ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

birthday *日々のつれづれ*

2016年03月11日 | Weblog

もうすぐ、息子が10才になります。

10年も生きてくれたんだ・・・と、感慨に耽っています。



幸せな10年だったかな・・・


生まれてきてよかったと、感じているかな・・・


生きるのが楽しいと、感じているかな・・・


やりたいことができているかな・・・


明るい未来が広がっているかな・・・



聞いてみたいことだらけの、母です。




「こんな私のところに生まれてきてくれて、ありがとう。」

以前のわたしは、息子にそう言っていたけど、

息子が悲しむから、やめました。

“自分を悪く言っちゃだめ!”

と、叱られます。



ほんとにそうね。

“こんな”は、要らないのね。



「私のところに生まれてきてくれて、ありがとう。」

これでいい。



心をこめて、伝えていきたい毎日です。










木の言葉を聴く授業*日々のつれづれ*

2016年03月09日 | Weblog

息子がこの頃、面白いことを教えてくれます。

それは、「木の言葉を聴くこと」です。

“ぼく、このごろ、木の言葉がわかるんだ。”

と言うのです。



先日、戸隠に行った時に、その方法を教えてくれました。

こんなに立派な杉に出会った時です。



わたしと、戸隠でいつもお世話になっているユキさんと、息子のミニ授業を受けました。



「まずね、木に耳を当てるの」


耳を当てて、それから?


「次に、心をしずめるの。」


心を、しずめる。

・・・できるかな?


「言葉は、耳じゃなくて、心に聴こえるからね。」


心にね。

・・・わかるかな?



この長老のような大木は、どんな言葉をくれるでしょうか?


最初は息子が、お手本。


何て聴こえたの?


「夢かなう、って言ったよ。」

「だからぼく、返事をしたよ。がんばるね、って。返事をする時は、心で言うんだよ。」


心で、ね。


次にユキさんが、そしてわたしが、挑戦してみました。



あまりにも大きな木。

触れるだけで、物凄い力と慈愛が伝わってきました。

長い年月、生きて、生きて、さまざまなものを見届けてきたのですね。

想いがないはずがない。

人に伝えたいことが、ないはずがない。


息子はそれを、心で感じているのでしょうか。

その、何も隔たりがない感じ、いいですね。


わたしも、幼い頃から木が大好きで、触れたり抱きついたりしていました。

わたしにとって、木の言葉は、息子のような明確なものでなく、「想い」として、感じられます。

よろこび、

励まし、

いたわり、

時には、祈り。


気持ちが、伝わってくるような感じ。



今回、この木から伝わってきたのは、圧倒的な喜びでした。

こんなに大きな木が、全身全霊で喜んでいました。

大地が、地球が、揺れてしまうのではないかと思えるほど、大きな喜びでした。


木は、嬉しかったのですね。

小さな子どもが、抱きついて、心を開いて、木の言葉を聴こうとしたことが。

絶対に聴こえると、信じて。


木にとって、そんなこと、久しくなかったかもしれません。

あるいは、遠い昔、同じようにした子どもがいたのかもしれません。

待つことが宿命である木にとって、どんなに、どんなに、嬉しかったことでしょう。


わたしには、そう感じられて、胸が痛いほどでした。

そして、後でそっと、木のかわりに、息子を抱きしめました。

木はきっと、そうしたかったはずだから。








愛の正体 *日々のつれづれ*

2016年03月08日 | Weblog

あの有名な、アルベルト・アインシュタイン博士は、“愛”というエネルギーを、恐らく初めて、科学的に説明しようとしました。


“愛は、光の二乗で増殖する”

というのです。



どういうことなのか、見当もつきませんが、

愛は、とてつもない勢いと速度と規模で拡大していく、ということは理解できます。



さらに、

“愛には限界がない”

“愛には何もかもすべてを超越する能力がある”

“愛こそが存在する最大の力である”

とも言っています。




ということは、

できないことは何もない、不可能のない力、ということ、

空間だけでなく、時間も越えて駆け抜け、広がり、伝わっていく、ということでしょうか。

その力、“愛”が、わたしにもあるなんて、発することができるなんて、驚くべきことです。



アインシュタイン博士は、

生前、娘のリーゼルに対し、心を開いて愛情表現をすることができなかった、と、手紙に遺しています。

そのことが、自身の全人生を打ちのめしてきた、ということも。

でも、

“時間は相対的なものだから、私がお前を愛しており、お前のお陰で私が究極の答えに到達したことを、お前に告げる必要があるのだ。”

と、続けています。



この気持ち、この気持ちだけは、わたしにも、よくわかります。

愛の威力がいかほどか、それに関してはよくわかりませんが、

愛が、空間や時間をも越えていく、ということだけは、実感としてわかります。


先日の戸隠公民館で出逢えたお母さんたちに、お伝えしたい。

いま、あなたの持つ愛を、過去のあなたに、幼かったあなたに、送ってね、と。

一人ぼっちで泣いていた、小さなあなたに。

必ず届くから。

光よりも早く、強く、大きく。


お子さんに、優しくなれなかった日、一人で泣いてしまう夜があったら、

その可愛い寝顔に、愛を送ってね。

寝ていても、どんなに幼くても、お子さんの魂がしっかり受けとるから。

悲しい出来事よりも、ずっと強く。


そしてできれば、優しくなれずに苦しんだ、昼間のあなた自信を、心の中で抱き締めてね。

必ず、必ず、今のあなたに届くから。

何もかもを越えて。










コラボレーション*日々のつれづれ*

2016年03月07日 | Weblog

“コラボレーション”て、素敵です。

人と人が、共に何かをすることで、新しいものが生まれる。

それは、どこまでも、未知数。

響きあう人と、どんなものを、生み出せるでしょう。



わたしの詩を、こんな風に書いてくださった人がいます。



「麦っこワークス」さん という、作業所に通うみなさんです。

みなさんとは、少し前から、親しくしていただくようになりました。


わたしは、みなさんの隣に座り、空を眺めているのが好きです。

時間がゆったりと流れ、そして、

空の、ほんとうの色が、見えるような気がするからです。



みなさんの、心の込もった作品展が、毎年春に開かれています。

絵画や刺し子、陶芸など、様々です。

みなさん全員が、アーティストさんです。

その中のひとつに、わたしの詩を、大事に大事に書いてくださったものが、先程の写真です。



しばらく眺めていたら、お手紙のように見えてきました。

伝わるものが、全然違います。

この方が、どんな気持ちで書いてくださったのか、心で辿ることができるように感じられました。



新潟市西蒲区岩室温泉にある道の駅「いわむろや」が会場で、多くの方が訪れたようです。

スタッフの方が、作品展に寄せられたアンケートを、わたしにも見せてくださいました。

しみじみ、嬉しく、拝見しました。



また、ご一緒できますよう、

そっと、夢見ていようと思います。



*拝見したアンケートに、わたしの詩や本へのお問い合わせも、いくつかありました。
本当にありがとうございます。

詩集は、町の書店には置かれていないかもしれませんが、インターネットでお買い求めいただけます。

『いのちへ』
にしだひろみ 著
(南の風社)

出版社(南の風社)でもご注文を承っています。

また、少しではありますが、わたしの手元にも在庫がございます。
メッセージを添えてお贈りすることもできますので、ご連絡くださいね。

お問い合わせ先は、こちらです。
inochinokotonoha@gmail.com (にしだひろみ)










朗読会の後に。*日々のつれづれ*

2016年03月06日 | Weblog

朗読会の後、いつも、思うことがあります。


それは、“みんな、わたし。”ということ。

出会うお母さんは、みんな、わたしの一部。

そう感じるのです。



みんな、それぞれに、今を頑張っていますが、

それだけでなく、

過去の何かとも、闘っています。



過ぎ去ったことは、その人が受け入れ、乗り越えることができるまで、何度でもあらわれ、道に立ちはだかります。

姿を変え、かたちを変え。



乗り越えるためには、それに見合うだけの時間と、エネルギーが必要です。

大なり小なり、その人が、変化して行けるまで。



そして、その力と、チャンスをくれるのが、子ども。

生まれてきてくれた子どもは、母を助けます。

新しい価値観や生き方を教え、母を変えていくことで。




先日の、戸隠公民館での朗読会でも、わたしは、たくさんの“わたし”に出会いました。

母に贈り物を携えてきた、子どもたちにも。



幼いあの日、辛かったよね。

少女であったあの日にも、辛かったよね。


長い時間が流れて、もう終わったと思っていたけど、子育ての毎日の中で、辛かった日々がよみがえり、立ちはだかる。

あの日の親のようになってしまう、自分がいる。

そうはしまいと思っていたのに。

かろうじて踏みとどまっていても、心の中は様々な思いが吹き荒れる。

打ち明けられる人もないまま、毎日、深く自分を責め続ける。


それは、とってもとっても、辛いのよね。



朗読会などで、そんなお母さんに、たくさん出会ってきました。

簡単には話せないことだから、長い時間、心や身体に負担をかける思いだから、

そばにいると、伝わってきます。


そして、そのほとんどの気持ちがわかる、わたしがいます。



わたしに、息子の母であることの他に役割があるとしたら、

この、“わかる”ということだけではないか・・・。

朗読会だけでなく、日々の暮らしや創作を通じて、わたしに役割があるなら。



そんなことを想いながら、わたしは、白く険しく美しい戸隠連峰を、見上げていました。








冬、満喫。(みんなで学校、ご報告)*日々のつれづれ*

2016年03月02日 | Weblog

第二回「みんなで学校」、晴天のなかで開かれました。

風邪などで来られなかったご家族が何組かあり、残念でしたが、またさらによい機会に・・・*



新津から来てくださったご家族をお迎えに行き、会場に戻ると・・・、

裏山を掻き登る、みんなの姿が・・・。



どこまでも、どこまでも、登っていきます。

息子の姿は、遥か向こう。

子どものように楽しそうに続くのは、エミさん。

養護の先生です。



パパさんたちは、近くのおじいちゃんに誘われて、カンジキや、スコップや、ソリを借りに行きました。


わたしたちも、登ってみたい!

八才のお兄ちゃんと、三才の弟さんと、お母さんと、わたしで、後に続きます。


足がはまること、はまること。

膝や腰まではまるところも。

でも、八才のお兄ちゃん、がんばるがんばる。



上に何が待っているんだろう・・・。



お兄ちゃんには、リズムがある。

自分のペースでゆっくり登る。

しっかり休み、雪を食べながら、何かを感じる。

しばらくすると、また登る。


お兄ちゃんに付いていきながら、わたしは、いつもの何倍も、まわりに溢れる“冬”を、感じていました。




一時間以上、登っていたら、上から息子がかけ降りてきました。

「ママ、きれいだよ、早く早く」

そう言って、手を引っ張って、連れていってくれました。

息を切らして登ると、そこには、





こんな景色が待っていました。



息子とエミさんが、椅子を作っていてくれました。

腰かけると、なんていい気持ち。

第一部隊で、記念写真。




「カンジキなくても登れるんだね。」

「冬って、どこも道になるね。」

「雪ってすごいね。」

そんなことを話しながら、後に続くみんなを迎えに行きます。

みんなが頂きに立てた時は、嬉しかったなあ。



さあ、猟師さんに任せきりの、「イノシシ鍋」を目指して、下山です。

速い速い、瞬く間にみんなの姿がみえなくなります。

お兄ちゃんたちご家族は、ゆっくりゆっくり。

それもまた、素敵です。





こちらが、猟師さんお手製のイノシシ鍋。

しばらく前に、猟友会のみなさんで獲ったイノシシ。

随分たくさん獲れたそうです。

興味津々のわたしたちに、解体時の写真を見せてくれました。

狩猟教室の始まりです。

どんな風に獲り、どんな風に開いたのか。



心に残ったのは、イノシシの頭は食べずに土に埋める、というお話しでした。

自然に、土にかえすのだそうです。


わたしは、アイヌの話を思い出しました。

アイヌの人々は、山から宝(肉)をもらったら、クマであればその頭部を祭壇にのせ、ご馳走やお酒をそなえて、感謝したのだそうです。

ですから、普段は肉を食べないわたしも、このイノシシはいただいても大丈夫、と思いました。

何となく。


さあ、腹ペコのみんなで、「いただきます!」。



猟師さんが三度も煮て冷やしたという、イノシシのお肉。

柔らかくて、本当に美味しい。

味は牛肉に近く、さらにさっぱりとしていました。



午後からは、満腹で眠る大人、戯れる子どもたち、外に飛び出してまた山に登り、竹取りをする子ども、かまくらを掘る大人、様々です。

近所のおじいちゃんも、竹細工を教えに飛び入りしてくれました。

前回来てくれた、体操のアイちゃんも駆けつけてくれました。


「物なんていらないよね、子どもは自分で遊びを見つける。」

「その遊びが、学びにつながってる。」

「そうそう、気づくと、物凄い学びをしてるよね。」

「ここはいいね、地元の人たちが入ってきてくれるから。」

「あのおじいちゃんみたいにね。前回は、通りがかったおじさんが鯉を見せてくれたしね。」


勢い溢れる一日、ゆっくりおしゃべりをしたわけでもありませんでしたが、
子どもたちがいい顔をしていて、よかった。

しみじみ、子どもって、信じてそばにいてくれる人がいると、すごい力を発揮するものですね。

みなさん、ありがとうございました。



次回は、4月29日の祝日に開催します。

山菜の時期ですので、山竹の子料理をしたいと思っています。

わたしは薬草集めも楽しみです。


詳細は、改めてお知らせいたします。

「みんなで学校」は、まだまだ未知数。

想いのあるみなさんと一緒に、すてきな場所をつくっていきたい。