印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

T12年関東大震災って

2013-11-11 16:38:46 | 日記
そのころ王子に住んでいて、祖父は関東大震災の時、被災地に手助けに行ったそうだ。
その時は王子の町内会長をしていたそうで、

関東大震災ってとても大変なよう。
近所のおばあさんからも聞いたことがある。明治時代の生まれの人だ。
ここ埼玉からも江戸の町の灯りがというより、炎がみえたと。

向島の百花園始まった話だけれど。
寅さんの帝釈天が関東大震災の後大正13年から昭和6年あたりまでに、周りの彫刻がなされたことまで話がつながった。

話しは何が切っ掛けで繋がるかはてがないけれど。
関東大震災はいろんなところから、話は聞くことがある。

ひとはそれを偶然というだろう

2013-11-11 16:20:01 | 日記
この辺の地区のレアな話が感覚として、わかってきた。やさしくて、穏やかで、厳しい歴史が眼に見えてきた。あのころの話というのは、人づてに耳に入れるしかないだろう。

ひとはそれを偶然耳にしたと言うだろう。思い入れがあれば続々となんともっとも知りたかった話が注目して耳に入る。

その当時総会屋がいて、柔道が得意だから、その状況を打ち破らないようにjobをいわれたこと。まったくこころがまえというか、今と違うやりやすいやりかたも、そういう決断もしたのかなと。しっかりとした時代なんだな。


錦糸町界隈の話

2013-11-11 16:03:06 | 日記
公民館の館員さんが初めに問いかけてきた。
川柳の時いつも部屋に何回かきて見かけている人。
「俳句と川柳とどちらが難しいですか?」

答えをすぐに言うのは簡単すぎる
自分なんかの出る幕ではない。
すると間があったけど、
○○さんが、言い始めた。

「俳句の方が難しいでしょう
季語があるから。
川柳は何を言ってもいいたいことを言えるから」

それをきっかけにほんとうに今までにない話が、始まった。
すごいなと思われる。少し前の歴史の話もぞくぞくと上陸してきたようだ。
矢切りの渡しから、千葉の人を案内した話、金町、寅さんの街、色々
百花園の話、錦糸町の話、山谷のドヤ街、走馬灯のように出てくる。

見返り柳

2013-11-11 15:26:17 | 日記
台東区の教育委員会の掲示板がある。
隅田川の近くで、浅草寺の北側にある持乳山聖天から三ノ輪に向かう通りにあるらしい。

俳句の句会でこの大根をお供えする聖天さんは行ったことがある。4年くらいまえ。
そのあたりなのか。ないのであろうか?

◆見返れば意見か柳顔をうち
◆きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな

など多くの川柳の題材となっている。とかかれている。
作者名はかいてないけれど。

きいた川柳と似てはいるけれど。
その方は川柳のベテランの人だけど。でもまあそういう感じでうけとめている。一般の人が生活のなかで臨むものです。という感じがする。

川柳とはいったいどんな地位にあるものだろうか?なぜに作者名がない。
俳句はその時代の芭蕉、その前の西行。そしてもっと前の能因法師
その存在が力を秘めている。

■都をば霞とともに立ちしかど
  秋風ぞ吹く白河の関         後拾遺集 の能因法師

能因法師は平安時代の歌人で、988年生まれで、中古三十六歌仙の一人です。これで白河の関が枕詞でしっかりと生存していく。平安時代でも、こだわったひとが旅すると、メディアがしっかりしていなくても人々の中にそういうものかと根図いていくものか。

見返れば柳の小枝ほほを打つ

2013-11-11 15:12:02 | 日記
昨日大古里公民館の文化祭だった。その川柳のコーナーの部屋当番で午前中~午後行ってきた。
同じ当番にあたっている方。川柳のマイスター。そしてあいする川柳にたくさんの貢献をされている。

現役の時、三ノ輪、吉原 洗足 大門 笹川 錦糸町 山谷のどやがい
その辺の地域が担当だったという。まだ昔の話で東京に支店が少なくて、担当範囲が広かったという。

その辺の話を色々聞く。営業の中で、仕事にかこつけて、いろいろ散策

そして川柳の碑をみつけてノートに書いている。
どういう句ですか?

◆見返れば柳の小枝頬を打つ

三ノ輪から浅草に抜ける通りにあるという。
吉原から大門内の角のところ
そこに川柳が2句飾ってあるという。

メヒカリ

2013-11-11 13:46:12 | 日記
小名浜の魚市場にメヒカリという魚があった。
メヒカリという魚。さて何だろう?聞いたこともない。

ここで育ったNさんがせつめいする。
軟らかくて崩れやすいから、から揚げにするのが一番いいよ。
煮つけはすぐ崩れして、食べられなくなってしまうから。
鹿児島のきびなごや、てんぷらにする『わかさぎ』のようなもの?と聞くとそうだといったけれど。

視た感じ、長さ10cmくらいで、並んでいた。
千葉の人は美味しくたべているのでしょうけれど。なじみがなくて、見るだけにした。
初めて聞いた名前、初めて見た魚。その時は目が大きいなとは感じなかったけど。

今年10月異いわき市の魚に指定されたようだ。
目が大きくて、青い色が特徴であるようだ。深海魚に属するのかな?底引き網にかかってくるようだ。

体がやや細長い円筒形で、肌色は青白色で背側に多くの不規則な暗色横帯があり、口先は尖っている。大きな眼球は背側に近く、光を当てると緑色に輝くところから、アオメエソという標準和名がついたにちがいない。肛門周辺に発光器があり、発光バクテリアが共生している。体長は15cmになる。

野島崎灯台に行った時も、水槽に知らない魚が泳いでいた。そこはレストランだったけど。
魚は知らない名前のなじみがない魚たくさんある。


ホンビノス貝

2013-11-11 13:10:51 | 日記
ホタテガイの発泡スチール箱にホンビノス貝 かねはち水産 千葉県船橋市湊町とラベルがはっている。ホンビノス貝?

今ホテルなどメニューの表記で食材の記載に誤記があったと、10月24日より騒がれている。海老がネーミングと使用されていた海老と中身がちがうなど。

ホタテを魚やさんがすすめるとき、このあさりとも、ハマグリともみえる大きな貝を2袋付けて、2000円にするからーと言っていた。そんなにたべられないから~とそく断ったけれど。そしたら、ホタテだけで~といって、値段をさげてきたから、かってしまったけれど。

この貝はなんだっとのだろう?と思っていたけれど。
これはホンビノス貝というのがわかった。

この辺ではまだみたことはないけれど、千葉当たりではもう食卓に上っているのでしょうか?

東京湾に生息する。もともと日本には存在していなかったが、1998年に千葉県・幕張人工海浜で発見され、1999年に京浜運河、2000年に千葉港、2003年に船橋付近で発見されており[2][3]、以後、東京湾内で繁殖している外来生物。原産地である北米大陸から船舶のバラスト水に混ざり運ばれ、東京湾に定着したと考えられている。