ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

ぴかぴか*日々のつれづれ*

2014年10月30日 | Weblog

音のない静かな家にいると、大自然という静寂に包まれます。

虫のこえ
鳥のこえ
葉のそよぎ
風のおと
雨のおと

それらはとても豊かな音楽なのに、果てしなく静かに感じられます。


そうっと耳を澄ましていると、いつしかわたしは、わたし自身の深層へと向かっています。

大自然と人のいのちは、確かに繋がっている、と思うのです。



深層は、豊かなイマジネーションに溢れています。

真実や叡知も、そこかしこに輝いています。


その中のひとつが、不意に膨らみ始めます。

それは、形になりたいと願うもの。

そしてわたしは、それを形にしていきます。


多くの場合、言葉になっていきます。

詩になったり、お手紙になったり、眼差しや言動になることもあります。



形になった、それらは、とても喜んでいるように見えます。

ぴかぴかと光っています。




そんな、誰かのぴかぴかを、いろんなところで見かけます。

ぴかぴかしているから、すぐに見つけられるのです。


そして、ぴかぴかは、人を幸せにするようです。

これまで出会ったぴかぴかは、いつもいつも、わたしを幸せにしてくれたから。



ぴかぴかで、いっぱいになあれ、わたしの街。

ぴかぴかで、いっぱいになあれ、この世界中。

ぴかぴかで、いっぱいになあれ、みんなのこころ。














11月1日は、ひだまり朗読会*

2014年10月28日 | Weblog

三回目の、ひだまり整骨院さんでの朗読会が、もうすぐです。

テーマは『天からのたより』。


天に在る、大切な存在。

もらたさせる気づきや感動。

さらりと散る木の葉。


天からのたよりは、日々、わたしたちを巡ります。


見えないけれど在るいのちに、想いを送る静かな時を、持ちたいと思います。

そのことによって、明日が、今が、いとおしいものになっていきますように。

あなたがあなたを、わたしがわたしを、生きるために。






11月1日(土曜日) 14:30から。
お待ちしています*


創造 *日々のつれづれ*

2014年10月27日 | Weblog
夜明け前の空ほど、美しく壮大なものがあるかしら、と、思っていました。


濃紺の夜空に輝く星々。

大地を覆う、厚い霧。


みるみる白くなっていく、空。

いっせいに羽ばたく、鳥たち。


霧は、上りながら、舞いはじめます。

まるで、歓喜のように。


野の草たちは、朝露を身にまとい、きらきらと目覚める。


すすきの穂が、応えている。

大空を清めるように、揺れている。



自然界の全てのものが、喜んで迎える、朝と、おひさま。



こんなに美しく、壮大で緻密なものを、どうして生み出せたのでしょう。

その大いなる力、存在を、かみさまと呼ぶのだと、わたしは感じていますが、

例えば一枚の落ち葉を手に、かみさまはよく、このように精巧なものを想い描かれたものだと、感じ入ります。

秋に、このように世界を美しく染めることも。




いま、強く強く願っていることがあります。

わたしにある想像力も、日々何かを生み出し続けていますが、

それらが、どうか、かみさまのように、いのちある美しいもので、ありますように・・・。

まわりのものに、いのちを与えるような、慈しみあるもので、ありますように・・・。


わたしが、こどもたちに遺すことのできるものは、そういうものだと思うから。










腹心の友*日々のつれづれ*

2014年10月21日 | Weblog

小学生の頃から、わたしの一番の愛読書は『赤毛のアン』シリーズでした。

どれくらいの月日、わたしの傍らにいてくれたでしょう。

今では、色褪せて、カバーもヨレヨレになっています。



アンは、心からわかり合える友達のことを“腹心の友”と呼びました。

腹心の友には、年齢も性別もありません。

年が離れていても、ぴったりと気が合う人というのは、いるものです。



わたしにとって、腹心の友は、その人の存在そのものがわたしを豊かにする、そんな人です。

そして、わたしの存在も、その人を豊かにできているかもしれない、そう感じられる人です。

腹心の友が一人いるだけで、人生がうんと豊かに、うんと輝いていきます。



全ての人に、腹心の友が、ありますように。

必ずあるのだと思います。

まだ出会えていない人にも。



生きていきましょう。

あなたを待つ、その人のために。

もしかしたら、わたしのために。



















森の朗読会、受け付け開始です*

2014年10月20日 | Weblog
11月19日(水曜日)、Akiha 森のようちえん支援センター 森のいえ で、朗読会を行います。

森のいえ のホームページにご案内があります。
お申し込みも、そちらの方から手続きしていただけるようになっています。

ぜひ、いらしてくださいね。

テーマは決めていませんが、参加されるみなさまの想いに添うような内容にしたいと思っています。

静かで清らかで懐の大きな森の、素敵なお家の中で、あたたかい時間を過ごしましょうね。















〇〇研究家 *日々のつれづれ*

2014年10月14日 | Weblog

わたしの家にはテレビがありません。

ラジオだけは持っていて、時々聴いてみることがあります。


ある時、耳を傾けながら、面白いなあ、と思ったことがあります。

〇〇研究家 や〇〇王子(他称)など、聞いたことのない名前の専門家さんが増えてきたわ、と。

どの方も共通しているのは、得意としていること、好きなことをそのまま名前にしていること。

個性により、ネーミングも様々です。

これはもう、人の数だけありそうですね。

わたしには、どんなネーミングがいいかしら・・・。

考えていると、楽しくなります。



大好きなことを続けてほしい、
幼い子どもたちを目にするたびに思います。

変わったことでも、将来性がないように見えても、それはその子の天性のもの。

大好きなことに夢中になる人のまわりには、喜びがあり、そのことを通して誰かを幸せにしていく力を、誰もが備えていると、わたしは思います。

そんな生き方、働き方が主流になっていく予感がします。
















子どもたち*日々のつれづれ*

2014年10月12日 | Weblog

地域の子どもたちと、遊園地に行ってきました。

気持ちのいい秋晴れ。


子どもたちは、嬉しくて嬉しくて、行きのバスの中で、じっとしていられません。

後ろの座席から見ていると、いくつもの可愛い頭がピョコピョコ、ピョコピョコ、飛び出します。

そして、窓から見える、何でもないようなものに、どよめいたり、歓声を上げます。

わたしは、子どもたちのそんなところが、大好きです。



そして、いよいよ到着。

子どもたちの興奮は最高潮です。

もどかしい受け付けを終えると、お目当ての乗り物へと猛ダッシュ。
叫んだり跳ねたりしながら。

幼児さんから中学年までのグループと、高学年のグループに。

お母さんたちは誰も追い付けません。


そして、乗ること乗ること。

満足するまで同じ乗り物を繰り返してから、ちょっと集まって小さな会議を開き、決議を経て、次の乗り物へと猛ダッシュ。

楽しいので、わたしも耳だけ参加してみると、短時間でとても公平に結論を出しています。

小さな子ども、得意不得意により、二つのグループに分かれて行動することも。

妥協や譲り合いもなされています。

限られた時間をみんなが満喫するために、真剣です。

なんていい顔をしているのかしら。



お母さんたちは、子どもたちの猛ダッシュに付いていくだけでヘトヘト。

でも、乗ってみたいものには時々参加しながら、なんとか付いていきます。



わたしは、乗り物が大好きなので、子どもたちとほぼ一緒に乗り回っていました。

完全に、一人の少女にかえって。

ちいさな背中を追いかけ、
ちいさな手にひっぱられ、
無邪気な笑顔にそそのかされ、
体力の限界まで楽しませてもらいました。



可愛い年中の女の子と一緒に、6階建ての巨大迷路に挑戦しながら、思いました。

この子たちがいなかったら、こんなに走ることも、こんなに嬉しいことも、こんなに笑えることも、なかっただろう。

連れてきてくれてありがとう。

そんな風に、心から思いました。




帰りのバスの中は、行きよりは静かでした。

子どもたちは元気ですが、配られたおやつを一心に食べています。

戦士たちの休息です。

やがて、長いひも状のグミを食べあい見せあい、クスクスと笑っています。

眠ってしまう子も。




眩しく射し込む夕陽を見ながら、
子どもたちみんなが幸せに、今日のように生き生きと、それぞれの道を歩いて行けますようにと、祈りました。


楽しい思い出を、ありがとう。

遊園地のみなさん、運転手さん、子ども会のお母さんたち、そして、子ども会を支えて下さる自治会のみなさん、本当にありがとうございました。

















大人のわたしも“夢みたい”*日々のつれづれ*

2014年10月10日 | Weblog

丘が好きです。

見晴らしがよくて、風が気持ちよく通り抜けていって。

空と大地と緑しかないような、そんなところが。



どうしても行きたくて、一昨日、求めるままに、出かけてきました。

丘をのぼり、走り回り、寝転んで。







仰向けになっていたら、背中から、大地の深い慈しみがやってきて、わたしを瞬く間に包み込みます。

母の胎内のよう・・・。

雲のない透き通った空に、両手を伸ばしたら、その輝く銀青が、わたしの心に流れ込みます。


わたしはいま、なんにもいらない。

本当に欲しかったもので、いっぱいだから。


溢れる大きな喜びに、“夢みたい”“夢みたい”と、繰り返していました。


七才の姪っ子と、おんなじね。

少女の頃となんにも変わらない、わたしの心。

いくつになっても、姿が変わっていっても、嬉しいものは嬉しい。
大好きなものは大好き。


ほんとうのわたしを見定めることができた、それが嬉しくて、わたしは丘を駆け下りました。
















お父さん、お母さん*

2014年10月08日 | Weblog
月曜日にひらいた、うんまんまさんでの朗読会の余韻に、いまも浸っています。

あの日のお天気は雨で、時々激しく降っていました。
でも、何人ものママさんたちが集まってくださいました。

大きなおなかを抱え、車に乗って来られた方。

大きなおなかに加え、小さな娘さんの手を引いて、バスで来てくださった方も。


みなさんのお顔が揃う頃、テーマにそって、みんなで、ひとりの娘として、想いを語り合いました。


さまざまなご家庭があるのですよね。

あたたかな家庭もあれば、そうではなかった家庭もあります。

幼いながら、両親を想い、幸せを願い、悲しみを耐え、淋しさをこらえ、生きてこられた方というのは、少なくはないようです。

また、幼いうちにお父さまを亡くされていたり、
お母さまを亡くされていたり、
本当に、さまざまです。

やさしい空間の中で、ご両親への想いを言葉にしていくと、涙が溢れますね。


どの方も、どの方も、
ご両親を想っています。

うまく愛を伝えられなかったご両親のことを。

自らの人生に苦悩され、子供を省みることのできなかったご両親のことを。

天へと旅立たれたご両親のことを。


さらに、みなさんのお話しを聴いていると、気づきがもたらされます。

いま、もしも自分が、うまく子どもに愛を伝えることができなくても、
それは、愛していないこととは違う。

苦しくなる心が、それを証明している。

同じように、ご両親も、そうであったのかもしれない。

うまくできなかっただけ、なのかもしれない。


そして、幼心には見えなかったご両親の愛が、子育てをする中で見えてくることもあります。

こんなことをしてくれていたんだ・・・

あんなことをしてくれていたんだ・・・


子どもたちは、両親に、胸にしまってきた過去の痛みを解き放つチャンスを、もたらしてくれる。

“ママを助けるために生まれてきたの”と、多くの子どもたちが語るのは、そういうことなのかもしれません。


時間がかかってもいいのです。
何十年かかっても。

それだけの意味と重みがあるはずだから。


必ず、できるでしょう。

だからこそ、その状況に、その巡り合わせの中に、生まれて来られたのですから。


いつの日か、溶けていったらいいですね。
心のなかにある、かなしいかなしい塊が。



ご両親に、お手紙を書いてみませんか。
そう、みなさんにお話ししてみました。

できそうな気がした時に。

サヨナラの時は、いつ訪れるか、わからないから。


直接お伝えできたら一番いいですが、
お電話でも。
お手紙もいいですね。
あるいは、メールでも。

天にいらっしゃるご両親へは、心の中で。



“みなさんは、どんなことをお伝えしたいですか?”

朗読会の最後に、そう尋ねたら、

“ありがとう、と。”

参加者のみなさんは、そう言って、真っ赤な目をしたまま、微笑みました。


そのお顔が、あんまり素敵で、心に強く残って、
わたしは今日まで、ブログを書くことができなかったのです。
















明日は、うんまんま朗読会*

2014年10月05日 | Weblog

明日は、うんまんまさんでの朗読会。
(10:30 ~ 12:00)
連続朗読会の二回目です。

テーマは「娘として」。

母であることを、ほんの少し忘れ、
様々な役割を、ほんの少し忘れ、
一人の娘として、あるいは息子として、
両親への想いに耳を澄ます。
そんな時間を持ちたいと思うのです。


複雑なご事情の家庭もあるでしょう。
悲しみや苦しみもあるでしょう。

そして別れは、ゆっくり、または足早に、やってきます。


心に何を抱いて、あなたは今日を歩いていますか。

明日は何を、抱いていきましょうか。


旅の道すがら出会う人のように、
あなたのことを、少しだけ、聴かせてください。


明日はお天気がよくないようですから、くれぐれもお気をつけて、そしてご無理のないように、なさってくださいね。

わたしは、道が通れる限りは、お伺いいたします。