犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

私の仕事の悩み

2010-04-08 23:54:19 | その他
 先物取引とFXで詐欺に遭い、わずか1ヶ月のうちに老後の資金500万円を騙し取られた75歳の女性が法律相談に来ました。彼女は、あふれんばかりの感情を一気に吐露し、「世の中でこんなに苦しい思いをしている人は他にいない」と泣きながら語っていました。
 私は、実際にその通りだと思いました。そのような心底からの言葉は嘘や演技で語れるものではないでしょう。私は、人間の金銭欲の渦に巻き込まれて財産も希望も失い、わずかばかりの人間の良心を求めている彼女に、真剣に向き合って話を聞きました。しかし、内心の奥底では、「たかがその程度のことが世の中で一番苦しいわけがない」と軽蔑する気持ちがありました。

 夫の不倫を知り、悔しくて夜も寝られないという35歳の女性が法律相談に来ました。彼女は、夫の不倫相手の女性の死を願う言葉を並べながら、「私は世界で一番不幸だ」と切々と訴えつつ、何で自分がこんな思いをしなければならないのか、相手の女性の人生をぶち壊すことが私の唯一の生きがいだと語っていました。
 私は、全く彼女の言う通りだと思いました。嫉妬であろうと何であろうと、負の感情は人間が生きることそのものに等しいことが全身でひしひしと感じられました。恨みから解放されて前向きに生きるなど、世間知らずの空論でしかないでしょう。しかし、私の内心の奥底では、「たかがその程度で世界一のわけがない」と軽蔑する気持ちが消せませんでした。

 事業をやっている親戚の連帯保証人になり、その事業の失敗によって5000万円の借金を背負い、長年住み慣れた自宅を手放さなければならなくなった55歳の女性が法律相談に来ました。彼女は、見るからに疲れた様子で両手で顔を覆い、「こんなに惨めな思いをしている人は他に見たことがない」と呟いていました。
 私は、心から同情しました。連帯保証人になって他人の借金を押し付けられた人は、目の前の生活の問題に加えて他人の心が信じられなくなり、債務者本人よりも複雑かつ多方向からの攻撃に晒されて打ちのめされることになります。しかし、私の内心のさらに奥底では、「そのくらいの苦しみなら世の中に普通に転がっている」と軽蔑する気持ちがありました。

 上記の3人にとって、それぞれの苦しみが人生を賭けた極限であり、一つ間違えれば発作的に死を選んでしまうような精神状態の中で、藁にもすがる思いで法律相談に訪れたことは疑いのないところでしょう。
 3人の女性は、最後はいずれも晴れ晴れとした顔になり、感謝の言葉を述べ、何度も頭を下げて帰っていきました。そのうちの1人は、前日に別の事務所に相談に行ったところ、全く親身になって話を聞いてくれなかったので、本当に救われたとのことです。これは恐らくお世辞や社交辞令ではないでしょう。
 カウンセラーが他人に感情移入しすぎると、心理学的な自己投影が生じてしまい、歯車が狂った時に身が持たなくなると聞いたことがあります。私の場合は、いつも心の奥底に軽蔑の念がありますので、そのような心配も全くなさそうです。悩ましい限りです。