犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

村上政博著 『法律家のためのキャリア論』

2010-04-21 22:58:07 | 読書感想文
p.42~

 弁護士は、自力で生活の糧を稼がなくてはならない。弁護士資格自体は一銭の収入も保証しないためである。仮に、イソ弁・事務員各1名態勢で、都心のビルに個人法律事務所を構えるとした場合、月当たり経費が最低限200万円はかかる。年間1200万円のうち、交際費は税法上、経費と認められるからその分を差し引くと、年間所得は1000万円にも満たなくなる。この所得レベル・生活水準を確保するために、仮に事務所経費月200万円、生活費など月100万円としても、事務所売上は年間3600万円が必要になる。

 このような事務所経費の収支計算から、弁護士は訴訟物価格数百万円程度の事件、ましてや少額事件を受任したがらなくなる。そのうえ、弁護士報酬・年間総収入はかなり不安定なものである。たとえば、今年度は高額の年間収入を得たとしても、それが次年度以降も続くという保証はない。検事を退職して弁護士になったいわゆるヤメ検が時折問題を起こすことがあるのも、実は稼ぐことの困難さを物語っている。稼ぎ方を体得していないヤメ検は、事件処理において依頼者の意向を受けて無理を重ねる可能性が高いといわれる。


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 ある方のブログで次のような話を読みました。息子さんの死の真実を求めて裁判を起こした。弁護士は、「弁護を任せてほしい」と言った(成功報酬が確実に見込めるため)。その過程で、加害者側の企業から「話し合いのテーブルを設けます」と言ってきたので、両親は弁護士任せにせず自分達が話し合いたいとの意思を示した。しかし、弁護士からは、「素人にできるはずがない」と言われて拒否された(成功報酬が下がるため)。その後、警察への対応を弁護士に求めたところ、「多分無理でしょう」と言われて断られた(成功報酬が全く見込めないため)。母親は、「この世に正義はない」と心に刻んだ。

 村上氏の述べるところが現実の弁護士の経営実態であり、このような感覚の中で日々生きている法律実務家からすれば、上記の母親のような指摘は非常に困るはずです。話し合いのテーブルに当事者本人をつかせず、警察相手の無理な裁判を受任しないことは、事務所を構える経営者としては正しい判断だからです。そして、この資本主義の暗黙の了解の偽善性を突いてくる者は、扱いにくいクライアントであり、いくら話し合っても通じないという評価を受けるものと思います。

 他方、弁護士という肩書きや金銭的な利害関係を離れて、1人の人間として見てみれば、これほど筋の通らない話もありません。息子さんの死の真実を求める裁判であれば、その当事者としての加害者側の企業との話し合いをする資格があるのは、世界中に両親をおいて他にはいないからです。もちろん、単にお金の問題であれば、交渉技術に長けたプロに任せるべきだという筋も通りますが、当人がお金の問題でないと言っているのであれば、これは代理人による交渉に任せられないのは当然です。そして、この結論が経営判断の正しさと衝突するならば、やはり「この世に正義はない」というのが正解だと思います。