犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

島伸一編 『たのしい刑法』

2008-05-18 19:57:12 | 読書感想文
刑法学者や司法関係者には、なぜ犯罪被害者の言葉が通じないのか。それどころか、犯罪被害者の立ち直りを阻害するようなことがあるのか。これを正確に説明しようとすれば、非常に長くなる。しかし、この本の題名は、その理由を見事に一言で語っている。ズバリ、『たのしい刑法』である。これは、純粋な論理の世界において、論争によって反対説を言い負かす楽しさである。「有罪判決が確定するまでは被告人に無罪が推定され、その人が犯人かどうかはわからないのです」と言っていた刑法学者が、道端で引ったくりに遭い、思わず「その人犯人です! 捕まえてください!」と大声で叫んでしまったというようなブラックユーモアではない。

今日は新司法試験の最終日であり、刑事系(刑法・刑事訴訟法)の論文試験が行われた。犯罪とは俗悪であり、悲惨なものであるが、どういうわけか刑法学は非常に楽しい学問である。目的的行為論や人格的責任論といった高尚な理論が理解できるのは、自らがエリートである証拠である。厳格故意説と制限故意説、はたまた厳格責任説と制限責任説を完全に理解したときの爽快感は、何物にも替えがたい。因果関係における折衷的相当因果関係説と客観的相当因果関係説の違いと、不能犯における具体的危険説と客観的危険説の違いは非常に似ているが、実は処罰範囲の方向性が正反対である点も面白い。素人の裁判員に何がわかるかといったところである。

たのしい殺人罪、たのしい放火罪、たのしい住居侵入罪、これも冗談ではなく非常に楽しい研究である。ピストル殺人における具体的事実の錯誤の法定的符合説の数故意犯説と一故意犯説の論争など、理屈っぽい人にとっては面白くてたまらない。放火罪の独立燃焼説と効用喪失説、さらには燃え上がり説などの中間的見解の対立も面白く、新たな理論で一旗上げようという野心を持った研究者も多い。「火を消そうと思って小便をかければ、その小便のほうだけが器物損壊罪になってしまう」という内輪ネタの笑い話もある。家を焼かれた悲しみなどを想像していては研究にならない。住居侵入罪の住居権説と平穏説、さらには新住居権説の対立も盛り上がっている。これだけで1冊の本を書いてしまう人もいる。

現在の法治国家において、新司法試験で合格答案が書ける人は、『たのしい刑法』という題名に違和感を持たない人である。違和感を持たずに刑法学の魅力に取りつかれ、その数学のような論理性の世界にすんなりと入れる人は、法曹としての適性がある。これに対して、刑法を楽しんでは被害者に対して不謹慎だろうと思ってしまう人は、おそらく刑法の勉強が続かず、法曹には向いていない。こう考えると、法曹の適格と被害者支援者の適格とは、真っ向から相反するところがある。『たのしい刑法』を読んで受かった法律家は、一度被害者の存在を完全に眼中から追いやり、その上で遠回りして被害者の存在を思い出しているようなところがある。すなわち、被害者の言葉の行間の沈黙を読む適性のほうはなさそうである。これが、刑法学者や司法関係者に犯罪被害者の言葉が通じない理由である。

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