ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

やわらかな時間

2020年06月01日 | Weblog
大丈夫

同じ話を何回しても


そのたびに

初めてのように聴くから


大丈夫

何かを忘れても


そのたびに

一緒に探そうね


大丈夫

心配や不満を話しても


その分だけ

心が楽になれるなら



頑張り屋のあなたにも

やわらかに

老いがやってきた


さみしさと同時に

あなたが

ひとつ向こうの領域に進んだのだと

尊く思う



あなたにお世話になってきた

わたしだから

あなたの老いを

このやわらかな時間を

一緒に過ごさせてください


あなたの戸惑いや不安に

慌てずにそばに居て

あなたの喜びや安心を

一緒に探していく

それだけのことを

ちいさな恩返しとして

かなしみのある道

2020年05月22日 | Weblog
かなしみを通して

あなたに会った


かなしみの向こうに

あなたがいた


かなしみを経たから

あなたとわかり合えた


もし

時を戻して

かなしみのある道と

かなしみのない道を

選ぶことができたら


あなたのいる道を

かなしみのあるこの道を

わたしはやはり

選ぶのだろうから


わたしの人生は

これでよかった


大成功なのだ

存在

2020年05月22日 | Weblog
夜中に目をさまし

思ったこと


昼を動かし

夜を動かし

今も休まず「時」を動かしている

そんな存在が確かにいる


闇を広げ

星を散りばめ

生き物たちを休ませて


(時を数えて)

朝をもたらし

鳥に歌を

花には色を与え

全ての生き物に新しい一日を贈る


ひとつひとつが

正確そのもの

奇跡そのもの


わたしにも

休める夜が来て

新しい朝が来て

うれしい



休むことのないその存在に

何のお礼もできないほど

小さい自分だから


だから

祈りたくなるのかな


感謝や願いを

送り届けてくれるのは

祈りだけ

その日のために

2020年04月14日 | Weblog
今日を生きよう

今日できることを

大切にしながら


かならず平穏は戻る


その時には

世界が変わってしまっているかもしれないけど


お日さまがのぼり

お月さまがのぼり

雨がそそいで風が流れることは同じ


大地も変わらずそこにあって

春にはきっと同じ花が開く



その日が来たら


“大変だったよね

でも

生きてきたね”


そういって

肩を抱いて

よろこび合おうね

生きているから

2020年04月10日 | Weblog
困難は

静けさをもたらし

そのなかで

ひとは何かを見つめる


ようやく上げた顔には

朝焼けが映り

それはもう

以前を遥かに越える美しさ


お日さまがのぼると

世界中に色が生まれ

そのひとつひとつが

心に染み入る



今日

わたしは生きている


それは

わたしの力ではなく

見えない何かに依るもの


昨日

亡くなってしまった人がいる


それもまた

見えない何かに依るもの


明日

わたしがここにいるのかも

あの人がそこにいるのかも

決してわからないだろう



それならば

野の花たちのように

ひたすらに生きたい


心からの願いを

自分のいのちの役割を

いちにちぶん

叶えられるように



今日

生きているから

春の野に

2020年03月16日 | Weblog
うららかな春の日に

小道をあるく


たどり着いたのは

小さな青い花が咲く野原


その青を吸い込むように

深呼吸をしたら


手放せずにいた想いが

蝶のように羽ばたいて行き

空(そら)となった


取り立てて何もない

そんなわたしにも

木洩れ日が降り注ぎ


こんな光こそ

大切な人たちに差し上げたい

そう思ったら


この世界をつくった

大きな大きな存在が

大空いっぱいに

微笑んだ

いちにち

2020年01月13日 | Weblog
どんなに大きなことを含んでいても

いちにちは いつも

おなじ静けさのうちに閉じる


あたらしい一日には 

よろこびもあろう

悲しみもあろう


いま どこかで

笑っている人がいて

泣いている人がいるように



どうか わたしが

天からの雪を

手のひらに受けとるような心で

あたらしい一日を

生きていけますよう


やがては消えながら

ひんやりと甘いにおいだけを残す

この世界の出来事のすべてを

希望

2019年12月24日 | Weblog
自然はいつも希望


上へ上へ

光へ光へ


それだから

自然のいのちを

わたしの身体に

わたしの心に


不安な日にも

泣きたい日にも


自然のいのちを

おしいただいて

わたしのなかへ

草が枯れるのは

2019年12月23日 | Weblog
“草が枯れるのは

大地に別れたのではなく

めぐる季節に やさしかっただけ

つぎの季節と むすばれただけ”


『ソナチネの木』岸田衿子 より




いのちの秘密を言い当てたような

すてきな言葉


老いや病も

おなじかもしれない


いのちのふるさとに

それぞれに近づいた

やさしさや休息に

向かう姿

向こうの世界

2019年12月22日 | Weblog
“あなたの街で

道に白いチョークで描かれた

白いドアを見つければいいのです。

そしたら、

その白いドアを開けて

その向こうの世界へ

入ってゆけばいいのです。”


『風にのってきたメアリーポピンズ』より



あの初夏の日から

わたしの視界にはいつも

小さな模様が映る


それはまるで

いくらか苦手に感じているこの世界に

優しい縁取りを添えるよう


少女の頃

いくつも見つけた

“向こうの世界の入り口”は

いまもなお身近で


ただ

開けようとしてみないだけ


わたしに与えられた縁取りは

わたしだけに見える

秘密のしるし

詩はあなた

2019年12月01日 | Weblog
絵本『エミリー』より

女の子と詩人の

素敵な会話をひとつ。




「それ、詩なの?」

「いいえ、詩はあなた。

これは、

詩になろうとしているだけ。」



「わたし、

春をもってきてあげたの。


(ポケットからユリの球根をふたつ)


これを植えると、

ユリの花になるのよ。」


「すてきだこと。

それでは、わたくしも

なにかさしあげなくては。


(紙になにか書いて、女の子にわたす)


さあ、これをしまっておいて。

わたくしも

あなたからいただいたものを、

かくしておきますから。

りょうほうとも、

そのうちきっと

花ひらくでしょう。」





紙には

こんな詩が書かれていました



“地上で

天国を見つけられなければ

天上でも見つけられないでしょう

どこへ移り住んだとしても

天使はいつも

となりに家を借りるのだから”


(訳は、本文のものを、わたしがアレンジしました)

美しい問い

2019年11月25日 | Weblog
ねぇ おばちゃん

サンタさんて、何歳まで来てくれるの?


うん

友だちにもきいたけど

いろいろみたい


あたしはね

ずっと来てほしいと

思ってるんだけど…



えっ

お兄ちゃんのとこには

まだ来てくれてるの?


(指を折り、何やら数える)



よかったぁ


よかったぁ

あたらしい人生を

2019年11月22日 | Weblog
話すことも笑うことも

もうできないかと思う日々を越え


いま

療養の部屋を後にして

暮らし、というものを

なぞり始めています



春に倒れてから

しばらく考え

自然療法を基盤にしていこうと決めました


ですが、それは

医師の診察や治療を柱に据えた上で

家庭でできる精一杯の手当てや食養を、自分でしていこう

というものです


体に異変が起きた時に

実際に何が起きているのか、

緊急時なのか、そうでないのか

見極めることができるのは医師だけです


医師の判断に基づいて治療を受けながら

薬品だけに頼るのでなく

自分の体を自分で変えていく努力を続けました



自然療法は

穏やかながら、驚異的でした


大自然の力は

症状と戦うことなく

症状をとても上手に宥め、折り合い、

まるで対話を重ねているよう


西洋医学の薬でさえ

野草等の働きかけに沿い

役割を終えると

私の体から去ってしまうようでした



けれどもそれは

こちらが心を十分に開いていなくては

受け取れない力


頑なになったり

意固地になっていては効かないし

生き方を変えるんだという位の決意と信念なしには

本当の力が入ってこないのでした



私はまだ治療の途中で

手当てや食養は長く長く続き

再発や悪化のリスクとはずっと一緒です


それでも

大自然との大きな命の繋がりを

全身で感じているから

怖くないし

感謝と希望の毎日です



わたしは

あたらしい人生を

いただいたのですね



まだ見える、そんな今

一番嬉しいのは

ささやかな親孝行ができること



一回でも皿洗いをすれば

一回だけ母が休める


一回でも洗濯ものを干せば

一回だけ母が休める


それが嬉しくて

嬉しくて




“限られた時間を大切につかいなさい”


病からの

大自然からの

大きな大きな

贈り物

いのちの暦

2019年09月19日 | Weblog
梅雨のころ

一輪のドクダミが

わたしの宇宙


小さな草花のなかに

真理があって

完全で


古木のそばにいるような

畏れに満たされた



盛夏のころ

ひと束のスギナが

わたしの安らぎ


深い薫りに包まれて

原始の森にいざなわれ


永遠の木陰で

いつまでも眠った



晩夏のころ

一枚のびわ葉が

わたしの希望


葉っぱからやって来る

強い力を受け取りながら


再び自由に歩ける日々を

心に描いた



初秋に入り

生きるすべてが

わたしの祈り


ありがとうを届けたい


あの一輪のドクダミに

スギナに

びわ葉に

たくさんの人々に



その道は

日常の行為のなかにこそ

あるのだとわかったから


晴れやかに

泣くような気持ちで

きょうを生きる

2019年09月02日 | Weblog
ある日

外があまりに静かなので

そっと窓を開けたら

秋が舞い込んできた


黄金に輝く稲穂

紺碧の空

燃え立つケイトウ


秋は

秋は

こんなに鮮やかだったかしら



大地に生い立ち

金色の唄をうたえなくても


紺いろの空を越え

銀河を渡れなくても


コスモスやケイトウのような

鮮やかな色を出せなくても


こうして窓を開けば

ちっぽけなわたしのまんまで

秋の一部