web公開している自分の論文があるのですが……。
こちら
非常勤をさせていただいている大学の紀要で、である。
実のところ紀要というのは、あまり読まれる媒体ではないことが多い。
ただし、上の論文、DL数のカウントが載っているのだが、2018年9月の時点で閲覧数が4000を越えていて驚いたのでした(こちら)。
なんでかな? と疑問に思っていたのだが、いろいろ調べてみると、ウィキペディアの五月危機の項目で参照文献として掲載されていた(記事はこちら、参照はこちら)。
多くの人々の目に触れるのは嬉しい限りです(ちなみにウィキペディアの執筆をしたのは私ではないです 笑)。
ただ、この五月危機への知識人の影響の説明で、アルチュセールの名が出ていたが、彼の著作が影響を与えたとは言えるかもしれないが、五月革命の際には彼は精神病院に入院していて、学生達の活動には一切関わっていない。妻に宛てた手紙の中では、「このゼネストはいつまで続くのだろう?」といった旨のことを書いている。
こちら
非常勤をさせていただいている大学の紀要で、である。
実のところ紀要というのは、あまり読まれる媒体ではないことが多い。
ただし、上の論文、DL数のカウントが載っているのだが、2018年9月の時点で閲覧数が4000を越えていて驚いたのでした(こちら)。
なんでかな? と疑問に思っていたのだが、いろいろ調べてみると、ウィキペディアの五月危機の項目で参照文献として掲載されていた(記事はこちら、参照はこちら)。
多くの人々の目に触れるのは嬉しい限りです(ちなみにウィキペディアの執筆をしたのは私ではないです 笑)。
ただ、この五月危機への知識人の影響の説明で、アルチュセールの名が出ていたが、彼の著作が影響を与えたとは言えるかもしれないが、五月革命の際には彼は精神病院に入院していて、学生達の活動には一切関わっていない。妻に宛てた手紙の中では、「このゼネストはいつまで続くのだろう?」といった旨のことを書いている。