犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

秘書が勝手にやりました。私は全く知りません。

2010-04-03 00:21:40 | 言語・論理・構造
某中小企業の先輩秘書から後輩秘書への訓示

 社長の秘書ともなると、社長からは毎日指示があり、社会的地位の高い方々ともお会いします。秘書は、過酷な職務に追われている社長の指揮・命令のもと、その補助をしているのです。このような地位に置かれると、人間とは怖いもので、何だか自分がすべてを行っている気になりがちです。そして、普通では会えない地位の方から頭を下げられたりすると、社長に近い立場になった錯覚にも陥りがちです。このような勘違いをする秘書が多くて困ります。

 秘書の仕事に自由はありません。社長から仕事の指針を示されたら、それに向かって仕事を遂行しなければなりません。仕事をしているのは社長です。秘書ではありません。本来は社長がする仕事を、忙しいから自分の代わりにやってもらうため、雇用されたのが秘書なのです。ですから、すべては社長の意向に沿ったものでなければなりません。様々な偉い方が、秘書の前で深々と頭を下げられます。しかし、それは秘書にではなく社長に頭を下げているのです。

 会社は、社長の意向によって成り立ちます。ですから、全ての考え方が会社や社長のためなのは当たり前です。秘書のためではありません。社長が秘書を理解することはまずないと言っておきます。これを納得する気がない人は、秘書には向いていません。とにかく、会社や社長のためだけを考えて仕事をして下さい。そうすると不平不満が消えます。社長が自分を採用してくれた時のことをいつも思い出して、恩返しをして下さい。


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 これは、ある中小企業を退職した元秘書の女性が持参したものです(内容はかなり変えてあります)。会社で組織ぐるみの不正が発覚しましたが、社長は「秘書が勝手にやったことだ。私は何も知らない」と言い張りました。彼女は、「すべて私が勝手にやりました」との始末書を書いて提出し、社長に累が及ぶのを阻止し、さらに不祥事の責任を取って退職しました。彼女はその後うつ病になり、会社を訴えようと考えて相談に来ましたが、迷った挙句に断念しました。

 彼女は、この一連の気持ちがなかなか上手く言葉にならず、他人に伝わらないことを嘆いていました。不祥事を知っていたのであれば、何で止めるように社長に進言できなかったのかと責められます。他方、進言などできなかったと言えば、組織ぐるみの不正に加担した罪は免れないのではないかと責められます。さらに、秘書として社長の不始末を全部肩代わりしたのだと言えば、それならうつ病になる筋合いはないと責められます。「秘書がやりました。私は知りません」という言葉の威力を思い知らされました。