印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

慶喜の日記

2013-11-27 20:35:38 | 季節の花散策

今日の朝日新聞の朝刊文化の欄

徳川慶喜「名誉回復」の裏側とみだしがあって、その記事を朝見つけて、持ってきている人がいた。

ランチの時前の席にいる人で見せてもらった。

慶喜自室の日記。「秘密事情」

文書は慶喜50歳の1886年(明治19)から98(同31)

手紙や文書案を自ら書き写したもの。慶喜の子孫が保管し、存在を公にされなかったが、没後100年を迎え、12月15日まで公開されているものがみれた。

原稿用紙の赤い枠線が付いたものに書かれていた。

幕末に謹慎したのち、父母の地静岡で隠棲していて、97年61歳で東京に移り住む。

片仮名と漢字で、筆で丁寧に書かれている。生活の切迫したようすなども。

カネが乏しくなって、カネがと…

そんな文章の頁が開かれていた。

 明治の歴史に戻った一日でした。


徳川慶喜企画展

2013-11-27 20:28:46 | 日記

大正2(1913)年11月22日、最後の将軍・徳川慶喜(1837年~1913年)は76年の生涯を閉じました。

2013年今年は没後100年になる。戸定歴史館と静岡市美術館は共同で展覧会を行い、歴史と美術の領域から彼の生涯をたどります。企画展が行われている。以前とは展示品ちがってました。

戸定歴史館企画展―没後100年徳川慶喜―

 


戸定邸の使者の間

2013-11-27 19:58:49 | 季節の花散策

花散策クラブで11月の当番の方が本土寺と戸定邸を提案して、そこに20人ばかりで行ってきた。

案内人が色々説明して、ガイドをしてくれる。

最後に使者の間。 こちらは使者が到着した時に呼ばれるまで控えていた使者の間。この部分はずっと行方不明だったそうですが、ある時一般のお宅が改築される時に宮大工をしてらした棟梁がこれはただものではない!と気づいて鑑定した結果、戸定邸の一部と判明、後に寄贈されたものだそうです。

それで解体して運んで、そして組み立てた。前庭に洋館もあったそうで、その跡もある。なのに、無い。明治になって、洋館はNGとなったようだ?全然別の世界のことかもしれない~。話が説明にともなっていない~。灰色。コントロールされている?不明なの?話したいけど、話せない言い方をしていた。

前に行って説明は、普通に合宿などで使用していた。とせつめいしていた。納得するように、具体的に説明していた。。

今回のボランティアガイドさん、知っているけど、話せない。そんなことをいっていた。真実は?大きな謎がありそう。ミステリー。