「何で3ヶ月でないのに3ヶ月だと言われたんですか」と、債権回収会社の担当者が電話口で食い下がる。私は、「失礼ですが、お宅の事情だけで話が進むわけではないですから、そう言われても困るんですが」と呆れてみせる。担当者は私の言葉を聞かずに、「あなたのせいで事務が進捗せず支障を来たしてるんですよ」と怒る。私は担当者の言葉を受けて、「進捗はお宅の内部の話ですから、こちらには何かを言う権利がないんですが」と呆れる。
担当者の言葉が途切れたところに付け込んで、私は屁理屈を続ける。「結局、お宅は思い通りにならないから、何で思い通りにならないのかと言っているようにしか聞こえないんですが、それはそういうものだとしか言えないですよね」。「お宅がそのような言い方をされるなら、こちらはもう返事のしようがないですし、この辺は当然わかって頂けないと困ることですし、そんなこともわからないのでは話を続けても意味がないでしょう」と、大袈裟に憤慨する。
回収会社の担当者は、「3ヶ月とにかく待ってくれと、理由は後でわかるからと、そうあなたに言われたから、今電話で聞いてるんですよ。おかしいですか」。「私も答えを聞かないと上席に報告できませんから」と粘る。「上席に報告」という部分に力が入っている。この担当者が、今回の粗相を上席から怒鳴りつけられ、人格否定のパワハラまで受けたとすれば、その原因を作ったのは間違いなく私である。しかし、ここを掘り下げると私の精神が潰れる。
担当者の言い分は、社会人として尤もである。ゆえに、担当者の口調が敵対的である点の不快感に、私の世界の中心は移動する。正義と悪の二元論である。「結局は、お宅の危機管理が甘いとか、そういう問題ですよね」。「なぜ3ヶ月かという質問に答えること自体が、こちらの依頼人に対する守秘義務違反になることを理解しておられますか。質問自体がおかしい質問には答えようがないんですが」。議論のための議論にはまると抜け出せない。
(フィクションです。続きます。)