電話口の彼女は追い詰められた様子ながらも、時系列に沿って冷静に事実を語る。私はその話を夢の中での出来事のように聞いていた。なかなか現実感が湧かない。これには、淡々とした彼女の口調の影響も多分にあった。彼女は現実を受け止めないままに現実と闘っている。まだ娘が幼稚園生であるというのに、現実など受け入れられるはずもなく、「家族で一丸となって病魔と闘う」というステレオタイプの役割を演じさせられている。
彼女の夫の容体は、医師の見通しとほとんど違わずに推移したとのことであった。夫は、当然回復して会社に戻ることを前提に、最初は有給休暇と傷病休暇で対処していた。ところが、容体は目に見えて悪化し、普通に歩いたり手を自由に動かすことも難しくなってきた。食事も徐々に口に入らなくなり、体重も日に日に減ってしまったとのことである。実際にその場にいない私には、その間の本当のところを知ることは難しい。
そして、彼はやむなく会社を退職した。景気の低迷は、このような時にも影響を及ぼす。彼の勤める会社の経営状態は厳しく、退職金は微々たる額しか出なかったが、彼は文句など言えなかった。その後、妻はパートに出て家計を支えたが、自宅と職場、病院と幼稚園の間を行ったり来たりするだけで1日の大半が終わり、彼女のほうも限界に追い詰められた。彼女がいつ倒れても不思議ではないことは、私にもすぐに察せられた。
この電話は、あくまでも連帯保証債務の相談であり、依頼人となるのは彼女の夫である。そして、委任契約の締結は、本人と直接会って行わなければならない。私は、余命が3ヶ月であると宣告された人物に会うことの恐怖を感じた。法律事務所では、死者の逸失利益の計算や遺言の執行の業務が日常的に行われているが、そこに本物の「死」は登場しない。法律で定義された死に関する経験など、ここでは全く役に立たない。
(フィクションです。続きます。)