ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

朗読会のお知らせ

2018年11月13日 | Weblog
雪の日々を目前に、わたしの朗読会も、あと少しです。


明日、14日(水)は、「うんまんま」さんへ。

連続講座「幸せなお母さんになるミニ講座」の四回目です。

シンボルツリーのお話しも、ちょこっと。

お気に入りの絵本のお話しもしたいなと、欲張っています。

10時半からです。



28日(水)は、関屋公民館で、「リアンカフェ」さん主催の朗読会。

こちらも、子育てをめぐるわたしの詩や、おしゃべりや、シンボルツリーのお話しを予定しています。

シンボルツリーに関心のあるママたちのために・・と、あれこれ考えていますが、

小さなワークショップのようになりそうです。

10時半からです。



再会と、新しい出会いに、今からもう、ありがとうございます。

たったひとつでいい

2018年10月30日 | Weblog
ママのための情報誌『はっぴーママ』で、絵本を紹介する小さなコーナーを持たせていただいています。

ほんとうに、とっても小さいんですけれどね、

いつも、とても大切にしている絵本を、ご紹介しています。



先日出たばかりの最新号には、こんな絵本を。

『しろくまのそだてかた』



「しろくま」ってね、「くま」じゃなくて、「こども」のこと。

子育てを、「しろくま育て」として描くことで、なんだか客観的に考えることができるみたい。



「しろくま」がお母さんに望むことが、12個だけ、書いてある。


どれもみんな、あたりまえのようなことばかりなのに、

なぜでしょう、読んでいると、胸が痛くなるのです。



もし、これから読んでみようかしら、というお母さんがいたら、

どうか、

「わたしは、これも、これも、できてない・・」

という風には読まないでくださいね。


そんな風に読んでしまったら、それこそ、あなたの「しろくま」が悲しんでしまいます。



「あ、これなら、わたしにもできるかも」

「これだけは、できてるみたい」

「ああ、このひとつだけでいいから、やってみよう」

こんな風に、読んでくださいね。



たったひとつでいいと思うの。

あなたらしさが光る、たったひとつで。


わたしにはこれがある、

そう思えるだけで、嬉しいものです。


そして、その嬉しい気持ちが、そばにいる「しろくま」を幸せにする。




まだ、うんと先のことですが、

「しろくま」とは、必ず、お別れしなくてはなりません。


最初のお別れは、「しろくま」の巣立ち。

「しろくま」が、自分の世界へと羽ばたいていきます。


次のお別れは、(順番通りにいってくれた場合ですが)、あなたがこの世を去る日。

「しろくま」が、大好きなあなたを見送らなくてはならない日です。


必ず、その日はやってきます。



それを、心に置いて、今日を生きる。

いま、こんなに近くで、あなたをひしと見つめる「しろくま」と、生きるのです。


そうすると、毎日が、ちょっと、違ってきます。




さて、わたしが、うちの「しろくま」にしてあげられたことは・・


そうねえ、

「待つ」こと、

「だっこ」、

このふたつは、まあまあ、合格点をあげられるかな・・

という感じです。



もちろん、他のことも上手にしてあげたいけど、

できないことは、「ごめんなさいね」でいいような気がしますし、

上手になりたいことは、明るい気持ちで目指していけばいいのでしょう。



そういえば、うちの「しろくま」は言ってました。


「ママのオッチョコチョイは直さないでね、面白いから」



ええ、直しませんわ。

直せませんしね。

朗読会のお知らせ

2018年10月15日 | Weblog
明後日、17日(水)は、西区寺尾にある「うんまんま」さんへ、

詩の朗読やおしゃべりや、シンボルツリーのお話しをしに伺います。

10時30分からです。



「うんまんま」さんには、子育て真っ最中のお母さんが主に、

子育ては一段落つきましたが、という方もいらっしゃいます。

美味しいコーヒーやお菓子を囲んで、和やかな時を過ごします。


お昼を挟んで午後までゆっくりできます。

お弁当をご持参になってもいいし、うんまんまさんがお弁当の注文もしてくださいます。

(ラーメンの出前、なんて時もあるんです。)

だから、なんにも持たないでいらしても大丈夫。



スタッフさんは個性溢れる方ばかり、

楽しい方、優しい方、あたたかな方、面白い方が揃っていらっしゃいます。

わたしは、再会がいつもとても楽しみ。

みなさんが大好きだから。



明後日はわたしの朗読会ですが、他にも素敵なイベントがたくさんあります。

また、なんにもない、静かに過ごせる日もあります。

詳しくは、うんまんまさんホームページをご覧くださいね。




今日も、夕日がきれいでした。

いまは、静かな月夜のなかで、朗読会のことを考えています。


どうぞ、あたたかな時間になりますよう・・

ラジオ番組にちょっと出演

2018年10月11日 | Weblog
「ラジオ番組に出演していただけませんか?」


ご連絡をくださったのは、地元FM局(FMport)のパーソナリティーさんでした。

わたしのblogをご覧になってのお便り。



そんなわけで、昨日収録に伺ってきました。

車が苦手なわたしは、電車にゴトゴト、歩いてテクテク、の小旅行です。

水筒と、小さなお菓子を忘れずに。

あとは読みかけの歴史小説。


忘れてはいけないのが、穏やかな気持ち。

あるとないとでは大違い。

世界がまるで違って見えるし、出会う物事も変わります。


これで、楽しい旅の準備万端。



新潟の中心市街に出るのは、ほんとうに久しぶり。

普段しずかに過ごしているので、様々な刺激にびっくりします。

音も、色も、スピードも。


でも、平日昼間の勢いは、きっと少し穏やかで、

よかったなあ・・と思いながら歩いて行きました。



ラジオ局さんに到着すると、途端にわたしの背筋が伸びました。

みなさんテキパキ、シャカシャカと立ち働いておられます。

局には局の流れがあり、わたしは出来るだけ上手に合流しなくてはなりません。

ほんの少しの合流でも、妨げになっては残念ですもの。

そして、終わればやはり、上手に分離したいもの。

気合いが入ります。



わたしが参加させていただく番組は、『PORTA~思いをカタチに~』の中の「MY ACTION 」というコーナーです。

7分という、あっという間のコーナーですが、

パーソナリティーさんとディレクターさんは、何回も企画を練って臨まれるんですね。

短い時間で、出演者の方の魅力がリスナーさんにしっかり伝わるよう、真剣勝負なのです。


当日も、お忙しいスケジュールのなか、流れをリハーサルしたり、雑談の中から番組を膨らませるタネを見つけられたり、

目が醒める思いでしたし、尊敬の思いで一杯でした。



収録は、あっという間。

これでよかっただろうか・・と振り返りそうになるのを制して、

(ディレクターさんのOKが出たのですから)、

御礼もそこそこに、わたしは素早くスタジオを後にしました。



エレベーターを降り、ビルを出たら、

そこには日常がありました。

人々が暮らす、音や、においや。


いま起きていた収録も、局のみなさんも、夢の中の出来事だったかのように思われました。


そう思われるということは、もしかしたら、合流と分離が、少しは上手にできたのかな。



わたしは、笑顔になり、

でも慌てて引っ込めて、(すれ違う人がびっくりしますものね)、

ゆっくりゆっくりと、街を歩いていきました。



※放送は、14日(日)午後6時です。

世界へのまなざし

2018年10月09日 | Weblog
なんて気持ちのいい晴れ空。

芳しい秋の風を、車はくぐっていきます。



わたしは、柔らかな気持ちに満ちていました。

両親への感謝を噛み締めるような一日でしたから。



こんな気持ちの時は、流れるような仕草で、途中から入りたがっている車に先を譲ることができます。

不自然さや不器用さがなく、また、譲りそびれることもなく。

ほんとうにいい気持ち。

ニコニコという顔にしかなりません。



そうしていたら、面白いことに気がつきました。

わたしにも、他の車の方が、気持ちよく道を譲ってくださるのです。

なかなか入れない、ということがありません。

追い越し斜線から、わたしの前に入ってくる車も、上手に入り、ハザードもばっちり。


世界がみんな、優しい感じ。



幸せは、こうして作っていくものかしら。

まずは、自分が、穏やかに在るように。

そしてそれを、溢れ出させるように。



自分の穏やかさが、世界の穏やかさを集めるのかも。

他の感情がそうであるように。


悲しい時や慌てている時、心乱れている時は、いい事がありません。

あったとしても、見えず、出会えないのです。



まずは自分、

わたしなんだわ。



そうならば、

昨日、わたしをあんなに穏やかな気持ちにしてくれた両親が、素晴らしい。

そう思いました。




秋の日に見つけた、幸せの種ひとつ。

右往左往の心得

2018年09月30日 | Weblog
その船に、船頭さんはいるのですが、物静かな方でした。

そうなると、さまざまに号令を発する乗組員がたくさん出てきます。

あちらだ、こちらだ、と、いろんな指示が飛び出します。


その船において、わたしは一番若輩でしたから、どの指示にも背きにくく、どれも分があるように思えます。

時々、こればかりはどうしても、と思われることには、提案をして変えていただいたりしましたが、

あとのことには、右往左往しながら、指示に従い作業に当たりました。



そのひとつが、異なる指示をする乗組員さんの目に止まり、お叱りをいただくことになりました。

がっくり。

でも、そちらにも分がありました。

また右往左往しながら仕切り直しをしました。



肌寒い日でしたが、あちこち駆け回るわたしたちは汗だくに。

わたしと同じように、さまざまな指示に右往左往するスタッフさんはたくさんいたのですが、

わたしの母ほどの年の方は落ち着いたもので、

「行けと言われたら行く、下げろと言われたら下げる、そうするしかないし、そういうものよ。」

しなやかな姿勢と微笑み。

見事です。


その言葉をきいてからは、むしろ張り切って右往左往をしました。




この船というのは、年に一度行われるイベントのこと。

今年限りでなく毎年あることなので、わたしは、若輩ながら、執行部の方に改善点をお伝えしようと思います。


船頭も乗組員さんも、まだ慣れない船であり、みんなで力を合わせての航海です。

来年もまた、いろいろあることでしょう。


もし来年もお誘いをいただいたら、次はもっとしなやかに右往左往したいと思います。

はじめから完璧な航海を求めず、みんなでゆっくり築いていく旅も素敵です。



今日は、いい経験をさせてもらいました。

乗り合わせたみなさんに、労りと感謝をお伝えします。

雪が舞い降りる日まで

2018年09月28日 | Weblog
秋の活動がはじまりました。

朗読会に、講座に。


わたしは、冬は活動をお休みします。

雪道の運転が苦手なことと、静かに心を深めて過ごすために。


ひとひらの雪が舞い降りる頃まで、ひとつひとつ、心をこめて行いたいと思います。



今年は、保育園の先生方向けのシンボルツリーワークショップを初めて開かせていただきました。

すごい保育園さんなんですよ、職員研修として、わたしを呼んでくださったのです。

ほぼ全員の先生が受けられました。


ご自身をよりよく知るために、先生方との関係をよいものにしていくために、子どもたちのよいところ、サポートのヒントに、

真剣に学ばれました。


でも、さいごには、

「旦那との相性を知りたいんですが・・」

「わたしに合う木を教えてください・・」

と、たくさんの質問が飛び出して、なんて楽しかったことでしょう。


わたしにとっても、楽しくて学ぶことのたくさんある時間でした。

感謝の気持ちでいっぱいです。



2ヶ月のあいだ、夏休みと稲刈り休みをいただいていた「うんまんま」さんでの朗読会も、来月から復活します。

懐かしく、スタッフさんたちに早く会いたいです。


おうちカフェへも、素敵なお客様がいらしています。




すべて、思い出になっていくから・・


毎日の、ひとつひとつに、

ご縁の、ひとつひとつに、

感謝しながら。

わたしの図書館

2018年09月27日 | Weblog
その図書館は、「図書室」と呼んだほうがぴったりな、小さなところ。

丘の上の、大きな建物のなかに、ひっそりと在る。

わたしは、その丘をのぼっていくのが、とても好き。



学校の図書室より、もっと小さな規模で、本はとても少ないが、

何やら懐かしく心地いい。

学習や閲覧用の机が窓辺にずらりと並び、ガラス窓の向こうには、森がある。



静かで、静かで、静か。

週末やお休みの日以外は、いつ訪ねても、人がほとんどいない。

だからわたしは、思う存分、本と二人きりになれる。



その図書館が好きな、もうひとつの理由は、貸出カードがあること。

借りたい本の後ろポケットにあるカードを取り出し、鉛筆で名前と日付を書いて、箱に入れる。

一冊一冊、おなじ作業をする。

その、ひとつひとつの行為が、たまらなく愛しい。



借りる責任を、ひしと感じることも、素敵に思う。

名前が残るんだもの。

大切に読もう、期限を守ろう、そう強く思える。



司書の女性に、たまに会う。

わたしの母よりひとまわり若いくらいだろうか。

返却された本の貸出カードを探し、確かに返却されましたの判子を押して、本を棚に戻す。


一連の作業のなかに、機械も機械音もない。

そこが、わたしを惹き付ける。



小さな、限られた蔵書だからこそ、未知の分野の本に出会える。

みんな、肩を寄せあうように並んでいるから。


この秋、わたしは、一冊の本に出会った。

これまで見向きもしなかった分野。


タイトルに惹き付けられ、装丁のセンスに圧倒された。

本を読むことの幸せをよく知っている人の装丁だ。


内容には、はじめ、怖じ気づいた。

怪談ものだったから。


でも、惹き付けられて仕方ないので、借りてきた。

そして、時を忘れて読んだ。


・・わたしの、読みたかった本だった。

こんな本に出会いたかった。



『荒神(こうじん)』
宮部みゆき



映画『もののけ姫』を思い浮かべるような物語。

タタリ神のような荒神が、江戸時代の村を襲い、飲み込む。


でも、荒神を産み落としたのは人間、人間の誤った生き方にあるとして、

最期には、一人の女性が荒神の母として、荒神を抱く。



わたしはそこに、いまの世に渦巻く苦しみや災害への、こたえを見た。

そして、涙した。




今日も、小さな図書館へ向かった。


今日も、とても静かだった。

あお

2018年09月11日 | Weblog
初秋の強さとさみしさを、この人は、こう表現する。



“九月の森ではふしぎなことがおこる。

春と秋がとなりあわせになっている。

黄色い葉と青々とした草。

色あせた草と、いまにもつぼみが開きそうな花。

あたたかい太陽とつめたい風。

おとろえていくものと、盛りをむかえようとするもの。

にぎやかな歌としずけさ。

そして、さみしさと喜びが。”


ニコライ・スラトコフ『北の森の十二か月』より




蝉たちは、みんなもう、いのちを全うしただろうか。

いつの間にか、あの声が、途絶えていた。

聴こえるのは、さまざまな虫たちの唄。



高くそびえ立つ杉に、少しもひるまず巻きのぼっていくのは、葛。

その紫の花は、燃えるような色。

目指すは、あの抜けるような青さの空か。



ふと足もとを見ると、息絶えた蝉。

何もかもを出し尽くし、仰向けに放心していた。

最期にその手足で、あの空を掴んだか。



わたしの夏も、去った。

日常のことをこなしながら、ふと、心をこめることを思い出し、

感謝に打たれ、時に考え、痛み、気づき。


日に何度も、空を仰いだ。

あの健やかで透明な青こそ、いのちが還る場所。

そう思いながら。



蝉も、葛も、わたしも、

みんな、あの青から生まれ、あの青を慕い、いつかは吸い込まれていく。



だからわたしも、燃えるように生きたい。

わたしのいのちを、余さずみな「想い」にかえていきたい。


あの青へと。

時には毅然と

2018年09月05日 | Weblog
小さなプレートを作ろう。

木の板だと一番いい。

紙をラミネート加工してもいい。


柔らかだけどしっかりとした文字を、そこに綴ろう。

それを、玄関先の階段のあたりに、掲げよう。




このような田舎にも、汗をふきふきセールスマンが来る。

果物の販売から学習塾の勧誘まで、様々な用件で。

重い荷を背負っている人も少なくない。



わたしは、全て、お断りしている。

結果的にそうなった。

せっかくであっても、そういう形で物や機会を得ることが好きではないから。


無料のサンプルなども、受け取らない。

お断りしながら、いつも胸が痛むのだが、(きっと、配りきらなくてはならないのだろう・・と思うから)

いま必要としていないものを、今後も必要としないことがわかるから、

そのサンプルを受けとることはできない。

そんなわたしが受けとることは、失礼なことだと感じる。



だからこそ、こんなところまでわざわざ、よく来てくださいました、そんな敬意をこめて、

丁寧に、お断りしている。


でも、それだけではダメなのだと、昨日知った。




その人は、乳製品のカタログとサンプルを持ってきた。

なんとも重そうな保冷ケースを肩にかつぎ、大汗をかいていた。


わたしは、ご苦労を詫びながらお断りした。

そもそも乳製品は日常的にとらない。


しかしその人は、タダなんだからと言って、わたしの手にサンプルをよこした。


わたしは、乳製品をとらないことや、定期的に食品を注文するようなことはしないことを、できるだけ穏やかに伝えた。

その人は、呆れたように言った。

無料なんだから、と。


だからこそ受け取れないと、わたしはサンプルの袋を差し出す手を下げなかった。


その人は、呆れを通り越して、嫌悪感を顕に、

無言でサンプルを取って、行ってしまった。



その日、その出来事が起きるまでは、わたしの心は静かな海のようだった。

それが、めちゃくちゃに荒れてしまった。



セールスマンへの嫌な感情はほとんどなく、むしろ自分の感じやすい心が悲しかった。



わたしは思った。

みんなが、心から好きな仕事をできたらいいのに。

苦労はあっても、心は晴れやかであるような。



あんなに苦労して営業をしても、その乳製品の会社に対するわたしのイメージは最悪になってしまった。

もちろん、わたしのような客は、少ないのだろうけど。


あのセールスマンが、もし、会社や製品、仕事に誇りを持っていたとしたら、あんな態度にはならなかったのではないか。

もっとゆとりある対応ができただろう。

大切なものを損なってしまったことに、気づいていただろうか。




わたしの心の海は、しばらく嵐のようになっていた。


が、やがて、落ち着いてきた。


あのようなことが起きないように、工夫すべきだったと気づいたから。

そうしなかったわたしの非だ。

あの人は悪くない。


それがわかり、静かな海が戻ってきた。



プレートを作る。

ちょっと可愛らしいデザインで。


そして、こんな風に書こう。


“セールスや勧誘はお受けいたしません。ご理解ください。こちらまでご足労くださってありがとうございました。”

かなしみの向こう

2018年07月30日 | Weblog
いつも見る夢があった。

とてもかなしい夢。

胸が痛くなるような夢。

それは、わたしの人生に本当に起きた出来事。



あの、心が壊れるようなかなしみを、わたしは、本当には乗り越えていないのではないか・・

ただ時が流れたというだけで・・。


あの痛みをなぞるように、あの深いかなしみを呼び覚ますように、幾度も幾度も夢にあらわれる。

もう遠い昔のことなのに。



夢は、かなしみの場面を繰り返すばかりで終わる。

その先はない。


あともう少し・・、あともう少しで、違った展開になるかもしれない・・

そうなることなく、必ず終わる。



過ぎたこと、夢でしかなくても、

目覚めた朝から、立ち直りの努力をしなくてはならない。

その夢ごとに、その朝ごとに。


でも、通いなれた道だから、その痛みも道のりも、懐かしい友だちだった。




今朝のこと。

いつもの夢は、違う道を行った。

かなしみで終わるはずの夢が、その先へ行った。



違う道の先にあったのは、大きな安堵のような幸福。



うれしくて、うれしくて、わたしは泣いていた。

遠く懐かしい人を、しっかりと抱きしめて、

声をあげて泣いた。




自分の声で目が覚め、時空がわからなくなった。


わたしは、自分の声で、夢を胸に刻み、同時に、その夢を破ってしまった。

もう、かなしいあの夢を見ることは、ないかもしれない。


わたしは、古びた痛みの向こう側に、行ってしまったのか。




夢の終わりには、静かな夏の朝が残された。


まだ白い空は、まっしぐらに、青へと走り出していた。

ひかり

2018年07月28日 | Weblog
忘れな草色の空を見ていた。

ついさっきまで輝いていたサーモン色の雲は色を失い、

なにもない無垢な一瞬を経て、

空は、見る者の心が付いていけない速さで、深い藍へと移っていく。



讃美歌を聴いていたい。

この頃、そんな気持ちになることが増えた。

この世界にはたくさんの音楽がある。

たくさんの楽器があり音色がある。


ごく限られたものしか聴いてこなかったが、

それは、わたしの聴覚に堪えられるものが少なかったことが大きい。



静かに奏でられるピアノや竪琴

鳥や木の葉や水の音


そんなものしか聴かないわたしが、いま唯一聴く歌、人の声が、讃美歌だった。




讃美歌との出会いは、高校三年の音楽の授業だった。

ミュージカル映画『サウンドオブミュージック』を、先生は小間切れに数回に分けて見せてくれた。


内容も歌も素晴らしかったが、わたしの心をナイアガラの滝のように打ちのめしたのは、讃美歌だった。


修道院に響く、荘厳で神聖で繊細な声。

その響き、その声の行き先は、この世界で最も美しく善良な場所であると感じた。



それは、信仰心や宗教的な憧れのようなものとは少し違っていたと思う。

最も美しいであろう世界を、そのまま音にしたような歌があることに、驚いたことと、

「あなたは何を目指して歩いていくのですか」

そう問われた気がしたのだ。


修道女たちは、目指すものを明確に掲げ、静かに真っ直ぐに歩んでいた。

美しいと思った。




マザーテレサの伝記を読み、カルカッタに飛んでいきたくなったのも、この頃だった。

マザーが行っていることも素晴らしかったが、何より惹かれたのは、

「最も美しい場所」に近づいていく、明確な道に見えたことだった。


家族の反対に、その道は閉ざされたが、

父の言葉が胸に刺さり、やがてそれが灯台になった。

「困っている人は日本にも近所にもいる」




やがて、わたしは知るようになる。

最も美しい場所は、どこか遠い高みにあるのではなく、自分の心の中に育むものだと、

どこで何をしていても、美しい場所を指して生きることができると、

長い時間と痛みを経て、やっと、知るようになる。   




空が藍に変わっても、蜩は鳴き続けている。


意識しなければ聴こえなくなるようなその歌は、讃美歌とまじりあい、やさしい手のひらとなって、わたしをいざなう。


美しい音の舞いのなかで、小さな光が見えた。


混沌とした、喧騒のようなこの世界のただ中にこそ、最も美しい場所、最も美しい思いを、拓くこと・・


それは、わたしの灯台。


それは、あの日に父がくれた、思いだった。

矢車草

2018年07月26日 | Weblog
「矢車草、わたしの大好きな花」

その人は、遠い何かを懐かしむように言った。


もう、20年も前の夏に聞いた言葉が、この花の季節ごとに、よみがえる。



「あの、青い青い矢車草が好きでね、

あなたのご実家の庭にあるでしょう?

時々、通ることがあって、その度に、眺めていたの。」



それは、わたしの亡き祖母が育てていた花で、

今はもう、木々や野花の中に埋まっている。



実家を離れ、暮らすわたしは、小さな小さな庭に、種を蒔こうと思った。

整然とした庭も素敵だけれど、野草や野花の居場所もあるような、庭と呼ぶには野原に近い、そんな風にしたかった。


夏野菜をほんの少し、

それから、野花をほんの少し。

それだけでいいと思った。



花と野菜の苗が楽しげに並ぶ園芸店を、半ば途方に暮れながら歩いていたら、

どこにでもあるような、花の種の棚が目に入った。

袋入りの、花の種。



わたしの目は、ひとつの袋に止まった。


ああ、これだ。

これがいい。

この種を蒔こう。

この種を蒔きたかった。


「矢車草」

そう書かれた袋を手に取り、駆け出すような足取りでレジへ向かった。




種蒔きからしばらく経ち、美しい花が開いた。

白と、紫がかった青と、淡く気品あるピンクの花。

少女の頃の夢そのもののような、小さなドレスが何枚も広がるような花に、時を忘れて見とれた。

その花の中に、娘だったわたしの全てがあるように感じた。




矢車草が好きだと言った人は、わたしの初めての恋人のお母さまだった。


恋が壊れてしまった後も、

「わたしはずっとあなたの友だちよ」

と、時々、お手紙をくださった。


隣町に住んでいたから、お母さまがわたしの実家のそばを通ることもあり、

庭の矢車草を、いつも見ていたという。


なぜ、わたしに、矢車草の話をしたのだろう・・


お母さまの親切や想いを、どう受けたらよいのかわからぬまま、わたしは実家を離れ、進学し、就職をした。


懐かしく、お会いしたかったし、お話ししたいこともたくさんあった。


二度ほど、実際に会ったこともあった。

挨拶だけの、短い時間だけ。


でも、それが精一杯だった。

わたしが、とても長いこと、壊れてしまった恋を、忘れられずにいたから。



風のたよりに、彼が結婚をしたと聞いたのは、こんな夏の日だった。

宵の空が薄紫に染まり、蜩がいつまでもいつまでも鳴いていた。


わたしは、ずっと動けずにいた後、夜空に向かい、心のなかで、お母さまにお別れと感謝を告げた。



ずいぶん時が流れ、いま、わたしは母を生きている。

楽しい夫と、可愛い息子が、そばにいる。


あのお母さまがお元気かどうか、もう、わからない。



それでも、

矢車草、わたしの大好きな花。

飛翔

2018年07月24日 | Weblog
そのセミのサナギは、郵便局の塀のコンクリートブロックに飛翔の場を定めていた。

やがて脱け殻となるその体から、セミが抜け出そうとしている。



あんなに小さな脱け殻から、普通のサイズの、もう立派なセミが出てくる。


どうやって入っていたの?というくらい、殻は小さく、セミは大きい。

脱け出しながら大きく膨らんでいくようにしか見えない。

そうでないとしたら、この作業は、大きな痛みを伴うのではないかしら・・

それくらい、大変な大変なことに見える。



初めに出てきたセミの頭には、小さなビーズのような目。

念願の脱出だというのに、その目はまだ輝いていないし、何かを見ている風でもない。

生まれでる痛みに耐えている、そんな目。


あとどれくらい時間をかけたら脱出できるのか、わからないくらいゆっくり、セミは頑張っていた。

虫たちは、あまり得意でないが、そのセミは美しかった。

美しくて尊くて、胸が痛くなった。



塀を離れながら、わたしは、わたしの何があんなに懸命だろうかと、考えた。


いくつかの答えがよぎるうち、ひとつの、とても大切な想いが、しずかにわたしの心に留まった。


そこには、息子の姿があった。

笑い、泣き、悩み、怒り、一生懸命に生きる息子の姿があった。


(一見、)あれほどの痛みを伴いながらも生まれようとするセミに匹敵するものが、わたしにもあるとしたら、

それは、息子の母を生きること、

その痛みと大きなよろこび以外、ないと思った。


そのひとつがあるだけで、わたしの生涯は、素晴らしい。

そう、わかった。




明日、その塀を訪ねても、そこには脱け殻が、かろうじて付いているか、どこかに落ちてしまったか。


そして、来週の今ごろには、飛翔したあのセミは、その生涯を終える。

全てが、堂々たる道

2018年07月20日 | Weblog
「息子が、ものすごく苦しみながら学校に行っていて・・

私は、どうしてあげたらいいのか、全然わからなくて・・

苦しい時は休んでいいんだから、と、休ませてあげるようにしているんですが、

ますます勉強がわからなくなっていって・・

苦しそうで、苦しそうで・・


もう、なにがよくて、なにがいけないのか、わからなくなりました

どうしたらいいのかわからないまま、ずっとそんな感じで・・」



あるお母さんが、涙をにじませながら、話してくださいました。

息子さんは、中学一年生。

小学生の頃から、ずっと頑張ってきた子どもさんです。



お話しをききながら、わたしが思っていたことは、こういうことでした。



息子さん、偉かったね、こんなに長い間、踏ん張ってきて

お母さんも、偉かったね、こんなに長い間、一緒に悩み続けてきて


わたしはそのことを、ささやかでも優しい花束を差し上げるような気持ちで、労りたいのです



正しいことも、間違っていることも、本当は、ないように思います

息子さんとお母さんが、たくさんたくさん悩んで考えて、歩いてきた一歩一歩に、どうして間違いなんてあるでしょう

全てが、堂々たる道です

その道を歩く意義があったのです


いつか、ずっと先に、振り返って眺めてみたら、

たくさん曲がりくねった、でも立派な一本道が、見えるでしょう

息子さんとお母さんの、いとおしいような道が



わたしも、まさに、息子と一緒に、不思議な道を歩いているところです

その一歩一歩は、わからなくて、自信がなくて、こわいような時もあるのですが、

そう思いながらも、どこかで、この道とこの日々を、いとおしんでいる私がいます


そして、このお母さんに会えたことも、不思議な道を進んできたお陰だと、うれしく思っているのです