ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

ぼくが“いいなあ”って思うのは*日々のつれづれ*

2015年03月31日 | Weblog

ジャムの瓶が、とても素敵なデザインだったので、空き瓶になるのを待って、桜の塩漬けを作りました。


それを見ていた息子が、言いました。


「この次のジャムの瓶が空いたら、ぼくにちょうだい?」




もちろん、あなたにあげるわね。

どんな風に使うの?





「水の世界を作りたいの。

小石とか、小さな植物を入れて、

小さな世界を作ってみたいんだ。」





それは素敵ね。

すぐに入り用なら、お店で瓶だけ買えるから、用意しようか?






「ううん、ちがうの。

そういうことじゃないんだ。

ぼくが“いいなあ”って思うのは、

空いた瓶をもう一度何かに使うっていう、

そのことなんだ。」







・・・ああ、

そうね、

そうね。

ほんとうに、そうね。








きらきらと瞳を輝かせて、新しい役割を得た瓶を見つめる息子。




とても素晴らしいことを、教えてくれました。

















お山の学校 (4)

2015年03月29日 | Weblog

やわらかな、春の雨のなか、

小さな男の子と、お母さんと、桜の花を摘みました。

塩漬けにして、お茶やお菓子にするように。






雨は、やわらかく、潤いに満ち、森のみんなは嬉しそうでした。


桜の木も、気持ちよく雨を受け、

花は、よろこびのため息のように、

ひとつ、またひとつ、咲いているのでした。







男の子も、摘みたくて、背伸びをしています。



桜の枝を、届くところまで下ろすと、男の子は、おそるおそる、花を摘みました。

その、おそるおそる、を見て、わたしは、とても大切なことを思い出しました。








摘み取る前に、桜にお願いをすることを、忘れていたのです。



お花をいただいてもいいですか、

春が過ぎても、お茶やお菓子として、あなたを感じたいから。


その時、わたしや、大切な人たちの一部になってください。

わたしたちも、あなたの命を、生きていきます。





そんな風に、前もって、お願いをするはずでした。(もちろん、心のなかで。)


でも、帰りが遅くなってしまった男の子たちにと、慌てての、お花摘み。


ほんとうに、うっかりしてしまいました。







心のなかで詫びながら、改めてお願いをしながら、わたしは、感じ取っていました。


わたしが、
“男の子たちのために花を摘みましょう”
そう思った瞬間に、桜はそのことを察知していたようだ、と。


そして、その男の子やお母さんが、いつも遊びに来てくれる人たちであること、この野山を愛してくれている人たちであることも、感じたのだろう、と。


その段階を、とても素早く経て、桜は、受け入れてくれたのだろう、と。





男の子の小さな手のひらに、大切そうに包まれている花を見て、わたしは確かに、そう感じたのです。










とても素敵な笑顔で帰っていく二人を見送った後、わたしは、

人を取り巻く、この大きく豊かな、計り知れない存在に、畏敬の念を新たにしていました。



そして、わたしに大切なことを教えてくれた男の子、

ありがとうね。










二冊目の詩集に向けて*日々のつれづれ*

2015年03月27日 | Weblog

はじめての詩集『いのちへ』を上梓してから、たくさんの素晴らしい出逢いがありました。


みなさんが下さった、たくさんの想いが、いくつもの詩になっていきました。




柔らかな花びらを、一枚一枚、そっと水面に浮かべるように、

大切な詩を、世界へと、静かに送り出したいと思います。







みなさんに、よいご報告ができますように・・・。


待っていてくださいね。













お山の学校 (3)

2015年03月25日 | Weblog

年少さんの男の子が、ピンク色の紙 を、( A4サイズの裏紙ですが、) ゆるめに、くるくると巻きました。


「セロテープ付けて。」

きれいな目が、わたしを見上げます。


そうっとセロテープを止め、男の子に手渡すと、男の子は、満足そうな笑顔で言いました。

「大根が、できた。」






まあ!

大根だったのね!


なんて素敵な大根でしょう。



それで、ゆるく、太くなるように、巻いていたのね。

慎重に、慎重にね。





嬉しくて嬉しくて、男の子は、お母さんに見せに行きます。

そして、大根を車に乗せるよう、お母さんにお願いをします。

ちゃんと持って帰れるようにね。





男の子は、わたしのところに走ってきます。

そしてまた、ピンク色の紙を、くるくる、ゆるめに、巻いていきます。


「ここに、セロテープ。」


そして、大根が、もう一本。



お母さんに見せに行って、車に乗せてもらって、また、こちらに走ってきて。


そんな風にして、素晴らしい大根が、四本、できました。






次に、男の子は、いっそうゆるく、太くなるように、紙を巻きました。

慎重に、慎重に。




太めの大根かな、と思いながら、セロテープを付けて渡すと、男の子は、にっこりして、言いました。

「カブが、できた。」







まあ、カブだったのね!




「カブができたよー。」

お母さんのところへ、走っていきます。








あんまり素晴らしくて、わたしは、ため息をつきました。





自由。

ほんとうに、自由。

柔らかで、限りがない。






おさなごは、創造の天才。


そばにいると、わたしは、自分が無意識に築いてきた、たくさんの壁 (思い込みや観念) の存在に気づくことができます。


そして、一緒に遊ぶうちに、おさなごは、そんな壁を、いとも簡単に片付けてくれます。


だから、わたしも、自由になれる。


限りある、と思っていたものが、限りないものに、感じられてくる。




子どもたちの素晴らしさに、目を見張る日々です。



*****************







あれから、二回、お山の学校が展開されました。


そのうちの、ほんのひとときのことを、書いてみました。




その他にも、

9才の男の子とそのお父さんが、69才のおじいさんに、竹細工を学び、刃物の使い方を学び、

おじいさんのお話し(わたしたちは、これから、どう生きるのか。)を、お父さんが一生懸命に聴いていたり、

お母さん同士、理想の暮らし方について(より自然に、より野性的に生きたいね、と。)おしゃべりしていたり、

もう一人の9才の男の子は、自由に森を歩いていたり、考え事をしていたり、よく飛ぶ紙飛行機をお母さんたちに教えていたり、

お母さんの手作り、桜の花のケーキを、みんなで頬張ったり、

小さな男の子は、折り紙での創造を楽しんだり、食べられる野草を摘んだり。





帰りには、みんなの顔が、にこにこ、ぴかぴかして、

そして、みんなが師匠で、みんなが弟子で、仲間になっていました。






おじいさんの自然農法の畑に、みんなで遊びに行く計画も生まれ、

学び合いの輪は、広がっていきそうです。






大人も、子どもも、学びあう。

教えたり、教えてもらったり、共に考えたり。

みんなが必要とされ、みんなが唯一の大切な存在だと感じあえる。

そこにいると、嬉しくなって、元気になれる。

これまでの自分をゆるし、少しずつ、少しずつ、受け入れることができる。


未来が、より素敵なものに感じられ、

そして、自分らしく生きていく力が、湧いてくるような・・・。



うんと欲張りですが、そんな、
わたしの夢の学びの場が、息子のためにつくりたいと、心いっぱいに願っていた場所が、

こんなに自然に、こんなに優しく、始まりました。







まだ、ほんの始まりで、

これから、必要な時間をかけて、ほんとうの姿をかたどっていくようになると思いますが、


わたしの夢を体現してくれた、お母さんと、お父さんと、お兄ちゃんと、小さな男の子と、

おじいさんと、

揺らぐことなく自分を生きる息子と、

同じ光を目指して走り続ける主人に、

伝えたい。






生まれてきてくれて、ありがとう。


出逢ってくれて、ありがとう。



教え、導いてくれて、ありがとう。









わたしの道を、歩いていくね。


心のこえを、聴きながら。


この道の先で、わたしを待っているものが、あるように感じるから。


















素晴らしい一日*日々のつれづれ*

2015年03月20日 | Weblog

昨日は、素晴らしい一日でした。







それは、



朝が来て、

空が美しく明けていって、

鳥の囀りがきこえ、

柔らかな野草が嬉しそうに大地に顔を出し、


わたしが生きていて、

心の声を聴くことができ、

食べるものがあって、

ちょうどよい衣類があって、


雨降りを眺める窓辺があって、

わたしを必要としてくれる人がいて(家にも地域にも)、

心いっぱいに会いたい人がいて、



夜になれば、

温かく眠れる場所があって、

読みたい本があって、

美しく楽しい夢を描き、

雲の上に、月と星々が輝いていると感じられる。






ほんとうに、素晴らしい一日でした。












矜持 *日々のつれづれ*

2015年03月18日 | Weblog

矜持 (きょうじ)


国語辞典(角川)によれば、「自分の能力をすぐれたものと確信して、ほこること。プライド。」とあります。




凛とした姿。


「プライド」も素敵ですが、「矜持」とくれば、姿勢を正したくなるような厳粛な響きがあります。


わたしは、このような有り様には程遠いのですが、心のどこかで、憧れているようです。





ええ、

そう、

歳を重ねたら・・・。


おばあちゃんになりたて くらいの頃には、

わたしも、矜持ある人になっていたいと、思うのです。








人のよいところや素晴らしいところを讚美するのと同じように、

自分の善いところや積み上げてきたものも、大好きになってあげたいですね。






“これがわたし。”


そんな風に、胸を張れる人は、自分の善いところだけでなく、弱さも、限界も、受け入れることができる人なのかもしれません。


そして、自分を受け入れることができる人こそ、他者のことも、変えようとすることなく、ありのまま、受け入れることができるのでしょう。




その上で、胸を張るなら、

その人はきっと、穏やかで、清々しい佇まいでしょう。










わたしは、

すれ違った人が、ふと振り返るような、(もちろん、外見ではなく、精神的な何かによって)

出逢ってくれた人が、晴れやかな気持ちになるような、

そんな人に、なりたい。


きっと、なりましょう。











・・・想像していたら、顔が赤くなってきたので、

今日はもう、おやすみなさい。















『かぜは どこへいくの』*わたしの本棚*

2015年03月17日 | Weblog

大好きな絵本があります。

大好きな絵本が、たくさんあります。




そのうちの、ひとつ。



シャーロット・ゾロトウ 作
ハワード・ノッツ 絵
松岡享子 訳

『かぜは どこへいくの』







挿し絵は、白と黒の、やさしいスケッチ画。

たいへん静かで、穏やかな絵本です。





とても満ち足りた、素敵な一日を過ごした、小さな男の子は、暮れていく空を眺めながら、昼間が終わるのは残念だな、と思いました。



そこへ、お母さんがやってきました。


男の子は、聞いてみます。

“どうして、ひるは おしまいになって

しまうの?”





こんな時、どう答えてあげたら、いいでしょう。







男の子のお母さんは、とても素敵です。

こんな風に、答えるのです。



“よるが、はじめられるようによ。”




“ほら、みてごらん、

あれが、よるの はじまりよ。

お月さまや、おほしさまがでて、

くらく しずかになって、

おまえが たのしいゆめをみて

ねむれるようにね。”






ああ、こんな風に答えられるお母さんて、素晴らしいですね。


小さな男の子の胸には、安らかな希望が、広がっていったことでしょう。





けれど、知りたいこと、不思議なことでいっぱいの男の子は、さらにお母さんに聞いてみます。


“だけど、ひるがおしまいになったら、

お日さまは、どこへいっちゃうの?”



お母さんは、答えます。


“ひるは おしまいにはならないわ。

べつのところで またはじまるの。

そしてお日さまは、そこをてらすのよ。”





嬉しくなった男の子は、ベッドにもぐりながら、質問を続けます。


質問に対する、お母さんの答えの、素敵なこと。

素敵なこと。






小さな男の子の心配を、穏やかな希望が包み込みます。








最後に、男の子は、言うのです。


“おしまいになっちゃうものは、

なんにも ないんだね。”




空には、新しく生まれた細い月が、かかっています。







最後にまた、お母さんは、素敵な言葉を男の子にかけます。




“あした あさがきたら、お月さまは

どこか とおいところへ いって、

そこでは よるがはじまるし、

お日さまは ここへきて、

あたらしい一日を はじめるのよ。”







男の子は、どんなに嬉しい、輝かしい気持ちで、眠りに入っていったことでしょう。









小さなお子さんのために。


素敵なお父さんお母さんでありたい人のために。


眠れない人のために。




優しい希望で包んでくれる、この本を。




















お山の学校 (2)

2015年03月10日 | Weblog

大自然て、子どもって、素敵だなあ、と、しみじみ思った日の、翌日のことです。



竹に魅了されたお兄ちゃんが、またどうしても竹が欲しいと、翌日も来てくれました。

何か、作りたいものがあるようです。





息子は、部屋のドアに、このような貼り紙をしました。


『空とぶ けんきゅうじょ』


より遠くへ飛ぶ紙飛行機や、より長く回転しながら飛ぶ紙飛行機の、研究を始めたようです。

いくつもいくつも作るうちに、法則のようなものが見えてきます。

揚力、推力、重力、というものが、飛ぶもの、飛ばすものにかかってくることにも、気がついたようです。



いつかは、自分が空を飛びたいというのが、彼の夢。

紙飛行機が、その夢へと、息子を運んでくれるように思えました。








その日の夜、お兄ちゃんのお母さんから、メールをいただきました。


お兄ちゃんは、帰宅してすぐに、竹で工作を開始。

双眼鏡、魚釣りのしかけ、鉄砲など、次々と作っていったそうです。


その集中力と、夢中な姿に、お母さんはびっくり。

次に来たときに、その作品たちを見せてもらう約束をしました。



それから、お母さんと、子どもたちも一緒に、野草料理を作りましょう。

春の野草(薬草)が、一斉に、芽吹いてきたから。







とても小さな、お山の学校。


月に二回くらい・・・

いいえ、毎週末くらい、開いていきたいなあ。






わたしたちが新潟を離れるまで、あと少しなのですが、もう一回でも二回でも、開きたいと思っています。















出逢い、降り注いで *日々のつれづれ*

2015年03月09日 | Weblog

愛するこの土地を離れる日が、ゆっくりゆっくり、近づいてきています。


ところが、ここへ来て、とても素敵な出逢いが、降るように、もたらされています。





ここに暮らして、本当によかった。

幾度も、思いを新たにします。






急激に舞い降りた、これらの素敵な出逢いを、わたしは、どう捉えたらいいでしょう。





離れ難さが、増していくけど・・・、

でも、そうではない、と、今日、わかりました。




素敵な出逢いは、わたしを祝福するものでした。




ひとつひとつの出逢いが、わたしの道を示してくれているから。


わたしの夢がどこにあるか、わたしの幸せがどこにあるか、明確になってきました。









進んでいこう、わたしの道を。

そうすることで、出逢えた素敵なみなさんに、いつか、何かを返せるような気がします。







大好きな、大切な人たちとの繋がりは、時間も空間も超えたもの。


会えないほど近くなる、

そういうことも、あるのですよね。







しばらく会うことができずにいる、あの人も、あの人も、

とても近くに感じています。



心温もる、この気持ちが、届いているといいな・・・。













お山の学校

2015年03月08日 | Weblog

ホームスクールをしている息子のところへ、友だち一家が遊びに来てくれました。

息子と同い年のお兄ちゃんと、幼稚園の弟さん。

男の子三人。

さあ、どんなことになるかしら。






はじめはちょっと恥ずかしそうだった男の子たち。

でも、そこに森があるから、すぐに仲良し。

折れた竹を引きずってきて、夢中でノコギリを使うお兄ちゃん。
等間隔に、いつくも切り出していきます。

隣で木工に専念する息子。(巨大なろうそく立てを制作中)

裏山を探検するお母さん。
フキノトウを手に、笑顔で戻ってきました。さすが!




一段落すると、紙飛行機作りに夢中になる一同。

外で飛ばしてみよう!

小さな弟さんも張り切っています。




紙飛行機は、折り方ひとつで、様々な飛びかたをします。

翼の長さ、折り目の角度。

改良を加えていきます。

母たちも、夢中。




長く真っ直ぐな飛行機は、より遠くへ。

短く、翼に折り目を入れると、回転しながら長い時間飛びました。


“ただ飛ばすんじゃなくて、思いをこめて飛ばすんだよ。”
息子が、ちょっと得意そうに言っています。




高いところから飛ばしたくなったお兄ちゃんは、木にのぼります。

息子とおちびちゃんは、横たわっている木の上に。







それから、葉のついた竹の枝で母たちをお祓いする息子。

より大きな枝を引きずってきて、母たちをお祓いするお兄ちゃん。

おちびちゃんも、小さな枝でお祓いを。

そして、三人で、お祓いのし合いを。




何が面白いのか、笑いが止まらない子どもたち。

徹底的に清められた母たち。

おちびちゃんは、お祓いが面白くて、長いこと続けていました。






やがて母たちは、薬草集め。

お茶に、そして夕飯に。

森には、山には、なんでもある。






みんな、日がくれるまで、思い思いに過ごしました。









森があって、そこに子どもたちが集まれば、そこは、ワクワクの溢れた素敵な学校。

それぞれの心が欲するものを、森は与えてくれる。

小さな子どもにも、少年たちにも、大人たちにも。



ホームスクールも大好きだけど、こんな、お山の学校、時々開きたいなあ・・・。

わたしの友だち一家がくれた、夢です。







さあ、さようならの時間です。

離れたところに車を停めて歩いてきたご一家を、見送りに。

せっかくなので、森を抜けて、竹林をくぐる、秘密の道から。



走る、笑う、子どもたち。

疲れて眠いけど走りたい、おちびちゃん。


“今度は竹の箸を作りたい。釣りもしたい。”とお兄ちゃん。

何でもできる、おじいちゃんスタッフさんが居たら理想的ね。






また来てね。

また来てね。


今日はほんとに、ありがとう。