように思います。

ここを経る必要があったのだ、と。

わたしの夢は、ここを通った先にこそあったのだ、と。

それは、天によるはからい、なのかもしれません。


願いは、願い続けましょう。

そして、叶うまでの時間を慈しんでいきましょう。

今日出会った、あの人も、あの事も、みんなみんな、あなたの夢に続いているから。


ゆっくり進化していくあなたを、天はきっと、見守っているでしょう。