ここのところ、何日も、思っていたこと。
野山のスミレを訪ねては、思っていたこと。
もし、わたしがスミレに生まれたら、どんな色に咲こうかと。
身の回りに多いのは、薄い紫のタチツボスミレですが、
時々、民家のアスファルトのすき間に小さく咲く、スミレを見かけます。
タチツボスミレよりも小さく、その色は、いかにもスミレという風な濃い紫。
また、白い花びらに、紫色の筋が入った、ニョイ(如意)スミレも、近くの野の道で見かけました。
そして先日、近くにある大好きな野原で、ニオイスミレに出会いました。
そばに屈んでみると、素晴らしい香りがします。
それは、控えめな、でも離れがたくなるような、素晴らしい香りです。
なんていろいろなスミレがあるのでしょう。
そうだ、スミレの図鑑を見てみましょう。
『日本のスミレ』山と渓谷社です。
日本だけでも、200種類以上あるというスミレ。
身近にはありませんが、黄色いスミレ、純白のスミレ、ピンク色がかったスミレなども、あるようですね。
中でも、わたしの目を釘付けにしたのは、純白のスミレ。
筋も真っ白なスミレです。
名前は、オトメスミレ。
牧野富太郎博士が、箱根の乙女峠で発見したことから、そう名付けられたそうです。
乙女心をそのまま花にしたような、ほんとうに、ぴったりの名前です。
その昔、人々の心に、スミレはどのように映っていたでしょう。
万葉集では、山部赤人がこう歌います。
“春の野に
すみれ摘みにと来しわれそ
野をなつかしみ一夜寝にける”
すみれを、そのまま花として解釈すれば、なんておおらかな姿でしょうね。
すみれを、なつかしい女性とすれば、また感じが違ってきますね。
時は変わって、松尾芭蕉はこう詠みます。
“山路来て なにやらゆかし菫草”
なにやらゆかし・・・、スミレの魅力をとてもよく表現していますね。
ほんとうに、なにやらゆかし、です。
同じ頃、小林一茶はこう詠みます。
“地車に おっぴしがれし菫哉”
芭蕉の句とは対照的で、ユーモラス。
なんだか、スミレのたくましい生命力が伝わってきます。
明治に入り、夏目漱石は、こう詠みました。
“菫程な 小さき人に生まれたし”
野山に、静かにひっそり自由に咲くスミレ。
漱石の憧れが凝縮したような、在りようだったのでしょうか。
さあ、次は、わたしの番。
和歌も俳句も詠めませんが、詩であれば、綴ってあります。
スミレへの、恋文のような詩です。
次の本が出る時に、そっと忍び込ませましょう。
そしてわたしがスミレに生まれたら・・・
やはり、申し分のない紫の、すこし小さなスミレがいい。
できるだけ小さく、できるだけスミレ色の、もっともシンプルな名の「スミレ」に、生まれたい。
何日も考えて、そんな風に、ようやく、心が決まりました。
季節はもう、夏になろうとしています。